晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

バスで行く大栗峠2-(3) 8/31

2018-08-31 | 山・峠

2018.8.31(金)曇り

 峠にたどり着くときのあの達成感というか安堵感というかあの妙な嬉しさはいったいなんなのだろう。特にこの大栗峠は上林のどの峠にも無い開放感と清涼感がある。荒れて殺伐とした峠や植林が生い茂って陰気な峠が多い中でここは格別である。疎らな闊葉樹と閉塞感の無い広い空間、四方に向かう山道がしっかりと区別でき、古の往来人の姿を彷彿とさせる。しかしなんといっても二体の地蔵様は大栗峠の主人公である。このお地蔵様に会うために登ってきたと言っても過言ではない。遠くに居る恋人に会えたときのような嬉しさがこみ上げてくる。

2013年7月によだれかけを着けた。
 大栗峠自体の謎は数多くあるのだが、既に公表しているのでここでは略そう。ただ気になるのは数年前に桜井さんが着けてあげたあのよだれかけはどうなったんだろうということである。
 そしてこの峠にもうけられた看板にもこれまで同様の傷がある。これはもう間違いない、鹿の食害である。人工の板を食べるかなあといぶかしく思ったが、峠下の林道から山上の峠まですべての道標が同じように傷ついているのは鹿の食害であると納得いく。立っているものはその下側、突き出ているもの(倒れた椅子など)はその突き出た部分を食われているのだ。こんな板がおいしいはずが無いと思うのだが、ご丁寧に塗られたニスがその原因なのではないか。ニスには膠(にかわ)が使われているそうだ、これが鹿の好む臭いを出しているのではないか。こんなものまで食害に遭うとしたらなんともやるせない気がする。


峠東側の四角い平地(2018.4)
 大栗峠の謎については略するとしたが、例の東側の広場について考察しておきたい。この広場については、茶店があったという噂もあり、人馬の休憩場所、荷物のデポジットなどの予測をしていたが、先日清水鋳物師の末裔である井関家の奥さんに「大栗峠の通行証となる木札があったよ」と聴いて新たな想像が沸いてきた。通行証があるということは藩が通行人や物資の管理をしていたということで、関所とまで行かなくても役人が通う簡素な建物があったのではないだろうか。そうすれば城下(しろした)から峠に至る山田道が政治的な道だとする私の説も頷けることとなる。広場のある大栗峠も木住峠も主要街道であり、藩境でもあるのだ。
 そんな思いを残しながら、弓削道への稜線を辿る。つづく

【今日のじょん】今日はじょんの定期検診、体重はやや減少でコントロールの効果あり、問題の
赤血球の値はやや上昇して、鶏肝効果ありかと大喜び。じょんは久々のドライブで喜んでいるが、じょんゲル係数が高くなるのは困りもの。

家帰ってきてぐったりしているところ。

コメント
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