2019.2.9(土)曇り
643mピークから浅原に降り始めても道は見つからない。道標も目印テープも無い、ふと脇を見たら荒れてはいるが古い峠道らしき掘り込みがある。
峠の魅力は人の匂いである。往時の人が慈しみ手を入れてきた道、お地蔵様や小さな祠、道標や古い石垣など人の匂いもするものがとても嬉しい。
立派な峠道
尾根道に作られた堀尾峠の道は斜面をジグザグに下っていく。倒木や馬酔木の灌木が行く手を遮る。整備前の小栗峠弓削道もこんな感じだった。それにしてもこの峠道やたらと分岐が多い。分岐と言ってもやがて合流する道で、よくあるケースなんだがとにかく数が多い。昔の人がいたずらに沢山の枝道を作ることも考えられないので、なんらかの理由があるのだろう。崩壊が多いのか、荷車の通行量が多くてすれ違いや退避の道を作ったのだろうか。道幅は小栗峠弓削道と同様の立派なものだ。
倒木や崩壊に苦労しながら歩いて行くと、道の脇に妙な小屋跡を発見。奇妙な金属機器や蓄電池などがうち捨てられている。機器をよく見ると、「積算雪量計、昭和36年、、、」などと書かれたプレートが着いている。少し横に地面に掘られた穴があり、周囲に鉄板が張られている。どうやら気象観測の設備らしい。
観測小屋の跡、お釜のようなのが雪量計。
やがて左下から沢音がしてくる、尾根道から谷道となるわけで谷に降り立ったところに苔に覆われた地蔵様を見つける。この地蔵様は存在を知らなかったので大発見をしたような気持ちになる。そっと苔を剥がすとそのお顔は小栗峠の地蔵様によく似て実に良い顔をしておられ、思わず両手を合わせる。何か銘は無いかと探すと背面に「志主 川北・・・」とある。この峠がかなり重要な位置を占めていたことが解る。
以降谷道を下ることになるが、なんとも細い田んぼが段々に続いている。昔の人はここまで苦労して米を作ってきたのだろう。それにしても歩きにくいことはこの上ない。先が開けて明るくなってきたら、右の斜面が大きく崩れている。この崩れは里からも見えるもので、渡りきると川北(則)さんのお宅に飛び出た。
五十嵐さんのお宅で発破小屋と観測小屋の件を尋ねたが、予想通りであった。今回の山行はいろんな発見があって実に楽しかった。おわり