晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続々・三島由紀夫はなぜ死んだか 12/11

2020-12-11 | 日記・エッセイ・コラム

2020.12.11(土)晴れ
 三島が国の現状を憂い、元の天皇を中心とした美しい日本を再現すべく自衛隊員に決起を促したが、誰一人決起するものはなく、逆に罵声をあびる結果となった。はたして三島は檄文の内容を自衛隊員が受け入れると思っていたのだろうか。演説を終えて総監室に戻った三島は盾の会の森田とともに割腹自殺するわけだが、それはもちろん突発的なことではなく前もって計画されたことであろう。つまり日本の現状にも未来にも、政治にも自衛隊にも絶望していたのではないかとわたしは思う。演説を聴いた自衛隊員の誰かが決起に同意したとしても三島は自決しただろう。それは三島の唯一の道であり、割腹は三島美学の集大成であったのだろう。肉体改造をし、盾の会を結成し、自衛隊青年幹部と会ったり、東大全共闘との討論会などまるで小説を書いているようで、市ヶ谷駐屯地での割腹自殺はそのエピローグなのだろう。それ以外にこの小説は終えることができなかったのだろう。
 三島事件の3ヶ月後、劇団浪漫劇場によってサロメが公演された。演出は三島自身がしていたという。そこまで準備していたのかと、生首の映像を見るたびに驚いてしまう。三島の美学については、六年前に「金閣寺の燃やし方」(2014.12.13参照
)で書いたことが参考になるが、泥まみれになっても生きようとする水上勉と対照的である。ただ三島の虚弱体質と水上の貧困と形は違ってもコンプレックスから派生していることは見逃せない。「金閣寺」の中で、主人公溝口が金閣寺を燃やした後自殺しようとするが、思いとどまって生きようとするのは見逃せない。三島美学には反するのだが、事実犯人の林養賢は生きて逮捕されているからだろうか。
 多くの論評に、三島は政治というものが解っていなくて、人一人が命を賭して訴えたところで変わるものではないという論が出てくる。三島はそんなことは重々解っていて、自分の美学の完成のためにことに及んだのではないかと思う。また彼が絶対性を求める天皇だって、この世に存在したことはなく、彼自身の中に存在している理想の天皇像なのではないだろうか。古代からの権力を持った天皇がいかに無慈悲で残虐であったか、権力闘争に明け暮れて、とても神とあがめるようなものではない。明治以降の立憲君主制の天皇も、まして今日の象徴天皇も彼の求める天皇ではなかったはずだ。だからこそ日本男児として、武士として美しく散る以外に方法がなかったのではないだろうか。
 美しいと思っていた金閣寺がなんとも汚く醜かった、それは存在してはならないと火をつけると、見事に美しい金閣がよみがえった。「金閣寺」の主人公溝口の思いは、三島由紀夫と実に一致することに気づいた。終い方が違うだけである。
 嘘か誠か解らないが、事件当日市ヶ谷の陸自の本体は富士の演習場へ訓練に出かけており、広場に集まって演説を聴いていたのは後方部隊であるという情報があった。わたしが宝永火口のそばで夜な夜な聞いていた砲声はその本体の発するものであったのだろうか。おわり


 

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