シャープは台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下に入る資本提携の正式契約を急ぎ、早期の経営再建を目指す。ブランド力や技術力で鴻海よりも優位にあったはずのシャープが、自力再建を諦め、鴻海に買収される立場に甘んじることになった元凶はどこにあったのか。「世界では生産規模で勝負が決まるパワーゲームが起きている。もはや技術だけでは勝てない」。2012年6月、シャープが都内で開いた経営戦略説明会で、奥田隆司社長(当時)は、その3カ月前に合意した鴻海との資本業務提携の背景について、こう語った。
同年4月、ソニーや日立製作所、東芝の中小型液晶事業を統合し、官民ファンドの産業革新機構が出資した日の丸連合、ジャパンディスプレイ(JDI)が発足していた。もちろん、シャープも合流を打診されたが、選んだのは日台連合だった。12年3月期に約3760億円の最終赤字に沈んだ経営を電子機器受託製造サービス(EMS)世界最大手、鴻海との提携を軸に立て直す戦略を描いた。
ところが日台連合はすぐに暗礁に乗り上げた。鴻海が1株550円でシャープに9.9%を出資するとした合意を実行しなかったからだ。シャープは銀行の融資を受けて自立再建することになった。シャープの経営危機は液晶事業への過剰投資と、液晶依存体質から脱却できなかったことが原因だ。ブラウン管時代に存在感の薄かったテレビ事業で、液晶ディスプレーの実用化を先行したことで薄型テレビ時代を切り開いた成功体験が捨てられなかった。
経営危機後も浮き沈みの激しいリスクを認識しながら液晶事業を収益の柱として過度に期待し続けた。シャープ幹部は「かつてブラウン管を自社生産できなかったという二流意識を変えてくれた液晶を捨てられなかった」と悔やむ。過剰投資の象徴は堺市の液晶パネル工場だ。身の丈を超えた約4300億円を投じたが、稼働を始めた09年10月には前年のリーマン・ショックの影響で需要が激減。巨大な生産能力を持て余して稼働率が低迷し、在庫が積み上がった。
早稲田大学ビジネススクールの山根節教授(経営戦略論)は「シャープは液晶でひたすら『技術が高ければ勝てる』と投資を続けて負けた」と指摘する。同時期に巨額赤字を計上したパナソニックは不振事業の撤退などの構造改革にいち早く踏み切り、BtoB(企業間取引)路線に転換。日立製作所は交通インフラ事業に注力し、ソニーは画像センサーなどの収益の柱を育てて復活した。
一方、シャープでは液晶の拡大路線を主導した経営トップに代わって12年4月に社長に就任した奥田氏は液晶依存体質を改革することなく、1年間余りで会長に退いた。続いて13年6月に就任した高橋興三社長も「健康・環境機器と液晶が成長ドライバーだ」と宣言。一時は高精細で低消費電力の液晶パネル「IGZO(イグゾー)」などの技術を武器に、中国のスマートフォンメーカーに次々と採用されて再建を牽引(けんいん)したが、一昨年秋に失速。ライバルとなったJDIに得意先を切り崩されたことも痛手となった。
それでも高橋社長は昨年5月、破綻した中期経営計画に代わる計画を発表した会見で「売上高の3分の1を占める液晶をなくしたら(計画の)業績が成り立たない」と液晶で稼ぐ姿勢を強調した。その後、好転の兆しの見えない事業環境に業を煮やした高橋社長は社内会議で「液晶さえなければ…」と発言。切り離しなど構造改革の検討を始めたが、決断が遅れた分だけ財務状況が悪化していた。
昨年12月末の有利子負債は7564億円。3月末に返済期限を迎える約5100億円のシンジケートローン(協調融資)は、主力取引銀行が借り換えに応じなければ立ち往生する。高橋社長は、上意下達の意識が強すぎた企業風土改革に熱心だった一方、必要な構造改革に向けた経営判断を後回しにした結果、鴻海の支援を受けるしかなくなった。「4年前の合意が破談になって、状況を悪化させて振り出しに戻った。今度は経営権を握られるしかないのだから」昨年退社した40代の男性は、こう嘆いた。
同年4月、ソニーや日立製作所、東芝の中小型液晶事業を統合し、官民ファンドの産業革新機構が出資した日の丸連合、ジャパンディスプレイ(JDI)が発足していた。もちろん、シャープも合流を打診されたが、選んだのは日台連合だった。12年3月期に約3760億円の最終赤字に沈んだ経営を電子機器受託製造サービス(EMS)世界最大手、鴻海との提携を軸に立て直す戦略を描いた。
ところが日台連合はすぐに暗礁に乗り上げた。鴻海が1株550円でシャープに9.9%を出資するとした合意を実行しなかったからだ。シャープは銀行の融資を受けて自立再建することになった。シャープの経営危機は液晶事業への過剰投資と、液晶依存体質から脱却できなかったことが原因だ。ブラウン管時代に存在感の薄かったテレビ事業で、液晶ディスプレーの実用化を先行したことで薄型テレビ時代を切り開いた成功体験が捨てられなかった。
経営危機後も浮き沈みの激しいリスクを認識しながら液晶事業を収益の柱として過度に期待し続けた。シャープ幹部は「かつてブラウン管を自社生産できなかったという二流意識を変えてくれた液晶を捨てられなかった」と悔やむ。過剰投資の象徴は堺市の液晶パネル工場だ。身の丈を超えた約4300億円を投じたが、稼働を始めた09年10月には前年のリーマン・ショックの影響で需要が激減。巨大な生産能力を持て余して稼働率が低迷し、在庫が積み上がった。
早稲田大学ビジネススクールの山根節教授(経営戦略論)は「シャープは液晶でひたすら『技術が高ければ勝てる』と投資を続けて負けた」と指摘する。同時期に巨額赤字を計上したパナソニックは不振事業の撤退などの構造改革にいち早く踏み切り、BtoB(企業間取引)路線に転換。日立製作所は交通インフラ事業に注力し、ソニーは画像センサーなどの収益の柱を育てて復活した。
一方、シャープでは液晶の拡大路線を主導した経営トップに代わって12年4月に社長に就任した奥田氏は液晶依存体質を改革することなく、1年間余りで会長に退いた。続いて13年6月に就任した高橋興三社長も「健康・環境機器と液晶が成長ドライバーだ」と宣言。一時は高精細で低消費電力の液晶パネル「IGZO(イグゾー)」などの技術を武器に、中国のスマートフォンメーカーに次々と採用されて再建を牽引(けんいん)したが、一昨年秋に失速。ライバルとなったJDIに得意先を切り崩されたことも痛手となった。
それでも高橋社長は昨年5月、破綻した中期経営計画に代わる計画を発表した会見で「売上高の3分の1を占める液晶をなくしたら(計画の)業績が成り立たない」と液晶で稼ぐ姿勢を強調した。その後、好転の兆しの見えない事業環境に業を煮やした高橋社長は社内会議で「液晶さえなければ…」と発言。切り離しなど構造改革の検討を始めたが、決断が遅れた分だけ財務状況が悪化していた。
昨年12月末の有利子負債は7564億円。3月末に返済期限を迎える約5100億円のシンジケートローン(協調融資)は、主力取引銀行が借り換えに応じなければ立ち往生する。高橋社長は、上意下達の意識が強すぎた企業風土改革に熱心だった一方、必要な構造改革に向けた経営判断を後回しにした結果、鴻海の支援を受けるしかなくなった。「4年前の合意が破談になって、状況を悪化させて振り出しに戻った。今度は経営権を握られるしかないのだから」昨年退社した40代の男性は、こう嘆いた。