心の風景 認知的体験

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パターン認識 用語解説

2007-07-07 | 認知心理学

◆パターン認識(pattern recognition)〔1991年版 心理学〕
文字や図形、音声など空間的、時間的な広がりを示す対象が何であるかを認識すること。コンピュータによるパターン認識の性能が向上してくるにつれて、逆に、人間のパターン認識能力の優れている点が注目されるようになった。
機械でも人間でも、認識のモデルには二つある。特徴抽出モデルでは、あるパターンをそのパターンであると同定するのに十分な少数個の特徴との照合が強調される。鋳型照合モデルでは、パターンの定型的な鋳型との全体的な照合が強調される。

2007-07-07 | Weblog
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20文字/1行 60行 文字のみ
雑誌「MIT」芳林社
発想王をめざせ(7)


究極の発想法を使う
*******
ポイント
1)強い問題意識と解決への意欲を持つ
2)新鮮な体験をする
3)知的好奇心を絶やさない
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●勘は身につけることができるか
 勘の良し悪しは天性による部分が大きいようには思う。しかし、「勘を磨く」という言い方もあるのだから、それなりの努力をすれば、勘も身につけることができるはずである。
 さらに、「勘が冴(さ)える」とも言うのだから、持ち前の勘をうまく発揮できる状況とそうでない状況もあるように思う。勘を冴えさせる状況作りもありそうだ。まず、こちらのほうから考えてみる。

●勘を冴えさせる
 勝負好きの人なら誰もが勝負勘なるものがあることを実感しているはずである。勝ちにつながる手がふっと浮かんでくるあの感触である。
 その状況を分析してみると、3つの特徴が浮かんでくる。
 一つは、強烈な目的意識と問題意識である。勝ちたい、そのためには状況の何が問題なのかを明確に意識している。
 2つは、集中である。そのことにだけ心のすべてを集中している。
 3つは、したがって、活発かつ焦点を絞った情報収集と情報処理が頭の中で起こっている。
 勝負の時に限らず、こうした状況に自分を追い込むことが、持ち前の勘を発揮させることにつながるはずである。このあたりの感触をつかんでいただきたいと思い、クイズ1を用意してみた。暇と挑戦心のある方は是非。

●勘を磨く
 では、どうしたら、勘は磨けるのであろうか。
 勝負やパズルでは、解くべき問題がはっきりしている。しかし、日常の仕事では実はここが問題なのである。解くべき問題が何かがわからないのである。そもそも問題が存在することの意識さえないことがある。こんな日常では勘を磨く機会はまったくない。
 日常から離れて新鮮な体験をすると、視界が広くなって、いつもの仕事についても、おもしろい問題意識が生まれてくるかもしれない。
 あなたの体験の新鮮さをチェックするために、右頁に「感度の自己チェックリスト」を挙げてみた。こんなところから自分を変えてみるもの、間接的ではあるが、勘を磨くことになるはずである。
 問題意識が強ければ強いほど、見るもの聞くことすべてが勘を触発してくれる。ヒントが外から内(頭)から押し寄せてくるような感じになればしめたものである。
 情報化社会では情報はあふれかえっている。しかし、それは逆に、肝心の情報を隠してしまうノイズが多いことでもある。そこから今の自分の問題を解決する情報を拾い上げるには、漫然と情報とつきあっていてもだめである。強烈な問題意識と、新鮮な体験を求める知的好奇心が必須である。
 ******本文60行

******クイズ1「勘の冴えを体験する」
次のパズルを考えてみよ。
「問題」
10円玉10個で作った次の3角形を、10円玉3個だけを動かして、逆の3角形にしてみよ。
     10
    10 10
   10 10  10   別添
  10 10 10 10

「解説」
 問題状況は単純明解である。あとは解こうとする強い意思と集中である。
 ヒントは、頂点の3つをどう動かすかである。このクイズはあの超ベストセラーでロングセラーの多湖輝著「頭の体操第2集」(光文社)からのものである。
 なお、パズルには、この問題のように、勘によって解ける「洞察パズル」と、詰め将棋などのように論理的な詰めによって解ける「アルゴリズム・パズル」とがある。もちろん、洞察パズルのほうが勘を磨けることになる。
**********************

***チェック「あなたの体験感度を診断する」
次の12項目について自己診断してみよ。


別添


「解説」
 日経リサーチ(98年1月号)で公開しているものである。この自己診断尺度は、「体感重視」、「フットワークの良さ」、「連想促進」の3つのカテゴリーから構成されている。
 こうした体験を生活の中に組み込むことが勘を磨く(高感度人間になる)ことにつながる。
 同じ状況でも高感度人間(「はい」が9個以上)と低感度人間とでは体験の量も質も違う。それが、勘の陶冶の違いにもなる。

いじの悪そうな声

2007-07-07 | 心の体験的日記
通販に電話した
みるからに、ではなかった聴くからに、意地の悪そうな声
あんのじょう、いつもは、古いカタログでの注文に応じてくれるのに、
だめだと言う。

意地の悪い声って、どんな声かって?
・低音
・紋きり表現
・命令口調
????
あとは、直感だね。

知的好奇心を絶やさない

2007-07-07 | 教育

8 知的好奇心をたやさない

 人間は好きなこと、興味のあることをしていれば飽きがこない。集中力も持続する。「集中力がなくて」とか言うときは、たいてい意に反した勉強や仕事をしている時である。
 したがって、集中力を持続させるのに一番いいのは、好きなこと、興味のあることだけをすれば良いのだが、現実にはそうもいかない。そこで、ここでは嫌いなものでも好きになる、興味を持てるようになるにはどうしたらよいかを少し考えてみる。
 好きなこと、興味のあることが生み出されてくる源は、知的好奇心である。知的好奇心をかきたてられる勉強や仕事はおもしろいし、やってみたいと思う。では、その知的好奇心とは何なのか。
 知的好奇心は、まず「これは一体なんだろう?」「不思議だ」といった疑問の形で現われる。疑問が出てくるのは、今、目の前にあることが、それまでの自分の頭の中にある知識では説明できないからである。
 犬が人をかむのを見ても疑問は湧かない。「犬はときどき人をかむ」ことを知識として知っているからである。しかし「人が犬をかむ」のを目にすれば、「なぜだ?」となる。既存の知識では、説明ができないからである。これが知的好奇心の発生である。
 知的好奇心を持ち続けるには、頭のなかに物事を説明する知識がなければよい。4、5才の子供がよい例である。質問ばかりしている。
 では、大人が好奇心を持ち続けるのにはどうしたらよいか。そのためには、自分の頭の中にある知識では説明がつかないものが満ちあふれたところに積極的に出かけて行くことである。自然と疑問がわいてきて、好奇心のかたまりとなれる。外国に出かけてみるのはc恰好のチャンスである。
 ただ、物事には常に限度がある。あまり説明できない物事ばかりにとり囲まれてしまうと、何が何やらわけがわからず、パニックに陥ってしまい、収拾がつかなくなってくる。適度の「わからない」環境に身を浸しているくらいがちょうどいい。
 そのためには、みずから目的を持ち、知的好奇心を喚起する領域をあまり広くしないことである。かりに、一人の作家でも、その奥行きは深く、その著書を読めば読むほどわからないことが出てくる。
 疑問から発する知的好奇心は、さらにその疑問を解きたい、という行為に駆り立てる。知的好奇心が、人を内から駆り立てる「内発的動機づけ」の一つとされるゆえんである。
 「疑問の発生→その解決のための行為→さらなる疑問の発生
     →解決への努力→ーーーー」
という具合にとどまるところを知らないのが、知的好奇心の特徴である。外からエサをもらう外発的動機づけでは、こうはいかない。ひとたぴ手に入れてしまえば、とりあえずはおしまいである。
 いつもわかりきった世界に浸っていては、知的好奇心は鈍ってしまう。時には、果敢に「わからない世界」に飛び出してみることである。

認知的体験 再掲

2007-07-07 | 心の体験的日記

●認知的体験「我が家のカレーもとうとう出来合いを使うようになるか」06/8/10
カレーは、手製でやってきた。うまいとだれもが言ってくれる。
ところが、スーパーで、カレーに入れる野菜を切った真空パックを見つけてしまった。これで野菜を切る手間がはぶける。やってみたら、時間は10分は短縮できる。味はやや深みにかけるが、まーまー。これからは、これだなー。
●認知的体験「ニュース作成リテラシー」06/8/14
最近、何かあるとすぐに街頭インタビューが一緒に放映される傾向があるように思う。東京を歩いていた何度かそんな場面で出会ったことがある。もしかすると、それ専門のクルーがいるのかもしれない。庶民の意見、感想の重視とでもいうのだろうか。やや安直な感じがする。それより、事の本質にせまる内容の報道に力を入れてほしいものだ。庶民の力を借りてわが意見を言わせるのはずるい。

わかりやすさの質

2007-07-07 | わかりやすい表現
テクニカルコミュニケーター・シンポジウム
会長挨拶
「メディアを変える、わかりやすさを変える」に触発されれて考えたこと
筑波大学心理学系  海保博之

●「変わる」ではなく「変える」のだ
 今回のテーマにある3つのキーワードに触発されて思ったこと。まず、「変える」から。
 大学で管理職になって3か月。「変える」のがいかに難しいかを実感させられている。議事の順番変更のようなつまらないことを変えるのが意外と面倒なのが奇妙でおかしい。早くも「変わるのを待つ」心境になりつつある。
 今回のシンポのテーマも「変える」がキーワード。しかも、社会の仕組を変えるにも匹敵する、メディアと「わかりやすさ」を変えようというであるから、志ある方々のご苦労、挑戦心に心からエールをおくりたい。
●「紙」を基本に
 マニュアルの新しい表現媒体がこれほど多彩になってくると、どのメディアを選択するのが最適かの判断が大事となってくるのはわかる。願わくば、制作コスト削減が最優先の考慮事項にならないことを願うし、ユーザがマニュアルを読む/使うために余計な「操作上の」苦労をするようなことにはならないようにしてほしい。変えようとする志ある方々の足を引っ張ることになるが、まだまだ---今後もずっとか---紙を基本にしたメディア計画であってよいのではないかと実は思っている。 
●「わかりやすさ」の質を問え
 うかつにも、「わかりやすさ」は、「程度」問題と思っていた。「わかりやすさ」にも「質」問題があるという当たり前のことに、今回のテーマで気づかされた。
 たとえば、わかりやすさの質は、素人と玄人とでも違うし(人によっても)、購入開始時と使いこなし段階とでも違うし(学習段階によっても)、組立て説明と操作説明とでも(内容によっても)違う。これまで、こうしたケースを一括して「わかりやすさはユーザの知識経験の関数」と言ってきたが、これではあまりに粗雑で役には立たない。もっと精緻な言い方ができるようにしなければならない。これを機会に一つの宿題としておきたい。 32

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やーぐっすり寝た

2007-07-07 | 心の体験的日記
こんな心地よい睡眠は、久しぶり。
夕方、ビール1本と日本酒一口。
7時半に床へ。
目が覚めたら、5時半。
気分爽快。
木曜日の早朝テニスの疲れが、心地よい睡眠を誘ったらしい。
からだはいじめないとだめ