◆神経心理学(neuro-psychology)〔1998年版 心理学〕
心の働きは、神経生理学的機構にその基礎を置いている。一九六四年に、R・スペリーが、左右の脳半球の分離患者で見いだした、右脳と左脳の機能差(laterality 側性化)の研究がきっかけになり、高次の認知機能(知覚・思考・判断)の神経生理学的基盤への関心が高まった。最近では、脳機能測定のための革新的な器具の開発 (positron emission tomography, magnetic resonance imaging)と、並列分散処理モデル(神経ニューロンの学習的な結合を想定したコンピュータ・モデル)の登場などによって、研究が加速している。
●目的から説明する
人は、物ではない。目的をめざして努力する存在である。生き残るための戦略を駆使する存在である。存在そのものにこんな特性があるのに、それを因果的枠組だけでとらえようとすれば、無理が生ずる。見えるものも見えなくなる。心理学がつまらないものになってしまう。(注1)
かくして、人の心や行動を説明するときには、因果的説明だけでなく、目的的説明もなされることになる。たとえば、
・幼児がかわいいのは、親から愛情を引き出す(目的)ためである
・人を助けるのは、種として生き残る(目的)ためである
こうした説明は、適応論的説明、あるいは、進化論的説明とも呼ぶ。
いずれの説明もいかにも「もっとらしい」「なるほど」という印象を与える。これが目的論的説明の特徴の一つである。もう一つの特徴---それは、とりもなおさず、この説明の大きな問題点でもあるのだが--は、その説明の妥当性を実証できないというところにある。説明の妥当性を補強する「証拠」を挙げることはできるが、それは、研究者が積極的にデータを「作り出す」実証とは異なる。
目的的説明は、この両面性、つまり、「わかるけど嘘っぽい」が特徴である。
◆ファジー論理/あいまい論理(fuzzy logic)〔1991年版 心理学〕
論理的に思考するということのなかには、「厳密である」「筋道が決まっている」「結論は一つである」「思考内容からは独立している」ことが含意されている。
しかし、人間の思考に使われることばや概念、さらにはその展開の筋道には、本質的にあいまいさ(fuzziness)が内在している。たとえば、「若い」とは何歳くらいのこと、「鳥」はどう定義するとなると極めてむずかしい。こうしたあいまいさを嫌ったのが論理学である(たとえば、記号論理学)。これに対して、1965年にL・A・ザデーによって数学的に定式化されたファジー論理は、人間の思考のあいまいさを模擬したものともいえる画期的な理論であった。「0か1」の二値論理で動くコンピュータ制御にも、このファジー論理が応用されるようになってきているのがおもしろい。
京浜東北線の東十条にいった
行きは、取手ー日暮里経由で 約1時間半
帰りは、赤羽から東浦和ー南流山経由で、ほぼ同じ時間
ぐるっと一周した感じでおもしろかった。
首都圏の交通網は実に充実してきたと思う。
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