見つけるのがやや面倒だったが、
見つけた
その過程で、同じ記事を再掲どころか
3,4度も掲載していることを発見
記憶力の良い読者には、申し訳ないことをしている
ただ、自分では、それほど再掲意識はないので
今後も、続々、古い記事が掲載されるかも。
お許しください
以下が、昨年の1月7日の掲載記事です
どれくらい記憶があるか
チェックしてみてください
なお、好評の理香ちゃん映像は
昨年の年末から始まっています
ほぼ1年
おかげさまでブログが明るくなりました
桜氏に感謝
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●領域固有性、状況 行動型ロボット
見出しの3つの用語は、認知科学、認知心理学の成熟期1980年代のキーワードである。
1970年代情報処理パラダイム全盛の中でも、人間の認知には、計算合理性ではとらえることのできない世界があることを示す研究が心理学者の側から散発的にではあるが、提出されるようになってきた。
その一つは、思考の領域固有性である。論理的にはまったく同じ課題であっても、問題の表現を慣れ親しんだ日常的な場面に移すと正解できるようになる現象である。もっぱら、ウエイソンとジョンソンーレアード(Wason & Johnson-Laird 、1972)の4枚カード問題をめぐって一連の研究がおこなわれた。
領域固有性は、その後、認知エキスパート研究においても広く検証されることになり、領域普遍な計算合理性を基本テーゼとしておこなわれてきた初期認知科学への強烈な一撃となった。
1980年代になると、カーネマンとツバルスキー(Kahneman & Tversky1982)による社会的判断における固有のバイアス(ヒューリスティックス)の研究成果が公表されるようになると、この流れは勢いを増し、認知心理学の新たなパラダイムとして、状況的認知論を形成するまでになった。レイブとウエンガー( Lave &Wenger,1991)の認知エキスパートに関する仕事は、その集大成とも言えるものである。
状況的認知論では、人間の認知を頭の外とのやりとりで捉え直す動きを作り出し、それは、必然的に、実験室的な認知から日常的な認知へと関心を向けさせることにもなった(たとえば、Neiser、 1982 )。
人工知能も、こうした動きと呼応するかのごとく、ブルックス(B rooks、1986)が サブサンプション(包摂; subsumption)・アーキテクチャーと呼ばれる設計思想に基づいた行動型AIを開発した。センサーで駆動される複数のエージェント間の実行の優先順位に従って環境中を適応的に動き回る昆虫のようなロボットが開発されたのである。
一方、1980年代中頃、もう一つの注目すべき動きが出てきた。それは、ラメルハートとマクレランド(Rumelhart and McClelland、1986)にはじまる並列分散処理(Parallel Distributed Proccessing)モデルである。さまざまな認知機能を脳の神経結合モデルとしてコンピュータ上で実現する、まったく新たな試みが爆発的に研究がおこなわれた
●臨床心理士(clinical psychologist)〔1991年版 心理学〕
からだの不調や病気とおなじで、心の悩みや病気も治療が必要である。それに「医学的に」たずさわるのは精神科の医師であるが、医師とともに、あるいは単独で、患者、来談者(client)と、もっぱら「言語的、行動的に」やりとりしながら心の健康の回復を支援するのが、臨床心理士である。
1988(昭和63)年に、この臨床心理士の資格認定をするための日本臨床心理士資格認定協会(電話03‐3817‐0020)が発足し審査業務を開始した。このねらいは、心理臨床という仕事の専門性を高め、社会で一定の認知をしてもらうことにより、急増する需要に対処するための、良質な人材を確保することにある。
協会によると、臨床心理士には、4種の能力が必要とされる。(1)各種の心理テストなどを使った心理診断の技法に精通していること。(2)心理治療的援助技法(精神分析、行動療法など)の的確な処置能力。(3)地域精神衛生にかかわる人的援助システムの管理・運営・相談の能力。(4)研究・調査とその発表能力。
臨床心理士の資格を取得するためには、大学院(修士課程)レベルでの心理学の専門的な学習に加えて、協会の実施する筆記試験と口述試験に合格することが必要である。
写真 石下城
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長生きリスク
2007年12月07日 | 心の体験的日記
ある銀行のキャッチ
「あなたの退職金、あと14年でゼロに」
そうかー。79歳でダメか
確かに、長生きリスクというものがあるなー
給料が稼げなくなったら、その時点でころりが一番だが
そんなに都合よくはいかないからなー、
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認知的体験 再掲
2007年12月07日 | 心の体験的日記
●認知的体験05/12/16海保
「書けない」
朝起きても、書けない。書けないからおきるのがつらい。寒いし、眠いし、寝床でぐずぐずしてしまうことが多い。画面を開いても、書けないので、こんな体験記を書いている。まずい状況になってきた。すでにこの状態で1週間になる。
●認知的体験05/12/15海保
「ヒューズが飛ぶ」
40Aの契約であるが、冬になると、乾燥機や皿洗い機を使っているときに、エアコン暖房を入れようものなら、すぐにヒューズが飛ぶ。うれしいことにパソコンは別系統の電源なので大丈夫。11月の電気代、18000円なりは、予想よりは低かったが、来月は2万円を超えるだろう。高い!!
今日の万歩計8167歩(万をめざしたのだが)
●認知的体験05/12/15海保
「からだがかゆい」
冬になると、足などを中心に身体がかゆくなる。昨晩はあまりのかゆさに目がさめてしまった。TVコマーシャルでそんな時の薬が宣伝されていた。早速買いに行こう。医者にいくほどではなさそう。
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周囲の刺激と親しむ
2007年12月07日 | 心の体験的日記
2 周囲の刺激と親しむ
感覚遮断実験というのがある。これは、ふだん、人間に与えられている刺激、たとえば音・光はもとより、場合によっては皮膚感覚・重力までを極端に制限した状態に人間を隔離したら、一体何が起こるかを調べようという実験である。
大学生に実験内容を説明して協力してもらう。学生の方は、軽い気持ちで実験室に入ってくれる。ベッドに横になって、時々簡単なテストに答えていればアルバイト代がもらえるのだから、何日でも部屋に入っていられそうに思う。
ところが結果は、一二名の学生全員が三日以内にギブアップしてしまったのである。
これは、退屈さに耐えられないということもあるが、それ以上に、刺激のない状態に我慢がならなかったようである。数時間すると、もう自分で歌を口ずさんだり、からだの一部を叩いたりして自分から刺激を発生させ始める。やがて幻覚のようなものがが出てくる。頭の中で、みずから刺激を作り出しているのである。
周囲から邪魔されないので集中してものを考えることができるだろうという学生の期待は見事に裏切られて、頭の働きは支離滅裂になってしまったのである。
人間は環境の中で生きている、というより生かされている。おおげさに言えば、環境からのもろもろの刺激が人間の生存を保証しているのである。飛行機の音から、台所の生活音、子供の泣き声、ネオン照明のチラツキまで、すべてが生きていく上での貴重な支えとなっているのである。
これがまず、この実験からの教訓の一つである。たしかに、いずれの刺激も過剰になれば、うるさく感じるかもしれない。しかし、それでも、それがわれわれの生存を助けていると考えれば、寛大な気持ちになれる。
感覚遮断実験の第二の教訓は集中力に関係する。
集中しているときは、周囲のことはまったくと言っていいほど気にならない。あたかも、まわりからの刺激が突然まったくかき消えたかのように感ずる。
しかし、実はこんな時でも、周囲の刺激の入力はたえまなく続いているのである。ただ意識にのぼらないだけなのである。もしこれらの刺激がなくなったら、とたんに、集中できなくなる。
要は、あなたの身の回りの環境をむやみに拒絶せずに、それにともかく親しむことであり、友達になってしまうことである。