働きすぎは、肉体的な疲労と精神的な疲労をもたす。
肉体的な疲労は、比較的自覚しやすいし、物理現象なのでわかりやすい。
しかし、心の疲労となると、最近でこそ、不幸なことに、うつ病患者の増加でだいぶ理解は深まってきているが、少なくとも、肉体的な疲労ほどには、自覚的な理解はできていない。その理由について、少し長い余談になるが、考えてみる。
まずは、構造的に、心の疲労に限らないが、心で起こっていることを心で知ることは、難しいということがある。
心理学を内省(みずからの心の中で起こっていることを報告させる)されたデータに基づいて作り出そうとする試みは、心理学の100年の歴史の中でさまざまな工夫のもとで行われてきた。
心のことは、心が一番よく知っているはずとの思いからであるが、しかし、そのいずれも、限界につきあたってしまい、心理学の研究法の本流にはなりえていない。
しかし、まったく内省ができないわけではないのは、誰しもが知っているし、内省の限界もまた誰しもがそれになり悩まされているところである。
さらに困った心の現実がある。
それは、心の働きには、何かをすることを志向する心(仕事志向マインド;task-oriented mind)と、心が何をしているかをモニターする心(心志向マインドmind-oriented mind)とがあることに由来する。
いつもその心の2つが、状況に応じて、一方の心が7なら他方は3というように配分のもとで働いている。
ところが、心が疲労してくると、この配分がうまくいかなくなり、心志向マインドが機能しなくなってしまうのである。つまり、心の疲労を自覚できなくなってしまうのである。
かくして、心が壊れるまで働いてしまうことになる。