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連想活用術

2009-05-28 | 認知心理学
@海保博之「連想活用術 : 心の癒しから創造支援まで」中公新書 「私がすすめる心理学新書本」

連想とは、あれこれと思いが頭に浮かんでくる現象です。
頭の中で起こるごく日常的な現象ですが、意外に大事な役割を果たしています。
それが、サブタイトルの「心の癒しから創造支援まで」に込められています。
・ 自由な連想によって、心の深層にある思いを知ることができます。
・ 連想によって、心が解放されます
・ 連想は、頭を活性化します
・ 連想は、創造活動を助けます
そんなこともあって、連想には、心理学者だけでなく、脳科学者、工学研究者、
さらには文学者までもが昔から強い関心を寄せていました。
正誤にだけこりかたまっている頭をほぐすつもりで気楽に読んでみることをおすすめします。
[健康・スポーツ心理学科 海保博之]

●信念は、どのように作り出されたのか

2009-05-28 | 健康・スポーツ心理学
●信念は、どのように作り出されたのか

信念は、頭の中にある知識の一つです。ですから、それは、知識一般の作り出されるのとそれほどは違いません。
ただ、2つほど、他の知識の作られ方と違うところがあります。

一つは、正しいという強い確信を伴うことにかかわります。
知識の正しさを証拠立てるものが、信念の元になる情報を仕入れたときのあなたの気持ちに依存していることです。というより、あなたになんらかの強い喜怒哀楽を引きおこしたとき、あなたに押し寄せてきたものもろの情報が信念を形成する知識の種になります。
たとえば、宅配便が誤配されて迷惑を蒙った個人的な経験から、「宅配便は信用できない」との信念を抱いてしまいます。
あるいは、初めて行った海外で親切にしてもらってうれしかったその個人的な経験から。「あの国の人々は親切だ」という信念を抱きます。
さらには、尊敬の気持ちを抱いている人の信念をそのまま取り込んで自分の信念とすることもあります。

もう一つは、ここに挙げた例からもわかるように、限られた個人的な経験から得た知識をただちに一般化して正しいという確信を持ってしまうところです。したがって、周辺にある関連する知識とネットワークをつくらずに、孤立した知識として存在することになります。

普通の知識は、関連する知識とくっついたり離れたりしながら、内容が更新され、その正しさの確信度を絶えず変化させるのですが、信念はひとたび作り出されてしまうと、あたかも「普遍的な知識」であるかのように確信して、人の振る舞いを支配します。
宗教的な信念や政治的な信念をもっている人をイメージしてみてください。納得していただけるはずです。

;ピンカー本

2009-05-28 | 認知心理学

人間の本性を考える
言語を生みだす本能
そして最新刊の 思考する言語

読んでもほとんど理解できないのだが
少しでも読むとなにか教養が豊かになるような本
きわめて独創的、独断的、断定的言い方が
こ気味よい


トップダウン処理とボトムアップ処理

2009-05-28 | 認知心理学
認知には、ボトムアップ(積み上げ型)認知とトップダウン(天下り型)認知とがあるということです。

 ボトムアップ認知とは、世の中をまさにあるがままに認識するための、世の中のことを虚心にじっくりと分析することです。

 これに対して、トップダウン認知とは、世の中がたくさんの情報に溢れていて(いるようにみえて)何が何やらわけがわからないよぅな時に、ある意味、勝手に自分なりの認識をとりあえずしてみるような認識のことです。
 ポジティブ認知は、もちろん、トップダウン認知の一つになります。


事例の効果

2009-05-28 | わかりやすい表現



事例,とりわけ本文との内容的な関連が深い事例が読解にプラスの影響をもたらすことは,経験的にも,またいくつかの心理学的な実験からも知られている。本実験からも,この点に関しては,ほぼ確認できた。さらに,その効果がもたらされる内的プロセスについても,一つのモデルを提案できた。

 しかし,事例はいつも内容的に適切なものを提供できるわけではない。本文との内容的な関連度は,その時々でさまざまになる。しかし,それでも,事例にはそれなりの効果があるはずとの思いから,それを動機づけ支援という観点から,本実験では検討してみた。結果としては,最終的な理解テストと直後評定では,高関連事例条件との明確な差が見られなかった。しかし,読解プロセスにまで立ち入ってみると,低関連事例条件には,高関連事例条件とは違ったプロセスを見いだすことができた。

この点について,さらに事例の本文との関連度の操作方法(事例の選定の項を参照)を工夫して検討を重ねてみる価値があると思われる。





















● 裁判員制度がはじまる

2009-05-28 | わかりやすい表現

● 裁判員制度がはじまる
 平成21年5月までに裁判員制度が導入される。ウイキイペディアによると、次のように紹介されている。

裁判員制度は、市民(衆議院議員選挙の有権者)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度で、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。

ちなみに、これだけの内容を1文で書いている。こんな悪文を書く人々が裁判員制度を運用するのかと思うと、はじまる前から絶望的になってしまう。
 それはさておき、法曹界は、ほとんどの国民にとってその重要性は認識はできていても、みずからがその当事者になるとはまず思ってもいなかった世界である。それが、突然、裁判所になかば強制的に呼び出されて、判決の決定にかかわる一人になるのである。
 これは、法曹界にとってのみならず、市民にとっても、いろいろの意味で画期的なことである。
 わかりやすさに話を限定しても、この制度の画期的なところーーそれはまた克服しなければならない課題でもあるのだがーーを2つ挙げておく。
 一つは、法律の壁で強固に守られていた法曹界が、その外にいる市民を受け入れるにあたり、どのようにコミュニケーションをはかるかを考えざるをえなくなったことである。
 日本弁護士連合会では、素人が耳で聞いてわかる言葉使いを公表しているが(朝日新聞、07年12月20日朝刊)。言葉の言い換えだけで事が済むほど、ことは簡単ではない。しかし、とりあえずは、ささやかだが、有効な試みだと思う。たとえば、
・ 冒頭陳述――>検察官や弁護人g証拠調べの最初に述べる事件のストーリー
・ 教唆犯――>他人をそののかして犯罪を行わせた人
・ 未必の殺意ーー>必ず殺してやろうと思ったわけではないが、死んでしまうならそれでも仕方がないと思って○○した。
 これまでは、法律知識とその運用技術を共有していた人々の間でのコミュニケーションで済んでいたのが、ほとんど知的な共有基盤を持たない人々とコミュニケーションをしなければならなくなったのであるから、考え方のくせや視点の違いなど知的基盤のもっと大掛かりなところでのギャップにまで思いをはせなければならなくなった。
 これと関連するが、2つは、そのコミュニケーションも、広報などのような一方的な流れではなく、市民の側に、コミュニケーションの内容が単にわかるだけでなく、それに基づいた妥当な判断まで要求することである。
「わかった」おしまい、というのではなく、「わかった、それならこうしたらどうか」までを要求する「深い」コミュニケーション事態に誰もがさらされることになるのである。
 


こんな勝ち方なら

2009-05-28 | 心の体験的日記
知らなかった
偶然まわしたら
キリンカップ
日本がチリに4-0
久々に快勝のゲームをみた
いつもサッカーは点が入らないで
いらいら
だから途中でみるのもやめてしまうことも多い
ゴールポストもひとまわり大きくしたらよいとさえ思う