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『東京の街をぷらっと』⑩。前回の日本橋堀留町のお隣、日本橋富沢町をぷらっとしてみた。町は長方形で北を大伝馬町、南と西を人形町、東を久松町に囲まれている。
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広さは590千m2と小舟町などと同じくらいの広さで15分もあればぐるっと回ることができる。元は繊維問屋を中心とした商業ビルが多いエリアだったが、人形町駅から近いこともあり、近年はマンションが増加している。
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歩いてみると綿商会館をはじめ、三井生興、大和紡、中山福、西川など大阪に本社のある大手専門商社の支店が立ち並ぶ。
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その中で歴史的な建物として今はベストブライダルがアフロディーテという結婚式場として使われてるが、元は銀行の建築。
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別のブログの記載では1926年に竣工した古河銀行元浜町支店のようである。その後、北越銀行の支店を経て現在に至っている。
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もう一つは現在HARIOの本社として使われている洋館。こちらも1932年に川崎貯蓄銀行富沢町支店として作られたアカンサスの葉飾りの柱頭を持つコリント式大オーダーが1、2階を貫くネオルネッサンス様式の建物。
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重厚な造りであり、2000年にHARIO80周年事業の一環としてこのビルを本社にした。登録有形文化財にも指定されている。
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もう一軒全く違う懐かしい建物として『日本橋富沢町8』にある古い自動車整備工場。つい先日までは現役で事業を行なっていたが、今は何も動いていない。
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看板にはカローラ、クラウン、セドリックなど各社の車種が書かれていて時代を感じる。ただ、次来た時には更地となっているかも知れない。
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富沢町の由来は後北条氏の家臣だった元盗賊の鳶沢甚内がこの地で古着屋を始め、周囲にも同じような元盗賊の古着商が集まったため、『鳶沢町』と呼ばれたが賑わったことからいつの間にか『富沢町』になったというのが町の由来。
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その鎮守として祀られているのが『富澤稲荷神社』である。由来は鎌倉時代初期の建久年間と言われていて元は巴熊稲荷神社と称していたが1950年の元弥生町、新大阪町、元浜町の合併の際に各町の稲荷社が合祀された。
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日本橋富沢町は江戸時代からの繊維問屋街として栄えた町の名残として繊維関係の会社はまだあり、戦前からの建物も残ってはいるが、徐々に都心回帰の住民向けのマンションの増加には歯止めがかからないようである。