hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

麺屋海神〜吉祥寺ランチグルメ

2024-07-09 05:00:00 | グルメ
時々食べたくなるのが、塩ラーメン。一時に比べ、かなり見直されている。真っ赤なドロッとしたスープや太い麺はあまり私は好まない。もちろん札幌ラーメンや辛ラーメン、台湾ラーメンなど例外も多いのだが。そこでちょくちょく足を運ぶのが吉祥寺と新宿に店を構える『海神』さんである。

井の頭通り沿いの丸井のほぼ向かい側、ビル2階に店がある。店に入り、窓際に陣取ると向かい側のバス停など外がよく見える。(1階にはうどんの名店おにやんまになっていました。)



メニューには看板メニューのしおらぁめん(800円)、へしこおむすび付(950円)、ピリ辛しおらぁめん(850円)。他にもハマグリラーメン(1300円)とアサリラーメン(1200円)もあり、悩むがやはり塩ラーメンとなる。やはり魚のあらを丁寧に炊き上げたスープは珠玉、これを飲みたくて、塩ラーメンとした。



待つこと7、8分、ラーメン到着、澄み切ったスープにこだわりがある。さらに具は海老すり身を練り込んだピンクのつくねと鶏肉と軟骨を叩いて作った鶏つくね、個人的にはこの海老のツミレが大好きである。

薬味の白髪ネギ、糸唐辛子、大葉、針生姜、茗荷が入っている。麺は極細のストレート麺、低温熟成のため、しっかりとしたコシもある。



麺を食べ終わるとへいこいりの焼きおにぎりを投入、これをほぐしながら頂く。初めは少し塊のまま、やがて雑炊のようにして食べる。



へしこが入っているからかスープも味変する。最後は七味唐辛子を加えて頂くが、これもいい。

何回も味が変わる不思議なラーメン、あっさりとしているように感じつつ、インパクトのあるラーメン。吉祥寺の町を眺めながら食べられるのもいい。ご馳走さまでした。


麺屋海神
武蔵野市吉祥寺南町1ー5ー9熊本ビル2階


6月の旅⑤〜草津温泉の湯畑と裏草津

2024-07-08 05:00:00 | 旅行
6月の旅⑤。ホテルを出て草津温泉の湯畑に向かう。車ではわずかな時間で到着するのだが、道は結構わかりにくい。カーナビは素晴らしいのだが、平面的な場所ならともかく、草津温泉のようにアップダウンが多く、道が曲がっているところではうまく道が表示できない。特に立体交差には騙されてウロウロする。



ようやく駐車場に車を入れ、出るとすぐ横に草津山光泉寺という古刹がある。まずは参拝と中に入って行く。光泉寺は山号が草津山、720年に行基が薬師堂を創建したと言われている。寺は1200年に再建、僧職は鎌倉幕府から地頭に任じられていた。有馬温泉の温泉寺、山代温泉薬王院(または道後温泉石手寺)とともに日本温泉三大薬師と称せられる。

本堂にお参りし、隣にある五重宝塔に向かうが、新しく美しい。令和5年に完成した高さ21.4mの朱塗りのチタン製とのこと。



これとは対照的なのが釈迦堂、江戸時代元禄16年に建立、本尊は奈良東大寺公慶上人作。茅葺の渋い造りで本尊の釈迦如来が平成17年の調査により公慶上人作とわかったことから『遅咲き如来』として今まであまり花が咲かせられなかった人にもうひと花咲かせるためとお守りまで売られていた。
ここから階段を降りると湯畑だが、相方の足を考え坂道をゆっくりと降りることにした。その途中に温泉ホテルが新館を建造している姿を見て2004年当時に同様な施設の倒産・廃業が相次いだことを思い出し、インバウンドなど時の流れを感じた。



湯畑は昔とさほど変わらず大規模なもので湯の花を製造している。



お隣の熱湯では草津名物湯もみショーの呼び込みをやっていたが、以前に見たことがあるので今回はパス。お土産屋さんや饅頭屋さんを冷やかすが、以前来た際には数軒まわれば温泉饅頭の試供品が食べられたのにコロナ後の今は全くなくなっていた。

湯畑を一回りした後、最近新スポットとして雑誌などに取り上げられた『裏草津』の方に行く。お土産屋の隙間の細い路地、さらに階段を登り、貸切温泉の前を左に行くと新たにできた建物が複数ある。カフェ『月の貌』、足湯、展望デッキなどがあり、若い人がのんびりとお茶を飲んだり、寝転がったり。階段を降りると地蔵の湯があり、名前の通りお地蔵様が祀ってある。

初めてだったのが『顔湯』、木製の四角い箱に顔を突っ込むと下に源泉が流れていて湯気にあたる仕組み。大したことないだろうとたかを括っていたが、確かに美肌効果がありそうである。



1時間程度散策して駐車場に戻り、次の目的地『旧太子駅』を目指すことにした。(以下、次回)




『久我山歳時記』㊸〜小暑ではあるが、暑すぎ?

2024-07-07 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』㊸、7月7日は二十四節気の一つである『小暑』である。七夕とも重なるのだが、かつては梅雨明けと重なることもあった。ここ数年の平均的な梅雨明けは7月19日だが、2013年からの10年を取ると最も早かったのが6月29日(2013年)、遅かったのが8月1日とかなり日幅がある。

小暑は二十四節気の夏の中では3番目、芒種→夏至→小暑→大暑と続く。季節としては梅雨明けがあり、本格的に暑くなりだす時期と言われ、暑中見舞いを出すのもこの時期である。



また、七十二侯では『温風至(あつかぜいたる)〜7月11日』『蓮始開(はすはじめてひらく)〜7月16日』『鷹乃学習(たかすなわちわざとなす)〜7月22日』となる。蓮の花が開き、鷹が巣立ちをする時期なのである。



久我山を歩いていても夏らしい風景を見ることが増えた。少し前からは木槿(むくげ)の花が咲き始めたと思っていたが、毎日たくさんの花を咲かせる。ピンクや紫、白い花の真ん中が紅色(日の丸、宗旦と呼ばれる)と種類も豊富である。

他には夾竹桃(きょうちくとう)や朝顔、ゴーヤーなどが続々と咲き始めた。



まだ久我山では花を見ていないが、日本橋では早くも百日紅(サルスベリ)の花がピンクの花を付けている。


白粉花(オシロイバナ)も濃いピンクの花をたくさん付けて咲き誇っている。オシロイバナとは言いながら、あまり白い花はなく、この赤紫の花が多い。まあ、オシロイバナの由来は種を割ると中から白粉のような粉が現れるからなのかもしれないが。





雑草と言われているものでは目立っているのがオレンジ色の花が大きいノウゼンカズラ。蔓性の植物なのだが、あたかもそこに生えている木の花のように見える。



ヨウシュヤマゴボウは白い花をたくさん付け、これがあっという間に暗紫色の実を付ける。タケニグサもどんどんと高さが高くなり、花を咲かせている。



また、ヒルガオも良く見るとピンクの花が意外に美しい。それにしてもこれら植物の生命力の強さ、刈っても刈っても翌年には芽をだす。

我が家の庭ではキキョウがどんどん花を付けて買った昨年より多くの花を咲かせているし、今年の日々草もテラコッタに2株を植えただけなのに溢れんばかりに花を付けている。



やはり、夏の草花(木の花)は勢いがあり、力強さを感じる。ただ、人間の方は早くも暑さに負けてしまいそうになっているのだが。

最後に番外編、帝国ホテルの入口にある花が今はひまわりであった。

中目黒駅〜目黒駅の坂巡り①

2024-07-06 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その214。今回は東京メトロ日比谷線の終点である中目黒駅から山手線目黒駅までを坂を巡りながら歩くことにした。

中目黒駅から目黒駅まで普通に歩くならば駒沢通りを行き、大鳥神社を左に曲がり、真っ直ぐ行くルートとなる。地図アプリでは2.31km、28分程度で到着する。

しかし、今回は中目黒駅を出て向かい側(蔦屋書店側)に渡り、左に曲がる。2本目の道を右に曲がり、目黒川に架かる別所橋を渡る。



突き当たる西郷山通りを左へ。すると右にうねうねと曲がりながら上る坂があらわれるがこれが『目切坂』。





青葉台と上目黒の境を上っていくのだが、右側は東京音楽大学の近代的なキャンパスが広がる。この辺りは丸旦山と呼ばれていて、切通を作ったのだが、斜めに切ったようになったため、ひき臼の目切りに似ていたことから取られた名前である。





かなり急で長い坂はかつては深い林の中にあったため、『くらやみ坂』『しめきり坂』などとも呼ばれていた。



富士山信仰が流行した江戸後期には坂を登り切ったところに12mほどの築山を作り、ミニ富士と見立てて手軽に富士登山をできるようにしていた。





また、お地蔵さんの乗った道しるべがあり、よく見ると『右、大山道、南無阿弥陀、左、祐天寺』と彫られている。当時は寂しいところで旅人はこうした道標を頼りに歩いたのであろう。



坂を登り切った左側に『旧朝倉家住宅』がある。以前に訪問したことがあるので前回の写メを流用したが、東京府会議長などを歴任した朝倉虎治郎氏により大正8年に作られた邸宅でその後経済安定本部なども置かれたことがある。





今は文科省所有で敷地は5419㎡ある。余談だが、代官山ビルサイドテラスも元は朝倉家保有の土地で建築家槇文彦により1969年に作られた。



目の前の旧山手通りを右に曲がると槍が崎の交差点、これを右に曲がる下り坂(駒沢通り)となる。これが『新道坂(しんどうさか)』である。名前の由来は別所坂と目切坂の間に新たに作られた坂道のためである。因みに旧道は線路沿いに下る坂道となる。(以下、次回)


カミヤ酒場〜飲み放題は酒の選択が難しい

2024-07-05 05:00:00 | グルメ
この歳になってと言われるかもしれないが、いつものメンバーの飲み会で銘酒が飲み放題の店があると言われ、参加した。何本入っているかは分からないが、ガラス張り3段入る冷蔵庫2つにびっしりと日本酒(主に一升瓶)が入り、3時間飲み放題(これは金曜日のみで他の曜日は時間制限すらない)という店に来てしまう。


(以前のお店)

店の名前は『カミヤ酒場』。コロナ前には『博多どんたく』という九州料理を出す居酒屋でランチには博多うどんを提供してくれる馴染みの店が閉店、その後に居抜きで入ったお店。

店に入るとMくんがすでに待っていた。スタートは18時だが、1人を除き4人は集合、まずはビールと赤星をお願いした。

日本酒もたくさん種類が合って選ぶのが至難の業。私は久々に『新政、Earth-産土2021』(秋田県)を冷蔵庫から引っ張り出して頂く。陸羽132号(愛山×亀の尾)で作られた酒、当たり前のように酸っぱ甘く、香りはいいが、コクがない好みではない味だった。


お通しはクラゲの酢の物、ひじきの煮付けと普通、珍しさは全くない。サラダが続くが、日本酒に合いそうもないのでパス。



『赤武(あかぶ)翡翠』(岩手県)を次に飲むが、爽やかで果実味がある夏酒。普段飲んでいる赤武とは違う透明感があるライトテースト、アルコールは13度だからかもしれない。



刺身盛り合わせは予想以上の旨さ、イサキもカンパチもいいが、この中トロは凄かった。さらに海老すり身フライとカキフライ、ガッツリ系の登場である。

『磯自慢、純米大吟醸』(静岡県)、これも美味いがサラッとしすぎの感があった。やはり純米酒くらいがいいのかも。

ここで誤って『風の森、アルファ』(奈良県)などを飲む。これも新政と同じで私には頼りない。やはり低度数の酒は甘酸っぱく感じてしまうのか。

つまみは豚肉の味噌漬、肉は柔らかく、特に脂が美味い。飲み放題のメニューにしては味がいいのである。このお店の酒のラインナップは淡麗であまり辛くない酒が多いのかもしれない。

イワシのつみれ汁、ツミレや大根ももちろん美味いがスープが堪らない。ご飯に掛けてもいいのではないか。


『加茂錦、播州愛山』(新潟県)、『雪の茅舎、純米酒』(秋田県)などを続けたが、だんだん酔ってきてついにラベ買い気分でビキニのお嬢さんがついた『ナツノコトブキ』。これは栃木県の松の寿という銘柄のシャレで爽やかな夏酒につけたようだ。



こちらは度数も15.4度あり、パンチはきいている。サラッとした飲み口だった。



ここでつまみがなくなったので漬物とモツ煮を注文。私はもう食べるのも飲むのも堪能したので喋ることに徹して参加。それでも出された瀉樂(福島県)は少し飲む。最後に締めのそばを食べたところで3時間が経過、お開きとなった。

色んな酒をあまり気にすることなく飲むことができるし、つまみも美味いし、いいお店。ただ、つい飲む私があまり深く考えずに軽い酒、甘い酒を飲みすぎた感もあった。

参加者の中には最初から義侠(愛知県)の辛さ縛りで飲んでいたS君の終始一貫した姿勢に頭が下がる。これは次回への反省点としたいところである。ご馳走さまでした。

もう雨も止んで満月を見ることができた。

カミヤ酒場
中央区日本橋大伝馬町3ー9
05055705527


6月の旅④〜草津の湯であったまる

2024-07-04 05:00:00 | 日記
6月の旅④。旧北軽井沢駅の後は本日の宿『季の庭』に向かう。まだ、時間は早かったが、温泉に来たならば早めに宿に入り、風呂に浸かろうと14時半には到着する。



この宿はドーミーインなどを展開する共立メンテナンスの子会社共立リゾートが運営していて森の中にゆったりと立っている。やはりウリはお風呂、男女それぞれ大浴場が2つずつ、それ以外に家族風呂が3つ、今回は部屋にも露天風呂がある。荷物を置いてすぐに大浴場へ。

湯船は室内に4つと冷水風呂、サウナ、岩盤浴もあり、もちろん大きな露天風呂も備えている。室内の風呂に浸買った後に、露天風呂へ。湯は白濁しているが草津温泉の割には肌がピリピリすることもなく、ゆっくり浸かれる。サウナは熱いのですぐに出たが、良かったのは岩盤浴。タイル張りの寝台に寝転ぶだけだが、肩や腰、さらに背中や脹脛など後ろからじわじわと温めてくれる。痛いところがあるだけに嬉しい。翌日の朝までに夜1回、朝1回、計3回も大浴場に通ってしまった。



部屋からは緑たっぷりの森が見えて外を見ているだけでリラックスできる。ベランダの露天風呂に入ると外の蛙や鳥の声が聞こえて心地よい。翌朝にはウグイスの谷渡りやカッコウなどまるでテープを流しているような鳥の声を聞くことができた。


夕食はレストランで摂る。サービス満点だし、懐石料理をゆっくり楽しむだけで満足。メインは鍋か鉄板焼きから選べるが、肉が食べたくて焼き物に。鉄板で牛肉や野菜、名物こんにゃくなどを堪能した。





なぜか食べ終わる頃にシェフからのサービスとして小鉢が6種類から好きなだけ選べる。私はマグロのスペアリブ、鮭のエスカベージュなどを楽しんだ。





朝食もレストランにて。たっぷりの惣菜に地元名物の味噌汁がつく。名前を聞いたが忘れてしまった。具沢山の味噌汁はたまらない。いつも朝はパンだが、たまに食べる旅館の朝ごはんは旅の大きな楽しみである。

館内は畳が敷き詰められ、作務衣・裸足で歩くことができる。初日夜までは缶チューハイやノンアルコールビールなどが無料で飲み放題とサービスもいい。

翌朝も室内の露天風呂に浸かり、9時過ぎに出発、実にいいホテルで満足度大である。(以下、次回)

岩本町スタンドそば〜岩本町ランチグルメ

2024-07-03 05:00:00 | グルメ
神田駅付近で用事があり、岩本町駅近くの立喰そばに行くことにした。時間が11時20分、秋葉原にも店があるこだわりの立喰そば『みのがさ』さんの前まで来たが、開店は11時半と言われて周りをウロウロ。

前回もこうして違う店を見つけて入ってしまったのだが、食べログでは閉店となっていた『岩本町スタンドそば』(これは食べログの表記で店の看板には名前はなく、表札が出ているのみである)に暖簾がかかっているのを発見、入店してしまった。

店に入るとすぐのところに券売機らしきものがあり、お札を入れようとしたら店主の方に『お席について頂き、ご注文を承ります』と言われて、お冷をとって入口の奥、階段手前の1階席に座る。店主さんに『生姜天そば、あったかいの』とオーダー、『わかりました。2番目に作ります。』と言われて待つ。1分ほどで茹でそばを温めて、汁を入れ、カウンターから生姜天を取り出して乗せ、ネギを入れて渡してくれる。

この店は椅子があり、カウンターに並ぶ体裁。七味唐辛子を降り、早速頂く。麺は茹でそばだから特徴もないが、やや太めで黒っぽい。汁はやや甘めで私好み。



生姜天は厚みもあり、しっかりと揚がっている。紅生姜の他に玉ねぎが入っていてマイルド、東京の生姜店は酸っぱいことが多いがこのお店はそんなことはなく、美味い。

次のお客さんが『かき揚げ丼』というと『今朝、パートのおばちゃんがギックリ腰で来れず、ワンオペなのでサイドメニューはミニカレーしかできないんです。すみません。』とのこと。おじさんはかき揚げそばにミニカレーに変更した。結構、お客さんが入るので店主さんはかなり忙しそうでお客さんもゆっくりでいいよと声をかけるほっこりしたお店でした。帰る時には『お待たせしてすみません。また、お待ちします。』と丁寧に送り出して頂きました。ご馳走さまです。




岩本町スタンドそば
千代田区岩本町3ー10ー8


都営三田線スタンプラリー②

2024-07-02 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その247。都営地下鉄三田線スタンプラリー②。内幸町駅は前と後ろにしか降り口はなく、高島平方面に降りると後ろ側は虎ノ門駅、前側に降りると日比谷駅となる。私も前の職場にいた時は10年ほどお世話になった駅である。
スタンプは『日比谷公会堂と日比谷シティ』が描かれている。いずれも駅を降りると至近にある。

日比谷駅までは営業距離で0.9kmしかない。因みに最短は三田駅〜芝公園の0.6km、芝公園駅〜御成門駅の0.7kmよりは遠いが、乗車時間は1分歩かないか程度。
スタンプの意匠は『日比谷公園』をイメージしたものである。ただ、ゴジラ像はほど近い日比谷シャンテに置かれている。

東京メトロ日比谷線日比谷駅は『東京ミッドタウンと日比谷公園』なのでやはり日比谷公園は外せないようだ。

大手町駅は東京メトロが4線(丸の内線、東西線、千代田線、半蔵門線)、都営地下鉄は1線(三田線)の計5線が乗り入れている地下鉄最大のターミナル駅である。スタンプは『江戸城と丸ビル』が描かれている。



一方、東京メトロのスタンプも江戸城が描かれている。

神保町駅は今では都営地下鉄三田線、都営地下鉄、東京メトロ半蔵門線の3線が通るターミナル駅だが、最も古いのは1969年開業の都営三田線である。スタンプはそれぞれに特徴があり、都営三田線のものは学士会館付近にある野球発祥の地のモニュメントである。



平成15年に行われた除幕式には野球の神様と言われ、巨人軍9連覇時代の監督・川上哲治氏が来賓としていらっしゃったそうである。この地は東京大学の発祥の地でもあり、1872年にアメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏が生徒に野球を教えたのを記念した。ボールを握る右手を模ったブロンズ製の像で2.2mある。

都営新宿線のものは『古書店とスポーツ(スキー)用品店』をデザインしている。古書店は周辺に130店舗あり、世界最大の古書店街である。また、スポーツ用品店もヴィクトリア、スーパースポーツゼビオ、石井スポーツなどの大規模店の他にもさかいやスポーツなど老舗の店もたくさんある。

半蔵門線は『古書店と喫茶店』である。神保町には有名な喫茶店(さぼうる、ラドリオ、ミロンガ・ヌォーバ、神田伯剌西爾)が個性的な雰囲気を変えずに営業していて昨今ブームとなっている。
3つのデザインで似てはいるが、特徴がそれぞれにある。


MARU〜吉祥寺グルメ

2024-07-01 05:00:00 | グルメ
吉祥寺の『MARU』に久しぶりに行った。野口伊織氏の作られたお店はジャズ喫茶の『Fanky』をスタートにケーキの『レモンドロップ』、バーの『Dray』『オールドクロウ』、居酒屋の『蔵』など数えきれない。1986年創業の『MARU』もその一軒である。

聘珍楼などがある路地の地下1階、入口には大きく『MARU』と書いた紫色の布があるので場所はすぐにわかる。古いビルの階段を降りると黒で統一された渋くて落ち着いた店がある。靴を入口で脱いで奥の方の席に案内される。庶民派と高級派の間よりは少し高級なお店でカウンターの前にはオープンキッチンがある。

メニューを貰うが、とにかくメニューは豊富。スタンダードメニュー、季節の料理、鰻やウニなどを使った土鍋など数えるとキリがない。しかも冷菜と温菜があり、いつも通りなかなか決まらない。まずはハートランドの中瓶を頼んで時間稼ぎをする。
お通しはトマトのゼリー寄せ、上にはオクラ、夏らしい。インパクトのあるルビーレッドの固体だが、ザ・トマトという風味である。

5品ほど頼んでじっくり待つ。まず出されたのは『マグロの葉ワサビ和え』、赤身かなと思ったが、中トロもたくさん入っていて醤油メインのタレ、葉ワサビ、ヒビノリと頂く。もちろん美味い。



これを頼むと酒なしではいられず、飛露喜(福島県)を1合もらう。酒がすぐくるのは嬉しい。瓶を見て思い出した。コロナが最も厳しいタイミングで酒税法の緩和があり、この店で廉価に飛露喜の1升瓶を安く売ってもらったこと。あの特別純米酒は美味かった。

『カニと三つ葉の蟹味噌和え』はシンプルだが、私もズワイガニを解体する時によく作る。ただ、これに三つ葉を加えただけで上品な仕上がりとなるのは参考になる。

『鴨の胸肉(冷製)』は少し甘めのタレで煮て、薄切りにした逸品。この二つとも日本酒のあてにはたまらない。

一合の酒はすぐに無くなり、乾坤一(宮城県)は‘夏祭り‘ラベル。うす濁りでやや甘いかなと飲むと喉越しで味が変わる。複雑な旨みを楽しめる夏酒。

ラベルも楽しく、提灯には色々な絵柄、真ん中には乾坤一とある。『白エビの唐揚げ』にはよく合った組み合わせとなった。

いよいよ『鯛のかぶと煮』、メニュー上は鯛のカブト蒸しなのだが、無理を言って煮付けに変えてもらう。

以前、と言っても2015年と9年も前だが、その味が忘れられずお願いしてしまう。これだけ大きなカブトは食べるところも多く、大袈裟でなく、我々2人で食べるとかなり腹が膨れた。

(タイのタイ〜どの部位な骨でしょう?)

あとは酒のつまみ2品、『鶏ハツ元の焦がし醤油焼き』『エイヒレ』。


酒は蒼空(京都府)、綺麗で吟醸香漂う逸品。気がつくとあっという間に空いてしまっていた。

ただ、以前ならば何か締めの一品をお願いするところだが、お腹いっぱい。予想通り鯛のカブトが大きかったからかもしれない。



いつも出てくるものは美味く、店の方のあしらいも素晴らしい。いい店である。ご馳走さまでした。
MARU
武蔵野市吉祥寺本町1ー13ー6
0422211569


6月の旅③〜旧北軽井沢駅探訪

2024-06-30 05:00:00 | 旅行
6月の旅③。峰の茶屋から国道146号に入ると道が有料道路より路面が良くなり、快適なドライブとなる。浅間牧場やバルコール村などの横を通り、群馬県に入る。

まもなく北軽井沢という信号を右に曲がり、旧草軽電鉄の北軽井沢駅を目指す。北軽井沢駅は1918年に地蔵川駅として開業、近接の別荘地である法政大学村から駅舎の寄贈を受け、1927年に北軽井沢駅に改称。



この駅舎は善光寺を模した屋根となっていて駅舎正面の欄間は法政大学のHが刻まれている。ただ、1950年の台風で吾妻川の鉄橋が流され、1960年に残された路線も廃止となり北軽井沢駅は廃駅となる。



2005年に駅舎を改修、2006年に国指定の有形文化財に指定。モニュメントとして当時使われていたデキ12型の電気機関車の実物大模型も展示されている。
デキ12型はアメリカジェフリー社製で信越電力が中津川発電所建築にあたり使っていたが、完成後当社に譲渡された。





向かいの施設(北軽井沢ふるさと館)には当時の改札機・出札の切符入や草軽電鉄が中に登場する映画『カルメン故郷に帰る』(日本初のカラー作品)、『山鳩』のポスター、にどあげ(二度上)駅の駅名表示板などマニア垂涎の品々が並んでいる。



特にデキ12型電気機関車が貨車や客車を引いて新軽井沢から二度上峠を登っていた写真を見るとこんな鉄道が今もあれば楽しいだろうなと勝手なことを考えていた。(デキ12型は軽井沢駅前に静態保存されているはずである)施設の前は現在は草軽交通北軽井沢バス停となっていて草津温泉〜軽井沢駅の路線バスが行き来していた。



駅舎の建物の正面には『北軽井沢開発の碑』や開発に尽力した『青山孝吉氏』の胸像と顕彰碑が並んでいた。

今は駅でもない建物が道の真ん中にポツンと建っていて、お寺の格好の屋根も今も綺麗に保たれている。このモニュメントともいうべき建造物は地元民に取り、鉄道がいかに大切だったのかということが垣間見ることがで来たように思えた。それにしても『カブトムシ』と呼ばれた機関車デキ12型が走るところを映画の中だけでなく、この目で見てみたい、また、乗って見たいものである。かなり遅かったらしいが。(以下、次回)