outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

想像を超える返事でした

2006年11月25日 10時37分22秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
11月23日  昨晩テレビを見すぎてしまいエンジンを掛けたら「カタカタ」鳴った。下駄がカタカタ鳴っても驚かないがエンジンが鳴る
のは「異常」である。「ドキッ」とするとはほんとにこんな場面で慌ててエンジンルームを覗いて見たが解らなかった。夜中だしとりあえず
考えながら寝て朝食後腰を据えてエンジンの前に座り見てみると発電機や冷却水ポンプを回しているベルトが半分切れていた。 ホロホロの
場合、帆走より機走に重点を置いているから何より恐ろしいのはエンジンの故障なのです。 まあ一件落着でヨカッタ!ヨカッタ!


2002年にボンボノンからスービックまで北上した時は日本のヨット「ラー3世」の金田夫妻と一緒だった。(そのラー3世は現在マレーシアのランカウイに居る。)金田氏は朝が早く僕から比べ
るとかなり几帳面な人で毎朝気象ファックスもとって教えてくれていたが今回は自分でしなければならない。また北上するコースも同じだと
面白くないから別のルートを選択した。とは言っても大部分はすでに行ったことがあり初めてとなるのはボラカイ島の後のタブラス島からプ
エルトガレラの間だけでその辺りではじっくり時間をとりたいと思っています。 



今回のコースは北東からの季節風の影となる各島の西側を航行することにした。まずボンボノンのあるネグロス島の南を回りスル海に面した
南西岸沿いに北上、パナイ島の西側を北上してボラカイ島に行き、タブラス島からカンポ島、そしてミンドロ島のプエルトガレラ周辺でクリ
スマス、正月を過ごしルソン島に取り付き西側をスービックまで北上。ざっと言えばこのようなコースで途中の停泊地は19箇所を予定して
います。 まあ僕の予定ですから何箇所で停泊するかは最後まで解りませんし、クリスマスや正月が何処で来るかも解りませんが・・



テクの近藤氏に荷物を送ってくれるように頼んだら「国際スピード郵便」の追跡可能便で送ってくれていた。便利になったものですぐ調べて
みたら(インターネットで荷物番号を入力)20日午後に徳島で出した荷物は21日の夕方にはマニラに着いていることが解った。さてマニ
ラから後がどうなるか、これは先進諸国と違うフィリピンだからかなり楽しみなのですが皆さんも暇があればホームページ掲示板に荷物番号
を近藤氏が書いてくれてあるので入力してみてください。 目出度く僕の手元に理想どおり途中紛失無く、また関税を掛けられずに届くので
しょうか??? こちらの一般的公務員は「家計を助けるため?」特に外国人にはなんとか口実をつくり法外な金額を要求し、ちゃんと領収
書までくれるのですが二重帳簿、二重領収書は当たり前、複写式のものにジカ書きするのも当たり前、何処だったか余りにも多いので忘れた
が現地語の全く別のそれらしき紙に金額を書いてくれたこともありました。殆どの国では食品やくだらないものには関税を掛けないのですが
味噌に200パーセントの税金を払ったこともあるのです。日本人の常識が日本だけの常識と認識させられることは事ある毎で泣いたり笑っ
たり、そんな生活も来年五月にホロホロで帰国すると無くなるかと思うと寂しい気がしないでもないこの頃です。



昨日は電話が待ちきれず注文のアンカーチェーンが来ているか確認に行きました 社長は顔を見るなり「来てるよ、電話も何度もしたよ」と言いましたが着信履歴はありませんそしてチェーンを見ると32メートルでおまけに錆びも出ている注文は50メートルなのに「どうしたの?」と穏やかに聞くと「オカシイ・・」と言って電話をし「50キロと間違えた」 「おまえな~・・それは前からあった奴やないの、どうしてもそれを売りたいんかい!!」と心で思っても口に出しても返事はだいたい解るから「ちょっと考えたい」と店を出ました。もう一度行って今から50メートルの長さを注文したら何時来る?と訪ねたら「フィリピンのチェーンは50キロ単位でその太さは・・」ということだ。他の店にも行ってみたがどうやらフィリピンでは本当に全て50キロ単位しかないらしい と言うことはここでの調達は無理。おまけにしっかり見てみると格好はチェーンになっているが合わせ目の溶接がちゃんと引っ付いていないのが結構あるこれでは少し荷が掛かると切れる可能性もあり安心して眠れそうにないからフィリピンのチェーンは「買わない」決定をした しかしどこかで手に入れないと今のチェーンは応急用で20メートルあまりしかなく島伝いの航海となるとどうしても深いところでアンカーを打たなければならないこともあり現在悩んでいる


他に送ってもらったパソコンGPSを受け取る予定とビザの延長はドマゲティのお祭りで休みのため結局昼飯を食べただけで何一つ進展せずバイスに戻ってきたビザの期限は月曜日だからまた行かなければならない 


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待っているのは・・

2006年11月22日 16時24分06秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
21日の昨日は朝から市場に出て魚を物色。 トビッコ持ちのトビウオを一キロ買い、ウロウロしていたら大きなハモを発見 1、2キロある大物を買って帰ったら料理に時間がかかって(「骨切り」が大変なんです)一日が終わってしまいました。 でも南方のハモは脂ののりがイマイチ。それでも久しぶりに辛子ミソで湯引きしたハモを腹いっぱい食べました


アンカーチェーンは注文の時にマニラから来るので二週間で到着予定とのことだったのですが5週間になるのにまだ来ませんフィリピン人のマニラは火星にでもあるのでしょうか明日にでもまた行って催促しようと思ってますが・・  とにかく「さも有りそうで絶対無い」ような「弁解」をさせたらフィリピン人は世界一と思えるような返事をくれるので楽しみですが、それが解っていて「催促」するのも気がなが~くなければ出来ません。 でも大体「良い人」なので怒ることも出来ませんから泣くだけです


そんな「待ち」の日々を今日は出航してスービックに向かうことを考えつつ気象ファックスをどの時間にとろうかを考えたり予定の泊地と台風が発生した時の逃げ場所を探したりして過ごしてました 「いいかげんな人」と多くの人が思っている溝田正行ですがちゃんと「やる時にはやるのです」  と威張ったところで今日は置いときます。
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日々のことフィリピンのこと

2006年11月20日 15時06分14秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
11月18日 注文してあるアンカーチェーンと近藤氏にお願いしたパソコンGPSの到着まではバイスに居ると決めているがどうしても修理し
なければならない箇所も無くなった今、ついつい市場に走ってしまう。市場に行くとこれまたついつい買ってしまうから冷蔵庫にどんどん溜
まって食べきれない。果物もそういくらでも食えるものでないが食べないと腐るから食べて体重が一キロ増えた。近くと言っても片道ヨット
で3時間ほどのところにダイビングポイントがあるので一泊か二泊の予定で潜りに行こうかと思うが北東の季節風がかなり吹いていて勇気が
要る。そんなんで食べてはゴロゴロと寝る堕落した日々を送っています。



19日 やはり市場に足が向かいキョロキョロと目ぼしいものを探すが冷蔵庫を思うと買うのも難しいと言いつつまた買っている。先日のガ
ソリンを抜かれた件の結末は「バランガイキャプテンに一任」となった。こちらのシステムで警察はほとんど動かない。殆どの事件はバラン
ガイキャプテン(村長のような人)が始末する。そして犯人が逮捕されたり突き出されると言った事はなく「二度と起きないようにする」と
の回答で終わる。 クリスチャンの国の場合日本から考えると泥棒は異常に多い。キリスト教では悪いことをしても「懺悔」すれば許される
と教えるから毎日泥棒をして毎日教会で懺悔してさっぱりした顔で翌日も泥棒する人が結構沢山いてまったく怒る気にさえなれない。盗られ
たくなかったら手に持っているか見ているか、または何も無いかのどれかを選らばなければならない事になる。実際南太平洋の島々やこちら
の人は盗られるようなものは殆ど持っていないから立派である。反対にイスラムの国に行くとかなり治安は良くモノが無くなる心配は殆どな
い。これは昔に泥棒した人は「腕を切る」と言う厳しい処罰が今に繋がっているからだろう。フィリピンはキリスト教とイスラム教が混じっ
た国だから割りに泥棒は少ないようである。




20日 日本で何十年か振りに狂犬病患者が出たと聞いた。もちろん海外旅行帰りだろうがフィリピンでは狂犬病は日常茶飯事で毎年沢山の
人が死んでいる。(毎年ビサヤ諸島だけ?で500人ほどが感染。美由紀が噛まれた年に聞いた)ところがどんな旅行の案内書にも外務省の
「海外安全情報」でもフィリピンの狂犬病のことを全く書いていない。もし発病した人がフィリピンの犬からであればそれは外務省にかなりの
責任があるとおもう。実は以前美由紀が犬に少しだけ傷をつけられ保健所に行って調べ、狂犬病の注射もした経験がある。日本では考えられ
ないがこちらの人が犬に噛まれるとその犬から目を離さず見張っている。そしてその犬が完全に狂犬病の症状が出ると急いで薬局に行き注射
液を買って注射するのだ。この注射は二回する必要があり注射代が15000円ほどするから「はっきりしない間は見張る」のだ。ところが
感染した時期が犬と殆ど同じの場合や見失い間に合わなくて死ぬ人が数え切れないほど居るのだからフィリピンの犬は皆狂犬病と思って見ないといけない
。犬に噛まれてもその賠償などはあるわけもなく美由紀が噛まれた時は狂犬病の犬かどうかを調べるため噛んだ犬の飼い主にお金を払い、飛
行機でマニラに送って(マニラでしか調べることができない)調べてもらった。結果は狂犬病の犬でなかったので注射は一回しただけで終了
。メデタシ、メデタシ??? (狂犬病の注射は発病までに(約一週間)一回、二回目を3週間後?にすると大丈夫。フィリピンなら何処の
薬局でも手に入るが日本では薬も病名の確定もなかなか出来ないと思うのでフィリピンに来ても犬に近づかないことだ)


写真は毎日のように利用する超経済的な交通機関「トライスクル」に乗っている人達。12人乗っています。燃料タンクも立派に運転手席として利用されています。屋根の上やリヤカー部の前後には貨物載せがありこのトライスクルも屋根の上に少量だが薪を前後に野菜などを積んでいます。150CCのオートバイでこれだけ運ぶから大したものです。クリックすると大きく見えます。


カルロス氏と繋がり写真が送れたのでHPの「番外航海編」に新しくアップされる写真見てください。
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変化してます・・

2006年11月17日 14時49分49秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
昨日インターネットカフェを出てトライスクルでヨットを置いているサウスバイスベイ(陸の地名はカピナハン)に戻りテンダーのエンジンをかけようとしたがかからない まさかと思いつつ燃料タンクの蓋を開けてみたら誰かに抜かれて空っぽでした幸い風無く波なしだったので漕いでホロホロに帰ったのですが「ちゃんとしないと・・」と再度陸に戻り警察に電話して来てもらいました

今まで一番長く居て全くそのようなことが無かった土地なんですがこのところフィリピンでは急激にこのような事件が増えているそうです。 原因は俄かに普及した携帯電話とオートバイのようでフィリピンでも殆どの人は携帯電話を持っていますがメールが一回1ペソとはいえ一日中やっているから結構お金が必要。また回りの人たちがオートバイを買うからついつい無理をしてローンで買ってしまうけど燃料代は1リットル40ペソ(100円)するからこれまたお金が必要

とにかく給料はたいして無いから不足分を補う方法は限られてきてここ二~三年で強盗などまで含めて物盗りの事件は3倍以上になっているらしい ホロホロがここに来た1999年頃は携帯も少なく周り皆が似たような「何も無い」生活だったのが・・  急激な時代の変化がもたらすこのような「悪い」変化は起きて当然なのかも知れないが悲しいことだ


インターネットで世界で起きていることがすぐ解り、見てしまうとそれを追ってしまうのも当然だろう。日本人が貧しかった時代に携帯電話やインターネットが無かったことを感謝しなければならない

今日は加古川のBAGUS氏とスカイプで話しました夫妻は上海に上海蟹を食べに行ってたそうです。(氏のHPにあり)
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マッタリと・・

2006年11月16日 15時44分01秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
昨日は朝から市場へ買出しマンゴや野菜のほか干物用にイワシ、煮付け用にタチウオを買ってきて食べ昼からは昼寝

今日は朝からトライスクルをチャーターしてポリ缶に10本の軽油を買って運び昼飯のあと散髪とインターネットに出てきました

散髪はクーラーも水も無いけどちゃんとした商店街の散髪屋で30ペソ(70円)でした安いでしょ  でも昨日はヨットで使うためにプラスチックで出来た椅子を79ペソで買ったけど一回飯を食べたあとグシャッと潰れてしまいました  まあいろいろありますが修理の仕事も殆ど片付きマッタリとした本来のヨット生活に戻りつつあります

一番の関心事は次の市場でどんな魚を買うかどんな果物を買うかといった極めて平和な心になっています

なぜかバイスに居るとこのような気分になれるからここが大好きで今まではフィリピンに来るとすぐここまで来て整備をしていたのです 今回のように壊れていたことは無かったので

ではまた・・


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やっぱり・・

2006年11月14日 11時32分40秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
僕が一番気に入っているフィリピンの泊地はサウスバイスベイでバイス市中心部からトライスクルで10分ほどのところにある。 今日は朝からバイス市内のインターネットカフェで近藤氏とスカイプを繋いでパソコンGPSを送ってくれるよう頼みその後で直接ブログを書いてます。(こんなの久しぶり

アッチ コッチ  アッチ コッチ ・・・と夜電気を消すと大きな音が継続的に聞こえた 正体は昨日買った「目覚まし時計」その音の大きさは昔の振り子式柱時計を上回り「目を覚まし続ける時計」なのだ 350ペソで中国製クオーツと書いてあるけどあれを日本で売ったら殆どの人は怒るだろう。しかしこちらでは「動いていること」に感謝と喜びを感じなければ生きていけないそんなんで夕べは完全に寝不足。今晩の対策を考えなければ・・

二台のソーラーパネルを増やした効果で夕方一時間エンジンをかける必要がなくなった ところがエンジンをかけないと給湯器の湯が沸かないことに気づいた 結局二日に一度は給湯器の為にエンジンはかけなければならないのだ

バイスに来たのと仕事がかなり片付いたので気分的にかなり楽になったほんまにこの前までの僕は朝から晩まで終わりが無いほどの修理箇所に追い立てられてしていたのだ。

ヨッティの墓場「ボンボノン」と「バイス」の違いは市場に買出しに行くのにボンボノンは2~5人乗り改造長いすオートバイ(ハバルハバル)に跨って30分ほど掛かるのに対し、(おまけに雨季には道路がヌルヌルとなり良くひっくり返る)バイスでは150CCのオートバイの横にリヤカーを取り付けた12~15人乗りトライスクルと呼ばれるちゃんと12人分の座席がある乗り物で10分だから大違い。料金も二人でハバルハバルは70~80ペソ、トライスクルは12ペソだ。市場は大違いでバイスは魚を中心にかなり充実していてこれが魚好きの僕にとって非常に重要でもある  いずれにしてもフィリピンのこれらの乗り物は極めて省エネ、高効率である 

そろそろホロホロに戻ってオートパイロットの修理をします。  では・・
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バイス市に移動しました

2006年11月13日 13時37分02秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
今日はバイス市からドゥマゲティの街に出てきました。遂に「ヨッティの墓場」から脱出しほっとしつつも相変わらず修理を続けています。今日は鉄工所で部品を作ってもらわなければならず、また近藤氏に頼み事もしなければなりません。たまたまカルロス氏とスカイプが繋がり久しぶりにHPの番外航海編に写真他アップ出来ましたので見てください。


11月8日 ここからドマゲティに出るとかなり疲れる。早くバイス市に移動したいが強い風が行き先の東から吹いていて風が変わらないと
出ても大変なのだ。ヨットと言う乗り物は探せばいくらでも仕事があるからゆっくり風待ちしよう。


9日 先日家村氏に教えて貰ったソーラーパネルを買いに朝からヨットを出て、ドゥマゲティと反対方向にバスで一時間ほど行くとバヤワン
市にでる。そこで電気が来ていない山に住んで居る人たちの為に一部補助金が出るソーラーパネルのセットが二つ欲しいのだ。行ってみると
結構大きく綺麗な町でしばらくヨットを沖に停めて過ごしてもいい感じだった。肝心のソーラーは新品が一セット23000ペソ。これで5
5ワットのパネルとコントローラー、10ワットの蛍光灯が6つと100Aのバッテリーまで付いている。安いのだがいろいろゴチャゴチャと
喋って12000ペソの中古品を二組買った。電気が無いような山の人がこのセットをローンを組んで買うのだが毎週100ペソ支払うのは
かなり難しいらしく、またフィリピンのバッテリーの粗悪さは宇宙一だから一年余りなのにバッテリーがダメになり、しかし毎週100ペソ
払いながら新しいバッテリーを買う余裕はなく結局ランプがいいと諦めるからかなりの引き上げ品があった。なかなか厳しい世界なのだ。


10日 昨日買ってきた二組のソーラーパネルを取り付けるのに以前からの三つのうち一つは能力が落ちていたので捨て、二つを移動して合
計4枚のソーラーパネルを一日掛かって取り付けた。二つ増えるとかなり電気を作ってくれそうでうまく行けばこれで夕方一度のエンジン掛
けも無くせるかもしれない。今日の昼頃より風が変わってきたから明日は出航しようと考えている。今日はフライディナイト。またビールを
呑んできます。そうそう体重は11キロ減って現在67キロです。美由紀は痩せるのが早すぎるから「ガンちゃうか」と言ってます。もしそ
うだったら・・・仕事を辞めてからずっと忘れていた胃袋なんですが・・確かに最近調子が悪いのです・・・


11日 「バンザ~イ!」遂に「ヨッティの墓場」ボンボノンを抜け出しました。あそこに居ると確かに居心地が良いのですが周りの人たち
から「何か???」が感染し動く気力を失ってしまうのです。久しぶりに早起きをして朝の六時出航。ラッキーにも風がうまく周って全行程
追っ手での機帆走でした。 途中のトラブルは二台のオートパイロットが順次故障して半分以上の航程で舵を持たなければなりませんでした。
バイスに着いたのは午後三時。先着のヨットが一台居たのでその後ろにアンカーを入れ後はのんびり久しぶりのバイスを眺めて過ごしました



12日 日曜日なので出かけても仕方ないとコクピットの日除けを考えたり、4台になったソーラーパネルから電気のとり方や途中に過充電
防止の為にコントローラーを付けたりとゆっくりながら仕事を続けています。オートパイロットはいつも壊れる部品があるのでその部分だけ
こちらの鉄工所に注文して強いものを作ってもらう予定。 まあナンダカンダとすることは絶えず、しばらく充実した市場が近いここで英気
を養いつつ仕事を片付けます。 


写真はいつもヨットを預けているボンボノンのブイに繋いでいるホロホロ3世です。瀕死の状態から立ち直り航海寸前です。
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前半の日々

2006年11月08日 12時45分00秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
ブログのアップがこんなに遅れたのは途中で来た時の停電が原因でした相変わらず泣き笑いの日々を過ごしております 今回も二部に分かれてますが読んで見てください



10月23日 久しぶりにブログをアップした後、アンカーチェーンを探してみたらちょっとメッキが薄いながらも発見しました但し短い
のでマニラから取り寄せとなり二週間後だそうです。今回はタクシーでなくジプニーとオートバイを乗り継いで戻りましたがかなりの重労働
でした一番の問題はハバルハバル(乗り合いオートバイ)の運転手で値段がなかなかはっきりせずジプニーを降りてからの交渉に疲れます
。言い値で払えば良い様なものですが普通70から80ペソのところを150とか200ペソを吹っかけてくるのですそれを「あ~だ、こ
~だ」と時には半時間ほどもかけて交渉するのです。今日は20分もかけて結局違う運転手のオートバイで80ペソで戻ってきました。あ~
・・つかれた~!!


24日 マストに登る梯子にペンキを塗って腐ったアンカーチェーンを捨てチェーンが入っていた場所を掃除。昼からは潜って防食亜鉛の確
認。船底全体は勿論、プロペラやプロペラシャフトにびっしり牡蠣が着いているから亜鉛は殆ど減っていなかったタンク二本を潜って牡蠣
を落としたが全体で言えば3割しか出来ていない。船底掃除や船底のペンキ塗りの度に思うことはもう少し「船が大きすぎる」しかしそれ以
外の時は「もっと大きければ良いのに」と極めて好都合に考えている。いずれにしても終わりが見えてこない。


25日 朝一番にブルースのところへ行ってアンカーウェルの中の水溜り防止のコンクリートを練って貰いうまく排水出来る様に勾配もつ
けた。これはキャンピングバスのシャワールームの排水で近藤氏が奇抜なアイデアを考え付いたのを応用したものでヨットにコンクリート
もキャンピングカーにコンクリートも似合わないながらなかなか効果があるのだ。これでチェーンも少しは長持ちするようになると思うの
だが・・・。 そして昔が懐かしいエアーの充填。コンプレッサーも正常で一安心。しかし少し疲れがでて早めに仕事を止めて釣りをした
が小さいのが4匹だけでした。


26日 エンジンルームを開けて見ると「クラッチオイルが洩れていた」これは致命的?かと慌てて分解図を見つつバラしてみるとOリング
がヘタったのが原因らしいが「そんなこともあるのか・・」まあ実走距離で地球二周以上してるのだから仕方ないと言えばそうなのだがエ
ンジン関係がやられると部品が揃わないし簡単に終わらないことが多いからかなり焦った。このOリングは何処にでもあるものだから明日
ドゥマゲティに行って買うつもりだ。晴天が続いているから水を運ばなければならなくなった代わりにソーラーパネルが良く働いて一日に
一度エンジンをかけるだけで電気が足りている。一番電気を喰うのは冷蔵庫でこれが無いと食料の保管が出来ないからどうしても一時間は
充電しなければならない。もう一つ毎晩パソコンで映画を見ているからこれもかなり電気を使っている。他は扇風機、水道、排水ポンプ、
室内灯などだがこれらはどれも大したことはない。陸上で生活しているのと大きく違うのは水と電気と洗濯で洗濯は毎日バケツで手洗い、
手絞りとなる


27日 三人乗りハバルハバルで国道に出て、ジプニーに乗り換えていつものようにドマゲティに出た。Oリングはすぐに買えて、シリコン
やテスター用の乾電池、エポキシペイントも買いインターネットカフェに行った。メールを見て数人に返事を送り、HPを開けたらいきなり
停電こちらの停電はしょっちゅうあって驚くことはないのだが復旧に時間がかかる。あきらめて昼飯に食堂に行ったら街中停電だからエ
アコンが停まっていた。ドゥマゲティは多分徳島市程度の大きさと思うが停電は常だから店によってはエンジンの発電機を備えている。飯
が終わる頃復活したので再度インターネットカフェに行ってHPを開け掲示板を見て返事を打ち終えた時再度停電まだアップしてなかった。
二度も停電となると諦めるしかない。市場に行って買い物をしたら荷物は合計5つになったそしてトライシクル(オートバイの横にリ
ヤカーが付いたタクシー)でジプニーの駅に行きマヤボンと言うハバルハバルに乗り換えるところで降りてふと気づくと荷物を一つ失くし
ていた完全にボケてきたとしか思えない先日もヨットで草履を履こうとしたら片方しかない。デッキを探し回ったが見つからず諦めて
別の草履を履き作業に掛かろうとスパナを持とうとしたらその手に探していた片方の草履が握られていた


28日 クラッチオイル漏れのOリングを変えるとはっきりはしないが「いけそう」ところが新たな故障を発見。不思議なことにバックステ
ー(マストを後ろから支えるワイヤー)にプラスの電流が12.6ボルト流れている。これでよくショートしなかったものだと不思議がって
いても困る。明らかな異常。どこかで漏電しているのだ。電流は目に見えないから探すのが大変と思っていたが一度全ての電源を切って一つ
づつ入れていくとメインキャビンに異常があることが解り、次にメインキャビンの明かりを一つづつ調べてみたら使っていない場所の屋根裏
で漏電していたそれにしても次から次へと問題が発生するものである。昨日のフライディナイトの参加者は15人ほどだった。勿論日本人は我々だけ。
フランス人、ドイツ人、イギリス人、スペイン人、ニュージーランド人、スコットランド人それにフィリピンの女性。僕の荷物を一つ忘れた
話しと草履の話しは大うけだった


29日 何故か早起きして釣りをするとまあまあの形のカイワリとアイが釣れたヨットの周りにはバラフエダイが沢山いるがルアーを投げ
ても喰ってこない。多分周りに小魚もいっぱい居るから偽物の魚を相手にしないのだろう。コクピットのテーブルにニスを塗り、全てのブロ
ック(滑車)や金具に油を差した飯の後一時間余り昼寝をして船底掃除に夕方五時前まで潜り一応簡単に全ての牡蠣とフジツボは落とした
。ついでに魚を突こうと空気式水中銃を持って入ったが肝心の空気がいつの間にか漏れてしまって残念。シャワーも浴びたしそろそろサンデ
ィバーべキューナイトでサンミゲルビールを呑んで来ます。


30日 朝から太陽がガンガン照り直射日光下は焼けるように暑い。こんな日は日陰の仕事しかしたくないが日陰の仕事が見つからずデッキ
のオーニング(日除けのテント)の下で昼寝を決め込む。オーストラリア人夫婦が4年かけて自作したアルミ製52フィートのカタマラン(
双胴艇)の招待でお茶を呑みに行き中を見せて貰ったがとても自作とは思えない出来栄えに感心した。ホロホロが出航した90年代前半は殆
どがモノハル(単胴艇)だったが最近のロングクルージングヨットにモノハルは少なく、ここに停泊しているヨットも半分はカタマランかト
リマラン(三胴艇)になってしまった。カタマランはローリングしないし充分なスペースがあるので水上ハウスのようで羨ましい。


31日 日本人オーナーのトリマランに人が来ているようなので見に行くと中村氏がいた。氏はフィリピンに来てからマニラで24フィート
のヨットを買い、セブまで南下、セブ島のヨットビルダーに注文してこのトリマランを造ったそうだ。一ヶ月も居て初めて会ったのだが中村
氏はこの港の出口近くにあるキャビンを借りヨットで寝たりキャビンで寝たりしながら良くセーリングもしてるそうだ。トリマランで話しホ
ロホロで話し、中村氏が車を持っているのが解ったので頼んで軽油を買いに乗せて行って貰った。そのとき魚を買い御礼にホロホロで宴会を
することになった。久しぶりの日本語会話の宴会に刺身、塩焼きたっぷり呑んですっかり酔ってしまった。中村氏はボホール島に行く計画が
あるがホロホロが走れるようになったら一緒に航海する様になるかもしれない。


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後半の日々

2006年11月08日 12時31分08秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
11月1日 一ヶ月が過ぎてしまったが仕事はまだ終わりが来ない。毎日僕がしていることはだいたい解って貰えたと思うが美由紀はどうし
ているか疑問に思う人も居るだろうから・・報告しましょう。キャンピングカーでも家でもヨットに来ても僕と美由紀は分担があります。
美由紀は炊事、洗濯、掃除をしてそれ以外はどうしても手伝いが必要な時には手伝ってもらいますが基本的に三つの自分の分担が済むと本を
読んだり、最近は西野コウゾウの西野式呼吸法に凝って変な体操をしています。色々時時で凝るものが変わり習字をしてみたり英語の勉強を
したり、僕がどれほど油にまみれ、ペンキにまみれていても全く関知せずマイペースに過ごしています。そんな具合で報告は終わります。
ヨットのどうしてもしなければならない仕事に先が見え始め気分的にかなりゆったりしている。雨が降らないから今日もブルースの井戸から
水を運んだ。現代の日本で手押しポンプを見ることはないがこちらでは大活躍している。ポリ缶の口にジョウゴを差しギーコギーコと約50
回余り押すとイッパイになる。今日は全部で12個のポリ缶に水を運んだから600回は押したことになり総所要時間は二時間ほどかかった
。ヨットの生活というのは優雅そうで現代社会からかけ離れた大変な世界なんです。水運び人夫、ペンキ屋、電気工、大工、左官、修理工、
潜水士などなど仕事はなんでもこなさなければならない。しかし何となく自分で生きているような気がしてそれなりに愉しくもある。


2日  アンカーチェーンを入れるアンカーウェルに打ったセメントがまだ固まらないのでペンキが塗れず時間待ちとなったので水中銃の改
造をはじめた。エアーガンが壊れたから大きなゴム銃を同じくらいの長さに切って縮めるのだ。パイプは簡単に短く出来たがシャフトは切る
と先を使えば元が無く元を使えば先が無い状態になり考えて先を使い元のゴムを掛けるところと引き金に掛かる部分をここで加工することに
した。鉄芯を焼いて叩き潰す行程でニッキーに「硬いものはないか?」と訊ねたら「家にある」と言うからてっきりバイスか鉄の塊があると
思って行ったらなんと家の基礎に使っている石だった。石器時代のフィリピンでは水中銃の改造もなかなか出来ません。しかし涙ぐましい努
力でなんとか明日には仕上がりそうです。


3日 眠りながらも考えた水中銃は今日も一日掛かったけれど素晴らしい命中率をするだろうと思えるほどの仕上がりになりました。ペンキ
が乾けば早々に試験をしたいと思っています。銃にペンキをぬるついでにまだ乾いていないけれどアンカーウェルのセメントにもペンキを塗
りました。余ったからアンカーにも塗ってみました。これが乾いて注文してあるアンカーチェーンが届けば出航準備完了です。ほんまに長い
道程でした・・・。今日はフライディナイトでビールを呑む日です。今からシャワーを浴びていってきま~す・・ 


4日 仕上げた水中銃で魚を射ようとゴムを掛けたら・・すぐ切れた。風邪を引かないようにビニール袋に入れてあったとは言え10年を超
えるとゴムも劣化してしまった。潜って船底を再確認して・・・。びっくり。 船底の横から底にかけて4本の傷。 明らかに水中銃で突い
た鋭い傷。長く停めている船には魚が住み付く。その魚を狙って小舟から発射された銃が魚に当たらずヨットに当たったのだ。そう言えば僕
が来てからもニッキーは良くそのようにして魚を突いていた。 ニッキーに言うと「絶対していない、誰か他の人だ」というが誰もがニッキ
ーだろうと言う様にそれ以外考えられない状況だがたとえ彼だったとしても彼に弁償の能力は無くこの周辺の一般的人にすれば美味しそうな
魚が泳いでいたら「魚の後ろは見えない」のです。全く悪気は無いのですが「人の船にどんな傷がつこうと穴が開いて沈もうと今晩のおかず
が大事」な事は事実。上架してみないとはっきりは解らないが傷が深ければ積層間に水が入り100万円単位の修理になってしまいそうであ
る。何が発生するか予測できない状況を体験し今後ここにヨットを置く事も含め大幅な変更も考えています。


5日 新たな日本人「家村氏」がヨットに戻ってきた。彼は「パパラギ」と言うカタマランで去年日本から南下してここにヨットを置き半年
間日本に出稼ぎに行っていたのだ。独身の彼はフィリピンが大好きでとても54歳と思えないほど生き生きとしている。その家村氏と深夜ま
で呑み買おうと思っていたソーラーパネルの特別情報をもらった。


6日 とりあえずしなければならない最後の仕事でリーフ等を見る為にマストに登る「縄梯子」を取りかえた。家村氏と明日の夜「魚でイッ
パイ」やる約束の買出しにシアトンの街へオートバイに乗せて行ってもらった。家村氏は長期にここで暮らすつもりだからオートバイも買っ
ている。僕はフィリピンに来ても常に島から島へとクルージングして一箇所に長く居ることは殆ど無いので自分の車やオートバイを持てない
。ホームポートにして余り動かないスタイルと放浪的スタイルどちらが良いのか解らないが僕の性格は明らかに後者で生涯彷徨い続けるのか
も知れない。

7日 することが全部終わりアンカーチェーンが届くのと風向きが変わるのを待つだけとなった朝「買い変える」と考えて全く手をつけなか
った故障しているレーダーを分解してみると殆どの場合は「復旧困難」となるのですが神様が連日の仕事ぶりを認めて助けてくれたのか奇跡
的に復活。今日はとびっきりいい日になりました。夕方よりフィリピン女性に弾む日本人「家村氏」とホロホロでイッパイ。ここに来た独身
男性はほんまに皆弾んでいます。僕は・・レーダーが治ったから喜んでいます。
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