outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

屁が出ました

2008年01月31日 19時07分32秒 | ヨット世界一周クルージング
あまり上品なタイトルでは無いのですが大変重要な事なんです。

憩室炎は盲腸(虫垂炎)と殆ど同じようなものらしく盲腸の手術をした後「「屁」が出たら言ってください」と言われます。

これは僕だけかも知れませんが憩室炎が出た後のよい方向に向かう一つの目安が「屁」なんです

そんなんで出たら非常に安心します

ボチボチながら回復しているようです。

昼前に僕は茶の間でゴロゴロしてましたら先日車の事故で入院していた美香ちゃんが柚子の実を持って元気に現れました

それから世間話をしながら美由紀と二人で「柚子豆板醤味噌」を作って遊んでいました。

縫い傷にはバンドエイドを貼っていますが他は完全に元通りの「ぶっ飛び美香ちゃん」になっていますので知り合いの方々、ご安心ください

そんなんで話ばかりが長引き読もうと思っていた本も読まず「粗大ゴミ」のような一日でした
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人はイロイロ

2008年01月30日 17時53分33秒 | ヨット世界一周クルージング
ずいぶん昔に島倉千代子?が「ジンセイいろいろっ」って歌っていましたが

今までの人生で入院は殆ど誕生日周辺にやってきます

これは年末年始にどうしても飲む機会が多く、その習慣がしばらく続くのと、その結果が少し遅れて出るためで毎年注意していたのですが

昨日の夜、ブログをアップしたあとの僕は悲惨でした

突然下腹部がジリジリとなり始めて「あっ!憩室炎」と思う間もなく激痛と寒気と吐き気が襲ってきました。

憩室炎は僕の「持病」なのでヨットで生活していた時はなんだかんだ言ってもすぐに信頼できる病院に行けないからお酒の量も加減していました。

ところが日本へ戻って7ヶ月あまり。 すっかり油断して暴飲暴食

駄目押しは日曜の夜のヨットクラブの誕生会で最後まで多量の焼酎を飲んだことなんですが・・・唯の二日酔いと思っている期間にジワジワと進行していたのに

油断があるから気づきもしませんでした。

今回は「入院?」かと思ったのですが一軒挟んだ隣に「玉真病院」というのがあってそこの院長は良く知っているし以前盲腸炎と憩室炎で緊急入院したこともあるので辛抱出来るところところまで辛抱しようと美由紀に布団を運んでもらって横になりました

とにかく「横になって安静」が一番なのです。 「体は自分で治そうとする」と
信じて痛みをこらえて痛みが引くのを待ちました

そのうちに徐々に落ち着いて「病院」に行かなくてもなんとか越せそうと判断できるようになったんですが、今日も動ける状態ではなく一日中布団の中で過ごしました

「セイシの間を彷徨う」とまではなっていませんがあの痛さは本当にそんな気分になります。

このブログを見てくれている人は僕を良く知っている人も余り知らない人もいると思うのですが例えば僕が「セイシの間を・・」と言うと良く知っている人のセイシは「精子」で普通の人や良く知らない人は「生死」と解釈してくれるものと信じております。

もう峠は越えましたが、このような状態になると当分安静しかありません

しばらく読めてない本でも読んで静かに過ごします

皆さんも暴飲暴食にご注意くださいね


****お知らせ****

時にこのブログにコメントを書いてくださる方がいます。大変嬉しいのですが前日のブログを見る習慣がもてない僕はコメントに気づかず失礼なことになってしまいます。 申し訳けございませんがホームページの掲示板に書き込みくださいますようお願いいたします
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サスペンスモドキの5 他

2008年01月29日 20時23分21秒 | キャンピングカー旅
昨日元気が出なかったのはどうやら唯の飲みすぎだったようです

昨夜から降っていた雨は今朝になっても止まず美由紀は買い物や友達との約束に家を出たり入ったり「ばあさんパワー」を発揮しておりましたが・・

僕はテレビを見たり、この前から書いているサスペンスもどきを書いて過ごしました。

ちょっと感じたのですが「最近の番組は質が上がった」ように思えなくもありません。これは主にドラマの場合ですが・・・

見ていてかわいらしく感じるのが多くなったような・・気がします


一日だけヨットで泊まり、昨夜は当然バスで寝たのですが「住めば都」じゃないけれどいつの間にかバスが一番寝心地良く感じるようになっていると感じてちょっとショックです

ついこの前まではホロホロが一番だったのに

飲みすぎていたからかな~

もしもこんな風にだんだん変わっていくのであれば寂しいですね

でも家で寝るのが愉しいと思う日は永遠に来ないように思うし、そんなにはなりたくないと思っています

それもおかしいのかも

退屈かも知れませんが今日書いた文をアップします。

興味がある方は読んでください

なんかすっきりしていない文章なんでどうにかしたいのですが・・そのうちに直すということで勘弁してください。



  
  
  5章

届いた4人の報告書の内容に多恵は何度も目を通した。

  経理課長永田利治 大学卒業後安藤建設に入社、37歳 家族5人、二男一女の親で万博会場に近い吹田郊外で最近開発された分譲住宅に住んでいた。 結婚して10年、趣味はマージャン。住宅購入借入金残高300万円。
 
 営業部顧問森野義明 農林省退職後安藤建設に入社、天下りである。54歳 家族6人 4人の子供のうち長女はすでに結婚して男二人が大学生、次女は高校生。 阪急電車十三駅近くの持ち家に住んでいる。 趣味は登山、建て替えた家のローンがまだ残っていた。

三輪銀行香田馨 東都大学法学部卒業のエリートで将来の頭取候補の一人 59歳。現在の頭取派のナンバー2と目されていた。 趣味はゴルフ。 

双栄建設関西支社長水谷謙一 慶恩大学経済学部卒業。62歳 この業界では珍しい事務系出身の支店長だった。現社長と対立する派閥のトップ。 父親は元某電力会社社長で今も電力会社に強力なコネを持っていて次期社長濃厚と噂されていた。趣味はゴルフ。

永田の場合、住宅金融公庫や銀行にかなりのローンがあっても最近の急激なベースアップを考えれば楽に返済できると思える。 

そう思えば森野も香田も水谷も総務部長の岡田を殺害する動機は見当たらない。 でも・・どこかに隠されているはずなのだ。

その直感は消えなかった。

結婚式が迫っていた。

父が所有していた分の株式の名義も変えなければならない。 その50パーセントの株式の名義をどうするかで母と伯父は何度も話したようだった。

多恵が決定とも相談とも言えるように聞かされたのは、将来社長となり安藤建設を引き継ぐのは多恵の夫となる浩二だから浩二にもこの際20パーセントを相続させ、多恵が20パーセント、紗枝が10パーセントではどうだろうかと言うものだった。

これで母の持ち株は全部で30パーセントとなり最大株主となる。 父の株式を母が引き継いだ場合、母が亡くなった時に再度贈与税を払わなければ成らなくなると言うのが最大の理由だったようだ。

また浩二もこのほうが仕事がしやすいだろうと言うのもあった。 多恵は二人の意見に任せることにした。

浩二は結婚によって多恵と安藤建設の二割を同時に手に入れることになる。


四月十六日、安藤建設が施工し、完成したばかりの結婚式場「宮姫殿」のロビーには天井に届くほど大きな桜の枝が活けられていた。

濃いピンクの蕾と五分ほど開いた沢山花が今日の大勢の招待者を迎える事になっている。

風がなくスモッグに覆われた大阪は太陽が金色に見えた。 去年まで毎日のように午後には目や喉に痛みを訴える人がニュースに出ていたが今は万博人気で忘れられている。

経済発展が全てであり、それを犠牲にしてまで排水や排煙を規制する必要は無いと公然と暴言を吐く政治家もいた。

日本の大部分の企業がそうであるように安藤建設も環境より経済発展がなければ成長できない企業だった。

多恵と浩二は昼前に両家の親族と仲人夫妻だけが参加して神前結婚式を行った。

三々九度の盃を受ける時は手が振るえたが飲み干すと一つ覚悟が出来た気がした。

披露宴の招待客は150人に及び、社長である伯父が殆どの人を選んでいた。

結婚式に参列してくれる人達の中には知事や市長、衆参議員から市会議員と政治に携わる人も多かった。

会社関係の人達が大部分で多恵の知らない人ばかりが目立つ会社の結婚式のような雰囲気が多恵を白けさせた。

十人だけ招待した学生時代の友達とも殆ど話は出来なかった。 浩二側は両親と親類が二人だけで会社から二人、友人は一人だけしか居らずバランスが悪かった事も気になった。

こんな時なのに水谷と香田を見ると事件の事を考えてしまう。

披露宴が終わりに近づき参列者の見送りを受けて浩二と二人ハイヤーで新大阪駅のホテルに向かう。

明日は新幹線で東京に出てハワイに行くことになっている。

二人きりになって初めて今まで感じたことの無い不安が多恵の胸に広がった。

それは浩二に対して覚えた初めてのなんとも言えない疑惑だった。 
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久しぶりのヨットは

2008年01月28日 16時51分55秒 | ヨット世界一周クルージング
昨晩ヨットクラブであった誕生会は日曜の夜であったため参加者が少なく少々寂しいものでした 翌日仕事だと飲んで車に乗れないからたへんだもんな~

皆が早仕舞いする中、僕はヨットで泊まる理事長を無理に引き止めて夜中までしつこく飲んで完全に飲みすぎました

宮下理事長すみません

来月僕が「炊事当番」だから「ふぐ鍋」頑張りますのでお許しください (昨日の宴会の席で来月はふぐ鍋すると言ったら・・心配する人が結構多かったのが心配ですが・)

ぶらぶらとホロホロまで歩き転げ込むように布団の中に潜り込んですぐに爆酔。

朝曇り空で時間が感じられず電話で起こされたら昼前だったのは驚きでした

エンジンをかけてビルジポンプ(船内に溜まった水を出す)をかけたついでにいろいろなスイッチを入れてみると・・・幾つかが故障していました

漏電? スイッチそのものの故障? じっくり調べないと判らない。

あまり船に行かないとこんな問題が次々発生して最終的に手が付けられなくなるのは判っているのだけれど・・・日本の冬は寒くて川風に吹かれて何日もヨットで作業する気になれないのが現実です。

今のところ3月20日に山旅に出発するつもりなので・・・10月20日以降でなければ修理が出来ない。

日本に戻ってくると色々雑用から遊びの計画が多すぎてヨットが放りっ放しになってホロホロが可哀想  長い間共に生きてきた「戦友」なのに・・

もっと行って大事にしてやらなければと反省したホロホロでの一晩でした。

3月になったら数日泊り込んで修理しようかな~・・・それしか・・・

ヨットに一月ほど住んで完全に修理する計画を立てないと「動けないヨット」になってしまいそうなホロホロ3世なのです。

近くのスーパー「サティ」も2月に閉店撤退するので買い物も不便になるけど、なんとか頑張らないといけません

でも家に戻っても二日酔いでイマイチ元気が出ません。

明日はまた雨だそうです。 どうもいかんな~・・・気合入れんと

美由紀は相変わらず元気だけど・・・・
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サスペンスモドキ4 他 

2008年01月27日 15時30分24秒 | ヨット世界一周クルージング
昨日はブログアップできずすみませんでした

朝の折込チラシを見ると敷地が広い「売り家」が出ていたので見に行っていました。

でも中途半端なんですよね~・・そんな思ったような「物件」が簡単に見つかるとも思えないですが。

家に戻ってゆっくりしていたら車の音がして、藤本氏が来てくれました

藤本さんは多分185センチ位あります。勝手口の半分がガラスなので光の遮断具合である程度「人が解る」のです。顔を見る前に藤本さんだろうと解っていました

藤本さんも山に登るんですが今まで一度も一緒に登った事がありません。そんなんで最近お気に入りの「津の峰山」へ一緒に行こうと誘いました。2月中頃?楽しみにしています。

今日は朝からこの前からの小説の続きを書いていました。 筋書きを言ってしまう事は出来ないのですが・・仕掛けが大きいのでナカナカ進みません。 

頭の中で出来上がっているんですが今日までで全体の二割弱です。思わぬ展開と進行、楽しみにしてください。

な~んて、うまく文字に出来るといいんですが・・・

急いで書いたので変なところはまた直しますね



     4章
浩二は会社を休み朝の新幹線で大阪に着いた。 

安藤建設常務取締役岡田俊好の葬儀に故社長の娘婿として葬儀に参列する為だ。

こんな機会に顔を売っておくと何かと役立つ。

ピースを咥えて改札をでて火をつけ大きく吸った。

大阪に来るたびに思う何とも言えない大阪の匂いが人里離れたこの駅の構内でも感じられた。

街に近づくに連れて濃厚になる人が放つような匂いが好きでなかった。

それは大阪弁そのものが放っていると思えなくもない東京には無い臭いだった。 

金のダンヒルを軽く上に放り投げてからポケットに戻し公衆電話に向った。

葬儀に参列した多恵は一人でも多くの人と話し、その中から怪しい人を探したいと思っていた。 

浩二と落ち合った後、母と一緒に会社の車で来たが母や浩二から離れて動いた。

二人には何かが解ってから話すつもりでいた。

犯人は「会社の人間」と思っていた。 会社の人かどうかは胸のバッチを見れば解る。 安藤建設のバッジは両手を上げて太陽を挟んだ人がイメージされていて良く目立つ。

父が良く会社の人達を自宅に招いていたので一人娘の多恵を会社に長くいる社員はみな良く知っていた。今は花嫁修業中でも中学、高校とバレーボールをしていた運動好きの物怖じしない明るさはおじさん達に人気があった。

年配で良く知らないのは省庁から安藤建設に移って来た人達だけだったがそんな人にも挨拶をし、一言二言の話しをして回った。  

念の為に会社以外でも要職にあると思える人のところには行った。

母は挨拶の度に横にいる浩二を紹介していた。

小夜は「誰が得をするか」を考えながら一人一人の様子を見ていた。 「得ばかりではない」「二人が居ては困る」人も動機がある。

「安藤建設の人間」と限定することも無かった。この二つの要素を持った人を七百人もいる参列者から探し出すことは難しい。

「もし自分が犯人だとしたら」 この席でどのような態度をとるだろうか・・と考えてみる。

事故と断定されたのだから、心の中では「バンザイ」と叫びたいだろう。 しかしそれを隠して神妙にしているに違いない。

そう思って見渡すと殆どの人は神妙な顔をしていた。 しかし大声で笑うこともなく神妙な顔をつくろいつつも何かを一生懸命話して居る人は意外に多かった。

自分の身内でもなく岡田の死によって生活に影響が無い殆どの人のとる普通の態度なのだ。

このような態度の人は除外できそうに思えた。 かと言ってどのような態度や顔をしているのが犯人なのか思いつかない。

疑惑だけが先行している今の状態では目星さえつけようが無かった。 動機も解らない現時点でこの人数だと対象が多すぎた。

参列者の間を忙しく動き回っている多恵だけが目立った。

多恵の事は安藤の葬儀に参列して知っている。バーのママとして挨拶もしたし安藤や会社の人達から色々な事も聞いていた。

自分が安藤の「女」であることは知らないはずだった。

多恵の動きを見ているうちに、「もしかすると同じ考えで探っているのでないだろうか」と思った。

声を掛けて問いたい気持ちはあったが今それをすると邪魔となると考えて止めた。

だが多恵も疑惑を持っているらしいことで確信は深まった。 店に来る安藤建設の人達に聞けば「得をする人」も
「二人が居ないほうが良い人」も少しは解るだろう。

今日はこれでいいと思いながらも、なんとなくアチコチの数人を眺めていた。

一方、張り切って動き回った多恵も全員とは話せない。が身なりや恰幅がいい要職者と思える200人近くに挨拶をし僅かながら話しをした。

このような悪事に関わる人はそんな人だろうと漠然と思えたからだ。 

その結果、「何かが引っかかる」人は4人だった。 この四人の中に直接手を下していなくても真相を知っている者がいるような
気がした。

その四人の名前は解ったが四人とも良く知らない人だった。 二人が安藤建設の社員で永田利治と森野義明だった。 
永田は総務部で森野は営業部と名刺に書いてあった。

他の二人は取引先で三輪銀行天王寺支店長香田馨のと大手の双栄建設関西支社長水谷謙一だった。

誰が特にと言えるほどではなかったが4人なら一人づつ調べてもそれほど時間は掛からないだろう。

「きっと見つけ出してやる」空を見上げて深呼吸すると先ほどまで空半分を覆っていた厚く黒い雲が不気味な紅に染まっていた。

小夜は安藤の娘多恵と話せる機会を一日も早くつくりたいと思いながら店に向った。
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泣きました

2008年01月25日 21時26分15秒 | 退職生活
朝病院でみかちゃんの顔を見て大昔の「津の峰神社」参道歩きに向いました

初めは青空も見えていたのですが途中から黒い雪雲に変わりました。小山を越えて民家がある谷へ出て鳥居をくぐり、参道を外れてキノコを探しながら道なき道を登りました。

ヒラタケの小さいのとアラゲキクラゲ少々を採って椅子がある広場に着くと雪が舞っていました

早く暖かいラーメンが食べたいとコンロをセットして豚肉、アラゲ、キャベツを投入

最近これにハマっています。とにかく歩いて腹が減ってる寒い山で熱いラーメン 豚肉の甘さとアラゲのコリコリ感がとにかく合うんです

やっと出来上がってそれを鍋の蓋側に半分移し、残り半分は鍋本体に

「ほら出来たぞ!」と美由紀に渡そうとしたら折りたたみ式の鍋蓋の取っ手がイキナリ外れて一杯まで入れた麺やスープが全て土の上へ

雪が降ってもあつあつのラーメンであったまり空腹も満たせると・・それが一番の楽しみだったのに

とこんな悲しいハプニングはありましたが残った僅かなラーメン(ラーメン一個の半分がダメになったので結局食べられたのは一人四分の一)を分けて食べて腹を減らして下山しました

家に戻ったら先日注文していた、パソコンでテレビが見える「ワンセグチューナー」が届いていました

最近流行のワンセグがどんなものか楽しみでパソコンにインストールして見たのですが・・・電波が届いたり届かなかったり

デジタルだから綺麗に写ると思っていたのですが・・アナログ以下の解像度

今年の山旅の秘密兵器と思っていたんだけれど、これは殆ど意味がないものを買ってしまったと大後悔運賃共で5750円も払ったのに・・・・

おまけに新型のビスタにはインストールできません。 我が家の家計は今ピンチなのに
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陽だまり登山

2008年01月24日 20時54分57秒 | 日本三百名山に登る旅
昨日から寒くなる予報でしたが朝起きたら雪がチラチラしていました

よしえちゃんが九時に来てくれましたが計画していた福寿草が咲いている山は高いし、アクセスに積雪の心配もあったので変更して先日、気に入った津の峰山へ南側から登りました

よしえちゃんも早期退職しています。退職者の参考になればと聞いてみると「誘われたことは全て参加する」「スイミング&スポーツジムの平日メンバーになっていて予定が無い日はそれに行く」(水泳、ヨガ、太極拳)これが基本姿勢との事でした

「誘われたら行く」という姿勢は大事で約束していると無理をしてでも出かけるので僕らもしていますが是非とも必要な心だと思います。

今日の津の峰山の陽だまり登山は晴天で暖かく休憩所でお喋りしながら湯を沸かし
ラーメンを作って3人で良い景色を見ながら幸せな昼食をとりました

家に戻ると昔ブラジル丸で一緒にハワイへ渡った岐阜の高橋氏から名物の干し柿が有難うございます。

それを二つほど食べた時に電話がなって・・・今年の初詣やマラソンの練習を一緒にしているみかちゃんが事故で入院したとえみちゃんからでした

家のすぐ裏にある中央病院にいるとのことで美由紀と二人見に行くと何時も通り全く元気でした。

とは言っても車が横倒しとなり「顔を5針」縫う怪我をしていました

車も自損事故の保険に入っていたし通勤内事故なので仕事を休んでも給料の心配もなさそうだし、入院も数日のようで傷跡も残らないだろうとの事でひとまず安心です。

そのみかちゃんが初詣の時に「今年の運勢は最悪」と言っていたのです。

それで僕もそうだったと思い出したんですが・・こんな年は注意しないといけません

写真は津の峰山の展望休憩所でお昼を食べているよしえちゃんと美由紀です。
暖かい太陽が包んでいるでしょ  写真をクリックすると大きく見えます
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サスペンス3 他

2008年01月23日 18時40分58秒 | 退職生活
朝から冷たい小雨が降ったり止んだりの徳島県阿南市です。

こうも悪い天気が続くと「酒が呑める」とばかり喜んでいられずちょっとうんざりしてたんですが・・マレーシアのヨットに戻っているラー三世の金田氏からスカイプで呼び出しがありました

ヨットの整備に何時も一緒にいた奥さんを置いて一人でマレーシアに行った金田氏ですが整備も終わり朝から酒を飲む生活になって「早めに日本へ帰る」決心をしたそうです。

先日平田影郎氏のHP(掲示板)を見て改めて思ったんですが「有り余る時間」特に退職後の数十年を過ごす計画を立てるのは早くから準備する必要があります。

早期退職をした僕や金田氏はヨットで海外をクルージングすることに数年を費やしています。

少ない予算で年金がもらえる時まで愉しく過ごすにはいい考えだったと思っていますが海の生活は好き嫌いもあって誰もが夫婦揃って出来ることではありません。
(本当は誰にでも簡単に出来ることなんですが・・)

ただそれを最初に持っていった僕の考えは「体力に応じて」「七年を基準」に計画を立てました。

僕も今60を前にして恐れていた以上に体力があることを喜んでいますが長い退職後の生活を「常に体力と気力の限界」に近い計画を立てることが喜びを感じられ愉しい生活が続けられる一番簡単な方法だと思います。

体力が要らない遊びは後に送って限界に近いことから順番に計画をたてないと後悔するように思うのです。

退職人生を18年過ごしてきて思うのは、一生懸命でなければ出来ない事は時に苦しく億劫な時もあるけれど、本当の愉しさはそんな中にあるとおもいます。

僕もついつい「楽な道」を選んでしまいがちです。でもそうして後に残るのは「虚しさ」でした。 頑張って精一杯の日々を過ごしましょう

そういう僕も実はここ数日テレビを見てしまうんですが

今日は天気も悪く出かける事ができないので先日から書いているサスペンスの続きを文章にしてみました

第3章目となってきました。素人が書く文章ですからつまらないと思いますが趣味とは言え一生懸命考えて書いています。 興味があれば読んでください







   3章

安藤建設の常務取締役総務部長 岡田俊好が夕闇迫る岐阜県大垣インター近くの名神高速道路上で死んだ。 

岡田は車が好きで一年余り前に追加発売されたクラウン三代目モデル50系2ドアハードトップを運転していた。

50系は4ドアが主体だが輸出を考えてアメリカの安全基準の殆どを達成、高級感とスポーティさを兼ね備えたデザインは「白いクラウン」の宣伝効果も効いて日本市場の6割を占めた名車だった。   

今後増えていく高速道路時代を意識してシャーシー形状からトヨタが作り直したこの車を岡田は気に入り自慢していた。

東京出張も新幹線や飛行機を使わず車にしたのはそのような一面からであった。

安藤建設では半年の間に社長と総務部長の相次ぐ事故でパニック状態になった。 

総務部長の岡田は前社長や現社長と共に安藤建設を基礎から作り上げた安藤の片腕であり「奥」と内外共に認める事務方のトップなのだ。

前社長安藤の信頼も絶大で信頼に応える努力家でもあった。

総務の仕事は多岐に渡る。建設会社の場合、現場職、営業職、事務職と簡単に三つに分けることが出来、常に会社に居て現場や営業の職員が働き易い環境をつくる役目で金銭の管理も任されている。

株式上場会社などでは株主総会の場合に総会屋の手配や折衝もするので暴力団との繋がりが噂に上る部署でもある。

上場していない会社でも工事現場の近隣住民の苦情処理や賠償などで暴力団が関係することは多い。

会社と言うのは全てが全てを公に出来ない要素を持っている。 脱税などで世間の非難を浴びる会社は多いがそれは氷山の一角でしかない。

資本主義社会で生き抜く為にはどんな会社にもイザという時の「隠し玉」は必要で帳簿に出せない裏金は絶対に必要である。

殆どオーナー会社と言える安藤建設の場合、それら裏金をどのように保管しているかを知っているのは総務部長の岡田と前社長の安藤だけだったから問題は大きかった。 

想定金額は一億円かそれ以上。 経済成長に沸き大卒初任給が4万円になったとは言え葉書が7円の時代である。

岡田自身まさかそのような事故を起こすことは考えもしなかったし、紗枝も後任社長もすぐに必要で無い裏金について詳しく聞く必要もなく今になっていた。

事故の見解は警察の調べでスピードの出しすぎによる運転操作のミスと発表された。

花嫁修業中の多恵にも事故の知らせは届きショックだった。 岡田は何度も家に来たことがあり幼いときから知っていた。

何度も遊んでもらったり勉強を教えてもらった記憶もあった。

オンナには男が及びもつかない「直感」がある。 

そしてその直感を真実のように信じる事が出来るのが女であり、それ故に僅かな時間の見合いなどで結婚と言う他人の家に飛び込んで行く大きな決断が出来るのだ。

時にそれで失敗しても一般に女はどのような場合も挫けず、いつの間にか自分の城を築いてしまう。

女にじっと見られたり、突然に他の女の話などを真剣な顔で持ち出されると何も無くても男は慌てて弁解したりする。

何しろ思い込みが激しいからどんな攻撃を仕掛けてくるか解らない。女と言う計りきれない生物がそうと解ると殆どの平和主義者の男は内心常にびくびく暮らしている。

そんな直感を若い多恵も持っていてこれが「単なる事故でない」と告げていた。 

だがそれが誰なのか、どのようにして事故に見せかけたのか思いつかない。 歯がゆい焦りを感じた。

とりあえず葬儀に出て参列者の顔を見ることで何かのきっかけを掴もうと考えた。

事故と判断されたのだから敵も安心して顔を出すと思うがこれも直感が頼りだった。

  
小夜も店にでて岡田の事故を聞いた。 安藤の事故も含め安藤建設に何かが起きている。驚きと共に小夜は事件だと確信を持った。

次々訪れる客の殆どが相次ぐ安藤建設の不運話や先々の予想をしていた。 一人娘の結婚話しにまで進み推理好きの幼顔の青年は面白おかしく完全犯罪を口にしていた。 

事故死として片付けられているうちの二割以上は殺人で完全犯罪を狙うなら事故死を装うのが一番簡単なのだとその青年は言った。

それだけ話題になる会社だったし、小夜の店の客は岡田や安藤建設を知っている人が多かった。

高知から出てきて特別な苦労も無く生活出来ているが夜の世界に七年も居ると世の中の汚さや人の業に接する機会は多い。

が今まで人を疑いの目で見たことは無かった。 まして人殺しなど

岡田は店の常連でもあったから当然葬儀に行くことになる。

小夜も参列者を観察すれば事故として片付けられた二つの事件の糸口が掴める様な気がした。 


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悲しい株価大暴落

2008年01月22日 23時03分08秒 | 退職生活
先ほどまでビリーブートキャンプのDVDを見ながら二人で踊っていました。

とは言っても20分(一時間ある)ほどしたらヨロヨロでそれ以上は続けられません

それも腕立て伏せは膝をついて、ゴムひもも使わずにです。 日々頑張ればいつかは出来るようになるんでしょうが・・あれが出来る人なんているんでしょうか?

とにかく我々二人があれを全て出来る日は来そうにありません
もうブームは去ったそうなんで遅れた話題でした。

朝から曇り空で時々雨が降る午前中でしたがちょっと山へ出かけました

そして車を降りて30メートルほどのところで美由紀が発見したのはエノキタケの大群でした 野生のエノキタケはスーパーで売っているエノキタケとは全く違う色と形をしています。

今まで何度も採っていますがそれらの傘の直径は3~4センチまでのものでした。
ところが今回採った最大のものは8センチあって身の厚み軸の太さはシイタケほどもありました

それを夜シシ肉で牡丹鍋に入れたんですがそれはそれは何とも美味しい味でした

一緒に呑んだ焼酎もまた美味しくて嬉しい夕食になりました

ところが先ほどニュースを見てビックリ、株価が700円以上も暴落

昨日と二日で1300円近い下げは強烈です

でも下げ続ける株はありませんから・・・じっくり待てばそのうちに回復するでしょうが・・

今年の生活費の8割を投資してしまった僕は残りの2割(すでに一割は使っているけど・・)と六月にくれる配当金だけではとても生活が出来ません

売れそうな物を探してオークションで売っても10万円は難しいだろうし・・

年金生活に博打は危ないですね。


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サスペンスの2 他

2008年01月21日 15時59分27秒 | キャンピングカー旅
何故か昔から雨がそれほど嫌いでなく雨が降っていると呑みたい気分になるんです。

夕方に誰か来ないかな~・・・と待っていたけれど・・あんな天気の日曜は皆家を出る気にならないのかだ~れも来てくれませんでした

昼過ぎに美由紀は友達と出かけ、僕は芋焼酎と純米酒を買いに出て三時四十五分より茶の間で一人テレビを点けて掛け時計を見守っていました

仕事を辞めたときから特別な会などがない限り四時を過ぎないと呑まないと決めているから待つしかないのです

そして四時 大きなグラスに焼酎を入れスダチを絞って湯を注いで呑み始めました

待った甲斐があってその美味いこと、美味いこと

どんどん呑んで気持ちよくなってきた頃に美由紀が戻ってきました。

「よ~けやったわ~」といい気分で言ったら「痛風いけるんで!」と忘れていた言葉を浴びせられましたが「焼酎やけん」と食べてしまった肴の皿を見ながら答えました

正月過ぎに高松と香川の山登りから戻ったあとそのままバスで美由紀も寝ています

毎日寝る前に「ええだろ」と聞くのですが「いっこも!」(こちらの方言で全然と言う意味)としか答えは戻ってきませんが


今日も朝から雨でした。 この前書いた作文を「すけべえやな~・・けどおもしろそう」と言ってくれた人がいたので続きを少しアップしました

お暇でしたら読んで見てください。





   二章

「小夜」は源氏名で本名ではない。今年27歳になる。風呂に入りベッドに横になってから寝付けないまま考えていた。 

もう朝が近い時間である。警察では単なる事故として処理されたが、いくら考えても安藤の事故は誰かの手が加わっているように思うのだ。

安藤誠三に初めて会ったのは五年前だった。
親の勧めで結婚を決めた男に別の女性がいることを知って高知の実家を飛び出し、頼りになりそうな高校の先輩を頼って大阪に来たのが21だった。

友達を頼って出てきたと言っても米穀通帳が無ければ米が買えなかった時代に家出娘の辿る道はネオンの世界にしかなかった。

ただ幸運だったことは友達の上司が口を利いてくれたバーの経営者やそこに集まるお客さんの質が良かったことだった。

衣装代の支払いに殆ど消えて手取りの給料は少なかったが心配した田舎者を笑うことも、無理に体を売らされることもなかった。

初めの半年は言葉遣いや礼儀作法を覚えるのに必死だったが、予想以上に愉しく怖い思いもせずに大阪の水に慣れる事が出来た。 

そんな時にお客として店にきた安藤の席についたのが最初の出会いだった。 小夜の身長は159センチで女としては高めだが安藤は170以上で肩幅が広く腕も指も太くがっしりしていた。

初めて見たときは少し怖かったが話すと本当のお兄さんと言う感じだった。 小夜に弟はいるが兄は居なかった。

お酒を呑んでも変わらない優しさと時々くれる小さなプレゼントに奥さんや子供がいることは解っていても小夜の心は傾いていった。

週に一度、来る日が楽しみで来てくれると涙が出そうになった。 一緒に来る人はその時々で変わったり同じ顔だったりしたがいつも小夜を指名してくれた。

 支払いは毎回安藤が現金でしていたので店にとっても上客でママの受けも良く勘定も良心的だった。

そんな安藤と男と女の関係になったのは半年ほど後だった。 

安藤のセックスは会話では想像できない有無も言わせぬ一方的なもので服を脱がせて自分も脱ぐといきなり乗りかかってくる。

そこにはいたわりも思いやりも感じられないのだが何故かさっぱりしていて気持ちが良かった。

そんな関係になった後も殆ど態度が変わらない。変わったのは毎週顔を出してくれた日に後で落ち合ってホテルへ行く生活となった。
そんな生活が三年余り続いた。

初めから妻子がいる事は解っていたのでそれ以上求めることもお金が欲しいとは思わなかった。 時に寂しく思うことはあっても安藤に会えることは幸せだった。

安藤が「店をしないか」と言った時は驚いた。少し考えて全て任せてみようと思った。 それらしい返事をすると一ヶ月ほど後に店を見つけてきて勤めていたママさんにも話しをつけてくれた。 

「バー小夜」がミナミで開店して一年になる。前の経営者から「居抜き」で買ったので看板を変えるだけで営業できた。店にいた女の子が4人と板前が残ってくれた。 

支払いがどのようになっているのか知らなかったが安藤が亡くなった後、何も取立てが無かったから払いは全て安藤が済ませていたのだ。

安藤は相変わらず週に一度だが数人を連れて来てくれた。支払いも以前同様毎回現金で払ってくれる。

安藤の勧めでツケはしない代わり女の子は揃えた。 普通バーでは女の子の名前でツケをする。その人が払ってくれないと女の子が負担しなければならない仕組みだったから日当を全て現金で毎日支払う小夜の店はホステスも喜んだ。

店とアパートの家賃、仕入れ代、給料を払うと初めは殆ど残らなかったが最近は少し余裕も出てきたから安藤の考えは間違ってなかった事になる。 安藤が亡くなった後少し態度が変わった人はいたが安藤建設の人達は良く来てくれた。


安藤はセックスを除けば全てに慎重で人の心を読む力があった。 付き合いが長くなるにつれ気性の良さを感じた。

「竹を割ったような」と言う言葉があるが、とにかくさっぱりしていた。  仕事が危険そうなので小夜が心配して訊ねたら現場に出て高いところに上がる場合も命綱を移動の度に必ず掛け直すと言っていたほど慎重な安藤だった。

そんな安藤が不注意で死ぬと思えなかった。


初めに考えていたより少し仕掛けを大きくしました
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不当広告にご注意を

2008年01月20日 13時42分13秒 | ヨット世界一周クルージング
昨日の朝地元紙「徳島新聞」の中に広告が入っていました。

「これは安い」とすぐに電話して予約をとり、美由紀と二人で徳島に向いました

なんの事かと言えば「家と土地」なんです。 今僕らが住んでいる家は国道沿い(今はバイパスが出来て旧国道になってしまったけど)でなおかつ以前ダイビングショップをしていた時のままだから商売には良いんですが住むとなると不都合が多いのです

ただバスも含め車が多いので駐車に便利なことと「皆が場所を知っている」ので宴会などに便利で住んでいます。

しかし徳島の中心地はやはり徳島市で友達も徳島市内が多いし、大阪や東京、海外に出るのも便利です。

そんなんでバスも含め家の車の他、友達の車も停める事が出来る広さで、誰にでも場所の説明がし易く、なおかつ安い値段と非常に勝手な条件で探すほどでは無いけれど気にしていたのです。

その新聞広告は市内中心部に近く、146坪あって1980万円
広告文では「大家広菜園庭」と書かれていたのです

だいたい市内中心部に近くその周辺の地価は随分下がりましたが住宅地で坪25万円はするのです。 だから僕は最初からその案内人に「何かあるの?」と聞いたのです。

確かに家は築35年と古くそのまま修理して使うにしろ壊して新しく建て替えるにしろかなりのお金は掛かります。

でも坪単価が半額は安い、安すぎる。   そして見てみると「何となく狭い」感じがしました

でも新聞にまで掲載広告する不動産会社がそんな出鱈目を書くとは思えないし・・

この金額なら「今住んでいる所」と「マンション」を賃貸に出せば家賃で買えると考えて「買います」と返事をしたのです

「契約書を作りますので事務所へ来て下さい」というからその人の車について行きました。 その事務所はかなり市内から西のほうに離れていて遠いこと遠いこと

到着してすぐ謄本を持ってきてからの説明に「腰が抜けました」

「謄本で146坪余りになっていますが隣りの敷地の人とは身内で真ん中に適当にブロック塀を建てたらしいから広さははっきり解りませんがそれでいいですか?」と聞くのです

隣りの土地は謄本では37坪になってましたが塀は殆ど真ん中にありました

この土地は道路から少し上がっていてそのロスが10坪ほどでます。そうなると全然安くないと言うより壊す費用などを考えると「高い」じゃないですか

最初に「何かあるの?」と聞いたのに

こちらもこちらで「そんなうまい話があるわけない」のに乗ってしまった

おかげで一日時間が潰され燃料を多量に消費して地球温暖化してしまいました

でもこんな時代にこんな人を騙すようなやり方の会社が存在することが不思議です。 広さが解らない土地を謄本と全く違うのが解っていて買う人がいますか?

夕方家に戻ったらぐったり疲れ、焼酎を呑むと眠くなってバスの布団にもぐりこみました。

皆さんもご注意くださいよ

一昨日の夜久しぶりに走った太腿が今日の朝になって少しですが張っています。

歳とると筋肉に傷みが起きるのが一日ずれるのが面白いですね。 全ての反応も遅くなっているんでしょう
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故郷探訪

2008年01月18日 22時54分00秒 | ヨット世界一周クルージング
こんな言い方は少し変かも知れませんが現在住んでいる「阿南市」は僕にとって四つ目の故郷でここに移ってきたのは25歳でした。

来てすぐ「潜水屋」を開業したので近くの海は良く知っていますが陸上のことは「働く者」の常として必要なところ以外行く暇もなく、仕事を辞めてからも旅ばかりで全くと言えるくらい「阿南市」を知りません。

そんな中、先日興味を持った「阿南中心部」に住んでいた人達が「津の峰神社」へ参拝するのにバスや汽車が無かった頃の参道を求めて朝から二人で歩きました

近くの山は美由紀の方が良く歩いているので美由紀に従って阿南駅前の「阿南公園」の中腹まで上り、別れ道を頂上でなく津の峰山の方へ進むと果樹園に出てそれ以上すすむ道は無くなりました

でも少しヤブ漕ぎをして平野に出たら思いもしない「池田」と呼ばれる阿南市街の裏に出ました

早い話、阿南公園の山を越える必要は無かったのです。

丁度降りたところで犬を散歩させていた男性に「津の峰神社へ行く参道知りませんか」と聞くと、さすがにここで生まれ育った人で参道の入り口までついて行ってくれました

其処は現在市営墓地となっていましたがこんなところにこんなに広い平野があったのかと驚くような場所で山の一番低い場所を緩やかに登ると峠となり、昔多くの参拝者が通ったことがはっきり解る道でした

残念ながらその道は途中で工事用の土を取る為に削られて絶壁になり反対側に降りることは出来ませんでしたが

でも本道ではない細い道は発見して「次回」行くことを決めて引き返しました。

「旅」は未知の世界を訪ね、未知の人と出会いそれらの事を「感じて愉しむ」ものと思っている僕の「旅心」を充分満たしてくれた旅でした


夕方仕事を終えた「みかちゃん」少し遅れて「えみちゃん」が我が家に到着

先日のフグ宴会の時に「走りに行こう」と約束していたのです

みかちゃんとえみちゃんは4月に行われる「徳島マラソン」出場の為に何度か練習に走っています

それが12月に行われると思っていた僕らも出場予定だったんですが4月は「山旅」に出ているので参加は出来ません でも走りたい。今どの位走れるのか知りたい。けど自分達だけで行く勇気も無い59歳です。

二人のお陰で「阿南高専」(学校)のグランドへえみちゃんのオペルに乗せて貰って行きました

美由紀の記憶では2001年に日本へ戻った時ハーフマラソンが鳴門市であって二キロ走ってリタイヤしたのが最後だそうです

その時は有名ランナーに惑わされて初めにスピードを上げすぎ失敗した思い出があったので少し練習をしている二人に惑わされないよう自分のペースで走りました

一周が400メートルなんですが約半周遅れましたが12周(二人は13周)してまだまだ走れる余裕をもって終了しました

帰って一緒にありあわせの鍋を(ビリーの運動するDVDを見ながら)食べ「今度はもっと走ろう」と約束して解散

一昨日から多量に水やお茶を呑み汗と小便を出すので指の腫れは殆ど無くなってきました

そんな具合で一日中動き続けたけど愉しい愉しい一日でした。

みかちゃん、えみちゃんありがとうございました
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見晴らし最高

2008年01月17日 17時57分06秒 | ヨット世界一周クルージング
住居がある徳島県阿南市には「阿波の松島」と呼ばれる「橘湾」があります

ヨットホロホロ3世が世界一周に出かけたのはその湾の奥のほうにある港なんですが、その橘湾には沢山の小島がある上に四国島最東端の蒲生田岬とそれに並ぶように椿泊埼があってかなり複雑な地形となっています

そのうち人が生活している島は二つ(伊島、小勝島)だけです。他の10個ほどの島は「無人島」ですが木が繁り生活をしようと思えば出来る位の島も幾つかあります

そんな橘湾が見渡せる「津の峰山」に今日は南側の橘湾側から登ってきました

南側のコースは中腹の展望所から表参道、裏参道と道が分かれていて周回できるようになっているのでこれも変化が愉しめてよかったです

頂上に津の峰神社がある良く行く山なんですが今日のコースは初めてです。

山の南側に住む退職者達の多くが毎日のように登っているようで今日も10人ほどに会いました

五合目まで車も通れる広さの道があるんですが皆下から歩いています。途中に湧き水(飲料水)が出ているところや展望所など綺麗に整備されて「公園風」なんですが愉しいハイキングコースです

特に展望所兼休憩所から見える橘湾や紀伊水道を挟んで対岸の和歌山県の海岸線も
複雑で非常にいい感じです。

頂上に行った後そんな展望所まで下ってオニギリとラーメンを食べて下山しました

昨日痛風が出てからから食物の制限と食べる量の制限をしています

水をたっぷり飲んで沢山汗と小便を出すと調子が良いようです

振り返れば去年の6月、ホロホロ3世に乗って日本へ帰りついた時の体重は64キロでした。

ところが半年しか経っていないのに73キロになっています二ヶ月近く山旅に出たにも関わらず・・・

日本に居ると色々な食材が溢れているから・・ついつい買ってしまい買ってしまうとついつい余分に食べてしまいます。 そして日本で生まれ育った我々には全般に外国で手に入る食材と比較にならないくらい味が合うのです。

宴会も多くなり、そのときも加減が出来ると良いんですがぼくの場合目の前にモノがあれば無くなるまで食べてしまうんです

日本に住んで太らない為には強い意志が必要です

しばらく「一汁一菜」を心がけ「減量」します

写真は展望所(山の中腹)から見た橘湾です。綺麗でしょ
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恐怖の鷲

2008年01月16日 17時59分09秒 | 日本三百名山に登る旅
「亭主元気で留守が良い」と言うかと思えば最近は「恐怖のワシ」などと世の女はうまい言葉を流行らせているようです

昨夜の「フグ宴会」は予想通り美味しくて愉しい集いとなりました

今治会長、八十氏、テク近藤氏夫妻、大川氏、みかちゃんと我が家は美由紀と僕 飲酒運転が出来ないのでお酒を飲む人は帰りが大変です。

近藤氏は汽車で来てよしえちゃんの運転で帰り、八十氏は代行で・・

ほんとに「宴会」に参加するのも「大仕事」で皆さんご苦労さま&有難うございました

何時の宴会も最初から最後まで食べて呑むのは僕です。愉しいから止まらなくなってしまうのです

そんな具合で日が変わるまで飲んで食べてバスで眠りました。

朝七時半目が覚めました。 それも「手が痛い」ので目が覚めたのです

美由紀はいつ起きたのか居ませんでした。 そして痛い手を見ると両手の指の関節が赤く腫れていました

僕の兄弟は二人共「痛風」で以前から僕も何度か右足の親指が腫れて痛くなることはあったのですが・・・初めて手の指にやってきたのです それもいきなり全部の指に

最近はプリン体が少ないということで焼酎にしていたのですが・・昨日はいい調子で近藤氏と八十氏が持ってきてくれたビールをかなり呑みました

年明けから3度目のフグ鍋はプリン体が凝縮された肝を溶きこんで多量に食べています 

僕が美味しいと思うものは殆ど「プリン体」の濃度が高いのです。

慌てた僕は「運動しなければ」と昨日から「友達と山へ行く」と言っていた美由紀に「ワシも行く」と恐怖の鷲になったのです

そして鳴門の大山(オオヤマ)に行ってました。 その友達の主人は今年の3月で定年退職なのだそうですが有給休暇消化の為に今年から仕事に行っていないとのことでした。

恐怖の鷲の僕は二人の後から会話に入れず付いて行ってましたが・・・今まで朝送り出して夜に迎える生活は「自由な日中」というものがあったけど・・今は朝から晩まで、目が覚めてから寝るまで機嫌をとり続けなければならない上に自由時間が無いと・・そしてどっか仕事に行ってくれんかな~・・とそんな会話が聞こえて来ました

仕事に行っていた間、少ししか家に居る時間が無かった間旦那の機嫌をとって「いい嫁さん」をしていた人ほど大変なんでしょう。

解らないことはありませんが・・この上「息抜き」に買い物に行く時や友達と出掛ける時に「ワシも行く」と言われたら正に「恐怖のワシ」

でもねえ~・・・ずっと働いて家族を養ってきたんですから・・今までのように機嫌をとって貰わなくてもいいけど「邪魔物」扱いはしないようにお願いしたいですね~・・

10キロ山を歩いて水をたっぷり飲んでどっさり汗をかいたのが効を奏したのか少し痛みが和らいでほっとしています

それにしてもこの円高と株価の暴落は


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自分本位

2008年01月15日 16時41分40秒 | ヨット世界一周クルージング
今日は今晩の宴会に備え朝からフグを料理しました そして余りにも包丁が切れないので100円ショップで二種類の砥石を買ってきて
6本の包丁を砥ぎました

4本はこれも100円ショップの包丁です。 昔を考えると100円でこんなに切れる包丁が出来るとは思いもしませんでしたよね~

残る二本は刺身包丁で一つはプロが持つような20年余り前に3万円ほどした本物です。でも本物は身だけを切るのはいいのですがぶしょうをして骨を叩いたりすると簡単に「刃こぼれ」を起こしてしまいノコギリの様になっていました

 刃渡りが40センチ余りもあるからうまく砥げませんがそれでもかなり良くなったように思います

もう一つの刺身包丁はステンレス製でこれは数千円のものです。

元々僕は非常に不器用で男三人兄弟の中で何をさせても常に一番下手でした。特に刃物を研ぐのは極めつけでしたから大人になっても余りしたくない
仕事の一つなのです

随分前から美由紀に「包丁が切れん」と何度も催促されていたのですが・・「買ったらええ」と逃げていたのでした。

そんな「勇気が必要」な仕事をしながら思った事があります

時々人は僕に「好きなように暮らせていいなぁ」と言ってくれます。 確かにしたい事をして日々過ごしています。

でも・・でもです。「じゃあ貴方は?」と聞くとちょっと考えて「子育てがあるし、生活のために仕事をしなければ・・」と「したくないことをしている」ように答える人が殆どです。

本当でしょうか? 

本当に貴方が仕事をしているのは「子供にしてやりたい」と思うことをしているのであって結局自分がしたい事をしているのに気付いていないだけでしょう。


生活の為と言うけどそれだって「自分がしたい生活」の為にしていると思うのです。

そんな事を思うと生きている限り人は「自分本位」で自分がしたい事をしているだけなんだとはっきり解って気持ちが良くなります

嫌々ながら包丁を砥いだのは「美由紀に怒られない為」です。うちの場合怖いからねぇ~・・「保身の為」です 切れなくても飛んでくると危ないからねぇ~

場合によっては「喜ばせてやろう」と嫌な仕事をする事もありますが・・

でも結局ぶっちゃけた話しボランティアも仕事も遊びもみ~んな「自分本位」 自分がしたい事をしているんです。

そう思いません?  そう思うと何でも割合愉しいですよ

できればそうしている自分やそうさせてくれる色んな人やモノに「感謝」できるともっといいんでしょうが・・なかなか出来ません

包丁砥いでる姿が見えたから・・と松葉氏が仕事の途中で顔を出してくれました  

今晩の宴会に誘ったけど・・あの美人娘は先日家に
帰って「あのおっさんは異常じゃ」と言っていたそうです。 すこし迫りすぎたかな~・・・

今日はフグ宴会で多分いつも通り僕は呑みすぎてバスの中へ転がり込むなり爆睡状態となるでしょう。

そんなんで今日は早めにブログを更新しました 

じゃあ今から準備しま~す!!
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