outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

大晦日

2008年12月31日 18時29分47秒 | 退職生活
今年最後の日となり当然ながら今年最後の投稿となりました

今は二人だけでゆったりと大晦日の夜を過ごしています

朝から昨日柳田氏に貰ったタロイモの横に引っ付いていた小芋を植えました

今年最後の日に相応しい農作業

そこへ八十氏が鍋の材料を届けてくれてデッキでお茶をしました

美由紀は車を洗い僕は挿し木のヤナギに水をやり昼食

昼からは作業を止めて美由紀は買い物へ

僕は宴会室でタブネをして・・

買い物から帰った美由紀に刺身を造って貰って呑んでいます

今年は年頭から株価の暴落があり5~6月に少し持ち直したけれど10月からは大変な大崩れ

企業は赤字決算に下方修正。

多くの季節労働者や派遣社員が路頭に迷う酷い年の暮れとなりました。

以前から予測していた事ながら何一つ直接的に貢献できなかった自分を情けなく思っています。

そんな中今年も多くの友達に助けられ限られた予算の中で愉しく予定通り一年を過ごすことが出来たことに感謝しております

有難うございました

今年後半からの僕はアウトドアライフとは言えないように改造倉庫に掛かりきりました。

これは昔からの僕の計画で「60歳位で田舎に家を構えよう」が身近な持っていた土地に建つ倉庫の改造になったんですが・・・

何故まだまだ旅生活の予定なのに60歳位に田舎暮らしの家を考えたかの理由を言えば「木」でした。

木を植えておけば勝手に大きくなるのでその次ぎの計画の為に準備しておこうと思っていたんです。

それを今始めてみて予想以上に的中していたと感じます

都会に住む人でもしも夫婦合わせて年金が25万円以上あるなら退職金を投資して田舎暮らしを考えるのは良い考えだと思いました。

その場合家だけでなく必ずある程度の広さの畑が必要です。

出来れば総面積で300坪前後の面積が欲しいです。(余り広いと他の事が出来なくなる恐れがある。畑は100坪程度が適当??)

それともう一つ、最も大事なことは「仲間が作れる場所」だと思います。

同じ価値観を持つ仲間が近くにいてこそ人生は豊かになります。

「安い土地で広い敷地の中に小さな家を建て話しが合う友を周りに暮らす」それは退職公務員や上場企業退職者にとって難しいことではないと思います。

世の中はそれほど思ったようにならない事が多いものです。

しかし・・野菜を育ててみると「思うように育つ」事が多いんです

そうすると大変平和な安心した気持ちになれます。

退職後の人生の一つの選択として「田舎暮らし」は悪くないと確信した年でした。

僕の基本はもう少し「旅」なんですが・・・

それでは皆さん良いお年をお迎えください






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残り年数

2008年12月30日 20時58分12秒 | 退職生活
昨日植えた蜜柑やネギ、挿し木したヤナギ等に水をやった後今日は正月を控えているので車を洗う事にしました

最初に愛車(愛しすぎて殆ど乗らない)BMW-Z3を倉庫から出してタイヤまでしっかり洗って水をふき取っていたら柳田氏が寄ってくれました

デッキで先日作った自家製干し柿を食べながら話していたら・・・

柳田氏の両親は「二人共70代で亡くなった」と言う話になって・・・

それなら後十年で70代になるから残りが10年余り

などと非常に先が短い話で終ったんですが


次に最も有効利用している軽トラを洗い終わった時に娘が高松から帰ってきました

32歳になる娘だから「いつ結婚する?」と聞いたら「手相を見てもらったら35歳で出合いがある」と言われたとか

最近の若い女性は我が家の娘に限らず神は信じないけれど手相は信じているような・・

何はともあれ元気であれば良いんですが

昼飯を食べた後トイレへ徳島新聞を持ち込んで読みながらじっくり座っていたら・・

この暗い時代にご丁寧に益々暗くなるように一ページを使って今年亡くなった日本の有名人と徳島の有名人が紹介されていました

徳島新聞に勤めている友達もいるんですが・・・「もっと元気が出る記事は無いのか!」と叫びたいながら・・・読んでみると

70代で亡くなった人が意外に多い

僕は今まで自分は90代まで生きると信じ込んでいたんだけれど・・・こんな記事や話しを聞くとちょっと心配が芽生えてきます

残りが10年余りとなるとこれは全く的外れで生きていることになりますから

人間に限らず生あるものは必ず死ぬんですが・・・その死ぬ時が何時か全くわからないから色々な問題が発生します。

以前書いたかも知れませんが・・ある日本人ヨッティは両親や両親の兄弟が全て70代で死んだから自分もその頃に死ぬと80歳までにすべての財産を使いきろうと旅に出たのが70歳

ところが・・・僕と会って話した時は80歳でなを非常に元気でした。

しかし・・・本人も言っていましたが75歳になった頃余りにも自分が元気なので「もしかしたら80歳以上まで生きるかも??」と思ったそうです

そんな中で「でも死ぬ少し前まで元気なものだ」と思い返し「生きるはずが無い」と自分に言い聞かせながらお金を使ったそうです。

78歳になった時これはもしかしたら??と再度考え直し少し出費を控えたそうですが・・・

僕に会った時は「国民年金だから数日後に日本へ帰って仕事を探す」と言っていました

80歳になった氏が仕事を見つけたかどうかは知りません。

しかし国民年金では食べていけませんから・・・


その後久しぶりに甘利氏が寄ってくれてデッキでお茶

その後キャンピングバスを洗って今日の作業を終了して一杯飲んでいたら柳田夫妻が来てくれました

正月休みで子供が帰っているけれど皆出かけたそうで・・我が家もだけど大きくなると子供も親の処にいるより友達と出かけます。

色々な話をしていて・・・奥さんが言った一言が非常に心に残りました

それは・・「子供が大きくなって皆家を出てしまい寂しくなったけれど二人で心は豊かに過ごしている」

との事でした

「お金はないけど・・」と言うのが付いていましたが

これ以上に幸せなことは無いのでは?と思いました。

それについて考えて見たんですが・・確かに非常に仲良しの夫婦なんですが・・彼女は趣味と実益を兼ねて野菜を作っています。(本業は蜜柑農家)

殆どが土と太陽の力で小さな種から大きな白菜が出来たり、数え切れないほどナスやキューリができるのを見てきたからそんな平穏な心になれるのではないでしょうか

それは水戸黄門を見る時の安心感にも繋がると思うのですが・・多少の違いはあったりしますがほぼ想像通りの結果を体験できるのが野菜作りのような気がします。
(いつも頂くけれど彼女が作った野菜は想像以上に大きく立派に育っている)


僕は昔から年をとると「土を相手に」と思っていたので「正解」を感じました

残り10年余りは困るけど野菜を作ることで人はかなり幸せになれると思います。

そんな事を感じ考えた一日でした

やはり90までは元気で遊べると考えて「土や太陽と友達になる」野菜つくりも人生に欠かせない妙薬だと思いました

野菜を育てたことが無い方は「一つのプランター」からでも試して見てください。

きっと心が豊かな気分になれますよ
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今年が終る

2008年12月29日 19時59分29秒 | 退職生活
2008年と言う年が終ろうとしています

それと共に僕の50代が終ります

40代が終った時と違い60代になると言うのは二十代になるのと似たような感慨があるんです。(晴れて老人料金千円で散髪ができる

それは大人になったあの時、そして老人になる60代、世間の分類が変わる節目だからでしょうか?

僕が宗教を持たねばとあちこちに首を突っ込んでいた二十代の初め真言宗の坊さんから聞いて自分に誓った事が一つある歳に間もなくなります。

それは・・・

その坊さんもそうだったけれど・・・人間と言う動物は自然に歳をとる毎に欲深くなるのだそうです

しかし欲深くなってしまったら幸せにはなれないそうです。

そんな話だったんですが・・その時に単純な僕が「なるほど」と思って僕が決めたことを実行する歳です

すでに殆どしている事なんですが一般的な人は余りそんな事を考えずに生きていると思うので書いて見ます。(以前に書いたかも知れませんが)

それは60歳になったら絶対に「お金を稼ぐ事は考えず使うことだけを考える」という事です。

現実にそれに近い生活をしているんですが・・・これは名案だと断言できます

花咲爺さん、瘤取りじいさん等が子供の為に書かれた本で無いことが解ります。

これでニュースを聞かなければどれほど愉しく日々が過ごせるか・・と思うのですが自分が想像した社会に近づかないようにと・・・ついつい見てしまい・・そしてそれが年寄りの欲の為に最悪の社会に向ってしまっている

だから愚痴も言ってしまうんですが・・誰も年寄りに働くなと言わないばかりか年寄りに働くチャンスを与え若者にチャンスを与えようとしない

自分さえ良かったら・・自分の家族さえ良かったら・・で自分の幸せや家族の幸せは勿論、世の中が平和になるわけなんてありえないことなのに

僕等の二人の子供は世の中の間違った親と比べれば苦しい事も多いと思いますがいつか解るでしょう。

一番小さな人間は自分の事しか考えない人、次に小さな人は自分の家族の事しか考えられない人だそうです。

一番大きな人「世界の平和を考える人」に来年は少しでも近づきたいと思います。

とりあえず身近なところから「僕等が役立つならいつでも手伝います」を来年のスローガンに一生懸命遊びたいと思います

話は変わりますが今日は北海道から戻ったきみちゃんとよしえちゃんが寄ってくれて三時間ほどデッキでお茶を飲みながらお話しをしました

隣りのオジサンが畑の偵察に来たので色々教えて頂きました。(特にジャガイモ)

夕方大川氏がネギの苗を沢山届けてくれたので慌てて暗くなる前に植えました

夜は日本酒を3合ほど呑みました

ニンニク卵黄は神薬かと思えるほど効果絶大で今回も風邪を乗り越えました

31日の夜(12時過ぎてからだから一日)から初詣に行くことになりました

厄年だから厄落としの薬王寺(県南部美波町ここから30分ほど)へ行きます。

お寺だから「初詣」と言わない? そこらへんははっきり知らないけどそんなことに決まりました。








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弁解

2008年12月28日 18時46分16秒 | 退職生活
朝から張り切って川へ続く斜面の下のほうに200本位ヤナギの木を挿し木しました

これは増水で斜面の土が流されない為なんですがワラ芝だけでは不安だったので念を入れたわけです。

その後昨日買ってきたサクランボ、プラム、渋柿、次郎柿を植え終わったところへ大川氏がシイラを持ってきてくれたので・・それをフライ用に捌き一緒にデッキで食事

そこへよしえちゃんがプールの帰りと九州のお土産を持って寄ってくれたのでまたまたデッキでお茶をしました

ほんまに阿南市内で天気が良ければデッキでビーチパラソルを出してリゾート気分アウトドア気分でいる僕らを近所の人は「変人」と見ていることでしょう

夕方散髪に行ったついでにサツキの株を8本と早生みかん、文旦各一本を買ってきました

初めてサツキという実がならない無駄な木を買ってしまいました

だんだん普通に近づくのか?と心配です

が明日はそれを植えたいと思っています

話は変わりますが

ここ数日ブログに色々世の中の事を書いていますが・・・

家に居るとどうしてもテレビを見たり新聞を読んだりするのでストレスが溜まってついつい愚痴のようなことを思ってしまいます

やはり旅をしているのが精神的にいいようです

最近のブログを読んで公務員がダメだと思われるといけないので少しフォローしておきます。

間違いなく政治家の殆どは国民の現状が解っていないし打ち出す政策をみると先が見えていないし自分の事しか考えていないし、はっきり言ってダメだと思っています

公務員も確かに民間企業で働く人から比べると平均的に一般人が生涯貰う給料年金など3倍もの差があるにも関わらず本来の役目を忘れているし、一般の人達の現状が解っていないと思うんです。

これは恵まれすぎて「解りようが無い」のが現実なのですがこれは公務員が悪いのではなく「制度」に問題があるだけです。

最近ですが警察官が万引きをして「定職一ヶ月」など公務員を取り巻く世界はとても僕らが住んでいる日本の現実からかけ離れ別の星のようです

これらを決めている議会なるものがいかにいい加減であるかに繋がるんですが・・

まあそんなことで今日もまたストレスが溜まるような事を書いてしまいましたが・・・世の中不景気も加わり食べる事さへ不自由している人達が日本の中にも沢山います

どうにか食べていける僕らに出来ることは食べることにも困っている人達や子育てなどの為にどうしてもお金が必要な人達に席を譲り、あるお金や財産を計画的に消費して後世や自分達の将来が安心できる社会を残すことしかありません。

ただし人を雇用している会社などでその人がいなければ経営が困難な場合や後継者が無くなをかつ社会に必要な仕事など働く必要がある人達もいますから一口には言えませんが・・・

ボランティアの基本は「割合を考えたシェア」です。

欲張らず、食べ物を無駄にせず人の幸せを考えて皆が生きることが出来れば不景気も怖くありません

ただ・・来月末頃から凶悪犯罪が多発しそうなのが気に掛かりますね。

最近都会の金持ちはガードマンを雇って自宅の警備や子供の警備をしているそうでガードマンが足りなくて困っているとか・・・

そんな事をしなくていいだけ幸せと思いましょう



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世間様は・・・

2008年12月27日 18時00分39秒 | 退職生活
昨夜は「篤姫総集編」見ましたが総集編というより・・話しが早すぎて「横着編」と感じてしまったのは僕だけでしょうか?

篤姫も毎週見ていた時は面白かったけどな~・・・

「だんだん」も話しがどんどん進んだり殆ど進まなかったりする週があるけれどやっぱり毎日見るのがいいですね

でも・・来年まで放送はありません

僕も美由紀も毎日忙しく働いているのに世間では昨日が御用納めだったそうですね

昨夜のニュースを聞くまで全く知りませんでした。

そして今日の夕方車で走って見ると「県外ナンバー」を時々見かけました

徳島県と言う日本の田舎では何も無いから、することが限られ必然的に寝屋及びそれに類似するところで過ごす時間が今も昔も多くなります

その結果昔は沢山の子供が出来ました。(最近は生産調整しているようですが)

都会の人は考えもしないだろうけど・・・徳島の場合、県も市町村も阿南市を除いて大変貧しく県庁所在地の徳島市も破綻間違いなしの状態です

原因ははっきり言って殆どの人が汚職をするために知事や議員になるような(するためになったのかなったからするのかは難しいが・・)日本でも数少ない明治維新から比べて人口が増えていない県なのです。(日本に多分3県しかない)

政治に携わる人の考えが良ければ人が集まり増えるのは古今東西変わらないことなんですが・・・

それに付帯する公務員も・・上がダメなら下もダメ状態なのです


日本全国同じかも知れませんが・・「努力」していると思ったら県民や市町村民の為でなく自分の給料を増やす方法だけなのです

口先ではそれらしいことを言いますが・・・

でも上から下までだからどうしようもありません

でも一つだけ貧しい原因を弁解させてください

することが無くとりあえず無料のセック・をして出来た子供でも育てなければなりません

市町村は小学校、中学校と負担して行かせます。

高校になると県が負担します

ところが徳島県は政治が悪いだけでなく地理的な事もあって仕事がありません

最近まで経費を掛けて育てた子供の7~8割が県外へ就職していたほどです

働きはじめると税金を払うわけですが・・・それは働いているところで払います(最近手続きをすれば半分故郷へ払えるようになったらしいが・・)

これだけならまだ良いんですが・・定年退職して医療費が必要になった頃に戻ってくるんです

徳島県を含め田舎の県ではそのような中で生きています。

確かに働いている間は住んでいる地域の世話になりますが・・・一生に払う税金を育てる期間を過ごした地域、老後を過ごす期間と地域にきちんと振り分けなければ余りにも不公平です。

東京都が偉そうな事を言っても支えているのは地方が育てた人材が多いのです。

大阪府はハシモトさんが頑張っていますが・・大阪で働く人の半数は田舎から出て行った人達です。

これで赤字になるなど大阪府やその下の市町村の長及び議員や職員がどれほど腐りきっているか・・・

徳島と比べどっちがどうと言えないけれど腐り切っていないと出来ないことです。

どうして人のことを考えて生きれないのか?と問えば宗教が無い国だからかも知れません

アメリカでもヨーロッパでも先進国では事業や個人の実力などで金持ちになった人達は必ずボランティアで殆どのお金を使い切ってしまいます

全てとは言いませんが殆どの日本人は美味いものを食ったり銀座で飲むことを自慢するだけの・・ケダモノ程度の哺乳類だと思います。

僕が食べ物番組「おいし~い」とか「まう~い」等と言っている馬鹿を見て腹が立つのはそれを全て食べない事が解っているからです。

食べることにさえ困っている人達が地球上に居る限りしてはいけないことだと思うのです

みのさんは多くのファンを持っているようですが・・銀座に行く話は聞きますがあの歳になってボランティアをしている話しを聞きません

まあ日本人は「島の人」だから狭いのも仕方がないのかも知れませんが・・・

今日は日本酒を呑みすぎて・・過激なことになってしまいましたが・・・僕の本心でもあるのでそのままアップします。

そんな事はないと思いますが・・悪く書いた関係の人の中にも一部はまともな人もいると期待していますし多分ひとかけらでもいるでしょう、きっといると思います

そんな人がいたらゴメンナサイ

そうそう今日は果樹を4本買いました

一本998円で渋柿の愛宕と甘柿の次郎、サクランボの佐藤錦とプラムです

後は梅、もう一本サクランボ、桃なぞを考えています。

相変わらず実が成る物ばかり、僕はやっぱり花だけと言うのは・・・納得いきません。

「花も愉しみ実も愉しむ」これが基本なのです

ただの貧乏症ですが

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定時に終了

2008年12月26日 18時31分09秒 | 退職生活
寒い朝でした

ADSLの機材を返送するのにだんだんを見た後家に帰りました。

人が住んでいない家、荷物が少なくなった茶の間を見て見捨てたようで可哀相、寂しさを感じました

倉庫に戻って荷造りした後、先日から飾っているホロホロ三世で世界を回った時の写真を額があるだけ壁に取り付けて飾りました

全部で50枚近い写真が飾られていろことになります

この写真を飾るのは美由紀も気に入っているようで友達が来た時など見せたりしています。

そして今日美由紀が「これも飾って!」と一枚の写真を持ってきました

それはヨットには無関係の丸沼高原スキー場で写し引き伸ばしたものでしたが・・・逆らうことは出来ないので・・航海の写真を外してそれを入れて飾りました

歳と共に僕の頭の毛も細くなってきましたが・・・オンナも歳をとると「切れやすく」なるようで・・

まあそれは置いといて・・・その後作業場で工具や色々な部品を整理して・・板に工具を掛けるために木ネジを入れていたら五時半。

まだまだ一部しか出来ていませんが・・寒いから定時で終了

暖房を入れてコタツでパソコンに向いました。

前にはビールと干物を焼いたものがあります

それを呑みながら食べながら書いているんですが・・篤姫総集編を見たいのでここらで今日は置きますね。


話は変わりますが・・・日本海側や北海道では雪と強風で大変なことになっているみたいですが皆さんに被害はありませんでしょうか

お見舞い申し上げます。








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振り込め詐欺に感謝

2008年12月25日 20時42分20秒 | 退職生活
今日の阿南市は穏やかないい天気でした

去年塗った倉庫の扉が工事で傷んだり手を入れてもらったりして「錆び止め色」になったり剥がれたりしていたので部分的ですがペンキを塗りました

その後先日から取り掛かっていた工作場に台や棚、コンセントの配線をして夕方にはほぼ完成しました

残るは前面の板に工具が掛かるようにビスを縫い付けるだけです。

今日のタイトルですが・・・

しばらく前から流行している「振り込め詐欺」についてです。

世の中には悪いと解っていても食べる為にしなければならない人もいるし、好きでする人もいるし、楽して儲けようとする人もいて同じ悪いことでも色々な動機があります

確かに振り込め詐欺は悪い事で奨められるものではありませんが「嬉しい事に」人を傷つけません

この被害にあって亡くなった人がいるとは聞きませんが後後の生活に困る人はいるかも知れません。

でももし貴方が40歳で奥さんや子供が居て突然職を失ったらどうします?

一人ならホームレスにもなれますが扶養家族がいたらそれも出来ません

これは今現実に起きていることなんですが・・死んではいけません。

人は命ある限り生きる義務があると思います

生きるためにする悪は悪ではないと思うのです。(追い込んだ人は悪です)

例えば僕が山に登っていて道に迷い死ぬかも知れない状況になった時なら発見してもらう為に例えそこが国立公園であってもそこらじゅうの木を切って火を焚くでしょう。

何でも食べれるものがあれば採るでしょう。 死んだ人がいたらその肉も食べなければいけないと思うのです。

「生きるため」「死なない為」にです。

でも出来ることなら人は傷つけたくありません。

現実に経済活動の殆どは人や生物を傷つける悪ですが生きるために仕方がないです。

何故「振り込め詐欺」に感謝するかと言えばもしも振り込め詐欺が無かったら直接的な行動に出るしか無いからです。

それは殺人だったり強盗だったり誘拐だったり恐喝だったり窃盗だったりします

そして現実に振り込め詐欺が多くなってお金の為の凶悪犯罪は減っているそうです。

振り込め詐欺はお金がある人しか被害を受けませんし命を奪われることもありません。

もしも振り込め詐欺が出来なくなったとしたら・・・この大不況の中それでなくても僕が以前から心配していた凶悪犯罪が多発しそうな状況なのにそれこそ道も歩けなくなります

だから「感謝」なのです。

「騙される人に感謝」なのですが・・・

そんな事を思いながらブログを書く前にメールを見ると「誘惑のメール」が入っていました

去年6月ホロホロ3世を日本へ乗って戻ってすでに一年半が過ぎました。

ヨット「コロンブス」とはオーストラリア、マレーシア、タイ、フィリピンで何年間にも渡って何度も同じ泊地に泊り、一緒に飲んだ事も度々でメールのやり取りもしています。(最後に会ったのは一昨年のフィリピン)

暫く連絡が無いのでどうしているのかと思っていたらこのメールです。

ヨッティらしい「寝た子を起こす」ようなメールです

興味がある方は長い文章ですが読んでください 



Hello everyone, Ho Ho Ho greetings from South Africa.We really hope everyone has a lovely & safe xmas.Yesterday was the Orphans Christmas Party here at Zululand Yacht Club at Richard's Bay yacht Club. It is a wonderful club with pool and miles of lawn and trees, there were mobs of wonderfully happy kids bouncing, swimming, running and yelling all day. Best of all, there is a huge air con bar room with big screen TV. So we were able to escape the 38C temp & festivities and enjoy the cricket. We are loving South Africa, it is almost like being in Australia. The people are overwhelmingly friendly, the lady who owns the laundry is my new best friend and has taken me shopping and to the movies and all sorts of lovely girly things. The locals are very sports aware, especially against Oz and NZ . I have been having quite regular visits to a lovely dentist and Friday was my last visit for the extraction of the offending molar, as I walked into the surgery both the Dentist and his Assistant announced that they would not be using anaesthetic that day unless I could convince the Aussie Cricketers to co-operate & let S. Af. catch up!! We have only been in South Africa for a few weeks and have caught up with lots of old friends. Some yachts we haven't seen for many years, they have found themselves enjoying life here so much they are staying. Our dollar against the Rand means we have lovely spending ability, combined with our first time in a MALL for about two years so I am making the most of it. All the shops have walls and most even have a Door!! South Africa has wonderful shoe shops... and a MacDonalds. Yippee! I am a happy girl. One of the nicest surprises has been seeing our dear friend Glynn from the big yacht Deja Vu. Sadly her husband Colin was killed in a yachting accident off the Australian coast earlier this year. Colin was a rear commodore of the Zululand Yacht Club and one of their sons lives here still. Glynn sailed Deja Vu from Gladstone back to Kota Kinabalu in Borneo, her future plans are understandably vague but she thinks she will stay in S. E. Asia with the boat for the time being at least. Glynn looks really well and is enjoying the company of young grandchildren and friends here for xmas. In our minds and many of her friends here in South Africa she has been promoted to legendary status. This last year has been great fun for us. We began with a safari. My Mum joined us in Tanzania and we did lots of stuff, Zanzibar Island, sailing on Columbus, Eating in local restaurants (great food plus lots of dust and cats), learning to speak a little swahili, the highlight of her visit was definitely The Serengetti . It was wonderful, you can not believe the amount of animals. We saw them all. Amazing to see Elephant up really close, and so many Zebra we were sick of them, Giraffe wander across the road in front of the vehicle, man are they ever a weird looking animal. We were able to witness part of the massive wildebeest migration. We only saw only pair of Lion but hundreds of Hippo, and even a Leopard. The highlight was a hot air balloon safari where Mum spotted a cheetah feeding - We saw heaps of game from the balloon and then set down to have a fabulous silver service champagne breakfast under a solitary plane tree. Our pilot was a lovely young Aussie guy and his parents happened to be in the balloon with us. Mum was chatting to them - as she does - and it turns out that many years ago they lived at Salt Creek, a tiny windy desolate community about 100kms from where I grew up. Only my Mum could travel 6000 miles across the world, be in the middle of deepest darkest Africa, on the the remote Serengetti plains, in a balloon at 0400am in the morning with 8 complete strangers AND Mum knows 2 of them.. Really nice to share such a lovely experience with Mum. In April we sailed down the Tanzanian and Mozambique coast in company with Heinz and Patricia on their catamaran Papagena, (they definitely won the fishing competition) We had some adventures sailing with a catamaran, at one point we were seriously on tip toes and had about 10cm of water under our keel! but must agree it did save us about 20 miles sailing around that island. Lots of lovely day sailing and sheltered bay and islands and more clear water and seafood. We spent 1 month in the French Territory Island of Mayotte where we caught up with The Barnacle C's, we climbed a mountain (it was huge but John still insists it was a small hill, we ate loads of baguettes and cheese and learned to drink pastise while we waited for a new autopilot to be air freighted in. Then a short sail on to Madagascar, we really enjoyed both of these countries. Our abysmal french did improve slightly, well just enough for us to be able to order a beer at a bar and to be able to leave the market with almost what we wanted. Madagascar has lovely beaches and seafood, one of a bag of prawns we traded for a large glass jar was 23cm long. We had regular visits from dolphin, plenty of whales up really close, while we were at Cosmeldo atoll a whale fell in love with Columbus and spent several hours cuddling and smooching our hull. We played with lemurs, and giant tortoise and swam & snorkeled in crystal clear water, I spent a week on our friends luxurious and spacious catamaran Amarula to babysit my friends Chui and Scrumpy ( Jack Russell's) whilst Eric & Lynne went off on safari. ho hum. From Madagascar we went back to Tanzania and after 6 months away it was like coming home, great to see familiar faces again, the Dar-Es-Salaam yacht club is very welcoming. In fact I am certain we spent much more time at the bar than we did on board Columbus. During one of the many Happy Hours our friends on our sister ship "Strong Legs" suggested we join them and sail in company down to South Africa. Ha Ha Ha, everyone knows we are definitely returning to Asia early in 2009. HA HA HA ! Well Yachties plans are set in custard ( the warm and lumpy kind) so here we are in South Africa after a quick and almost uneventful trip in the 2 to 3 knot current down the Mozambique Coast. (too boring to go into details but we had to be towed into Richard's Bay by the Rescue Boat in the middle of the night whilst a 30 knot Southerly storm raged and our almost new engine wouldn't start... BUGGER! The Port Control wouldn't let us sail into the largest coal loading port in the southern hemisphere whilst huge ships are maneuvering!! how civilized is that!) We are now gathering charts for Brazil, from there - who knows. There are two events happening next year which might see us both redeem some frequent flyer points and return to Oz briefly. My gorgeous niece is returning from Holland with her bloke for her 30th birthday. I am really hoping we are not halfway across the Atlantic Ocean in February and can join her and my family in Lucindale for that party. And Fitz has a reunion of sorts he would love to attend. About 40 years ago someone took a snapshot of a few very young men dressed in army greens having a beer before departing for Vietnam. Fitz was about 23 years old and by far the oldest in the group, anyway all the surviving blokes have been tracked down and a reunion is planned on the gold coast in mid year. He would love to attend but who knows where we will be and even if there will be an airport in the vicinity. . Must go and bake myself a birthday cake. I dont mind Christmas zooming around again so quickly but am becoming very alarmed at how rapidly my birthday seems to appear these days. Best wishes to everyone for a lovely safe and happy christmasWe will be sure to raise a toast to you alllive it up and lotsa luvfrom Trish, Fitz, Banjo and Trim.xxxxxx

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倉庫で初夜します

2008年12月24日 17時37分34秒 | 退職生活
今日は軽トラで二度荷物を運びました

朝は布団を二組と電話とパソコン。

電話番号は光電話になったけど番号は同じです

布団を干して昨日大川氏に貰った魚を外流し台で調理

ウロコが飛んでも気にしなくていいからいい調子です。

そこへ近藤氏が来て一緒にデッキで刺身昼食

すぐに近藤氏は帰って残った僕はパソコンに向かって接続を試みたら簡単に出来ました

それですぐに美由紀と家に行って机を二つ運んできました

パソコンをする為の机なんですが・・・

実はその机は「学習机」なんです

子供が小学生になったときだから二つとも30年近くも前に買ったものです。

高さは調整が効くから問題ないのですが・・・全ての引き出しが狭いです

でもまだ使えるから・・・「もったいない」と思ってここにも持ってきてしまいました。

実用のみを考えれば学習机でもシリコン細工でも結構いけますよ

人が見たら・・・何と思おうと構わないんです。

多分死ぬまで?ここにいる間は使うでしょう

でも引越しをしていると・・・絶対使わないだろうと思うものが殆どなんです

捨てるのは勿体無いし・・オークションにでも出品したら欲しい人が居るかも??などと考えてとりあえず倉庫に入れています

そんな暇は無い様に思うんだけど・・・

まあ何はともあれ布団も来た事だし、今夜はここで試しに寝てみます
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基準

2008年12月23日 21時09分54秒 | 退職生活
朝からクシャミが連発でした

先日水はけの為に積んだブロックの上部を水が入らないようにセメントを練って左官屋さんをしヨットクラブで貰ったポリバケツ4個を洗っていたら水洟が垂れ始めました

どうやら風邪を引きかけているらしいと思ったので慌ててここ暫く引越しの為飲んでいなかった自家製「にんにく卵黄」を探して二粒飲みマスクをして昼からは安静にしてました。

夕方に大川氏が釣りに行っていたとメジナ他の魚を届けてくれて一緒に晩飯

ボクシングを見て今家に戻ったところです。 

両者が死に物狂いで頑張ったいい試合でしたね

でもチャンピオンにならないと食べることさえ出来ない世界だから・・あれだけ頑張りながらも負けた挑戦者は可哀相に思いました

最近の僕は改造倉庫に掛かりきりです。

その甲斐あって随分進んではいるんですが・・・

「結局お金があるから・・・」という声を聞きます

そう言われると返す言葉がないんですが

僕がそれなりに色々と考えて基準にしているのが「公務員や上場企業に勤めて定年退職した人」なのです。

このような人達は大体退職金が二千万円はあり年金も平均すれば夫婦で25万円以上あります。

にも関わらず定年退職後も若い人達に定職を与えようとせず自分さえ良かったらとの考えで前職を利用した仕事をし20代から40代の半数の人達を派遣やアルバイトに追い込み、結婚も出来ない、子供も作れない将来がない生活をさせています

そんな人達全員が席を譲り僕のように過ごせば全ての若い人達に安定した仕事が回り、結婚も増えれば子供の数も増えるんです

そして我々退職者の将来も安心です。

今年の場合こんな年末に首になった派遣やアルバイトの人達は仕事があってさえ食べていくのにやっとの給料しか貰っていないのに・・犯罪をするしか残された道が無いところまでこのような自分勝手で強欲な人達が追いこんでしまっています。

だから僕はそれだけあれば、これだけ愉しく遊べると言う見本をしているんです

年金が25万円ある人は90までに一億円近いお金を受け取ることになり預貯金が一円も無くてもそれだけ持っている以上の財産があることになります。

何故なら100まで生きても110歳まで生きても年金は受け取れるし早く死ねばお金は不要だから何も心配は無いわけです。

年金が減らされる心配をする人もいますが・・それより定職につけて年金を払える人を増やさなければいけないと思うのです。

実際に上場企業が少ない徳島県の場合だと2千万と25万のような人は都会に比べると少ないのが現状です。

そして同じことは出来ませんが年金がもう少し少なくても僕は愉しく生きることが出来ると思っていますし自信があります。

倉庫を改造したのは想定していた「田舎暮らし」(日和佐川沿い)を止めてそれに近い事がたまたま持っていた土地で出来ると思ったからです。(予算も少なくて済んだ)

ヨットで長期航海をしているときの生活をすれば殆どお金は要りません。

そして実際にそんな不足や不自由を愉しんでいる人もいます。

それで地球環境を考えている人もいれば実際に必要があってそうしながらも愉しんでいます

60歳を過ぎた人がしなければならないことは一つだけだと僕は思っています。

それは次の世代、将来の国や世界を担える人達を育てる為に身を引く事だと思います。

身を引いて何をするかは人それぞれですが・・・それは与えられた事をこなすだけや対応するだけの馬鹿でも出来る仕事のような簡単なものではありません。

自分の資産や入って来ると思えるお金を計算し、その中で出来ることで愉しそうなものを見つけて計画的に生きなければなりません。

人のお金なら簡単に出来る公務員は多いようですが・・・今度は自分のお金で30年先までの予算を組み、立案し、計画し、実行するのです。

そして僕は最後にゼロになるようにと考えながら生きています

常に人は何事であれ一つしか選べません。

そんなことで今の僕が選んでいる基準は「お金がある」と言われても仕方が無い公務員や上場企業で定年を迎えた人なのです。

多分経済的に実際の僕はそれ以下だと思いますが・・・

何度も繰り返す事になりますが、我々がしなければならないこと、残さなければならないものはお金や財産でなく安心して暮らせる社会だと思うから。

我々が遊んだり消費して内需を増やしそんな仕事を増やして発展途上国のような輸出に依存した経済から抜け出しましょう 

もしかするとこの国では「贈与税」や「相続税」を一律に8~90パーセント掛けないと強欲が消えず内需が進まないかも???

まあ世界の平和や国民の将来のことより自分の地位が一番大事な強欲な政治家達が大問題ですが・・・












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二日続きの宴会

2008年12月22日 23時19分17秒 | 退職生活
昨日の事ですが・・・

板を買ってきて工作スペースの製作にとりかかりました

しかし仕事が進まないときはいつも思うのですが「ヨット生活が長かったから」とにかく仕事のペースが遅いんです

そうこうしているうちに八十氏がトレトレのサバとアジを沢山届けてくれました

それを見たら・・家に帰るより「呑みたい」気分が勝って早速新鮮サバの刺身で呑み始めました

そこへ大川氏が渋柿を届けてくれて一緒に刺身を

まもなくかっちゃんも加わり・・・バスで泊まりました

今日は工作場の製作に頑張ろうと朝から張り切っていたんですが・・・

K氏が県外の森田氏と共に倉庫ハウスを見学に来る事になって・・

昼前から準備して・・鍋で呑み始めました

通常僕は午後四時を過ぎないと呑まないんですが・・・県外からわざわざ来てくれたら呑むのは仕方がないことです

しかし・・この酒が効いて昼過ぎから寝てしまうほどに

「昼の酒は効きます」

4時に二人が帰って僕も起きて倉庫の掃除をしたら辺りは暗くなり始めていました。

そこへ八十氏が

そして呑み始めたら・・・柳田夫妻がみかんと野菜を持ってそしてみかちゃん、大川氏と次々に

賑やかになって益々調子が良くなった僕は・・・結局呑むのは八十氏と僕の二人なんですが

最後に八十氏を迎えに来てくれたなおみちゃんと二人の娘

八十氏の家族は全員何度も会ってよく知っています

そんなんで色々と長々と酔った僕と八十氏が喋っていて今になりました。

家族の皆さんほんとにいつもすみません

そんな具合で昨日はブログがアップ出来ず、今日は昼から酒に溺れて遅くなりすみませんでした

八十氏から色々話を聞いて・・弁解がましいことも書かなければならないと思うのですが今日は酔いがかなり強いので後日にさせて頂きます

もう駄目です。風呂も入らず寝ます
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長距離航海から学んだ?

2008年12月20日 20時55分24秒 | 退職生活
ホロホロが世界一周をしていた頃の最長航海日数は日本からハワイまでの間で37日でした

次に長い航海が20日ほどのガラパゴス諸島からマーケサス諸島(タヒチの東)の間とクリスマス島(オーストラリア領)からスリランカの間そして大西洋横断が16日で他に何度か一週間から10日程度の航海がありました

このようにヨットの航海では全くのように他の船や人に会わないし島影も見えない日が続きます

別に寂しくもなく苦しくもなく日々が日常的以上に規則正しく流れていくんですが・・・一つだけ「覚悟」が必要になります。

その覚悟とは「何が起きてもヨットの中にあるもので解決しなければならない」と言うことでした

そして現実にヨットの航海では次々に問題が発生します

電気屋さんをしたかと思えば大工さんもします

鉄工所もするし機械屋さんも冷蔵庫屋さんもFRP屋さんもお医者さんもします。

「しなければならないからする」訳ですが・・元々出来たのではなく問題が起きてその度にその技術を自己流だったり無線で教えて貰いながらするんです

そして身に付いた事は「とりあえず用を足す」程度に回復させる事でした。

ところが・・・14年間も続けているとこの習慣が抜けません

だから今も何でも自分でするんですが・・・とりあえず用が足せる程度なんです。

そこには美も無ければ格好良さもありません

今日アスファルトの終わりに雨どいで水はけの為の側溝のようなモノが完成してそんな事を感じました

今まで外回りは全てプロがしていたからそれなりにすっきりしていたんですが・・・

これからは皆僕がするから「とりあえず用が足りる」程度の物がだんだん増えてホロホロ同様「見るに耐えない」ようになる予感がします

でも・・実用的?なんですよ


今日の作業はその側溝(雨どい)の端に太い塩ビパイプを繋ぎ排水が出来るようにして周りを埋めて仕上げました

勿論雨どいとパイプの接続はシリコンボンドです

外置き調理場の横にブロック五つを一段並べてコンクリートで固定して調理場を洗うのに多量の水を使っても水が全てその側溝に入るようにしました

ワラシバから小さいながら芝の芽が出始めました

そこで前回ワラシバが少し足りなかったところへ先日竹田氏が持って来てくれたワラシバを張りまだ足りない場所へ種を蒔きました

これらが全て育ってくれると大雨が降って増水しても川へ続く斜面の土が流されなくなるんですが・・・

でも芽が出るのが解ったので暖かい日にはしっかり水をやろうと思っています

冷蔵庫が移ったので三食全て倉庫で食べて風呂に入ってから家に戻りました

24日のクリスマスイブから倉庫で眠る予定。

月曜日が「大安」なのでご近所へ引越しの挨拶をしに行きます

そんなことで確実に新年を倉庫で迎えることが出来る事になりました





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シリコン細工

2008年12月19日 20時09分51秒 | 退職生活
今日は引越しで最大の悩みだった冷蔵庫の移動が完了しました

朝八十氏から「若い衆を二人送る」と電話があったんです

八十氏の会社には八十氏を含め力自慢が揃っています。

そんな二人が来てくれたから・・・予想より遥かに簡単に移動、設置が完了

これで残るものは・・ピアノを除いて美由紀と二人で運べるものばかりになりました

ピアノは二階の窓から吊り込んだのでクレーンがないとどうにもなりません

これは最後にしようと思っています。

さて昨日からやっている前面の側溝ですが今日高さを決めて仮置きが出来ました

明日はその側溝となる「樋(とい)」の端に排水パイプを繋ぎ全体をシリコンボンドで固定します

そのシリコンボンドですが・・昔は結構高かったけど最近は安い物も多く僕は常に一本298円のセメダイン製シリコン8000?を使っているんですがこれが兎に角優れものです

バスの改造時も多用しましたしヨットでも良く使い、家でも罠でも飼育容器でも兎に角何でもかんでもシリコンボンドを使います

貼り付け、防水は勿論、穴塞ぎ、固定、補強、修理など一度乾くと水に濡れても強く、紫外線にも負けません。

僕の過去を振り返るとシリコンボンドの前は「エポキシボンド」でした

これも固まると石の様に硬くなり強いですが値段が高く二液を煉るのに少し時間が掛かるのと作ってしまうと急いで使わないと固まってしまう弱点がありました

それでも優れものだから今でもシリコンより硬く固定したい場合などに良く使います。

エポキシボンドの前は「針金」と「紐」とビニールテープでした。

何でも針金や紐を使って固定していたので今でも針金細工、紐細工は得意ですが・・昔から比べると随分利用する機会が減っています

シリコンボンドやエポキシボンドは僕らが子供の頃はありませんでしたし・・

世の中を変えたインターネットや携帯電話位僕の中でシリコンボンドとエポキシボンドは僕の工作を変えています

僕を支えていると言っても過言ではないのです。

そんなシリコンボンドですから・・随分使いますのでいつも買うのは10本入りの箱です

我が家、我がヨット、我がキャンピングカーに来たら探して見て下さい。

僕が加工したほとんどの場所ではシリコンボンドが使われていますので

やがてシリコンボンドの魔術師と呼ばれるようになるかも??

あそこにも・・シリコンでも入れましょう

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金田夫妻来徳

2008年12月18日 19時59分51秒 | 退職生活
暖かく穏やかな一日を土工してました

昨日のことです

朝に到着すると思っていたヨットラー三世の金田夫妻が改造倉庫に到着したのは午後3時を過ぎていました。

それまでの僕らはそれぞれに・・もう植える場所が無くなりかけているのに美由紀は飽きもせず花を買ってきては植えていました

僕は運んだ荷物を下ろして壁に飾る写真を額に入れているときでした

金田夫妻の家は那智勝浦(紀伊半島の先端に近い)に近いところで阿南市まで海路であれば近いんですが陸路をくると結構距離があります。

そんな遠いところから四駆軽四箱バンを見事に便利に改造したキャンピングカーで途中3泊しながら来てくれたんです

何がどう見事に便利かと言うと後のハッチを開けると・・・

一つは引き出しになっていてその中にカセットコンロの他炊事用品が綺麗に納まっています

その下を引き出すとテーブルが出てきます

アルミ椅子を広げてそのテーブルを挟んで二人が座ればオープンエアーの気持ちよい食卓となります。

余程使い勝手が良いのかすぐに湯を沸かしたりしてコーヒーやホットウイスキーを愉しんでいました

あれの写真を写さなかったのは残念。

金田さん掲示板に写真アップしてください。 真似る価値絶対あります。

もう一つぐるっと周りを囲むカーテンこれも簡単に温度差を和らげてくれるしプライベートも守れて具合が良さそうでした。

先ず再会の挨拶。

以前大峰山へ登るのに金田さんの家に寄って一緒に登ったのが最後。その後電話やスカイプでは話もするしメールのやり取りはあるけれど・・じかに会うのは4~5年ぶり

顔色は以前より良いくらいだけど白髪がうんと増えて腹が出ていました。

倉庫の周りや中を自慢しつつ案内してデッキでお茶から始まりました

生憎曇り空で寒かったんですが・・・デッキの方が良いと宴会も外で始まりました

僕が自慢するのもあるんですが・・川をすぐそばに見下ろすロケーションは気に入ってくれました。

寒くなって中に移動最後はキノコ汁でご飯を食べて僕はバスで金田夫妻は自前のキャンピングカーで眠りました

なんで改造倉庫で眠らないのかと不思議に思う方もいることでしょうが・・

僕は出来る限りヨットやキャンピンカーなど何処へでも出かけることが出来るモノの中で眠るのが好きなんです

だからほんとは家なんて無い方が愉しいんですが・・「人の目」と言うのもあるし・・美由紀はやっぱり家のほうが良いというので仕方がないんです

まあ今回の改造倉庫は養殖設備や外付け調理場、デッキなどがあってこれらはヨットやキャンピングカーでは難しいので結構気に入っていますが・・

そして今日は朝食の後金田夫妻が帰ったので先日から気になっていた作業に取り掛かりました

デッキの下から川の方へ約一メートルほどは舗装しています。

そこから前は土の状態で平らな部分が少しあってそれから斜面が川に続くんですが大量に水を使ったり多量の雨が降ると舗装された部分を流れた水が土の部分へ行き一番低い場所から谷のように水が流れて斜面が削られてしまうんです

それで対策として舗装が終わる部分に側溝を造って水を一箇所に集めてパイプで川へ流そうと考えたんです

今日はツルハシで溝を掘って・・色々考えた末「角雨どい」を繋いで置くことにしました。

後二日ほど掛かりそうですが・・これで斜面の崩れが少しは無くなるように思います

土曜日と日曜日に本格的に引越しをしようと八十氏、大川氏、近藤氏、かっちゃんの四人に手伝いのお願いをしました

問題は去年大変苦労して入れた大きな冷蔵庫です

また家のドアなどを外す作業から初めなければなりません

他にも大きなものがあって引越しは大変です

今日は晩御飯も倉庫のほうで食べて初めて風呂も使いました

普通のシステムバスで狭いですが・・・新しいのは気持ちが良いです

今日も3食倉庫で食べたけれど明日もその予定。

だんだん倉庫での生活が多くなっています



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外流し台が完璧になりました

2008年12月16日 20時21分50秒 | 退職生活
朝荷物を積んで倉庫へ向かう途中に「花房厨房」の社員から電話がありました

実は昨日社長から電話があって暇があれば調理台を届けてあげると言ってくれていたんです。

そして間もなく届きました

今までの外置き流し台も大きな「洗い場兼調理台」と仕上がった「料理を置く台」があって一般的には充分なんですが、僕らは将来的にイノシシや鹿、カジキマグロなどまで解体したいと思っているので先日の改造倉庫初宴会の時三村社長に「イノシシが解体したい」と言ってお願いしたんです

そしたら「大きいのを上げる」と言ってくれていたのが届いたわけです

それは勿論オールステンレス製で長さが150センチほどあり奥行きもあるので何を持ってきても料理できます

場所を決め高さを調整して水がきちんと流れるように出来てから隣の退職者主夫おじさんとしばらく眺めていました。

これほど立派な外置き調理場がある家は日本広しと言えどそうは無いでしょう。

早く何か大物を捌きたい

この流し台セットは川を見下ろす広いデッキと共に我が改造倉庫の目玉となりました

明日和歌山からヨットラー三世の金田夫妻が来てくれることになっているので倉庫部に少し飾りつけをしておこうとホロホロ三世で世界を巡った時の写真を額に入れて10個ほど壁に飾りました

これで倉庫の雰囲気が随分変わり喜んでいます

それから外付けトイレの中へ出し入れできるように太い竹に花を植えて置くようにしました

将来的にはもう少し太い筒に花を植えたほうが良さそうですが・・

毎年送ってくれる岐阜の高橋氏の「吊るし柿」(干し柿)にすっかりハマッタ僕らは大川氏の家で渋柿狩りをさせてもらって二階の屋根裏部屋のヒサシにそれを吊るすと季節感があって格好良いだけでなく、食料があると言うのは気分的に不景気を吹き飛ばす威力もあると、ヒサシに穴を開けてボルトを抜いつけ洗濯竿を通しました

明日はそこへ剥いた渋柿を紐で結んで吊るします

畑の端で隣のブロック塀沿いに試験的に三本だけ木を植えました。

またまた話は変わりますが・・・「退職後に家を建てる(改造も含め)」又は「移転する」について少し考えてみました。

普通の場合退職する年齢は60歳で60まで生きた人は90歳まで生きると考えてほぼ間違い無いと思うので30年あります

その30年を僕が20年過ごしてきたようにヨットやキャンピングカーで「旅を中心」に過ごすなら必要ないし逆に狭い方が良い位だし出来れば草が生える庭なども無い方が楽です。

何よりまとまったお金を消費してしまいます

一般的に考えるなら退職金を使ってしまう事になります

これも一般的に言うなら後の生活は年金だけでやっていく事になるのですが・・・

田舎暮らしのように安くて広い土地に家を建て野菜つくりやキノコ狩り、その他色々な漁などをして過ごすならお金は殆ど要りませんから年金だけで充分でしょう

それで普通の車にテントを積んで10日や20日間短期の旅に出ることはそれほど負担なく出来るとおもいます。

次に家は現状で退職後を過ごす場合、退職金を30年に割ることが出来それに年金をプラスした金額になるのでかなり余裕があることになります。

これだと世界中何処へでも長く旅も出来るし海外居住体験なども出来ます

ただし家に戻った時に出来ることが少ないと言えなくもありません

そんな事で殆どの場合は本人及び配偶者が何に重点を置くかになるんですが・・・

今までの僕は「旅中心」でした。

これからも当分は旅中心です。 にも関わらず倉庫を改造してしまい畑も作ってしまったので・・これからの荷物は重いです

これから先どんな負担になるのか解りませんが・・・最終的に言える事は愉しい人生は「友達」だと思います。

出来るだけ多くの人と友達になることがどちらの道を選んでも必要だとおもいます。

お互いが無理をせず出来る範囲でいつまでも続けられる「友達付き合い」が理想です

友達に生かしてもらっている僕が言うのも変ですが










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屋根の上に慣れました

2008年12月15日 19時46分46秒 | 退職生活
今日の朝の倉庫へ運ぶ荷物は「工具類」が入ったタンスと釣り道具がメインでした

今は35歳になる娘が子供の頃に使っていたキャラクターが描かれたタンスを今の家では工具、道具、小さな部品入れとして使っていました。

それを工作場とする予定の場所へ運び同じように使うつもりです

昨日得た情報を頼りに梯子を使って屋根に登りました。

殆ど怖さを感じなくなっていたので慣れとは凄い

そしてアンテナを調整しつつチャンネルを変えてみると阿南市ではこれ以上見えないだけの全チャンネルが見えるようになりました

ついでに南側が川だから台風の時「南東の風」が強く当たるだろうと考え支線を南東側だけ追加しました

これで多分10年は大丈夫でしょう

このところ改造倉庫に掛かりきっています。

僕がしていることは定年を迎えた公務員やある程度大きな会社に勤めていた人なら退職金と年金で出来ることをしていると常日頃言っているんですが・・・

今の改造倉庫的な事を都会でするのはかなり難しいと思います。

こちらは田舎だしたまたま倉庫があったから出来ただけでもしも都会の人がこれに似た事を考えるなら「田舎暮らし」をするしかないな~・・と思った次第です

ただ今まで余り考えなかった広い敷地に住むと言うことですがこれは予想以上に歩く距離が増えます。

倉庫の敷地は300坪で奥行きが約50メートル幅が約20メートルで畑の端から川岸まで玄関から養殖タンクまで、玄関からカーポートまでと何かしようと思うと行ったり来たりになります。

これが面倒ではあるんですが・・健康に良い様に思います。

ただ歳をとって足腰が弱くなってしまうときついかも知れませんが・・・

僕も美由紀も体が不自由になったら施設に入ろうと思っているので余り気にはしてません。

一つの選択肢として広い敷地に住むというのはなかなか愉しいと最近の僕は思っています

各種漁と工作が好きだから特にかも知れませんが・・

宴会場の大型エアコン動くようになりました

今日は沢山のカモが前の川に来ていたのでニワトリの餌を川岸に置いてみました。

夕方見たときは全く食べていませんでした。

そんな夕方何時の間にか居ないと思っていた美由紀が車に鍵を閉じ込めて帰れないと連絡がありました

なんと昼前にも山に行っていたそうで二回目の山は家から登山口まで40分も掛かる場所でした

暗くなる前に僕が到着して鍵を開けたんですが・・・腐葉土とキノコが目的だったそうですが・・引越し中なのに・・いつになったら引越しが出来るんでしょう

そんな具合ですからなかなか引越しが終わりません。

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