outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

船酔いの威力

2010年09月30日 17時02分48秒 | ヨット世界一周クルージング
室戸岬から足摺岬までの航海時間は時間調整をしたので14時間

天候は曇りから小雨

風は東北東(真後ろから追手の風)から5~7メートル、波高1,5メートル。

ヨットを良く知らない人は、真後ろから風を受けて帆走していると、非常に楽に良く走ると考えるようです

ヨットに乗っている人は「かなわんな~・・・」と思っている人もいるでしょう

ヨットは横から風を受けると、傾きますが結構安定して走ります

ところが真後ろから風を受けると、傾く側が決まらず、右に左にと交互に傾きます

ローリングです。

特にこれに適当な高さのウネリが来ると、ヨットのお尻が振られて安定しません

この様な状態になると・・・船酔いする人が多くなります

だから、真後ろの風は悪くは無いんですが・・・船酔い効果が充分です。

昨日早くから船酔いしていたA氏は殆ど寝たまま

B氏もどうも調子が悪いと寝る事が多くなっていました。

C氏とD氏は元気に動いていたんですが・・・それでも夜中十二時には横になってしまいました

船酔いは眠気も誘いますから・・・

そんな中、E氏のみは夜の弁当も食べ、朝も昼も食べて元気にしています

とは言っても適当に交代しながら、ワッチ(見張り)は続けられ、夜明け頃より高くなった波のため舵も交代で握っています

皆が一番弱っている時に質問をしました

今別嬪のオンナが「好きにしてええよ」と言って寄ってきたらどうする?と・・・

A氏は寝たまま手を少し左右に振っただけ

B氏は・・・・B氏と言うのは「いつでも何処でも誰でも」とまるで吉野家の牛丼のように三拍子揃っている人なんですが・・・・

いつもの元気は無く・・・すぐにした返事は・・・「今はいらん」でした

しかしさすがにB氏、暫らくして・・・やったら治るかもしれんけん・・・ちょっと触ってみようか」と変更しました

C氏はニヤニヤして・・・どうするとも言いません。

D氏は飯は食えんけどとりあえず頑張ってみようかと

E氏は秘密です

そのような苦しい時も過ぎ、今はかなり立ち直り、「空になるまで・・・」と言う人も出てきています

現在は北緯32度51分、東経132度28分、宿毛湾の出口です

今晩夜中に「速水の瀬戸」を超えたいと思っています

魚は釣れますがリリースしています。

マハリンメンバーの威力で少しトラブルも発生していますが、気にせず進んでいます

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順風満帆

2010年09月29日 19時03分58秒 | 退職生活
ホロホロは男五人を乗せて別府又は無人島に向って、順調に航海しております

美樹ちゃんとテープを引っ張って橘港を12時に出港

蒲生田岬を超えて太平洋に出た所でトローリングを始めました

入れるなり、シイラが掛かり、ゲット

すぐに又、大きなシイラが来たけど・・逃げられました

続いて何か解らないのが来て・・それも逃げられました

でもその後続いて二匹のカツオが来てゲット

さっそくそのカツオを僕が裁いて刺身に。

釣りたてのカツオの身は「ぷりぷり」

丁度四時だったので・・・ビールの栓を抜きました

森田、芹田の両氏は・・・こんなカツオ食べた事がないと大喜び

釣ったすぐのカツオは店で売っているカツオとは別物なんです。

僕も久しぶりの釣ってすぐのカツオを懐かしく頂きました

近藤氏は仕事明けで寝ています

ヨットがはじめての江下氏は船内のトイレに行って以来・・・船酔いで今は眠っています

久しぶりのオーバーナイト航海。

室戸岬沖は午後十時頃になりそうです。

無人島は・・・不明です
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究極の男の夢

2010年09月28日 22時13分38秒 | 退職生活
幸か不幸か僕は男に生まれました

何故「幸か不幸か」と二つを書いたかと言えば、オンナに生まれた事が無いから、オンナの気持ちが解らないからです

そこでオンナだったら・・・は別として、男の最高の夢、言い換えれば「究極の夢」とはどんなものだろうと・・・考えている人は多いと思います

そして・・・殆どのオトコの究極は・・・

好きに出来る気に入った女を回りに沢山置くと言うのが、今まで62年生きてきて、色々な先輩、後輩から聞いてきた夢でした

絶対的権力を持った世界中の男たちがしてきた事でもありますから、それは本音だろうと思います

確かに、それはなかなか愉しそうだと僕も思います

このブログを読んでくれている殆どの男達も、将軍の力があれば多分そうする事でしょう

将軍ほどの力が無くても「出来る範囲で出来る」訳ですが・・・

殆どの男は根性が無く、意思も弱く、時に体力も無く、場合に寄ってはチャンスも全く無く、夢のまま人生を閉じます

で・・・・男はそれだけだろうか?

と考えて見ると、それだけでは無いモノでもあります。

男が真に求めているのは、確かにオスそのものの生き方ではあるんですが・・・

力がある動物のオスの多くは自由に新天地を求めて彷徨います

日本でも新天地を求めて北海道や南米諸国他各地に新天地を求めた勇者も沢山居ます

ところが・・・今ひとつ「思い切れない」ちょっと意志が弱い僕らは・・・そうならざるを得ない状況になれば・・・と心の中で密かに願っています

その状況と言うのは・・・漂流です

ちょっと根性が足りない男が、夢に向ってスタート出来るのは・・・漂流と言う不可抗力的言い訳が、必要なんです。

ホロホロは明日の昼頃に太平洋に出ます

黒潮ベルトに入れば、その流れのスピード2~3ノット(4~5キロ)で東の彼方に届けてくれます

そこは常夏の無人島

自分の知恵で食料を確保して生きていくしか方法はありません。

一日一日、食料を得られるかどうかさえ難しい日々です

「今日も自分の力で生きた」と思える一日は男にとって究極の夢です

そこに美女でもいたら・・・

それが約束されていたら・・・明日の夜からホロホロは満場一致で漂流生活に突入することでしょう

そんな人達が乗って別府に向うことになっています

今は4人が宴会を終えてホロホロで寝ています

宴会に参加してくれたみかちゃん、三谷さんありがとう。

差し入れしてくれた湯浅(ナカヤ)さん、みかちゃんありがとうございました

皆さんも、今一度、自分の心を完全解放して「究極の夢」を考えて見てください

愉しいですよ











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一ヶ月のヨット生活

2010年09月27日 19時31分03秒 | 長期のヨット生活
キャンピングバスで5ヶ月の旅を終えてから一ヶ月が過ぎました

早期退職してから21年、殆どが旅だから普通の人よりは「旅慣れ」しています

でもヨットでの長い旅は2006年11月から2007年6月の、フィリピンから日本まで戻ってきた時が最後です。

それ以後だと去年10月、マハリンを広島から回航した、愉しいトラブル続きの五日間と、五月の気候だった今年二月から3月の南紀温泉巡りクルージング二週間、牟岐大島までののんびりクルージング五日間だけ

それらの航海は全て昼間のみで、夜は港で宴会してゆっくり眠ったものばかりです

そんなんで、太平洋を夜間に走るのは三年以上ブランクがあり、夜の海がどうだったのかさえ忘れかけています

実際に海に出て、夜が来れば・・・

世界一周した時に、太平洋、インド洋、大西洋などで何十日もの航海で大洋を渡っているので「なんてことない」んですが・・・

久しぶりなので僅か二日のオーバーナイト(昼夜連続して走る事、別府までは約52時間かかる)に少し緊張もあります

生憎?斜め後からながら、少し風も強そうです。

日本近海は世界の海と比較できない位、波が悪いし、船が多い海域なんです

五人で行くんですが・・・何人か船酔いするかも

僕も人が思うほど船酔いに強くなく、案外簡単に酔います

とは言っても、動けなくなるような事はなく「気分が悪い」程度だとは思うんですが

トラブル常発生の「マハリンメンバー」がメインなので・・・前回は瀬戸内海では島が沢山あったし、水深が浅かったけど・・・白浜に行った時も到着と同時にクラッチが爆発したのが・・桟橋に繋いだ直後だったらしいけど

今回は太平洋で、イカリを入れることも出来ないから・・・ジョン万次郎になるかも

などと言いながら・・・先ほどまで、積み込み荷物を運んできた近藤氏と、天気予報を見たりしながら計画を立てていました

そんな具合でドキドキ、ワクワクと準備は進んでいます

明日の昼頃には近藤氏を除く4人(江下、森田、芹田、溝田)が集まります。

漂流に備えて、食料の買出しや荷物の積み込みをして・・・

ヨットで宴会

体を波に慣らすために、夜もヨットで眠ります

そして明後日の昼頃、近藤氏の到着を待って出港予定

ブログもヨットの上からアップしますのでお楽しみに

今日の僕は美由紀と共に徳島市内へ出ていました

野暮用に殆ど終日掛かったけど、久しぶりに青果市場の友達を訪ね、山の話をしてホロホロのプロペラシャフトに取り付ける防食亜鉛を船具屋さんで二個買って、近藤氏と共に家に戻りました。

明日に備えて?(昨日の酒もまだ体内に残っている感じだから)今日はお酒を抜きました

今日は少し早寝します


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ヨット船底掃除

2010年09月26日 23時59分59秒 | 退職生活
出来るだけ、出港する日に近い日に船底を綺麗に掃除したかったんですが・・・

今日しました

今の季節は水温が高いので、船底塗料が殆ど無くなっているホロホロは、綺麗に付着物を落としてもすぐ小さな貝や海藻が繁殖します

山旅から帰って、ケンチョピアから橘港へ移動する前に近藤氏に手伝って貰って、粗方の掃除をし、橘港へ着いた日も八十氏に手伝ってもらって、完全に綺麗に掃除してました

それが9月5日でしたから・・・まだ20日しか経過していないのに・・・

特にプロペラはフジツボの子供が所狭しと張り付いて、長い海藻も沢山生えていました

船底全体もプロペラほどでは無いけれど、付いてない所は無く、全部を掃除するのに四時間

44フィートのヨットは大き過ぎます

何千回ケレン棒を突き出したか・・・

船底掃除は重労働。 でも少し腹がへこんだかも

戻って機材を洗っていたら、美由紀が山から戻ってきました

美由紀は普段(火曜から土曜)は毎日プールに行き、プールが混む日曜日は山に行くので、山旅の時より運動しています。

僕はダイビングと家庭菜園だけなので、少し運動不足

健康診断の結果は「異常なし」だったけど・・・もう少し運動しなければ・・と思っています

大川氏がイサギが釣れたと持って来てくれたので

夜にM氏が来るのを待って刺身と焼き物で一杯呑んでいたら・・・二時になりました

Bagusさんはインドネシアのダイビングクルーズ船に乗って潜りに行っています。

コモドドラゴンが居る島にも行くそうで・・・

もう少しで食べられそうになった経験がある僕は、同じ様な経験をして戻ってくるのを期待しています

もう寝ます





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車を海外に輸送する場合

2010年09月25日 19時50分43秒 | 退職生活
オーストラリアにキャンピングバスを持って行くとすると、費用がどの位掛かるのかを昨日問い合わせていました

返事が来たんですが

日本からオーストラリアは距離があるし、富山からウラジオストックに運ぶような訳には行きません

通関料(諸手続き)が80000円

輸送料が一立方メートル当りUS70ドルで、大きなバスを計算すると4377ドル掛かるそうです

片道50万円、往復100万円は予算オーバー

これをハイエースにすると、通関料が40000円

輸送料は一立方メートル当り70ドルだから・・・多分3分の一位の費用で運べそうです

ただ・・・これだと車を買わなければなりません

それと、日本から車を持ち出す時に、中に色んな物を詰め込んで行こうと思っていたんですが・・・

オーストラリアの場合、税関が厳しく、罰金をとられるそうです

そうなると・・・振り出しに戻って、現地で買い、使った後で売るのが一番簡単なようです。

僕らはすでに30000ドルを両替しています

10000ドルで車を買って簡単に改造。(使った後7~8000ドルで売りたい)

残りの20000ドルが無くなるまで旅をしようと思っています

6ヶ月は180日だから一日二人で約100ドル。

これで燃料、観光、食事となると・・・

燃料もオーストラリアは広いので日本の様に少ない消費ではすみません

燃料代は一リットル90円位のようですが・・・一日平均50ドル位は掛かるような気がします

残り50ドルで二人が観光と三食となると・・・矢張り少し厳しいかも??

予算でも少し考え直してみます

JAFカルネの返事はまだ来ません

今回バスを持ち出すのは断念しましたが・・・

これは海外なら何処でも同じ料金なので、今後の参考にはなるでしょう

今日の僕は、朝から風が強くダイビングは中止。

野菜に殺虫剤を散布

明日か明後日に潜って、ホロホロの船底を「別府行き」に掃除しようと思い、スキューバタンクを二本借りてきました。

倉庫内の工作場で、潜水用のレギュレーターを修理したり、二個一にしたり

夕方にまだ充分育っていないけど・・・別府に行く前に定植しておくべきと・・・キャベツ、ブロッコリー、レタスの苗を植えました

なんだかんだと・・・片付けなければならない事がありますね

出発の29日まで、残る三日頑張ります



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オーストラリア車旅の問い合わせ

2010年09月24日 23時58分54秒 | 退職生活
先日オーストラリアの友達から聞いた「物価が上がっている」と言う言葉で、自炊を多くしなければ6ヶ月の旅が厳しくなると考えた僕は

現地でハイエースクラスを買って、簡単な改造をしたのでは、それほど自炊が出来ないので、現在使っているキャンピングバスを船積みして送るとしたら、どれだけの費用が必要かを計算しなおす事にしました

先ずJAFに電話して「カルネ」で行く為の保証金を調べてもらっています(まだ返事が来ない)

そして輸送の代理業者にも運賃の問い合わせ

これもまだ返事が来ていません

今回のオーストラリアの旅は東海岸の南の方とタスマニア、南海岸と西海岸に行き、エアーズロックのある真ん中をブリスベンまで引き返す、オーストラリア大陸の南半分を制覇する旅を考えています(北半分はホロホロで航海中に周っている)

それでもオーストラリアは大きく、エアーズロックの夏は気温が50度にもなるので、冬近くにならないと登るのが困難です

タスマニアは真夏でなければ寒いし、6ヶ月では少し厳しいとも言えます。

だから自炊が出来るかどうかは予算の面で大きく変わるんです

まあ色々と頭を悩ましてみます

九州へのクルージングが近づいたので、まだ何も蒔いていないウネに大根、ホウレン草を蒔き、ウネの間に、山旅から戻ってきて一番最初にした「草取り」の枯れた草を敷き、庭を清掃しました

またワケギも植えましたが・・・

どう考えても・・・家庭菜園は・・・僕はまだまだ若すぎて、したい事がありすぎ、後10年か15年経って、体が自由に動かなくならないと出来ない

夜になって、常に景気が良い前川氏が、また大量の肉を持って来てくれました

最近肉を食べすぎなんですが(前川氏の持参肉ばかりですが)・・・今までそれで呑んでいて、ブログのアップが遅れました

昨日の夜からティムシェル(オーストラリアの友達のヨットの名前)の航海記録写真をDVDで見ています

ホロホロが通ったのと同じコースを12年遅れて通っているんですが・・・知ったヨットや顔が出てきて・・・懐かしい

ヨットでの世界一周、こんな素晴らしい世界に身を置いていた自分を改めて・・・感じなおしました

チャンスなんて自分で頑張って作らない限り出来ないものですが、皆さんにも、こんな体験をしてもらいたいと心から思います

明日、魚突きに潜りたいんですが・・・風が強くなるかも??
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急激に秋が来た

2010年09月23日 19時19分26秒 | 退職生活
デッキで中秋の名月を見ながらダンゴを食べた昨日は、蒸し暑いくらいでした

夜から朝に掛けて、一時は土砂降りにもなったんですが

今朝もまだ蒸し暑く、昨日からエアコンを回し続けていました。

ところが・・・昼頃から気温が下がり始め・・・夜には肌寒く感じるほどの阿南市です。

涼しくて気持ちいいですね

このまま涼しくなってくれると嬉しいんですが

さて今日は、朝食の後、オーストラリアからの二人と美馬さんを含め五人で橘港のホロホロを見に行きました

これは、一時期にしろ一緒に世界を周ってきたホロホロが確実に日本に戻り、今も浮いている事を証明するためで、僕もオーストラリアに行ったら「ティムシェル」の浮かんでいる姿を確認したいと思っています

倉庫ハウスに戻り、出発準備

11時に家を出て、待ち合わせの徳島市内「回転寿司駐車場」へ

そこで愛媛県三瓶から迎えに来てくれた笹田氏と三好氏と合流

回転寿司の昼食を7人で食べて、バトンタッチでウインディさんとキャシーに別れを告げました

家に戻ってくると、涼しくなっていたのと、霧雨だったので「植え付け」日和と思い、白菜、キャベツを定植

大川氏がワケギの種を届けてくれたので、それも植えて、白鵬の連勝記録更新を見ながら一緒にお茶

昨日呑みすぎたので・・今日は呑まずに一日が終ろうとしています。

今回、オーストラリアのヨット友達が来てくれて、解ったことが沢山あります。

僕らがホロホロで最後にオーストラリア(ダーウィン)から離れたのは1997年

13年の間に、日本の物価は下がったけど、オーストラリアの物価は随分上がったようです

僕が30000豪ドル(57円の時に60円で両替している)で、中古車(バン)の購入費も含め、6ヶ月旅が出来るか?と聞いたら、ギリギリかな~・・・と言う返事でした

オーストラリアは中古車の値段が高い国なので、それに10000ドル程必要だろうとの事

残り20000ドルで180日だと、一日約100ドルの計算になります。

僕は昔の感覚で「充分」と思っていたんですが・・・

予想以上に物価が上がっているみたいです(特に外食など)

でも、スーパーで調達した食材を調理し、外食を減らせば何とかやっていけるように思います

もう一つ、車を日本から持ち出す事も再考してみる事に決めました

明日は船積み料金の確認などしたいと思っています

「地球の歩き方」オーストラリア最新版も買ってきたので、気合を入れて取り掛かります。



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オーストラリアからヨット友達来訪

2010年09月22日 23時24分45秒 | 退職生活
僕等が山旅に出て間もない頃、確かスキー場に居た時だったと思うんですが・・・

ホロホロが世界一周の時にモルジブで最初に会い、それから後先になりながらも約5ヶ月間一緒に航海したヨット「ティムシェル」のウインディさんと娘のデビーが日本に来る事を知り、是非徳島にも寄って欲しいとお願いしていました

当時ティムシェルは親子4人が乗っていたんですが、今回ジェフさんと娘の一人キャシーは来日していません。

地中海のキプロス島ラーナカマリーナお別れをしたのが1994年の6月でしたから・・・16年の月日が流れた事になります

その3年後、ホロホロが二度目にオーストラリアに入港した時、同じくオーストラリアのヨット「ディグゼリドー」のエリック夫妻と一緒に自宅に訪問したことがありますから・・・13年前ですね

その時ティムシェルはフランスにヨットを置いての帰国だったんですが・・・その後もヨットに行ったり、オーストラリアに戻ったりしながら・・・最後の航海は2007年ヨーロッパから2008年6月のオーストラリアへの帰国航海だったそうです

初めて会った頃はまだ子供だった二人の娘のうち一人は結婚、帰りの航海は3人だったそうです。

オーストラリアを出たのが僕が日本を出たより4年ほど早く、日本にも来ています

帰国が僕より一年遅れているから・・・19年に渡って航海したことになります。

普通の日本人には考えにくい年月ですが・・・外国のヨットでは珍しくありません

一昔以上の年月を経て会ったんですが・・・大人は変わりませんね

道ですれ違っても解ると思いました

でもデビーは当時子供だったので・・・何より胸が大きく変わっていました

そんなティムシェル母娘を迎えてきて、倉庫ハウスで美馬さんも加わってくれて、一杯呑みながら食べて・・・デッキに出て団子を食べながら名月を楽しみました

オーストラリアの情報を色々聞いて・・・物価が随分上がっているようなのにビックリ

行こうと計画している場所が夏が難しい所もあるので、少し計画の変更が必要になりました

オーストラリアは大きいから・・・一度に周るのはかなり考えないと難しいですね。

写真は殆ど食べ終えてしまってからですが・・・左からウインディさん、デビー、美由紀、美馬さんで写真は僕が写しました

写真をクリックすると大きく見えます





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陰毛も禿げる??

2010年09月21日 20時31分10秒 | 退職生活
決してお上品な話でない事は解っていますが

数日前からシャワーを浴びるたびに、鏡に写る「それ」を見て、「少し寂しくなった」様に感じていました

元々僕はそれ程「濃い」事は無いんですが・・・

もう20数年前になりますが、白髪が生えていた事が何度かあって、その時は何故か慌てて抜いたりした事もありました

最近は詳しく見る機会もないし、腹が邪魔で見難いし、目も悪くなって簡単に見えないから白髪があるかどうかさえ見ていないんですが

何故か全てが白髪になるのだろうと、自分では思っていました。

禿げて来ると思って無かったんです

本数を数えた訳では無いんですが・・・どうも・・・確かに・・減っている気がします

そう思って、温泉などの風景を思い出して見ると・・・もっと先輩の老人方は・・・確かに白髪にもなっているけれど・・・禿げているように思います

歳をとると子供に返ると言うけれど・・・陰毛まで無くなってくるとは思って無かったので・・・少しショックを受けています

あっても無くても関係無いんですが・・・無ければ寂しいような気もします

九州出発までに、野菜を定植したいと思っているので、朝から耕運機で、まだ耕して無かった家庭菜園の残り一部を耕しました

耕運機に少し慣れたのか、勝手に走って慌てることも無く、10坪程を仕上げました

別府に到着したら、ホロホロを上架して「船底塗料」を塗るのも今回の大きな目標の一つなので、20リットル缶の船底塗料と4キロ缶のシンナー、他にドリル、サンダー等の電動工具をヨットに運びました

昨日作業した水避けの木はしっかりデッキに接着出来ていてOK

ところがハッチを閉めてよく見ると・・・隙間があります

おまけに、一箇所のハッチを閉めるレバーが壊れてしまい

もう日数も無いので、割り箸を折って挟み、出来るだけ閉めた状態でシリコンポンドで塞ぎました

水は入らなくなったけど・・・開ける事は出来なくなりました

これも応急処置だから・・・僕流ですが一応解決?

家に戻って愛車BMW-Z3のラジエター不凍液を交換にカーマートまで持って行き、戻って今朝耕した畑にウネを作っていたら八十氏が寄ってくれました

一杯一緒に呑んで・・・明日我が家に来るオーストラリアからの友達が無事日本に着いたかどうかを確認。

一緒に迎えに行くJA5CZL美馬さんに連絡

午後4時前に、高速バス駅「徳島マリンピア」に迎えに行く事になりました。

来年は僕らもオーストラリアの旅を計画しているので、聞きたいことが沢山あります

16年ぶりに会うんだけれど・・・お互い「歳とった」と感じることでしょう

でも楽しみです

話しが戻りますが、別府へは太平洋をノンストップで走る予定です

全体に黒潮に向う航海なのと、最後に有名な海の難所、豊後水道の「速水の瀬戸」を越えるので所要時間を52時間と見ています。

搭乗者は今のところ五名で、関西方面から江下氏、森田氏、芹田氏の3名。

徳島から近藤氏と僕になります

マッコウクジラが多い海域だから、ぶつからないように注意しなければいけないけど、トローリングで大物が釣れる可能性も高く、釣り道具の準備もしようと思っています



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老後の暮らし

2010年09月20日 20時23分03秒 | 退職生活
今日橘港に置いているヨットホロホロからの帰りに考えたんですが・・・

僕は41歳で退職して、すでに21年が経過しています

そして一般の人達よりは「考えた」90歳までの計画を多少の変更を伴いながら、体力に応じた順序で過ごしています

今62歳の僕は41歳で予想したのと、殆ど変わらない体力と気力があって、日々のブログに書いているようにヨット、スキー、登山、ダイビング、釣り、罠、家庭菜園、宴会など、殆ど休み無く充実して過ごせています

しかし、人は日々老化します

勿論ながらやがて死にます。

僕の予想では75歳まで(残り13年)は、ゆっくりしか出来なくても殆ど同じ事が出来ると思っています

問題はその後なんです。

徐々に出来ないものが出来てくるだろう・・・と考えると・・・非常に悲しくなります

今まで21年、今後13年動き続けていた僕が、思うように動けなくなったときにどの様な心になるのか?

そんな事を考えてしまいました

皆さんはどうなんでしょう?

今日は畑に水を撒いていたら、セブンの中西氏親子が寄ってくれました

中西氏は僕以上の遊び人になりそうな人で・・・ヨットの次はキャンピングカーも欲しがっているし、ダイビングにも首を突っ込んでいます

今日はダイビング機材の事で、以前プロだった僕に話が聞きたいと寄ってくれたんでした。

そして昨日する予定が突然、魚突きに行った為に出来て居なかったホロホロのハッチの水漏れ対策に出かけました

別府に航海する日は29日からなので、もう一週間ほどしかありません

22日23日はオーストラリアから友達が来ます

早く荷物の積み込みが出来るところまで・・・しておかないと

ヨットに着いて、先ずエンジンオイルとクラッチオイルの交換をしました。

近藤氏も応援に来てくれて、ハッチの前のデッキ面に木をエポキシで貼り付けました

僕の考えでは、ヨットの舳先が波に突っ込んでも、この木が水の流れを一旦止めて弱くするので、水が浸入しないだろうと思ったんです。

ゴムパッキンが風邪を引いて、ひび割れていたりもしたので、シリコンボンドを薄く塗りつけました

普通なら、このゴムパッキンを交換するんですが・・・僕は応急処置が極めて好きで、おまけにボンド細工と針金細工も大好きなんです

結果は航海して見ないと解りませんが・・・多分パッキンを交換することになるでしょう

でもヨットの上で加山雄三の歌を聞きながら、こんな作業をしていると結構愉しいです

近藤氏と共に倉庫ハウスに戻って、人に上げて残った石鯛二匹を裁きました(小さい一匹は塩焼き用に近藤氏に)

そして、今日は呑まないようにしようと思っていたけど・・・一杯呑んでパソコンに向いました

明日はハッチの水漏れチェックに行きます

随分秋らしくなってきました

沢山の秋の虫が鳴いている徳島県の倉庫ハウスからでした
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大腸癌の原因

2010年09月19日 22時21分29秒 | 退職生活
今月29日から一ヶ月間ホロホロで九州、別府に行く事になっています

ホロホロは僕と美由紀が14年間世界を周ったヨットですが、主に「西回り航海」(風や流れに沿って西へ西へと進んで世界一周をした)だったので、デッキに波を被る事は殆どありませんでした

ところが・・・日本近海を航海すると・・向かい風や向い潮が普通にある世界最悪の海況なのです

そんな日本の海を今年2月下旬から三月に「紀伊半島温泉巡りクルージング(ブログで詳しく書いています)」をした帰りの紀伊水道を渡る航海で、モロに向かい風の中を走り、波を被ってハッチから水が浸入

後始末が大変だった経験があります。

そこで今回はそれを防ぎたいと・・・朝から工作場で準備を始めました

そしてホームセンターでエポキシボンドを買っていたら・・・

前川氏から電話がありました

「潜りに行こう」と

僕は昨日の水中銃を忘れて行った事から、クエに遊ばれて・・・二匹しか突けていなかったので・・・不完全燃焼状態でしたから・・・

即座にOKして準備

クルーザーに乗せてもらって、準備してくれた肉でまたまたバーベキュー

最近、牛肉を良く食べています。(全部前川氏が準備してくれた柔らかい上等の肉)

ここ五日ほどの間に三回、それもどっさり食べるので、今日の夜の便は「粘っていました」

普段は魚か野菜に少しだけ豚肉をダシ程度に食べるだけだから、完全に食生活が変わっています

家庭菜園で野菜が採れる季節となると・・・・捨てる事が出来ない性格だから、殆どが野菜になってしまうほどなんです

それで思ったんですが・・・白人は非常に肉が好きな人が多く、朝から大きなステーキを食べる人さえ少なくありません。(ハワイのレストランで働いていた頃の経験から)

しかし・・・「大腸癌」患者の割合は日本の数倍います

肉、特に牛肉は大腸癌の起爆剤のようなものなんです。

そうと解っているけど・・・満腹中枢が壊れている僕は・・・昼飯を済ませていたのに、誰よりも沢山食べてしまいました

僕の場合は・・・買って食べる事は殆ど無いから数日で調子が戻ると思うけど

でも・・・上等の焼肉は美味しいですね

皆さんも大腸癌になりたく無かったら、牛肉はあまり食べないほうがいいですよ。

さて・・潜った結果ですが、今日は自分の水中銃だったので、全て頭の周辺に命中していました

今日はクエが出ても、無視しようと心に決めていたんですが・・・出ませんでした。

二人で二桁を超えた成果だったことだけを報告しておきます

角出氏、八十氏、柳田夫妻、みきちゃん、みかちゃんも来てくれて

刺身、焼、汁などにして、今まで宴会してました

柳田奥さんが持参してくれたサワラの寿司は好評でした

赤い粉を心配して、ちょっと控えめに呑んだから・・・多分明日はヨットの仕事も出来るでしょう











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弁解ですが・・・

2010年09月18日 20時24分47秒 | 釣り ヨット ダイビング 山登り
全ての結果には原因があります

「偶然」や「運」を信じない僕は、多少人より原因究明の努力をするけれど、決して弁解を多くする人間ではありません

本来なら「軽く一言」そんな事があったと・・・小さくつぶやく程度なんです。

ところが、今日のダイビングに関しては「大口」を叩いていたので・・この様な弁解をしなければならなくなっています

先ず一つ、昨日の午後から万全の体制で臨まなければと気合を入れて道具を準備

特に「水中銃」に関しては、点検を怠り無く済ませ、うっかり忘れていけないと、倉庫の入り口のドアに持たせかけてありました

前川氏のクルーザーが迎えに来てくれる港まで、八十氏、みきちゃんの三人で行くと、間もなく到着した船に道具を積んで島に渡りました

良い天気で風もそれ程無く絶好のコンデション

浜で前川氏が準備してくれたバーキューを食べて、さあ潜るぞと準備を始めたら

水中銃が無かったんです

僕は一応昔はダイビングのプロであり、魚突きにかけても、「サカナイノチ(魚命)」と肩に彫り物をしたいほど熱を入れていたので、銃を持たせばそれなりの成果は出せます

でも「手づかみ」はできません

しかし・・・慎重でお金持ちの前川氏は、クルーザーに予備の銃を3つも積んでいました

その一つを借りて・・・飛び込みました

先ず人の銃に慣れるために「生臭」を付けなければ(とりあえず魚を一匹突くこと)と50センチほどの石鯛を突きました

この場合の突きましたは・・・発射したと言うだけで・・・外れ

でもすぐに二度目を突いて、これは胴体の真ん中で、普段の僕は頭しか突かないから・・・当りとまでは行ってませんが、とりあえず生臭はつきました

少し移動して・・・息を止めていると・・・50センチほどの石鯛が4匹近づいて来ました

その中の一番太った石鯛を突こうと思いながら・・・何気なく下を見ると

真正面を向いてクエが居ました

スピアフィッシャーマン(魚を突くダイバー)にとって、底物の究極はクエです。

食べてもこれほど美味しい魚はそうありません。

石鯛を何匹突くより、このクエ一匹が値打ちがあると・・・思うのは僕だけでないでしょう。

大きさも手頃な一メートルほど

静かに銃の先をクエに向けると・・・・

クエは少し後ずさりして・・・銃が届くかどうかの瀬戸際

もうほんの少し近づいてくれたら・・・と・・・思いながら・・・何度も場所を変えたりしたんですが・・・銃の射程距離からほんの少し遠く撃てません

遂にしびれを切らし、真上から攻めてみようと・・・上から行くと

クエは真上を向いて見ています

そして近づこうとすると・・・体を寝かせてゆっくりと片目で見ながら逃げます

こんな事を30分。

余りにも時間が過ぎて・・・これで獲れなかったら「わらいもの」になると

焦った僕は結局、穴に追い込む作戦に。

そして・・・穴に入ったけど・・・クエは昔から入った穴は必ず抜けて違う穴に行くものなんです。

そして、その通り、その穴には居ませんでした

もし水中ライトを持っていたら、周辺の穴を丁寧に探せば見つける事も可能なんですが・・

水中ライトは持って行ってませんでした

このクエに時間と神経を使いすぎ、迎えが来る時間まで残り20分

慌てて石鯛を狙い始めたんですが・・・撃っても撃っても外れ

最後にメジナを突いたら時間切れ終了。

結局僕は二匹だけに終りました

少し離れたところで潜っていた前川氏は、石鯛5匹とメジナ一匹

何故か平均に石鯛のサイズが小さく45センチから55センチの間ばかりで60センチを超えるのは無しでした。(ブーツを履いた僕の足を参考にしてください)

あのクエを突いていたら・・・大口がますます活発になっていたんですが

美味しそうだったのにな~

八十氏とみきちゃんは、島の周りの浅瀬でピチャピチャと磯物を拾いながら泳いでいました。

写真は前川氏の船のブリッジにいる前川氏とみきちゃんです。

写真をクリックすると大きく見えます

二人の獲物の写真はHP(holoholo3.com)の掲示板にアップしました。

興味がある方はご覧ください

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狭心症とヨットと北海道帰り

2010年09月17日 22時16分18秒 | 退職生活
先ほど遂に少量ですが赤い粉が出ました

去年の年末に突然狭心症の発作で倒れ、今年になっても僕が山旅に出ていた間に二度目の発作に襲われて「二度も生死の間を彷徨った」竹内氏が寄ってくれました

実は先日、僕の心臓が痛くなった時に電話で教えを請うてもいたんですが・・・

今の僕は、すっかり元に戻って・・・何故そうなったかを考えて

あれは「小言の聞きすぎ」と結論しています

しかし二度も病院に運ばれた竹内氏は「本物」なので、エアコンの風が直接当らないようにしたほうが良いのでは??と思ったりして少しだけ気を使いました。

竹内氏は蒜山に広い森と別荘を持っているので、僕も何度もお邪魔して愉しませてもらっています(その時の写真はHPの山友近況にあります)

氏は56歳ですが徳島では有名な手打ち蕎麦の店「庵(いおり)」をしていました

しかし発作が出てからすぐに、人に任す準備を始め、今は殆ど店に行っていません。

今年一杯で完全に引退し、経営からも離れて蒜山で過ごすそうです

アウトドアの遊びが好きで、スキーも山登りもカヌーも何度も一緒にしていたし、酒も少ししか呑まず、タバコは全く吸わず、健康には人一倍気をつけていた人だったんですが、世の中「一寸先には何が起きるか解らない」と言う事を目の当たりにしてくれました

薬を飲み続けていたら、心配無いと言っていましたが・・・


船齢61年の木造ヨット「スノーグース」山本氏が友達と二人で橘港に入港しました

竹内氏と一緒に橘港へスノーグースの出迎えに行く時は、自分の財布の中の「ニトロ」を確認

二人共がニトロを持っていると言うのも・・可笑しいですね。

さてスノーグースは徳島県南の無人島「牟岐大島」へ10日ほど行くそうです

初日の今日はケンチョピアを出て、橘港まで

明日は橘港から日和佐港まで

三日目に牟岐大島に到着

船齢と同じ61歳ながら、退職歴10年余の山本氏の移動のペースは僕と殆ど同じです

「時間配分を心得ている」と僕らは思っているけれど、時間だけは充分あるので、楽に安全に行こうと考えているだけかも知れません

ホロホロの横に抱かせて、前の焼き鳥屋さんで串を買って来て、僕はまだまだビールを見たくない状態なのに、ホロホロのコクピットでお付き合いだから、少しだけ呑みました

夜になって、北海道旅行へ行っていたみかちゃんが寄ってくれました

メインは富良野で「北の国から」の撮影場所を回ることだったそうですが・・・

飛行機で札幌に飛び、レンタカーを借りて登別温泉や小樽を回って来たそうです

最後にお好み焼きを食べた為にフェリーに乗り遅れ、高速バスで徳島に着いたらお金が二人で千円しか残ってなくて、タクシーの運転手と交渉して、千円で車を置いている場所に戻った話しなどをしてくれました

ヨットで出かける人を見れば、自分も行きたくなり、北海道の話を聞けば北海道に行きたくなる僕は・・・やはり「放浪癖」があるんでしょう

明日は天気にも拠りますが、外耳炎もほぼ治ったので(左だけが耳抜きをするとかなり痛い)魚突きに行ってきます

結果は明日のブログに写真アップします







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赤い粉は出て無いけど

2010年09月16日 23時59分59秒 | 退職生活
まあ当然と言えば当然なんですが

宴会が続いて、連日一番沢山呑んで、一番食べる僕の今日は半分死んでいました

朝、昨夜の魚突き宴会メンバーは目覚めてすぐから出発準備

宅急便で荷物を送る人も居て、二度に分かれて朝食

倉庫ハウスの、いかにも倉庫らしい大きな鉄扉の前で全員集合、記念写真を写して、大澤氏と中野氏が出発

続いて須賀氏と渡辺氏も出発して、平常?の生活に戻りました。

柳田氏が白菜とキャベツの苗を届けてくれて

少しお喋り。

一昨日から倉庫ハウスの前の土手全体にアメリカ・・・何とかと言う毛虫が大発生しています

それが両方のブロック塀を乗り越えて進入するので美由紀は毛虫ハンターになっていたけど・・・殺しても殺しても次々と何十匹とやってくるのでかなりのヒステリー

とうとう一昨日に続いて殺虫剤の散布を命じられて・・

この様な毛虫は今まで見たことが無かったんですが・・大発生とは恐ろしいものです

多分この周辺に何十万匹といるんでしょう。

今年の天候の所為らしいですが・・・虫が嫌いな僕は見るのも嫌なのに、命令に背くと後の仕打ちが怖いから

一応散布を終えて、少し横になって休み

夕方になって、頂いた白菜の苗を家庭菜園に定植しました

それから・・・山旅から帰ってすぐ種蒔きした、春菊、ホウレン草、サニーレタスなどの芽が暑さの所為か出ないので、再度蒔きました

野菜を作るのは・・・実はかなり苦痛になっています

歳をとって、遊びに行けない位に体が弱っているか、経済的に出かける余裕がなければ、そんな事ないんでしょうが・・・・

今の僕はまあまあ元気があって、出かけたくて仕方がない程なんです

決して多くは無いけど、社会のためにお金を使いに出る義務もあります

なのに・・・畑があると、野菜でも作らなければ雑草が生えて・・汚らしくなります

同じ手間を掛けるなら野菜の方が少しでも楽しいとは思うんですが・・・今回の様に芽が出なかったり・・・寒くなるまでは虫も来るから五日ごと位に消毒もしなければなりません

そうなると・・・家から離れられなくなります

定年退職して「家庭菜園」を考えている人は・・・しっかり考える必要があるように思います

ただ僕も75歳とか80歳を過ぎれば、自然にそうなるのかも知れません。

でも、今は自分から進んで「縛られる事」に手を出すのは・・・賢い人生の送り方と思えないです

どう思います?

今、この様に畑をしながら・・・9月末から一ヶ月、ヨットで九州方面に行くと・・・多分虫に食われてしまって、野菜が全滅するのでは??と思いながらしている所為も多少あると思うんですが・・・家庭菜園は・・・ブルーです
コメント (2)
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