outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

日本に無いもの

2006年12月26日 12時55分09秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
今日は少し雲が厚くて凌ぎ易いフィリピン、ネグロス島バイス市です
ネグロス島は海峡を挟んでセブ島の西側にある島なのですが、西と東の二つの「県」に分かれていてバイス市は東県になります。そのネグロス島の南の東側でセブ島に向いて広がっている「市」です。 東県に「市」は三つしかなく、最大はドマゲティで二番目に大きいのがここバイスです


しかしバイス市では日常必要なものは揃うのですが、ちょっと大きなものや輸入品、日本食材などはドマゲティに行かないと揃いません
そこで10日に一度とか出かけるわけですが、その時は二人とも買い物バックを背負い、余分に大きな折りたたみ式の買い物袋まで持って行きます

ドマゲティ周辺には退職日本人も何十人かは(こだわる様ですが地元の若い女性と)住んでいるようで「リープラザ」と呼ばれるスーパーマーケットには豆腐、醤油やワサビは勿論「タクアン」から「あきたこまち」まであります勿論日本食レストランも

勿論戻ってくる時は「夜逃げ」状態の荷物です。バイスからドマゲティまではジプニーは無く、全てバスを利用します。 バスは「個人バス」と「大会社バス」があり大会社名「セレスライナー」のバスは元々がバスで平均にきれいです。個人のバスは日本の中古車4トントラックが元でエンジンとシャーシを使い「箱」はこちらで造ったもので椅子なども含めかなり「個体差」があります

セレスのバスは片道一人42ペソですが個人のバスは35ペソ?と運賃がかなり違います。これはバスの良し悪しだけでなくセレスバスなら事故で死んでも多額の保険金(5000USドル)が支払われますが個人の場合は「運がわるかったなあ~」で終るようです  僕らはいずれにしてもあまり関係ないのでどちらでも早く来たほうに乗っています

どちらのバスもバイスとドマゲティには「バスターミナル」がありますが途中に「停留所」は無く、何処ででも乗れるし、降ろしてもくれます
降りたいときは「大声を出す」かコインで椅子や柱などの「金属部」を「カンカン」叩きます 


途中のいつも人が乗り降りするような所とかバイスなどでバスが止まると、何人かの「売り子」が乗り込んできます お菓子や袋入りジュース、ゆで卵などを少しだけ乗ってその間に売るのです。この写真のような人が平均一箇所で三人位乗り込んできます。 僕らも時にかいます


時々「面白い人」も乗り込んできます「演説」をしてからシャツにインクを付け、「謎の薬品」できれいにする人。勿論その後でその「薬品」を売るのですが結構売れているから不思議です 「演説」をして次に「寄付」を求める人もいますし「歌を歌って」お金を集めて周る人もいます 商売で乗ってくる人も様々ですが乗客も様々で「手荷物」が「生きた豚」だったり、「ニワトリ」「犬」何がくるかわからない「なんでもあり」の世界です


写真は「セレス」バスに乗り込んで「駄菓子など」を売る青年ですクリックすると大きく見えます。

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乗り切れるかどうか・・

2006年12月25日 12時38分32秒 | 退職生活
メリークリスマス! クリスチャンが多いフィリピンではここ数日、人に会えばそのように挨拶しています
写真はバイス市を走る国道に建てられた「メリークリスマス」と「ウェルカム」の看板です。写真をクリックすると大きく見えます。


12月23日 日本では祭日?の土曜日。 フィリピンはクリスマスの25日が祭日となります。今日は朝から美由紀と二人
市場に行って数日分の買い物をしてきました跳ねてるエビを500グラム75ペソ。カレイ二匹20ペソ。小イカ500グラム25ペソ。
南洋鯖500グラム35ペソ。魚はこれだけで他に野菜、果物多数でした。まあ日本では考えられないものはサトイモで掘りたての小芋が一
キロ7ペソ、サツマイモや大根も似た様な値段で根菜類は異常に安いです。以外に高いのがタマネギと人参でキロ60~80ペソ。白菜は安
いですが巻いていません。トマトは山に盛って売られていますが輸送するのが大きなカゴ(50キロ)に放り込んで運ぶので全て青くて硬い
けどキロ当たり20ペソ。そのトマトは小さくて細切れやスライスして青いまま食べます。 いずれも日本の様なきれいなものではありませ
んので誤解のないように。一ペソは2.4円です。


昨日の日曜日は久しぶりでスキューバダイビングに行ってましたサウスバイスベイの入り口は潮が引くと現れるサンゴ礁の「リーフ」から60メートルほどの深さまで垂直に落ち込んでいます。「ドロップオフ」と呼ばれるのですがその壁を上に行ったり下に行ったり・・
元気に伸びるテーブル珊瑚やソフトコーラル、群れ泳ぐ赤、青、黄などカラフルな魚たちがイッパイいましたでも透明度がイマイチ おいしそうな魚も居ませんでしたが、さすが「熱帯の海底」と納得出きるダイビングでした ヨットは置いて小舟で行ったのですがポイントまでが予想以上にあり、帰りの燃料が切れそうになる(結構風があった)スリルまでおまけでした


話しは変わって前回の続きの「ソウ」と「ウツ」についてですが・・僕の場合41歳で早期退職している関係で、まだ50台でありながら退職者とお付き合いすることが多くなっています。

退職歴十七年の僕も退職から一年ほど過ぎた頃から2年半ほどの間は「予想以上の出費」(お金の使い方の無知)にパニックとなり、少々「ウツ」になった期間が確かにありました 実際仕事をしているときには、一年の殆どを「稼ぐ」為に費やしていますから「使う」日は少ししかありません

ところが退職すると毎日が「使う日」となります。初めの1年ほどはそれでも「ルンルン」でお金を使って遊んでいました そして「計算」すると「予想以上」にお金が減っていました

そこで「悩み」ます。「これでいいのか??」「お金が・・・」「何を・・・」


僕の場合ラッキーなことに「ヨットで外国」に出ましたから、そのままその生活を「これでいいのか」と考えつつも続けることが出来ました その間に「お金の配分」も覚え、2年半後には「やめてよかった!」と思えるようになりました

退職後間もない人や退職前の人に会って話しをすると「平均」に退職前の人は「何も解っていない」と思うのです何がわかっていないかと言うと「退職後の期間の長さ」がです。 定年まで生きた現代の人は90歳までは生きれると考えていないと「余り」が困ると思うのです。 「定年後どうするの?」と100人以上に聞きましたが一番多かった答えは「車で日本一周」でした。「その後は?」と聞くと殆どの人は「??」で何も考えていないのです。残りが25年から30年もあるのにです 

なんでこのような事を書くかと言えば「終った後」で「ウツ」になる人が多いからなんです。 これは「田舎暮らし」のような長期の計画を持った人でも「退職後」約一年ほどはルンルンそのあと「ウツ」になるようです

結局のところ僕がそうであった様に殆どの人は退職後「一年から三年」の間に一度「ウツ」と言うか「迷い」「悩み」の時期があると思うのです
この時期を乗り越えるには「限られたお金をうまく使って愉しむ」技術と知恵が必要で「悟る」と「死ぬまで愉しく遊べる」人になりそれが無いと「死ぬまで働く」人となるようです 

このホームページを見てくれている人には「愉しく充実した老後」を送ってもらいたいと思い、「ウツ」が来る事も「予期」していれば、「ああこれか・・」と楽に乗り切れると思いこんな事を書いて見ました



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躁鬱症とは・・

2006年12月22日 12時30分16秒 | 退職生活
今日はいきなりヨットには何の関係もなさそうなタイトルですが・・
ヨットでクルージングしていても「ウツ」になる人や「ソウ」になる人がいますと言うより正常な人の方が少ない

先日書いたパパラギの○○氏は確実に「ソウ」で鈴○さんは「ウツ」でした。ホロホロの僕は大体落ち込んでいても「ソウ」を維持している単なる目出度い人のような気がします

友達に面白い完全な「ソウ」の精神科医がいて、その人から聞いた話を書いてみます。

その頃友達に「ウツ」の人がいて・・それから進んだ話しだったのですが・・・



先ず初めに「ソウ」で病院に来る人は少なく殆ど「ウツ」なんだそうですが・・「いい薬があるから落ち込んだら恥ずかしがらずに病院に来ればいい」とのことなのですが・・

ウツな状態の時と言うのは自分ではなかなか病院に行くことも出来ないらしい。そして何もかもが悪いほうにしか考えられない。何をしてもダメなような気がする。お先真っ暗な、とにかく最悪のものらしいですが・・・
「薬を飲むと」数日で効いてくるらしいしかしこの薬が効きすぎると今度は「ソウ」になり「急に元気がでて」「世の中は全て自分の思い通りになるように思える」「お金の心配などせずバンバン買い物をする」「ギャンブルも絶対勝てる気がする」余りにも気分がいいから薬をドンドン飲む 貯金を全て下ろして宝くじを買った人もいるそうです。 勿論大損したそうだけど本人は「全く平気」で家族の人が「どうにかして!」と今度は家族の人が「ウツ」になりながら本人を連れてくることもあるそうです

そこで今度は「ソウ」を押さえる薬を与えるそうです。当然それは「ウツ」にする薬なので今度は「ウツに・・」

「精神科で外来だけやってたら機械は全く要らんしこれほど楽な商売はない」そうです。とにかく予想以上に「ウツ」の人は多く企業のトップクラスの人も沢山くるとのことでした。  まあこんな世の中やから「ウツ」にならない人が病気なのかも知れませんが・・

皆さんも「ウツ」になったら是非「薬」を! 呑みすぎれば愉しくて仕方ないような日々がやってくるそうですが「交通事故」も良く起こすらしいですので(でもその状態の時は全然気にならない)ウツに戻った時また一段と落ち込むそうですから「なんであんなことしてしもたんやろ・・・って」ご注意を!

自分でなく身近な人が薬を「コントロール」するのが一番いいようです。

僕も一度試してみたい気が・・・


写真はフィリピンの果物屋さんです。 果物の王様は「ドリアン」女王は「マンゴスチン」と良く言われますが世界中の食通にアンケートしたら一番は「完熟マンゴ」だったそうです
残念ながらフィリピンの市場で売っているのは輸送のための設備がないので早採りしたもので一般の僕らに「完熟」は手に入りません。 でも美味しいマンゴがこの辺りでは一キロ25~60ペソで買えます バナナは安く一本が50センタボから一ペソ。パパイヤは一キロ10ペソ

写真をクリックすると大きく見えます



 

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喜ぶべきか???

2006年12月20日 12時26分38秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
なんとなく予想はしてたのですが 昨日ブログをアップした後いつも行っているフィリピン式食堂(イータリー)に行っていつものようにご飯とオカズとスープを注文しました 前から何故か「盛が大きい」とは思っていたのですが・・その注文したものを皿に入れながらネエちゃんが聞きました「独身?」 そのネエちゃんは明らかに独身(まだ十代?フィリピン女性は若く見えるから難しい・・)で可愛いけど・・・今日の「盛り」が心配です


そしてインターネットカフェに戻ると今度は25歳くらいで、良くここに来ている色白の美人女性が「独身?」 これには思わず「独身」と答えたくなってしまいましたが・・・

このインターネットカフェには僕が一人で来てるから多分「独身かも・・」と思われているようです  いずれにしても一日に二度続けてアプローチされた昨日はなにかの「オーラ」でも出していたのでしょうか


写真はインターネットカフェのスタッフでALAN君です。23歳、独身、パソコンを習うために無給で働いているそうですが、毎朝店内の掃除に始まり一日中よく動くいい青年です。 「日本に連れて行ってくれ」と毎日のように言っています。
写真をクリックすると大きく見えます。
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インターネットカフェ

2006年12月19日 11時39分18秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
昨夜も強い風でした。 しかし動き回るヨットの中で「眠れぬ夜」を過ごしているかと言えば「NO!」で二人とも大きな口をあけて「グーグー」眠っています  昔はこれも気になって夜中に何度も起きて「確認」してたのですが・・「慣れ」とは凄いものです

それにしても今年は冬になって台風が良くできます 今も台風がフィリピンに向かっているのですが・・影響はなさそう

写真は僕が通っている「バイス インターネット カフェ」の内部です  お客さんは女性が多く、半数は外国にいる「男性」と「テレビ電話」スタイルで話しています。 中には女子高生がポルノ写真や動画を見に来たりもします。

フィリピンでは女性の方が向学心があるようで学生も女性が多いような気がします 男性は来てもテレビゲームをしている人が多いようです。

10日あまり通って、朝から晩までパソコンに向かい、ヨットに帰ってからも調べてやっと「日本経済」の現状がある程度解ってきました やはり失速がそこまでやってきている感じですね なにより一般の人たちの株式売買が去年から比べて半分になっている 相場は需要と供給が値動きを起こしているからこれは「難しい局面」
業績が順調ないい会社の株は上がりすぎて買えないけど丁寧に見れば買えるのもあるから少し買って生活費を稼ぎたいと思っています フフフッ・・・
ニカニカ笑うかしくしく泣くか 結果をお楽しみに・・
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強風でした

2006年12月18日 14時11分03秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
写真はサウスバイスベイに停泊中のホロホロですこの写真の日はノッテリした穏やかな天気でしたが・・日曜日の昨日は北東の風が時に15メートルも吹いて、いつも張っている日除けのテントを外さないといけませんでした

普段停泊している時はアンカーを一つ入れて普通水深の5倍の長さのチェーンを出しています 今居る泊地は特別水深が浅い(干潮で2メートル)のですが必要なアンカーチェーンの長さが無いので途中からロープを繋いで30メートル程延ばしています。(本来なら20メートル)

このように長くすればアンカーの掻きは良くなり外れ難い利点はあります。しかし欠点は丁度一本の紐の先にモノ(ヨット)をぶら下げている様な具合ですから、その紐の長さに比例して動きが大きくなります。半径が20メートルと30メートルは風向きが変わると40メートルと60メートル

車のサイドブレーキを引いた状態と同じ気分で停止しても、アンカーを打っている状態とは知らない間に60メートルも動きまわっているのですですからヨットが沢山停まっているところではかなり気を使います まあヨットの場合みんながロープの長さに多少の差があっても風の動きで同じように全てのヨットが動くから案外心配ないのですが・・  また同じ方向からの風でも強くなると何故か右に左にやはり30メートル程動きます
そんな訳で昨日から今朝にかけての強風で涼しいのは良かったですが煩い風の音と振れに気をつかいました


写真をクリックすると大きく見えます
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重いでしょうが・・

2006年12月16日 15時23分48秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
写真は人力トライスクルに大勢が乗った場合の写真でなんと7人乗ってます どちらのトライスクルも一人乗っても12人乗っても一人の料金は同じです。 ですからこの様に大勢乗ってくれると重たいけどその分実入りもいいから頑張るのです 実は今日も市場からインターネットカフェまでこのような人力トライスクルに美由紀と二人で乗って来ました

最近僕は毎日の様にインターネットカフェに来ていますが、普通なら一時間15ペソのところをカフェのオーナーと話し合いで「自分のパソコンを持ち込んでやるから一日幾らにしてくれる?」と交渉し何時間でも一日60ペソ払っています。 通常日本時間の9時半ごろ来て五時ごろまでいます。 (時差は一時間こちらが早い)

お昼は隣のフィリピンスタイル食堂「イータリー」でご飯とスープと一品のオカズを貰いますだいたい25ペソから35ペソですが決して不味くもないけど美味しくも無い味です 代金の違いは魚や肉は高く野菜料理は安いです。食堂のネエチャンは愛想良くしてくれます

ある人が指摘してくれたので、ここ一週間ほどのブログの一部を書き換えました 自分の頭で思いついたことを適当に書くので「説明不足」から「誤解」も生まれたり、なかなかこれもムツカシイナ~・・と思っています。まあ悪く感じたり間違ってるところがあればお許しください また気づいたことがあればメールくれると助かります


フィリピンで男性(平均老人)がこちらの若い女性と暮らしているのは良く見る普通のことですが・・聞いた話しでですが「こちらの女性」に面倒を見てもらっている日本人も結構いるそうです  その人達とはどんな人と聞くと、働き盛りに旅行でこちらにきて「フィリピン女性」にのめり込み「全てを失い」日本にも帰れず・・そしてフィリピンの夜の世界で働く「人のいい」フィリピン女性に面倒を見てもらっている・・そうです 実際大きな街に行くと路上生活者は大勢居ます。 男女を問わず老人から赤ん坊まで幅広くいますが年中暖かいからそれ程不自由は無いようです。 日本にも「ホームレス」が沢山いるようですが・・・ 日本よりは幸せかもしれませんね

  
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日本人に会いました

2006年12月15日 12時56分19秒 | 退職生活
インターネットカフェに来るはずだった人でなく、他に日本人が居たのです 昨日の昼、食堂を出てアンカーチェーンを溶接できそうな鉄工所を探して街を歩いていました 初めに行ったところは年寄りだし機材も腕も悪いので次を探して人に聞きながら歩いていました

やっと着いた鉄工所は少しマシ?程度 信頼とまではとても届いていない腕 いろいろ話していたらイキナリ日本語が・・ それは日本でダンサーとして数年過ごしたフィリピン女性でしたその娘の中学生に道を聞いたため「日本人じゃ~!!」とお母さんに伝えたそうです。 その人の主人も日本語を話すフィリピン人神父さん。 日本で知り合って結婚したのだそうです。 それは13年前とか・・ その人がその鉄工所のすぐ前の「サリサリストアー」(駄菓子屋)を指差して「日本人居ります」と言うからまさかと思いつつ覗いて見るとほんまや~!!

その日本人は年齢56歳で僕より一つ年下。 もちろん奥さんはフィリピン人でした それにしても中途半端な年齢年金はまだだし・・・   その人はバイスに来て一年半だとか・・奥さんの実家がこちらでマニラの近くに住んでいたのを引っ越して来たとの事でした

不思議な人でインターネットはしないし・・携帯も持っていない。一年半の間にドマゲティに一回行っただけで毎日何処にも行かず家にいるそうです さては「ヒキコモリ?」借家を月2000ペソの家賃で借り、サリサリストアーと住居を兼ねていますが・・どう考えてもサリサリストアーの儲けは一日50ペソ位のはず・・  一応「一度ヨットにきてください」と声はかけましたが・・・

そう言えば極めて寂しい田舎で会った「日本の老人」もヒキコモリでした。僕らが訪ねて行くと警戒してしばらく出てこなかった程です しばらく様子を見ていて僕らが夫婦と解ると話してくれました。「日本で事業に失敗して・・」サラ金、ヤミ金など借りれるところからは全てお金を借りたそうです。借りたら返すのは当たり前なのですが返せないからと「夜逃げ」日本中逃げ回ったそうです。だけど何処に逃げても一年くらいで見つかって「年金までとられる」生活だったそうです。

そして遂にフィリピンまで逃げてきた年金で召使いを使いきれいな家を建てて若い女性と優雅に暮らしていました 「ここまでは追いかけて来ない」と言ってましたし「日本に居る年寄りは可哀相」と言ってましたが・・まあ人生色々。天国と地獄が共存しているようなフィリピンに住んでいる日本人の中にはこれまた日本で天国も地獄も見てきた人達も居るようです


写真は街中を走る自転車動力のトライスクルです。この写真では一人が優雅に乗っていますが・・・
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ヨッティとは・・

2006年12月14日 12時08分15秒 | 長期のヨット生活
ヨッティ(ヨットで長期にクルージングしている人)全体なのですが・・ホロホロは特別ちゃうか?? 予定と心は日毎に変化しそのたびに公表するから「ヨッティの言うことは・・・」と非難を浴びるのだが昨夜寝ていて「やはり向かい風のパラワン島北上は厳しいぞ!」と考えだしたのです  それではアンカーチェーンはどうするの? と自問自答し極めて質が悪いフィリピン製の出来が悪いところを電気溶接してそれでとりあえず日本まで帰ろうか? なんてな事を思いついて悩んでおります

そうなると5月初めにルソン島の北を出発でその前に場合によってはフィリピンで上架。出来なければ日本までそのまま帰って日本で上架。

バイスを3月末に出て北上すれば上架してペンキを塗ったり新しいレーダーを取り付けたりも出来るのでは・・とそのように考えが進みます。

んんん~ん!! 悩んでいます


話しは変わりますが最近「英語」を話すのが面倒になって・・困っています ずっとクルージングを続けていた時は別にそう意識もせず話してたのですがこのところ日本での生活が多くなったからか話すのに「疲れるのです」 これも日本に帰ろうと思ったきっかけだったのかもしれません。 しかし2010年からの計画はまた英語が必要なのに・・・



そう言えば昨日訪ねてくるかと思っていた日本人は何故かきませんでした。どうしたんでしょう??? まあそれで良かったのですが・・

日本人といえばフィリピンに住んでいる日本人でリンクにもある横田氏にはこちらに来てから何度も連絡をとっています 横田氏は間違いなく「金持ち」ですが(フィリピンのほか日本や中国などに工場がある優良企業の社長です)実にいい人で僕は常に面倒をかけています。 その横田氏は数台の飛行機のほかクルーザーやヨットも持っていてそれをスービックヨットクラブに停めています  そんなことから今回最初の計画がスービックでホロホロを上架して修理やペンキ塗りをすることだったのです 今日電話をくれたのでとりあえずアメリカから取り寄せるレーダーを受け取って欲しいと頼みました。 海外で知り合うと同じ言葉が話せ理解し易い日本人と友達になりやすいですが最近「いろんな人」が居てうっかり友達になると思わぬ結果が待っていると言う話しもアチコチで聞きます

その例として一緒にご飯を食べに行ったらいつの間にか居なくなって「その人の前のツケまで払わされた」とか持っているものをちょっと貸してと言って戻ってこなかったり、強盗に変身したりとなかなか油断できないのです。 まあ最近の日本も僕が出航した13年あまり前から比べると随分物騒な国になっていましたが・・


写真はこのところ毎日通っているインターネットカフェの前の通りです。一応分離帯があって、そこにはブーゲンビリアやプルメリアの木が植わり花を沢山つけています。 写真では見難いですがこちらのトライスクルには二種類あって150CCのオートバイが動力のものと「脚漕ぎの自転車」が動力のものがあります。どちらも同じ値段で乗れますが「人」が動力のトライスクルに乗ると坂道で「はぁはぁ」息をするから乗ってるほうも疲れてしまいます この写真では手前はオートバイのトライスクルで向こうを走っているのが「自転車」のトライスクルです。 またもっと解り易い写真を次回アップします。 クリックすると大きく見えます
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バイスの事

2006年12月13日 11時58分40秒 | 長期のヨット生活
今日もいい天気のフィリピン、ネグロス島バイス市です。 写真はホロホロを停めているサウスバイスベイで、いつもここから上陸しています詳しく言えば写真右の方の突き出た石積みのところです。

この辺りは小さな山の裾で平らな土地は少ししかないのでどの家も海にせり出して建てられています。 極めて簡単に海に伸ばした杭の上に建てた家もあり、台風が来たらどうなるんだろうと思うのですが・・いざ台風が発生しても心配している人は見ません 多分長い間そんな被害を受けるような台風の進路に当たってないのだろうと思いますが・・ニュースが入っていないと言うことも考えられなくはありません

昨日書き忘れたことですがヨットの周りで網を仕掛けて小舟のヘリを叩いたり、お椀ののようなモノを棒の先につけて「音を出し」慌てて逃げる魚を網にかける漁法をする漁師は朝の3時ごろから夜中まで入れ替わり次々とやってきて「ドボンドボン」とやっています。

夕方、山に陽が沈み夕焼けになるころ晩飯なのですが、そのとき山のほうに住んでいる人たちが夕ご飯の支度か煙があちこちから立ち昇っています街の一部ではプロパンガスも使われていますが主流は炭です。山では薪が一般的なので煙が立ち昇るのでしょう 他に煙は風が弱い日にサトウキビ畑の屑を焼く大きな火が空を染めるほどに見えることもあります。 それらは「のどか」で「だる~っと」した熱帯の夕暮れに似合い、「ぼけ~っと」周りが暗くなるまで過ごします

今朝インターネットカフェに来たらすぐ「会いたい人が居る」と伝言がきました。日本人らしいのですが・・「ここに一日居る」と言ってあるんですがまだ顔を見せません  それにしても誰から聞いたのか?? どんな人が来るのか少々  何しろフィリピンには日本で退職してからこちらに来て若い女性と暮らしている老人が一番多いとはいえ、明らかに「組」の人もマニラ周辺では結構見たり聞いたりしたのです


 

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サウスバイスベイの一日

2006年12月12日 12時58分01秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
今日もいい天気です。 今日はホロホロ三世を停めている港の一日を紹介しましょう

朝と言ってもまだ暗い午前4時前から「雄鶏の鳴き声」がそこらじゅうから聞こえてきます。 僕らは沖に居るから良い様なものの近くの人はさぞ迷惑だと思うのですが・・・ その鳴声の正体は写真の「闘鶏」に使うニワトリなのです。 フィリピンで闘鶏は一般的で各地に「闘鶏場」があって、お金を賭けて熱気ムンムン・・そしてそれはかなり残酷で相手の鶏が死ぬまで戦わされます 長距離バスに乗ると大抵何人かが穴が開いたダンボール箱に鶏を入れて運んでいます。 鶏の飼い主は「特別なエサ」をやり、羽には脂を塗ったり常に撫でたり擦ったりと非常に大事にしています。 そんな鶏が闘鶏で負けると酷く落ち込んでいます。勝ったら幾らかのお金をくれるみたいですが・・・

夜が明けると小さな帆掛け舟に二人乗りで出かける漁師が何組かいます。 陽が昇ると大きな漁船が一隻か二隻入ってきます。夜の間に漁をして獲れた魚を水揚げするのですが漁船に乗っている人の数を見ると日本人なら誰でもかなり驚くほど人が盛り上がっています ホロホロより少し大きな船ですが50人は乗っています  巻き取りなどの機械がないから大きな網を仕掛けて揚げるのに必要な人数なんでしょうが・・居すぎ

これはフィリピンにはあまり企業がなく仕事がありません ところが子供はタダで作れるからドンドン生産します。その人たちが大きくなると「することが無いから漁師にでも・・」と漁師がドンドン増えます。ベニヤ板の小舟でも作るとなると一万円ほどかかりますからそれが出来ない人は大きな漁船の「乗り子」となるのです。 乗り子は何もなくてもなれますが当然給料は安く、沢山獲れた日は分け前もあるが獲れなかったら屑の魚をオカズに持って帰る程度のようです

普通の「船持ちの漁師」は風があれば帆で移動し無ければ手漕ぎです。この写真の後ろに写っている舟にアウトリガーをつけて行くのですが網をしたり釣りをしたりです。ひょっこり大きな魚が獲れると慌てて戻ってきてその魚を奥さんがすぐ市場に運びます。氷がないし冷蔵庫もないから・・

いずれにしても漁師が魚より多いほど居るのがフィリピンです。

日中はかなり陽射しが強いですがヨットの周りで網をして魚を追い込むために小舟の舷を叩く音やお椀のようなものに柄がついた物を勢い良く水の中に突っ込んで「ドボンドボン」と音を出すのが絶え間なく聞こえてきます。

夕方になると夜釣りに行く小舟がまた帆を張って数隻出て行きます。 そのころ我々はコクピットのテーブルで夕焼けを見ながら晩飯です。 そのあとテレビを見たり本を読んだりして9時ごろに電気を消して布団に入ります。
しばらくして「犬が喧嘩をする声」が聞こえてきます。何故か殆ど毎日のように・・この辺りの犬は皆放し飼いですから夜になると何処かに集まるようです。夜通し時々ですが遠吠えも聞こえます。 猫は滅多に見ませんが犬は沢山居ます。放し飼いのニワトリが沢山居るのに腹の減った犬がいて大丈夫なのが不思議ですが、小さな時にニワトリに近づいて「突付かれている」から大きくなってもニワトリが怖いようです。 


そんなバイスベイの一日が繰り返されています。追ってそれらの写真も掲載します。写真はクリックすると大きく見えます。

HPの「画像貼り付け掲示板」に戻って来た漁船の写真アップしました
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台風一過というべきか・・

2006年12月11日 11時37分04秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
バイスの街もクリスマスの飾り付けが殆ど終わり夜はその飾りのネオンがおとぎの国に入ったように輝いています 
台風は過ぎ、またギンギラと輝く強烈な日差しの中インターネットカフェに来ています。 季節風待ちもあり今週もほぼ毎日来る予定なのですが理由は少しだけ「株」をします。この前から見ているのですがここ数年と違い「流れが変わった・・」ような・・・企業の予想利益が下方修正されているのが多い こんな場面ではかなり注意しないと・・なんて思いながら見ています


12.9  台風が北緯10度付近を西に移動している。ここは北緯9度30分だから大陸の高気圧に押さえられて北に行けなければ、かなり近
くを通る可能性が出てきた。 台風は進路の右側が危険で、左側はそれほどでないと言われているが用心に越したことはないとブイに太い
ロープで繋ぎ、一つアンカーを入れ、予備のアンカーも緊急時にはすぐに打てるように準備。日除けのテントも全て外し万全の体制にした。
数隻の大きな漁船もここに非難してきて「やはりここはタイフーンホール」(台風でも安全な港)と安心。ところが夕方になっても風は全
く強くならないし雨も殆ど無い。 そんなはずはないと思い続けて夜が明けた。 徳島で生まれ育った僕は台風の威力を「恐怖」に近い感
じで何度も味わっている。 それほど徳島に来る台風は凄いのだ。


12.10 殆ど台風を感じることなく夜が明けた。 天気図をとると思ったほど高気圧が下りて来なかったようで台風の中心も少し北に
上がっていた。 一番近いときでも二度ほど離れていた。二度とは約120マイルで(約220キロ)、徳島の阿南市に上陸した台風を鳥
取県の米子市や松江市では多分この程度しか感じないだろうと進路と位置関係から思ったのでした。  この後の後ろ風が多少は吹くと予
想するもののまあ何事も無く終わりそうで良かったです。 しかし同じように生活してもヨットとキャンピングカーでは大違い。 その一
番の違いは「ブレーキ」にありです。 ヨットにはブレーキが無いからアンカーを打たないと一箇所に留まることが出来ません。そのアン
カーも風が強いと時々引けて流される事があります。 二番目に「土と水」です。ヨットは水の上に浮いているので波が出来るとその波で
上下運動をします。 駐車場のコンクリートが波のように動く事を想像してみてください。 「快適」には程遠く、常に緊張から逃れる事
が出来ないヨット生活ですが一番の「長所」は「世界中の何処にでも自由に移動できる」ことです。 それなりの制約はありますがキ
ャンピングカーで世界を回ろうとすると「登録、保険、税金」など国が変わるたびに手続きが大変・・・まあ一長一短ですね。 


何をしてもそんなもので「生まれ変わったら・・」と誰もが考え、殆どの人が「今とは違った生き方」を考えるので無いでしょうか?
僕も良くそんなことを思うのですが、もし生まれ変われたとしたら「サラリーマン」になりたい。公務員か団体職員。 出世は望まないけれど国民や地域住民の為になることをボチボチやりながら出来る限り休暇は消化して趣味を
広げつつ定年まで勤める。 定年になったら200万円ほどで中古のヨットを買い、年金を貰いつつ東南アジアを中心に6~7年クルージングし、
それが飽きたらキャンピングカーで日本の山に登る。それも出来ない体力になったら田舎に移って野菜など作りながら、釣りやウナギやカニを獲りながら暮らす 後半は今の生活と似たようなものだが、生まれ変わって絶対なりたく無いのは「経営者」。 これはとにかく「丁度いい」
ところがない。 必死ですればドンドン成長するが心身ともに疲れるし同業者を苦しめる。 ではしなければどうなるかと言えば「潰れる」。上に行
くか下に行くかの二本しか道が無い世界のように思うからだ。 あと成りたくないのは「貧乏」と「大金持ち」。 来月の生活費や月末の支
払いの心配をしていたのでは多分「愉しくない」と思うし借金取りから逃げるのも辛い。大金持ちになると僕の性格から考えて
「健康に悪い」ような気がする。   結局のところ僕が求めるのはごく「一般的」かつ「平均的」生活でそれが一番簡単そうに見えるのだけれど・・やってみると「それはそれで」大変なのかも知れない。 

皆さんはどう思っているのでしょうか・・・ 


写真はクリスマスの飾り付けが出来たバイス市役所です。クリスマスを前に色々なイベントもこの広場で行われています 写真をクリックすると大きく見えます。    
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うふっ・・・

2006年12月08日 10時30分27秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
また台風が接近中です。 昨日のブログを読んで僕がかなりフィリピン人に近づいていると感じたことでしょう  そう普通の日本人なら調子が悪いテレビなどあげるのが普通ですよね 実のところ今までどれほど高価なものも皆あげてきたのです  しかし長期に滞在する場所では「無料」で上げると後が大変なのです  

先日もトライスクルの運転手が「風邪ひいた」と言うから薬を10日分ほどあげました ところがこの辺りで薬は高価だから「ただでくれる」と言うニュースが瞬く間に市内に広がります 翌日何人が腹が痛いとか傷が化膿しているとか肩が凝る、なかにはフィリピン人は食い物が悪いからビタミン剤はないか?栄養剤は?などなど「ただの薬を欲しがったか・・」 そうなると断るのは気の毒だし、かといって言うとおりに上げていたら切が無い。

そこでどのくらい欲しいのかと「じゃあ安くなら売ってあげる」と10日分の抗生物質(千円以上したと思う)を20ペソで、風邪薬も20ペソ、と言うと皆考えてやめるのです。 そこでどんなに安くてもお金を払う人は「本当に必要」なのだと考えて僅かでも値をつけてみたのです

しかしこの辺の一般フィリピンは200ペソでも余裕のある人は限られ近所から借り集めることになりました  海外での初収入の200ペソをどうしたかと言うと写真のマングローブクラブを買いました 僕は「カニ大好き人間」だから・・大きいでしょ。これはここでも高価で一匹200ペソします。一キロ150ペソなんです。 でもこれを僕が買わなくても買う人は結構います。 「あるところにはあるのです」

その究極に近い人に一応「友達」がいてその奥さんと娘は年中ヨーロッパだ、アメリカだと買い物とカジノに飛びまわり年間なんと「一億円」使うそうです
 2700ヘクタールのサトウキビ畑を持ち、他に幾つかの商売をし、政治に携わっています 話せば大変面白い人ですが決して立派な人では無いように思います。不労収入がそれほどあれば買い物や博打に走り回って浪費するより図書館を建てるとかなんかもっと他に一部でも使い道があるように思うのですが・・・基本的にこのような代々搾取で生きているようなお金持ちと言うのがあまり好きでないのも事実ですが・・・(お金持ちの中にも立派で素晴らしい、僕が好きな人もいますが・・)(この人も選挙で選ばれるくらいだから僕の知らない部分で皆の為になることをしているのかも知れませんが・・・)


僕は次世代の人材を育てる為にも60歳とか65歳の定年を過ぎたら生活に困っている人以外は働かない方が世の中の為になると考えている人です。 定年になり自由な時間が持てるようになった「老後」の過ごし方として大金を使って遊ぶ人より、もっと身近でやろうと思えば誰でも出来るけどその実なかなか・・・・そんな人を僕は立派とか素晴らしいと思います。それは「限られた収入のお金を工夫しながらうまく使っている人」です。  身近ではリンクにもある加古川のbagus夫妻。一部上場会社に勤めていた年金(金のなる木が裏庭にあると言う噂もあるが・・)だから退職公務員に近い額はあるとおもうのですが・・うまく遊んでいます。「悠遊SEA LIFE」見てみてください

写真のマングローブクラブは茹でるのに失敗し脚がみんな外れて不恰好ですが・・味は・・うまかったです~~  写真をクリックすると大きく見えます
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バイスでは・・

2006年12月07日 12時09分45秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
フィリピンで一番気に入っているここバイスは昨日の曇り空とうって変わってピーカン状態。どちらかと言うと曇っているほうが涼しくて良いんですが・・それでも一応冬だから朝夕は涼しく24度くらいです。しかし直射日光を受けると「魔の光線」すぐに肌がピリピリしてきます 日本との時差は一時間で日本が八時にこちらは七時。

テレビの修理の顛末は・・ビデオは映るようになったけどテレビが見えない。部品を交換すると言って中古部品を探すと言うから面倒になって(あまりテレビは見ないし・・)売りました  値段ですか?? 修理の兄ちゃんが隣近所からお金を借り集めてでも買いたい値段の200ペソ(500円)でしたでも日本に持って帰ると捨てるお金がいるもんね

兄ちゃん大喜びで(修理して3000ペソ以上は売れると思う)大感謝して手をとって「友達、友達」と言い、もっと他に電気製品は無いかといってくれました。 こちらで「友達」とは日本語に訳すと「良いカモ」となります


今回はテレビを店内で修理中の兄ちゃんの写真をアップしました。写真をクリックすると大きくなります
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お久しぶりになりました

2006年12月06日 12時56分18秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
ご心配お掛けしました 憎まれっ子は台風の影響も受けず・・しかしながらなかなか思うように立てた計画のようにも進まず、苦心しています。 バイスから一度は「ヨッティの墓場」ボンボノンに戻っていたのですが・・またバイスに戻ってきました しばらくバイスに滞在するのでブログ、HPともにアップできると思います

前回の最終アップの後、何をしていたかは下記の日記を読んでくださいね。



11.26 日本が電気製品を修理しなくなってから随分になるがフィリピンでは日本で廃棄された電気製品まで修理して売られているし、
テレビやラジオが壊れて直すのは当然。ヨットの生活は常にフィリピンと肩を並べるほど何でも修理する。バケツの底が抜けてもエポキシ
ボンドで貼り付けるし、およそヨットにあるもので何処も直していない物を探せと言われたほうが大変なくらいでこれはホロホロに限らずア
メリカのヨットもヨーロッパのヨットもオセアニアのヨットも似たような暮らしをしている。

今日電気製品の修理屋へ調子が悪いテレビを持ち込んで修理を見ていたら隣のテレビのメーカー名がNihonと書いてあるのが目に入った。一
瞬 ニコンがテレビに進出したのか(字体が似ている)と良く見れば「ニホン」そんなメーカーあったかな~・・とまた隣のDVDレコーダー
を見て(@_@;)なんと「AKIO」アキオと書いてある。こんなメーカーも知らない。しかしどちらもメーカー名は明らかな日本語で造られた国
の名前はないが「主要な部分は日本製」と書いてあったけどほんとかな~~・・  これらの写真アップしますので頭をひねってみてくださ
い。 面白いものがイッパイある国です。


11.27 フィリピンの常識で一番の問題??は盗難品や落し物(忘れ物)の処理だと思う。日本では通常このような場合には警察に届け
場合によってはそれなりの捜査をする。フィリピンの場合モノが盗まれても警察に届けるとまず犯人が捕まったり品物が帰ってくることは無
い。なぜならそれが高価なものの場合だと警察は犯人を捜すが見つけても犯人と交渉して犯人からお金を受け取り目をつむるのが常識と言わ
れている。ではどうすればその品物が戻ってくるかと言えば、これは我々も何度か経験していることだが「○○が無くなったとか盗まれた!」
と騒ぐのである。そうすると必ず誰かが「それは幾ら位するの?」と聞いてくる。「二万円」と答えたとすると大体三千円から5千円出せば
「探してあげる」と持ちかけてくる。そして大概その日か翌日には品物を持って現れるから不思議としか言いようが無い。多分フィリピン世
界では「誰が盗んだか解っている」としか思えない。そして仲介人と泥棒がその金を分け合うのだろう。もしかすると「探してやる」と言っ
てくる本人が盗んでいるのかもしれない。もちろん犯人が誰かは最後まで全く解らない。とにかく盗まれたら「買い戻す」以外戻ってくる事
はないというのがこの国の常識である。

今日でフィリピンに入国して60日となりビザの延長をした。フィリピンのアンカーチェーンが信頼できないのでマレーシアに行こうかと考
えたりしているので30日だけ延長したら二人で5840ペソでこれはこの辺りのフィリピン人の高給取りが一ヶ月に貰えるサラリーだから
かなり高い。



11.28 水も少なくなってきたし、アンカーチェーンの情報も得たいと「ヨッティの墓場」ボンボノンに舞い戻った。朝6時にバイスを
出て着いたのは午後1時。行く時と同様、全行程追っ手の風でセールを観音開きにして楽な航海だった。 半月あまり離れていたボンボノン
は相変わらず動く気配のない沢山の「老人ヨッティ」が若いフィリピン女性と過ごしていた。 日本のヨット「パパラギ」の家村氏は僕と
同年代ながら独身故に喜色満面、元気に溢れていて携帯のメールで地元の数人の若い女性とのやり取りに忙しくしていた。


11.29 パソコンで見る海図(シーマップ)を見やすく便利に使える「マキシー」を手に入れようと朝からヨットを周ったがパソコンに
一番詳しいスペイン人が今朝の飛行機で国に一時帰国するので時間がなくオーストラリア人からコピーを貰ったが僕の知識ではどうにもなら
ない。そのオーストラリア人も人に入れて貰っているのでどうにもならず当面の「宿題」となっている。夕方潮が満ちてきた時間を見計らっ
てポリ缶8つに水を運んできた。

この後どう動くかの判断をしなければならないがアンカーチェーンを手に入れにマレーシアまで行くと北東モンスーンの吹く4月まで北上が
厳しくなるし、ここから北上するのは風だけを言えば簡単だがアンカーチェーンがフィリピン製では頼りないし本当に判断が難しい。 台風
21号ドリアンが現在ルソン島に上陸、最大風速50メートルでスピードが遅くかなりの被害が出そうであるが五度ほど離れているここは南
の風に変わっているものの通常の風しか吹いていない。まあ次の月夜にスル海を渡る可能性が高そうである。


11.30 パソコンGPSが届いてからシーマップが使えるようになったので、もっと新しいのを入れてもっと便利に使いたいと今日もアチコ
チのヨットを周り2004年版のものをコピーすることが出来た。 ところが新しくなるにつれ入力が難しくなっていて幾ら入れても思うよ
うに動いてくれない。もう少しパソコン技術があれば・・なんですが使っている本人も誰か腕の達つ人に入れてもらっているので使い方しか
解らない。一日中努力してみたが結局諦めて「そのうち達人がいるだろう」と先送りになっているが頑張りすぎて疲れてしまった。


12.1 マレーシアのボルネオ島までアンカーチェーンを買いに行くことに決定。ボルネオまでは350マイルあり、スル海を横断しなけ
ればならない。 今のシーズンは追っての風で丸三日ほどだが・・長いこと夜なんて走っていない。 最近すっかり目が腐ってしまい遠くの
一つの灯りが5つも6つもに見える。美由紀も同じでこんな二人がレーダーが故障している状況で走れるだろうか?? ボルネオに行くつも
りで「ヨッティの墓場」に戻ったものの出航から到着までをシュミレーションしてみるとどうも今ひとつ安心出来ない。 「考え中」 とり
あえずフライディナイトでビールなど呑みながら考えるとしよう。


12.2 丸三日のスル海横断航海は月夜を選べばレーダー無しで「腐った目」の二人でもなんとかなるような気がして満月を探すと12月
5日だった。 そうなるとすぐ出なければならない。日本のヨットの家村氏他数人に「火曜日に出る」と言った物の「忙しすぎる」ここで無
ければ難しい「新しい電子地図」を使えるようにしようとまた走り回り「もしかすれば・・」と言うフランス人のギーさんに来てもらったが
何故か最終段階の地図とGPSがうまく繋がって機能せず。


12.3 働き者の僕は土曜も日曜もなく忙しく航海の準備をしているが目の前のパパラギ「家○氏」は数人の地元女性を相手に忙しい。
21歳の女性クルーを乗せようかどうかで悩んでいるが僕の悩みとは大きく違い単なる「スケベー悩み」としか言いようが無い。いずれにし
てもホロホロはここから抜け出そうとブルースの井戸から水を運んだ。 昼過ぎ新しいヨットが入港。なんと日本のヨットで「さきがけ」幸
か不幸かスズキ氏は日本人の奥さんと二人乗り。家村氏とは対照的に元気がなかった。ニュージーランドで木造ケッチを買ったのが1998
年、その後南太平洋の島々を周りミクロネシア諸島を経てフィリピンに入ってすでに4年とか・・(主にセブ島やボホール島に居たとか)
 フィリピン全体が「ヨッティの墓場」なのかと・・・その墓場から抜け出そうともがいているホロホロはサンディナイトの後「決定」しま
した。 長いこと夜に走ってないから練習に「バイス」へ行こうと・・ (なかなかフィリピンから出られない・・・)


12.4 朝からまたブルースの井戸で水を汲んで運び晩御飯も食べて月明かりの中20時出航。風は弱いとは言え真向かい。帆も揚げず
エンジンのみでネグロス島の南岸沿いをドマゲティ沖まで来たら一時だった。大潮なのに引き潮に変わったばかりでセブ島とネグロス島の
間の海峡を逆潮で進まなければならなかった。エンジンを2800回転まで上げて3ノットしか進まない。普通なら6ノットは走る回転数
なのに・・・バイスの入り口に到着したのが六時。アンカーを打って落ち着いたら7時前だった。 しかし月明かりさえあれば「腐った目」
でも双眼鏡を利用すればなんとか夜間も走れることが解った。  疲れていたけど一時間ほど寝て市場に買出し。 刺身を食べて元気を取
り戻します。
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