outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

定年退職後の生活(3)

2011年05月31日 23時19分43秒 | 退職生活
昨日もブログを書き終えてすぐ、工作場へ行って出来上がった刃物を撫でたり擦ったりしてたんですが

今日は朝一番から・・・昨日の風被害で倒れた野菜の支柱を新しくするのに、その刃物で竹を切って(スパッと切れる)畑に打ち込み、針金で留めました

それから・・・ナカヤ氏のヨット「熊丸」が上架するのを手伝いに

常泊地からヨットクラブの前に移動して、クレーンで吊り上げると

長く放置していたので・・・船底は牡蠣の養殖場になっていました

でも・・ケレン棒で掻き落すと、簡単に落とせます

二人で最初、大きなのを落として・・・後はゆっくり「根」を掻き落していたんですが・・・途中で時間切れ。

ナカヤ氏が今月号のB-PAL(アウトドアの雑誌)に掲載されている鉈兼用の大型ナイフの写真を見せるので

また刃物が作りたくなって、戻ってからその雑誌や、手持ちの鉈や出刃包丁などを並べて・・・

「万能鉈」を作る作戦展開中です

本に掲載されているのは・・・見た目はナイフで綺麗なんですが・・・実用性となるとイマイチの感がします。

しかし・・「万能」を考えると今回は先端部が切り落としで無く、角度を70度位にして、背に向って包丁型に切り、鉈としてだけでなく包丁としての役目が果たせ、魚を裁き刺身に出来、また野菜や果物も調理できる「キャンプ用」にしたいと思っています

どの様な仕上がりになるか・・・お楽しみに!

さて今日も「定年後の生活」について書きます

一昨日少し書きましたが、国民健康保険の掛け金は、前年度の所得から計算されますから、定年退職の翌年だけは「最高額69万円?」かそれに近い額の請求となり・・・かなり慌てる人もいると思います

ただこれは一年だけで、次の年は少なくなるんですが・・・

いずれにしても国民健康保険は「日本に居住する人」に支払い義務があります

と言うことは・・・翌年外国に居たら、支払いの義務はありません

意外と簡単で、役所に行って、どこかの国(特定する必要があったと思う)へ「移住する」と言えば、請求は来ません。

もしも病気で半年後に帰国したとすると・・・また役所へパスポートを持って行けば不在の間の保険料を差し引いた保険料を払えば、保険証はすぐに貰えます

一年以上海外に居た場合だと、所得は年金だけですから・・・保険料は少なくてすみます。

実は僕も知らなかったんですが、退職後すぐフィリピンに来ている人に教わりました

69万円と言えば、フィリピンなら家を借りて半年ほど暮らせるお金だから、賢い考えに驚いたものです。

フィリピンに限らず、東南アジアの国々で退職後の数年を過ごすのは良い考えと思います

そしてそんな人は何万人(何十万人かも知れないけど)と居ます。

東南アジアに本当に移住する人も少なくありませんが、僕が現地に来ている色々な人達と話をして・・・

移住して、日本に居るより遥かに愉しく幸せだと感じた人は・・・年金(預貯金も割り算して)が一ヶ月当り15万円以下の人(持ち家が無く20万円以下の人も含む)や、男でも女でも独身で一緒に暮らす相手が欲しい人達です

実際に日本で暮らすと15万円の予算では、余程創造力のある人で無ければ愉しく遊んで暮らせないと思います

またその程度の年金で若い女性や男性が一緒に愉しくは暮らしてはくれないと思います。

それが・・・東南アジアの国々では誰でも行けば実現します。(時に騙される人も居るが、その人達は年金だけでなく、殆どがお金を沢山持っている)

ただ、年金が20万、30万ある人でも、数年の間アチコチと数ヶ月とか一年づつ移動して暮らして見るのは非常に面白いと思います

特に年金が満額もらえる65歳までの間、にそれをしておくと、先々の楽しみ方も違ってくると思います。

「治安が悪い」と心配する人も居ますが、僕は東南アジア各国で8年ほど居ましたが「大都会」を除けば、今の日本より良い位でした

病気の心配をする人も居ますが、マレーシアやシンガポールは日本と変わらない位進んでいます。

他の国はまだまだですが、普通の病気なら対応できます

手術など大きな病気の場合なら、飛行機に乗れば4~6時間で東京や大阪に着けますから日本に戻った方が良いと思います。

現地で病院に掛かった場合ですが、保険に入ってないと心配かも知れませんが、全額払っても日本の初診料以内で殆どの治療が受けられます

ただ・・・フィリピンでは驚くような診察もありましたが

歯医者さんは少し高く、マレーシアで虫歯の治療、麻酔をして神経を抜き、抗生物質をの薬を貰い、削って詰め物をし、銀を被せましたが一万円位でした。

歯茎を切って剥がし、骨を削る治療も受けましたが5千円位でした。

そんな事で東南アジアで長期滞在する場合に病気治療の保険保険に入る必要は無いと感じています。

保険料より安く治療できますから・・・歯医者さんはどんな保険も効かないしね。

今日はここまでにして・・・また明日です






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定年退職後の生活(2)

2011年05月30日 21時37分20秒 | 退職生活
今日は大変嬉しい事とちょっぴり哀しい事がありました。

嬉しい事は・・・昨日から作っていた「匕首(短刀)」が奇跡的?とも言える程の「良い焼き入れ加減」で仕上がりました

今までいつも「焼入れ」に失敗して・・・刃が割れていたんですが・・・

今日は一度目は「焼不足」で柔らかかったんですが、二度目はピッタリ

砥ぐと、まだ少し柔らかすぎると感じるんですが・・・木を削っても刃が弱らず、切れ味抜群です

これは・・「大久保鍛冶屋」さんの刃物もそんな感じで・・・プロ並み?

でも・・まぐれだから・・もう一度このように出来る自信はありません

哀しい事は、昨日の台風で被害が無くて良かったと思っていた野菜が・・・

昨夜から、今日一日吹き続けた「強い北西風」でトマトなどが大被害

もう小さな実がなっていたのに・・・復活しないかも知れません

さて、昨日に続いて「退職後の生活」について書きます

昨日で幾分僕の状況が解ってもらえたと思うんですが・・・

書き足りない分はその都度書くことにして、先に進みます。

定年退職後の一番の心配は経済面だと思います。

ヨットで世界一周に出ると、ヨットと言うのは天候を見て航海するので、渡り鳥の様に、同じ頃に同じ方向へ周辺のヨットは揃ったように移動します

言い換えると、一緒の泊地で泊っていたヨットとは多少寄港する島や港が違っても、シーズン中(約半年間)大体周辺のどこかに居ると思って良い位です。

そんな事で似たような考えや予算の場合、かなり親しい友達になっていきます

ホロホロの場合、一番仲良くしたのはスイスのヨット「シッピボ」でカリブ海で初めて会ってから・・・なんとタイのプーケットまで地球を半周しました

数ヶ月や一年位は沢山のヨットと共にしましたが、知ったヨットに会えば大抵お酒や食べ物を持ち寄って、軽く一杯一緒に呑む事になります

日本人は全くと言える位居ませんが・・・

そのように一緒に呑む初めの頃の会話で、長く付き合いたいと思ってくれた人は「予算は?」と聞きます。

これは、その予算に合う情報をくれたり、誘ったりする為の基礎になるからです

ヨットで航海している人達は「長期の旅(平均七年で世界一周する)」であり、「定年退職者」か「早期退職者」です。

その人達はしっかりした予算を決めていました

ところが・・・初期の僕らは「決まった予算」を持っていませんでした

多分殆どの日本人がそうだと思うんですが・・・「付き合いもあるし、何が起きるか解らないし、要るだけは要るから予算なんて組めない」と思っていました。

しかし・・・僕らの場合、その頃43歳でしたから「このままでは、お金が足りなくなる」と思っているので「節約しなければ・・・」と言う思いは強いものがありました。

今考えれば・・・馬鹿げていたと笑えるんですが・・・

なんてことないんです。

その人達の様に、ちゃんと「年間予算」を決めればよかっただけなんです。

年間予算を決めると、一ヶ月の予算がある程度決まり、一日の予算にも目途が立ちます

色々な場面に遭遇しますが・・・出来ることと、出来ない事が直ちに判断できます。

予算が決まっているから、出来ない事、出来る事の区別が可能なんです

そして出来る事だけを、愉しくすればいいだけなんです。

予算を組んだ最初は、それで大丈夫だろうか?と心配したのも事実ですが・・・

これで迷う必要がなくなりました

迷うのは精神的にも良くありません。予算を組んでなかったら、しようと思えば出来るけど・・・などと・・思いながら・・・少しでも節約しなければ・・・などと中途半端なケチになります

少ない予算でも、年間予算を組んだら「それを使い切る」ようにすると、全然ケチにならず、いつも心に余裕が出来て、予算が無いわりに気前がよくなるんです

やってみれば解ります。

そして僕らは、殆ど年金が無いんですが、90歳まで生きて遊べると考え、割り算で蓄えを切り崩す事で「年間300万円」を予算として組みました

それからの僕らは・・・経済面で全く不安が無くなり、気持ちに余裕が出来て・・・何をしても愉しくなりました

それで・・・その生活を長く続けた今は・・・自然に予算が使いきれるようになり、おまけに上手に「前倒し」なども利用して、益々遊びが広がり、社会に役立てるようになっています

今日はここまでで、続きはまた明日。

写真は「奇跡の切れ味」となった自作の短刀です

元の材料は軽トラックの板バネで、近くのスクラップ屋さんから貰って来たものです。

それをディスクサンダーで粗方の形を作り、ガスで焼いて、水に漬け「焼き入れ」したものを、青棒で磨き、仕上げ砥石で刃をつけました

刃渡りは20センチです。

肉厚があるのでずっしりと重く、鉈に近い感じで使うつもりです

柄とケース(鞘)は桐の板を張り合わせて作りました。

ボンドの乾燥もあり、二日余りの作業となりましたが・・・こんなに素晴らしい切れ味だと・・・嬉しくて・・・何度も何度も眺めて、切って喜んでいます

ちょっと仕上げが荒いけど・・・先が尖らせないから・・・格好よく仕上げる元気がイマイチ出なかったんですが・・・驚異的切れ味なんですよ。

写真をクリックすると大きく見えます











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定年退職後の生活の1

2011年05月29日 21時11分08秒 | 退職生活
台風は思ったより楽に通過してくれたようで、目の前に川がある、我が倉庫ハウスも・・・常だから覚悟していた床下浸水も無く、安心して喜んでいます

今日は、昨日から約束していた「退職後の生活」について書きます。

書く事を理解して貰うには、少々面倒なんですが・・「定義」が必要と思います。

それが無いと、比較が出来ませんから・・・充分理解出来ないまま・・何となく解ったような・・解らないような・・・と言った事が起きますので・・・

辛抱してその「定義」を読んでください

僕が書ける事は、実際に経験した「自分の事」を基礎にしてでしかありません。

そしてその経験も、多分今までの日本人が経験した事が無い世界を歩いている気がします。

しかし西欧諸国では決して珍しくなく、どちらかと言えば「普通」の事です。

言い換えれば22歳から外国で暮らし、その後も毎年海外に行き、ヨットで日本を出てから14年と・・・長く海外の人達と接して教わった事の「受け売り」と思ってください

年齢は夫婦共に62歳で、徳島県阿南市の市街のやや外れに家があります。

「経済環境」ですが、僕等は年間300万円が予算の人です(後で詳しく書きます)

借金はゼロで持ち家があります

子供は35歳前後の男女が一人づつ居ますが、二人共未婚で結婚出来そうな気配はありません

そればかりか・・・二人共食べていくのがやっとで、社会を支えるところには程遠いです。

娘の幸代は一年余り前から自営を始めたんですが・・・最初の頃、家賃、経費、借金の返済を済ますと・・・一ヶ月の生活予算(食費、衣料など身の回り品)が三万円しかないと言っていたんですが、最近は少し良くなってるようです

息子の誉之は、パソコンに狂っていて・・・今まで別居でしたが、去年の暮れから同居して、「ずっと一緒にアウトドアして遊ぼう!」と僕が言ってるのに・・・・今年一月から派遣の仕事に行っています。

今はまだ自分が存在する理由に気付いていないのでしょう。

しかし・・・僕らは「子供には子供の人生がある」と思っているので、一切の援助はしていません。(同居の息子はただで住んでいるけど)

色々と気にはなり、幸せになって欲しいと思いますが、親の責任は「学業を終えるまで」でしょう。

今は「社会の一員」としてみています。

二人共弱者ですが・・・自分以上の弱者をいたわる優しい心を失くさず育ってくれた事は嬉しく思っています

自分の子供だけが幸せになるなんて事は、不可能な望みとも思いますから。

さて・・すこし本題に近づきますが、僕らは年間300万円の予算があればどの位社会に役立ちながら、愉しく遊ぶことが出来るかを試しながら生きています

そして20年余りの歳月が過ぎましたが・・・これだけあれば「何でも出来る」と「今は」思っています。

夫婦併せて25万円の年金があれば、預貯金がゼロでも僕がしているのと同じ事は出来るはずです

ブログをずっと読み返してくれると解りますが・・・一年の半分は旅をしていますし、休む事無く遊んでいます

そんな僕も・・随分昔になりましたが・・・仕事をしていた頃は、僕だけで毎年1千万円以上の小遣いを使っていたんですよ

所得も・・・沢山ありましたから・・・

でも・・・40歳の時「これで充分」と思ったから、三つの会社は極めて順調で登り調子でしたが・・・41歳で若い人に席を譲り、自分の夢と社会の為に「遊びの世界」で過ごすことにしました

確かに最初は戸惑いました。

遊び始めると・・・毎日遊べますから・・・節約していても(当時の感覚)・・・毎月百万円位のお金が掛かりました

それまでの生活から抜け出せず、このままでは「もう一度働かなければお金が足りなくなる」と思い、焦った事もありました

特にギャップが大きかったからか・・・「切り替え」が出来たのは・・・僕の場合遅くて・・・退職後二年半位の時でした

ヨットで世界一周に出て、アメリカンサモアに居た時でした。

ヨットで世界を周っている人達と言っても、様々な人が様々な生活をしています(全て夫婦又はカップルです)

大きく分けて4段階の経済観念かと思うんですが・・・

一ヶ月の予算が・・・Aのグループは「無制限」 

Bのグループはちょっと余裕がある「30万から100万」

Cのグループは一番多い年金組で「15万から20万」

Dのグループは「それ以下」

と大体この様になっていて、全ての行動も、入って来るニュースも大体グループ分けされていました

僕らホロホロ三世は、日本に居た時もハワイに着いてからも・・・Bのグループの中にいました。

港に着けばホテルのディナーショーに行き、食事はそこそこのレストランやホテルで摂り、タクシー、レンタカーで動く生活でした。

それが・・・ひょんな事でCグループの人と友達になって・・・

生活の仕方を学びました

そして・・・それが・・・やってみると「愉しい」

グループが大きいのでニュースも多く・・・その殆どが・・・「安く愉しく社会の為」ですから・・・・

同じように遊んでいたら・・・いつの間にか板についていました

日本で定年退職を迎えた人が・・・・この「切り替え」をいかに早く出来るかが・・・非常に重要です。

特に退職した翌年は初めての「国民健康保険」の掛け金だけにも目が眩むでしょう

働いていた間はプラスの生活が普通だったのに・・・定年退職すると・・・マイナスの生活になるんですから

長くなったので、今日はここまでにします。

今日の僕は「匕首(昔のヤクザが持つ「ドス」)」風の刃物を作っていました

日本の法律は・・・考えが浅くて・・男の性器をなくすようなのが多く・・・都合が良い刃物さえ作れません

作るだけ、持っているだけで罪ですから・・・仕方なく、先端の無い「風」の刃物になってしまいますが・・・

明日には仕上がるので・・・写真アップしますね



















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ヨットの台風対策と刃物砥ぎ

2011年05月28日 22時20分54秒 | 退職生活
まだ五月なのに・・・秋のような進路を来る台風が気がかりですね

ヨットを持っていると、台風が来る場合「台風対策」が必要になります。

そんなんで・・・8時半に家を出て徳島市内のケンチョピアへ

雨の中、合羽を着てロープを出し、予備に一本づつ繋いで、隣のヨットとぶつかった時の用心に、フェンダーを余分に入れて・・・

仲間のヨットも確認。

戻ったら昼で、飯を食って・・・今度は橘港の泊地へ

ここにも仲間のヨットがあるんですが・・・コクピットの排水が詰まって鯉が飼えるようになっていたので、排水管を掃除

ついでに・・・知らない人のヨットを確認してみると

二隻あるんですが・・・奇跡的?に二隻とも係船ロープが殆ど切れていました(三本を捩ってあるうちの二本が切れていた)

とりあえず、その殆ど切れている部分に荷が掛からないように結んで・・・持ち主を探して電話。

ヨットを海に浮かせているという事は・・・「海洋汚染」を起こす可能性がありますから、常に確認しなければいけないのに・・・「ほったらかし」の出来が悪い輩がいます

今回、もしも僕が確認しなかったら・・ロープが切れて岸壁に当るか、または仲間のヨットに当たって・・・沈没、油流出となっていたと思います。

漁協から・・・大勢の漁師さんが船を出して油の回収をしてくれますが・・・驚くほどの賠償金が必要です

なってからでは遅いのに・・・

そんな事をしていたら・・・三時近くになってました。

ジムニーに載せるルーフテントとルーフキャリアを再確認しようと思っていたらナカヤ氏が寄ってくれて・・・台風やヨットの話他

工作場に移って・・・持っている刃物類を並べて切れ味を調べると・・・最近使った5本(草刈鎌、鉈二本と阿呆ガマと蛮刀)の刃が少し痛んでいたから・・・

久しぶりに砥石を出して「砥ぎ師」しました

「刃物を砥ぐ」って言うのは、面白いですね

ちょっと指を切りましたが

今日の写真は・・・またバスです。

この写真を写したのは大改造が終ってすぐで、倉庫ハウスがまだ完全な倉庫だった頃です

「holoholo3」の文字もまだ入ってなくて・・・旅の途中で何度も「不審者扱い」されました

入れてからも二回されたけど

バスのキャンピングカーは少ないからだろうけど・・・

写真をクリックすると大きく見えます

今までにも書いた事があるんですが・・・カテゴリーを「退職生活」にした最近から、このブログを見てくれ始めた人が急に150人位増えたので・・・

退職生活20年以上の僕が、伝えたいと思うことを明日から数回に分けて、新米定年退職者や、定年を間近に控えた人達に「定年退職後の生活の知恵?」のようなものを書いてみます

結構見てくれているらしい、小学校高学年生や中学生の方は、退屈かも知れませんが・・・将来の為に辛抱お願いします
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区切りに思う

2011年05月27日 23時27分16秒 | 退職生活
何度も書いている事ですが・・・僕は夢があるので、人生を計画的に進んでいます

地球上に沢山の生物が居ても「夢や計画」が立てられるのは知能が高い「人間だけ」

夢を持ち、計画的に生きて初めて「人間に生まれた価値がある」と思っているからなんですが・・・

計画を実行する事で「夢は現実となって」・・「夢で無くなり」・・・「思い出」と姿を変えます

僕の様に幾つかの夢があり、計画があると「節目」がはっきり見えるように出来ます

そして・・・その節目の度に・・「得たもの」と「失うもの」を考えます

一番近い前の節目は・・・ヨット ホロホロ三世で日本に帰ってきた時でした

14年間の海外クルージングで得たものは、甲乙付けきれないものが数え切れない程ありました

しかし「失うもの」を考えた時・・・一番辛かったのは「吹き抜ける風」でした

常夏の国々をクルージングするヨットでは・・・昼も夜も、常に風の中で暮らしていて・・・その心地よさを失う事を大変哀しく、寂しく思いました

今回また一つの節目を、思いもよらなかったバスの故障で、心の準備が出来ないまま・・・計画より二ヶ月余り早く、その時を迎えました

得たものは今回も9年間で数え切れない程あります

「失うもの」を考えると・・・

「雪と新緑」かも知れません。

お酒を呑みながら・・バスの窓から雪を頂いた山々を見ていた日々

同じく・・・新緑に囲まれて過ごした日々

なんど「人生やな~・・・」とつぶやいた事でしょう。

ただ・・・突然すぎて・・・もしかすると「失うもの」にもっと大きなものがあるのかも知れない

そんな不安が残っているんですが・・・・

次の夢に向って進まなければ・・・同じ事を続けていたら・・いつか飽きる日も来るし・・・飽きれば愉しく無くなります・・・

これを言い換えると・・区切りがあるから一生懸命生きれるんです

一生懸命愉しみ、一生懸命考えることが出来ます

それは、自分で決めながらも「余命の宣告」に似たような事なのかも知れません。

色々な思いの中、キャンピングバスに載っている物を少しづつ、家に運んでいます。

一つの夢を終えるのは、卒業のように寂しく涙がでます

バスと共に得た思い出が駆け巡ります。

もう少し・・続けたかったと・・・今日だけで何度思ったか

今日の写真は・・・そんな思いのキャンピングバスの内部構造のイラストです。

キャンピングバスについての詳しい説明や写真はホームページ{溝田正行の世界}の「日本の名山へ登る旅」の「キャンピングカー」をクリックすると解ります

本当に沢山の人達が関わってくれて完成し、旅の先々でも・・・沢山の出合いがありました。

写真をクリックすると大きく見えます

















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涙の廃車手続き

2011年05月26日 20時27分26秒 | 退職生活
昨日、修理工場で見てもらって、キャンピングバスを廃車する事に決めてはいたんですが

何も行動は起こしていませんでした

夕べ布団に入って・・・考えると・・「寂しい」

寂しすぎるんです

9年に渡って、基本的に年間5ヶ月の山旅を一緒にしてきたバスですから

それなら・・・代わりに・・・何かの目途をつけないと・・・廃車行動に移せないと・・・

夜中の二時に起き出して・・・パソコンの前に座りました

実際問題として・・・これから7年間は、日本国内を長期に旅する計画はありません。

日本に居る間に、アルプスに登りたくなっても、残りの三百名山に登りたいと思っても・・・一回が一週間程度の短い旅ですから・・・

専用のキャンピングカーは必要ありません

その程度なら旅館に泊まってもいいくらいなんです。

でも・・・気持ちの「整理」が難しいと言うか・・・

「失う事」で寂しさが押し寄せてきました

それで・・・今年一月に買ったスズキ ジムニーの屋根の上に「ルーフテント」(説明が難しいのでインターネットで見てください)を載せるように出来るかを調べ始めました

ルーフテントはルーフキャリアの上に取り付けるんですが・・・結構重量があります。

そしてそこへ二人が上がって寝るわけですから・・・静止重量でも170キロ位あります。

僕が買ったジムニーは・・・オプションが沢山付いているけれど・・・肝心の屋根の上にルーフレールが付いて無い限定車です

それを・・・随分探して・・・一応二本のルーフキャリアで50キロまで保証されているジムニー用が二種類見つかりました

駐車している場合は2~3倍の強度はあるようなので・・・4本付けたら間違いなく大丈夫でしょう。

これだと・・・ルーフテントと両方で約40万円で買えます

ただ・・・滅多に使わないのに・・・常から付けていたら・・・車の安定も悪いし・・・高さが出来るから・・・行動も制限されます

山に行く時だけ、簡単に付くようにするには??などと考えていたら朝になりました。

買うとしても・・・すぐでは無いんですが・・・「付く目途」が立ったので・・・

キャンピングバスのナンバープレートを外しに掛かりました・・・が・・・

まるでイヤイヤをするように・・・ネジが緩みません

可哀想になって・・止め様かと又迷ったんですが・・・

ディスクサンダーを持って来て・・・ネジを飛ばして外しました

すぐに車検証とナンバープレートを持って・・・カーマート(僕が昔経営していた自動車屋)へ

印鑑証明が必要なので・・・徳島へ出て、市役所で受け取り、ケンチョピアのヨット ホロホロに寄って「潜水道具」を下ろしてきました。

銀行に行って貸し金庫に預けてある実印を押して・・・ついでに現金を少し下ろし・・・カーマートに届けて・・・

シンガポール側マレーシアから、ボルネオ島のブルネイ国まで航海してきた「ラー三世」の金田氏に昨日電話で頼まれていた「エンジン改造」について、ヤンマー本社に電話で問い合わせ

間もなく美樹ちゃんが・・寄ってくれて・・・続いて近藤氏が来てくれて・・・少し遅れてナカヤ氏も寄ってくれて・・・

おしゃべり

この様に・・・入梅して午後から完全な雨になった阿南市で溝田は・・・ちょっと寂しいけど・・・「廃車行動」を起こしました。

キャンピングバスに乗っている色々な装備や荷物を・・・ボチボチと・・・思い出を噛み締めながら・・なが~い時間を掛けてやりたいと思います

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地震、カミナリ、火事、オヤジ

2011年05月25日 21時27分58秒 | 退職生活
今日のタイトルの言葉を思い出す度に・・・昔は良かったな~

・・・と、思う男性は多いでしょう

そうです。・・・昔、オトコは恐れられる程の存在でした

しかし・・・最近のオトコは・・・地に落ちてしまいました

いつの頃からかな~・・・

今やオンナに怖いものはありません

オトコは・・・地震やカミナリ、火事より・・・オンナが怖くなりました

地震やカミナリ、火事や台風は一時ですが・・・オンナの場合は・・・どれほど続くか先が読めません

平和愛好者のオトコは・・・逆鱗に触れないように、じっと収まるのを・・・待つだけです

阿南市の早朝は曇り空でしたが・・・徐々に晴れて真夏の様に暑い晴天になりました

我が家のオンナが・・・「菊とバラにアブラムシが来ている」と言えば・・・

直ちに消毒に取り掛からなければ・・・危険です

そんなんで・・・朝から消毒

それが済んで、準備していたトマト、ナス、キューリ、オクラ等の苗を定植してたら

隣りの奥さんが・・・塀越しに「うちの主人も畑に行ってる」と・・・優しく話掛けてくれました

昼食の後、宝田の方の家の駐車場の草刈りに行ってたら、僕と同じバスのキャンピングカーを持っている船原氏が寄ってくれて、バスが壊れた話他を・・

その後、一度壊れたバスを確認して貰おうと、馴染みの修理工場(宝田の家の裏)にバスを持って行きました

そして・・・ミッション(変速機)オイルを抜いて見ると

オイルに混じって・・ベアリングの欠片が沢山出てきて・・・オイルも「メタリック状態」

「よく事故にならず、高速道路を戻れたな~」との事。

破片がギアに引っかかると・・・急ブレーキをかけた状態になって・・・多分車は横に向いて停まるそうです

そうなると・・・後続車が次々とぶつかって来ますから・・・大惨事

「運」を信じない僕は「実力」と思ってますが・・・危ないところでした。

そして・・・念の為に「修理見積もり」をして貰ったら・・・クラッチも交換するので50万円は間違いなく必要との事

フロントガラスの交換も50万円以上掛かります。

車検も八月初めに切れるから、これも30万円。

それでも・・・僕らの計画がまだ数年、国内の山旅を続けるなら「迷わず」修理して、車検も受けるんですが・・・

車検が切れる今年の七月末で「一応山旅は終了」と決まっていたから・・・

勿体無いけど・・・やはり廃車する事にします

戻って・・・今日定植した野菜に支柱を立て、針金で留めていたら・・・

隣りのオジサンが戻ってきて・・・ヨメハンが「植え!」と苗を渡されたから・・・畑に行ってました・・・・との事。

隣りも・・・同類でした

シカシ・・・オンナよ、他所のダンナにヤサシク話せて・・・ナンデ、家のダンナには・・・・・オニのようにナルノ

今日一日だけ晴れたけど、明日から・・・日曜日までは雨の様です

また・・・・刃物でも砥ごうかな

それとも・・・雨が続くから・・・ナイフを作ろうかな







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お金に向き合う姿勢

2011年05月24日 21時42分22秒 | 退職生活
昨日のブログに・・・・

オーストラリア車旅の予算が、5~6ヶ月で300万円と書きました

僕らの年間予算は300万円(一ヶ月だと25万円)で、それを使いきればどれだけ愉しく遊んで過ごせるか、をずっと実践、実験しています

なのに・・・なんで5~6ヶ月のオーストラリアで300万円が使えるの?

と・・・聞かれもしたし、不思議に思っている人も居ると思うので説明します

先にその答えを一口で言えば「前倒し」です

僕はこの実験生活を20年以上続けて、はっきり解ったことは「少ない予算で暮らすのは馬鹿でも出来る」と言うことです(子育てが終わっている場合、油断すると残ってしまう)

難しくて、頭を使い、工夫や努力をする必要があるのは「計画通り使い切る」事なんです

だから「前倒し」で使っても、簡単に帳尻を合わす事が出来ます(次の年がインド、ネパールの旅だし、家に居たらお金は使えない)

やった事が無い人は不思議に思うかも知れませんが・・・やれば誰でも解ります

話しが少しズレますが・・・

僕の考えの基礎になっているのは「自然界」です

しかし人生を極めて「計画的」に生きています。

常に20年先の自分の生活や環境を念頭に一年毎の計画をし、七年先までは一週間毎の計画を持って40年以上生きてきました(但し今回もそうでしたが、度々変更はある)

その中の一つに「お金に向き合う姿勢、考え方」があります

最悪の人と思っているのは、使う計画も無く、いつまでも働いてお金を貯める人を、自然界から例えて「モズ」と思っています。

「百舌が枯れ木で・・」のモズです。

モズは社会の事を考えませんから・・・腹が一杯で食べられないのに、蛙や他の鳥などを殺して、木に刺して蓄えます。(実際に食べる事は無い)

20歳代から40歳代までの、半数が仕事が無く、結婚も子育ても出来ず、沢山の自殺者まで出ている現状なのに・・・社会の事を考えず、天下りする公務員や団体職員などがモズに一番近いです

「献身的」でなければならない人が「極めて保身的」考えで行動している事や、人のお金(税金など)を平気で浪費したり、誤魔化して自分の懐へ入れたりなどを併せると「モズ以下」ですが

次に計画はあっても(無くても)その場の雰囲気などで・・・使ってしまい「いつもお金が無い人」がいます

こんな人を「フィリピーナ」と思っています。

フィリピンの女性と長くお付き合いした人には解ると思いますが・・・(僕は長く滞在したので解った)

お金があると・・「使ってしまわないと気になって仕方が無い」と思えるように・・・電話をかけまくり、友達と愉しく飲み食いや遊び、買い物で・・・瞬く間に使ってしまいます

そして・・・無くなると・・・落ち着いたように穏やかな日々を送ります

気候が良い事もありますが、殆どのフィリピン人は同じですから・・・無くても助け合って、無いなりに愉しく笑って過ごしています

これは・・・愉しんでいるし、お金を貯めずに使って社会に貢献していますから、人より長い歴史を持つ自然界の殆どの動植物に近い、生き方のように思います。

ただ・・・この様な生き方の人の頭の中は「SEXのみ」と言えるような人が多いのも事実ですが・・・これも自然界の基本「子孫繁栄的行動だから」かもしれません

そして・・最後に僕が最高と思い、そのように生きたいと実践、努力しているのが・・・

必要以上を求めず(41歳で若い人に席を譲り退職)計画的にお金を使い切って社会に貢献できるよう愉しく遊ぶことです

勿論、それは自分が一生懸命、献身的に頑張って「人に喜んでもらおうと努力した見返り」で得たお金ですから、自由に使う事ができますし、前倒しも出来ます。

そんな僕も団体で集めたお金などの場合は、皆の負担が少なく済む様に、慎重に出来る限り節約するし、前倒しなどしません

しかし・・・これは年金が僅かで、ずっと蓄えを切り崩して生活している我が家の場合ですが・・・

「計画通りの寿命」と言うのが難しく・・・

早く死ぬと残ってしまうことです

長く生きた場合は・・・「馬鹿でも出来る」生活で済みますから・・・心配はないでしょう

そんな事で、オーストラリア車旅が5~6ヶ月なのに300万円の予算を組んでいる理由が解って貰えたと思います

今日の写真は、ナカヤ氏が撮影したもので、熊丸山山頂に鎮座する「熊丸神社」です。

徳島県で一番視界が良い山「熊丸山」のこの神社は「航海安全」「家内安全」他色々なご利益があります

写真をクリックすると大きく見えます

最後に今日は・・・今朝まで残った雨で、家庭菜園は田圃状態

昨日買った野菜の苗も植え付けが出来ず、支柱にする竹を切りに行って・・・

午後ナカヤ氏が寄ってくれたので、現在沖縄に向っている「ヨット海翔」奥原氏の留守宅へ二人で向いました

氏の廃船にする予定の古いヨットのプロペラシャフトと燃料タンクを、熊丸に流用出来ないかと下見です。

シャフトを抜くのが難しそうですが・・・タンクは良いのが付いていて使えそう

帰ってお茶をしてたら、美香ちゃんが寄ってくれて・・相変わらずの愉しい話をしてくれて・・・

天気が良ければ、次の土曜日はウナギ釣り、日曜日は熊丸山登山と決まりました

ナカヤ氏の「ヨット熊丸」の上架も近日中で、その手伝いもあるのに・・・

天気予報は、明日を除いて雨ばかり

明日の内に植え付けや、トマトの雨避け、キュウリのつる受けなどをやってしまいたいと思っています





























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オーストラリア車旅

2011年05月23日 22時04分18秒 | 退職生活
昨夜、思わぬキャンピングバスの故障で倉庫ハウスに戻った二人は・・・

美由紀は、朝食も何度も言わないと作ってくれない程花壇の整備に忙しく・・・

僕は次のオーストラリア車旅の出発が11月初めなので・・・山旅出発前に花が綺麗だった大根、春菊、キャベツ、ブロッコリー、レタスなどを抜いて・・

5ヶ月の間に収穫できるトマト、キューリ、ナス、オクラ、ピーマンの苗を買いに行って、帰り道耕耘機に入れるガソリンも買って・・・

小雨が降る中、耕運機で33坪の家庭菜園を耕しました

終ったのが昼で・・・その頃から雨が本調子に降り出したから

植え付けも出来ず、昼食が終ってからパソコンに向かい、オーストラリアの友達にメール。

スカイプ(skype パソコンを使って無料で話しができる)を繋いでくれるように書いて送ったら・・・

間もなく呼び出しがありました

それで・・・最初の計画から話しますと・・・

日本から「カルネ(日本から自分の車を持ち出す方法の一つで、関税が掛からず世界中の殆どの国で乗れるシステム)」を使って、車を持ち出す事を考えて、色々調べたんですが・・・・

JAF(日本自動車連盟)に払う保証金が予想より高かったのと、運賃もまた高かったので、現地で車を購入、そして使用後に売って戻るか、または現地でレンタカーを借りる事に変更しました

今回のオーストラリアの旅は期間が5ヶ月か6ヶ月を予定しています(但し準備した300万円が無くなったら早くても戻る)

これで先ずハイエースかキャラバン(一般に箱バンと呼ばれているワンボックスカー)を買って、短い期間だから、簡単に改造するのと、安いキャンピングカーをレンタルするのと、どちらが経費その他を考えて得策かを知る必要がありました

先ずキャンピングカーのレンタルですが・・・長期のものは何故か期間が135日単位になっていて・・・

そして・・・最も安いハイエースのキャンピングカーを借りた場合、一番安い店で15年以上前の型の車が9000オーストラリアドルでした

解り易く言えば4ヵ月半で70万円余りという事になります。

レンタカーの場合、これで他の費用は要らないんですが・・・六ヶ月になると100万円必要です

もともとオーストラリアは車が高い国なんですが・・・ちょっと高すぎますよね。

それで・・・中古のハイエースのバンを調べて貰ったら・・・これも日本では考えられない価格でした

20年前の車で、走行距離が30万キロを超えていても車両価格で5千ドル(40万円)位します。

それに費用が千ドル位掛かりますから・・・

10年前の車だと・・・一万ドルから一万五千ドル位。費用は同じく千ドル位。

でもこの値段、ワゴン車でなく、後部に荷物を積むようになっている、日本でなら一番安い「商用貨物車」なんですよ

こんな事を調べて貰ったり、ページを教えて貰って見たりして・・・数時間が過ぎてしまったんですが・・・

どちらにするか・・・買った場合は後で売れば半額位は戻ってきそうだけど・・・面倒でもあるし、簡単な改造でもそれなりに費用は掛かるから・・

難しい判断なんです

でも今日の話しで、車に関しての予算の目途が見えて来たように思います

オーストラリアは・・・資源国だから景気が良くて、僕らがホロホロでブリスベンからダーウィンまで9ヶ月ほど航海した頃より、物価の上昇はかなり激しいようですが・・・全ての費用(ビザ取得から往復航空券、車、旅の食料、燃料、観光費、その他諸々)を賄うと・・・

大体予算が丁度位の気がします

どちらにするか・・・愉しみながら悩んでみます。

今日は他に、ホロホロで航海していた頃、アマチュア無線でサポートしてくれていたJA5CZLの美馬さん、フィリピンにヨットを置いているパパラギの家村氏の両氏と話しが出来ました

夜になって八十氏が寄ってくれて、不在中の出来事報告をしてもらい・・・

一日は終りました。

今もシトシトと梅雨のような雨が降り続いている阿南市

四国も入梅かな





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トランスミッション(変速機)ギア破損

2011年05月22日 23時59分12秒 | 退職生活
世の中、「一瞬先は闇」なんて言うけれど・・・

朝、天竜の道の駅を出発

坂道をどんどん登って・・・青崩峠(長野と静岡の県境)まで残り2.5キロその辺の急勾配は半端でなく・・・ギアをローに入れてガンガン登っていたんですが

急に変な音が

丁度そこは名水が出るポイントで、急勾配なのに広い駐車場

とりあえずそこにバスを入れたんですが・・・

回転させようとギアをバックに入れて・・クラッチを離すと・・・ガタガタ音

前に行こうとローで進もうとしても・・・ガタガタ音

これは・・・ちょっと大きなトラブルだと

とりあえずガタガタ音を出しながら回転して・・・携帯電話の電波が届くところまで下山することに

とは言っても・・・エンジンブレーキで急坂を下りようとするとガタガタ、ガンガン、ガッツンガッツンと大きな異音がして・・・

生きた心地がしませんでした。

電波の届く、平坦な所に下りて、馴染みの修理屋さんへ電話

「プロペラシャフト」を確認せよとの事で・・・調べたけど異常なし。

クラッチの滑りも異常なし。

そして・・・調べるうちにバックとローのギアに入れた時だけガタガタ言うのが解り・・・

「トランスミッションのギアが一つ破損している」との結論となりました

修理方法は「ミッションの交換」しか無い様で・・・

とりあえず平地は走れるし、停まらず走れば極めて正常に近いので・・・一番近くの高速道路に入って・・・一気に阿南まで走ることになりました

カーナビを見ると・・・450キロ余り

朝から70キロも走ってたのに・・・

一日にそんなに走った事は無かったけれど・・・

動かなくなってしまうと・・・バスの中に乗っている荷物だけでも・・・二トン車一杯位あるから・・・

大変な事になります

数人に「倉庫ハウスへ戻る」と連絡して・・・走って走って走って

途中で晩飯は食べたけど・・・それ以上の故障は発生せず、夜11時過ぎに倉庫ハウスに無事到着しました

今年の二度目の山旅は五月八日に出て、二十二日まで

僅か14日で・・・

それも痛風から風邪、雨も多くて・・・静岡と長野の県境まで行きながら、結局登ったのは関西の四座だけ

まあこんな事もありますが・・・

一つの大収穫は、一日であそこから帰れたと言う実績

言い換えれば・・・一日でアルプスの麓まで行けます

そんなに走った事無かったけど・・・場合によってはそんな方法ででも、残りの山を少しづつ登ります。

さて・・・7月末までの予定だった山旅が、このような形で終りました

バスは八月初旬で車検が切れるし、フロントガラスが飛石でヒビ割れているし、今回のミッションの故障と重なっているので、修理は諦めようと思います。

今年が最後の年だった「ロングな山旅」は一応これで終了します

今年11月からオーストラリアに行くし、来年はインド、ネパールだし・・・東欧、アフリカ、南米、北米など・・・数年は海外を毎年5~6ヶ月旅する予定だから・・・

日本の旅は・・・短期なものしか出来ないでしょう。

もし・・・長期にすることになれば・・・普通のキャンピングカーを探します

6月、7月と二ヶ月余分に阿南に居る事になったので・・・

ちょっと夏野菜でも植えて・・・

風邪が治ったら「潜り魚突き」から気合を入れてやります

そんなんで・・・オーストラリア出発まで、倉庫ハウス近辺に居りますのでお立ち寄りください
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放射能の匂い?

2011年05月21日 20時46分10秒 | 退職生活
5月だと言うのに暑いですね

田舎者と言うのは哀しいもので・・・高速道路が未だに「未来の世界」に見えます

名古屋などと言う大都会に来ると・・・高速道路が幾つも・・・曲がり・・重なり・・・目が眩み・・・どちらに行けば良いのか・・・未来の世界に迷い込んだように解らなくなってしまうんです

そして・・・アソコで左に行かなかったのが失敗と気付いても・・・車が一杯だから・・・停まる事もバックする事も出来ません

カーナビも・・慌てているのか・・案内をうまくしてくれず・・何処で下りたら良いのか

でも・・・どんどん行ってたら・・・どんどん離れるから・・・仕方なく下りたんですが・・・

方向音痴も手伝って・・・下りて曲がった方向が反対だったりして・・・もう一度高速道路に乗れた時は疲れ果てて・・・・

最初のPAで二時間も倒れるように寝込んでいました

それでも・・・少し息を吹き返し・・・浜松に来て・・・高速を下りて曲がったら・・・また逆でした

カーナビが二台も動いているのに

それでも・・・何とか燃料を満タンにして、数日分の食料を買出し、コインランドリーで洗濯して・・・六時にやっと、小さな道の駅「天竜相津花桃の里」に来ました

今日一日を振り返ると・・・暑すぎますよね~・・・

それに靄か黄砂か・・なんか知らんけど・・・視界が殆どありません

それと・・・不安を煽るような事を書いたり言ったりしてはいけないと言うけれど・・・・

私的なブログなので、感じたままに書きますが・・・

昨日の桑名では少しでしたが・・・浜松に近づくに連れ・・・

レントゲン室の匂いがはっきり強烈に感じるようになってきました

僕の鼻は皆も知っているように「異常」で・・・コンディションもあるけど、誰の持ち物かは簡単に識別出来るし・・・半日くらい前で、知った人なら部屋に誰が入ったか解るくらいなんですが・・・

四国や中国では全く無かったレントゲン室の嫌な匂い。

慣れてしまうと感じなくなるかも知れないけど・・・今は頭に残る嫌な匂いだから耐えれるか心配

公共機関は・・・ちゃんと測定してるんかな~・・・・人体に影響が無ければいいんだけど・・・

静岡県の関係者の方々、ちょっと測ってみてください

今日の写真は藤原岳登山道脇に咲いていた「ヤマブキソウ」です。

山吹は木ですが・・山吹に非常に似た葉に似た花をつける「草」だから「山吹草」

背は低いですが・・・そっくりでしょ

写真をクリックすると大きく見えます。











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養生登山

2011年05月20日 19時37分23秒 | 退職生活
相変わらず二人共がすっきりしない風邪だけれど、この天気、暑さに下界で待つのも厳しいものです

ゆっくりなら登れるだろうと、楽で短い(とは言っても標高差千メートル、コースタイム登り三時間半)を登り始めました

藤原岳は「日本三百名山」だけれど「花の百名山」に選ばれている有名な山です

登った表コース(大貝戸道)は、こんな登りやすい道は滅多に無いくらい、気持ちよい道ででした

人を恐れない野生の猿が何匹も居て・・この辺の人達の苦労も考えました

登山道脇の花は鹿害で、食べ残した毒草のバイケイソウとトリカブトが目立ちましたが、ニリンソウやハルリンドウ、ヤマブキソウもあって・・・愉しく登りました。

藤原岳に取り付くと、山頂付近には珍しい種類の竹の群生

頂上で握り飯に天婦羅のおかずを食べて・・・

普通、藤原岳に登った人なら必ず行く「天狗岩」にも体力が衰えると、また風邪がぶり返す恐れがあるので、中止して下山開始

汗を一杯かいて駐車場に戻り、シャワーを浴びてスッキリ

でも・・・咳は相変わらず

明日は登れそうにないから、思い切って静岡まで移動しようと「桑名」から高速道路に入りました。

そして・・・最初のパーキングエリア「大山田」で泊まることにしました

明日は浜松まで高速を進み、152号線を北上。

「熊伏山」登山口の青崩峠まで行きます

もう南アルプスなんですよね~

この前「お茶の汚染」が確認された「足柄」も近くなりました。

一時収まってきたと思った地震も・・・終息しないけど・・・

少しづつ近づいて行きます

今日の写真は、登山口にあった「藤原岳の案内図」です。

写真をクリックすると大きく見えます

美由紀は・・・ある本を読んで・・・「万葉集」に書かれている文章を理解するには「韓国語」に直す必要があるとか・・・

以前から言われている事ですが・・・もしかすると天皇の祖先は「韓国人らしい」などと言いながら一生懸命読んでいます

僕は何がどうだっても・・・猿だったと思ってますが・・・
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もてなしの四国島?

2011年05月19日 19時18分07秒 | 退職生活
いきなりですが「糞や屁」は標準語的に「ひる」ものです 

徳島県などと言う四国島の田舎に住んでいると、日常的に方言が幅を効かして活躍しております。

そして・・・その方言を「標準語」と思い込んでいる人も結構沢山います

学生時代または就職で、暫らく県外で暮らした人は、その頃に「大恥」をかきながら区別できるようになっているんですが・・・

一度も県外で暮らしたことが無い場合(美由紀など)幾つになっても「通じない経験」がありませんから・・・方言を標準語と思って、県外から来た人にも方言を「丁寧語にして」話します

「足に杭が刺さった」等と聞くと・・・

何処の病院に入院したのか??と驚きますが・・・

「杭」とは「ソゲ(トゲ)」の事で、ピンセットがあれば抜いて終了となります。徳島では・・・

でも茨城でソゲと言えばヒラメだったかカレイだったか??

話しが戻って・・・少し方言と標準語の区別が解らなくなって迷いが出てくると・・・「糞をひる」と言う言葉は「方言」と思うらしく・・・

「ひる」をなんと言えば良いのかと悩んだりします

そんな事を長々と書きましたが・・・

僕は一度だけ「糞を産む」と感じた事があります

「産む」と「ひる」は大違いで、産む場合は「大切なもの」で「ひる」は放るですから、捨てるものです

アフリカ大陸にスーダンと言う国があります。

その国でハゲタカに食べられる子供を写した写真家が、非難されて自殺した?ような事が報道されたと聞きましたが、僕は聞きづてだから、定かではありません。

しかし、僕が滞在(一ヶ月ほど)した当時、非常に貧しい生活をしている人が多かったです

そんなスーダンで内陸部に行くと・・・牛が糞をひると・・・まだ暖かいその糞を、待っていた人が拾って・・・

手で延ばして「皿」の形にして乾燥させます。実際に皿にするんです

それは「産む」と呼ぶに相応しい、神聖さを持っていました

そんな人達の家に招かれると・・・トウモロコシで作った団子をその皿に載せて出してくれます

山盛りのダンゴは・・・家族の誰もがまだ食べていない「貴重な食料」なんです。

飢えて人が死んでいる地域ですから・・・当然ながら空腹です。

でも・・・遠くから来た日本人を「接待したい」と言う気持ちが勝るんです

それは・・・僕らにすれば、味もなく、命を繋ぐ為に食べれるだけの「もの」でしかありませんが・・・・

その人達の貴重な食料を一個づつだけ頂きました

本当に胸も腹も一杯になって・・・・「美味しい、ありがとう」と言うと・・喜んでくれました

そして残りを家族が分け合って食べていました。

ヨットに乗っている・・・食べもしない多量の缶詰や乾物を、そっくり全部上げたいと思ったけど・・・

それを食べてしまうと、逆に後で不幸になる場合もあります。送る方法もありません。

僕らはチャーターした車で行っていたから・・・欲しそうに思えた履物を置いて帰りましたが・・・世界の違い、広さを感じた時でもありました

戻って・・・

四国島は四国八十八箇所があり「遍路の島」です。

四国の人達は昔から貧しいですが・・・スーダン人の様に「接待の心」を大切にしています。

「こんな辺鄙で小さな四国島まで来てくれた」事に感謝しています。

来てくれた人達に「四国島は良いところだった」と思って欲しいと殆ど島人は思っています

接待と言っても一個の蜜柑だったり、気遣いの言葉程度なんですが・・・

でも・・・本州島から来た人の中には・・・不幸にして・・・そんな接待の心を感じる事が出来ないまま、離島する人もいます。

四国島の住人としては辛い事です。

そんな事を書きたくて・・・糞の話しから始まりました

今日は山には登れませんでしたが、休養したので体調は良くなりつつあります。

明日は藤原岳に登ろうと、登山口の「観光駐車場」に来ています

今日の写真は、中野氏のキャンピングカーを後方から写したものです。

大きな箱とBSアンテナ、地デジアンテナ、屋根に登る梯子が見えます。

大きな箱には、大型犬の餌、発電機、プロパンガス、履物類が収まっていました

写真をクリックすると大きく見えます。

最後に、四国島に限らず、日本島の殆どの人が持つ接待の心を・・・「感じる心」も必要なのでは?と・・・思った出来事にあった僕は思ったりしました









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キャンピングカーの自作

2011年05月18日 19時39分41秒 | 退職生活
昔も今も、車を「旅が出来るように改造」しようとしたり、実際にそうした人は沢山います

僕が最初に改造した車で寝ながら美由紀と数ヶ月の旅をしたのは、ハワイから戻った1973年でした。

スバルサンバーのバンを改造して・・・随分アチコチに行きましたが、当時「道の駅」は無く、公園や観光地の駐車場を探して泊っていました

日本にはまだ、この様に車で泊りながら旅をする人が殆ど居ませんでしたから・・・珍しがられたり、笑われたり

それが3~40年経って、普通になるとは・・・予想外でした

話しが逸れてしまいましたが・・・

僕も含め、今までの殆どの人は自分で「キャンピングカーを作る」と言っても、バンやマイクロバスの車内を「改造」するだけの人でした

今僕が乗っているのも観光バスを改造しただけのもので「作った」とは言えません。

しかし、僕も作ろうと思った事はあります

昨日紹介した中野氏も、あのキャンピングカーを買う前に作ろうと思っていたそうです

実際、自分が長い旅を考えてイメージすると、市販されているキャンピングカーは「一見豪華で使い難い」ものばかりです

それはヨットにも言えることですが・・・何の役にも立たない豪華さの分厚いソファーなどは、実用性を考えると邪魔以外の何物でもありません。

しかし・・・それに釣られて買う人が多いのも事実ですから・・売る側には必要なんでしょう。

そんなことで「自分の思い通りのキャンピングカー」を作りたくなるのは、自然な考えです

今の生活に電気は欠かせないものです。130Aのバッテリーが余分に2~4個欲しいと思う人は多いでしょう。

バッテリーは重いから・・出来るだけ車の低い位置に置きたいですね。

ソーラーパネルも60ワットクラスが3~4枚は欲しいです

夏場でもエアコンを掛けなくても眠れるよう、充分な換気ができる構造は欠かせません

冬のスキー場でも結露しないように、充分な断熱材を入れたいと思うでしょう。

ベースとなる車は二トントラック。

これの荷台を外し、先ずバッテリーを置く場所を造ります

次に100リットル程度の「汚水タンク」(シャワー水や流しの水を入れる)を取り付けます。

そして・・・充分立って歩ける高さで、後々の取り付けを考えて枠組みをします

下部は鉄でも上部はアルミのアングルを使うほうが安定がいいでしょう

そして・・・次にその枠に部分的には細かい作業になりますが・・・ベニヤ板を張り、その上にFRPで積層します

最後にゲルコート材を塗って・・・磨けば外観は出来上がりのように思えますが・・・実は・・・キャンピングカーを見てもらうと解りますが・・・沢山の窓や燃料や水の入れ口、便器汚水タンクの取り出し口、電気の接続口などなど・・・

沢山の作業が残ります。

そして・・・真剣に考えると・・・作るのを断念します。

実際、それが正しい判断だと思います。 このバスの場合でも全て自分達がしたので「人件費ゼロ」ですが改造に130万円掛かりました。(これには満足しているが、バスをベースに出来る人は少ないと思うので除外します)

先に書いたように作ろうと思うと・・・ベースになる二トン車が中古で100万円とすると・・・多分後を作るのに2~300万円と500日位の日数が必要と思います

ヨットも同様ですが・・・極小さなベニヤ板のヨットでさえ完成させた人は僅かです。

そしてそんな人が最後に「買ったほうが安く済んだ」といいます。

実際中古のヨットは世界一周が出来るようなものでも100万円以内で探せます。

キャンピングカーはヨットから比べるとまだ高いですが・・・2~300万円で良いのが買えます

作ってもロクなものになりませんから・・・ゆっくり良い中古車を探す事をお奨めします

さて今日の僕ですが・・・急転直下で奈落の底へ落ちた気分です

昨夜何度か小便に起きて・・・寒いとは感じていたんですが・・・

熱は出る出る、咳も出る

そんなんで・・・寝たり起きたりしながら・・・40キロほど移動して道の駅「菰野」に来ていますが・・・

このブログを書くのがやっとでした

美由紀は快方に向っていますが・・・

今日の写真は先日のカヌー遊びで・・・一人用乗る八十氏です

写真をクリックすると大きく見えます

早寝して・・・早期復活目指します




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進化する中野夫妻の車

2011年05月17日 19時52分24秒 | 退職生活
先日、中野夫妻が比叡山に登った日、駐車場に残った僕は・・・日吉神社観光の前に、道路の上から見下ろした夫妻のキャンピングカーを写真に写しました

何枚か写し・・・一番見る人に役立つと思ったのは、後部が写っている写真だったんですが・・・全体の説明に都合が良いので今回はこれにしました
(後部の改造が解る写真は次回にします。)

中野氏は僕と同じようにクルージングヨットも持っています

クルージングヨットもキャンピングカーも「夢を載せる乗り物」です

多々諸々の「下心」や「ロマン」は載っていても・・・

政治家や公務員のような腐った醜い邪心は載っていません

だから・・・クルージングヨットやキャンピングカーに向き合う姿は純粋になります。

それで・・・ヨットやキャンピングカーを見れば、持つ人の「心」も見えます

「持っている夢やロマン」が全体から漂います

それは高価であるとか、綺麗であるとは違う、「本質」の世界です。

人が持ち続けなければならない「平和を求め守ろうとする心」になる一つの世界だと思います

そんな風に思っている僕の独断と偏見に溢れた目で見て・・・いつも感心するキャンピングカーの一つがこれです。

中野夫妻は今年、年初から九州を二ヶ月旅し、今月から半年程の予定で旅に出ている途中です

中野氏は「全てのオトコの敵」と思うほど奥さんに優しく、それを比較して僕は被害を受けているんですが・・・

それは置いて・・・キャンピングカーは「見る度」に進化しています

人はそれぞれ違った生き方をします。

ヨットもキャンピングカーも・・・違った使われ方をするのは当然です。

にも関わらず・・・殆どの人達は「デザイナーの考え方」に合わせるのか・・・創造力が無いのか・・それほど夢もロマンも載せてないのかも知れませんが、そのまま使っている人が殆どです

その点中野氏のキャンピングカーは「夫妻の生き方」に合うように、不要なものを除け、必要な物を取り付けています

この写真で言うと、運転席上の寝室の屋根に3枚のソーラーパネルを取り付けています。

これがあれば、冷蔵庫に物を入れたまま、何日でも車から離れることが出来ます

寝室が熱を持つのも防げるでしょうから、一石二鳥と言えます。

作られた電気を蓄えるのに2つの130Aバッテリーを追加して、パソコン、テレビの電気も補っています。

屋根の上の大きな「物入れ」も役立ちます

簡単に出し入れするのが梯子を登るので多少面倒?それを補うように後部にシャーシからアングルを延ばして、大きな箱(200リットル以上の容量)を載せています

写真に写っていませんが、これは見るからに便利そうです。

内部も据付の冷蔵庫やシャワールーム、ヒーターシステムは外して物入れ他に改造

代わりに冷蔵庫は効率が良く、電気の消費が少ないポータブル型に。

他にも色々・・・自分達(夫妻と大型犬一匹)に合った改造をしています

選択した土台のキャンピングカーも横浜モーター製で具合良く出来ている事もありますが・・・

長くキャンピングカー旅をしている僕が見ても「具合よさそう」です。

ヨットでもですが、長い旅に「立って動ける」は非常に重大な事で、それも良いと思います(頭が重いので走行安定性は悪いと言ってますが・・ゆっくり走れば問題ないでしょう)

実社会でもですが「頭を押さえつけられる」のは辛いですから・・・

さて今日の僕らは・・・相変わらず風邪ですが・・・

「アグリの郷 栗東」で中野夫妻と別れ、国道一号線を「鈴鹿」方面へ向っていたんですが・・・

僅か20キロほど走った「水口」でストップ。

山用品屋さんで・・・シャツやズボン他を買って・・・またまた回転寿司「スシロー」で昼食

僕も美由紀も散髪をして・・・

買い物して・・・10キロ走って道の駅「あいの土山」に来ました

車の中は・・・若い男女のアパートでも、これ程は出来ないだろうと思うほど・・・使ったティッシュが溢れています

写真をクリックすると大きく見えます

そのうち・・・奥さんも進化して・・・

これは・・・古人が言った事ですが・・・オンナはやがて鬼になるそうです(夫に対して)











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