outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

海上ウネリあり・・

2007年10月31日 18時53分07秒 | 釣り ヨット ダイビング 山登り
12月の初めに加古川の松井夫妻とパラオへダイビングを予定しているので美由紀を慣らす為と僕は「フグ」が食べたいので高知へ潜りに行きました

朝海の状態が知りたくて日和佐の第5八千代丸松本氏に電話すると、東からウネリがあるけれど・・・とちょっと不安な情報でした

天気は暖かいを通り越して暑いほどでしたが・・・太平洋が見える所まで走ると・・確かに東からのウネリが岩に当たって飛沫を上げていました

昔、阿南潜水をしていた頃良く弁当を買っていた途中の「海部ピア」に寄って弁当を買い目的地に着くまえに弁当を食べる時間となったので「夫婦岩」の駐車場(昔は無かった)に車を入れて東屋を占領して海を見ながら美味しく食べました

そして目的地到着道路工事も多かったのですが片道二時間半掛かっていました 海は東からのうねりの裏側にはなっているけれどそれでもかなり荒れていました。

飛び込んですぐの湾内からダイビング開始。 何時もの様に大きな青ブダイが何匹も出迎えてくれました  水は青いけど白濁りがあって視界は15メートル余りと余り良くありませんが水温は高くまるで真夏のようです

シラコダイの大群が千匹ほどいます、イサギの群は万の単位で海流の様に泳いでいましたグレ(メジナ)も千の単位です。カマスは2~3百ですがゆったりと泳いでいました

群が重なるように壁になって居るのでそれに見とれれながら沖に出ると大きなフエダイがゆっくり泳いでいます じっと銃を構えるけれど賢くて射程に入りません

次に僕が大好きな特別美味しいフエダイの仲間の大きいのを見つけ美由紀を振り切って追いかけたのですが何処の穴に入ったのか見失ってしまいました

追いかけてきた美由紀が呼んでいるので行くと美由紀はキョロキョロするばかり。後で何だった?と聞くと大きなイシガキフグが居たのだそうです

今回目的の魚だったのに見失っていたのです

久しぶりに潜った水中ライトは水没穴突き専門の僕は殆ど諦めていたのですが微かに石鯛が見えました 獲れても獲れなくてもいいと思いながら待っていたら・・近づいてきて・・ゲット

40センチほどなので石鯛汁には小さいけど家族の一食分確保です

流れがあったので潜ったままエントリーポイントに戻り、着替えて家に着いたのは17時。 軽トラで長距離は疲れましたし目的のフグは獲れなかったけど美由紀は順調に潜れたし、魚の群はイッパイ見たし、まあ愉しいダイビングでした

昨日の夜カルロス氏の活躍でHPの番外航海編で台湾の港他23枚、山友近況で竹内氏蒜山別荘紹介&宴会など「写真と文」をアップしていますので興味がある方は見てください
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特に異常なしですが・・

2007年10月30日 16時21分47秒 | 日本三百名山に登る旅
白内障手術後、3ヶ月後検診に行ってきました。 結果視力は右1.2 手術した左は1.0でほぼ安定しているそうです 但し以前からの虹彩炎は相変わらずでそのまま長く続くと緑内障になる恐れもあると脅かされました

目薬を三個買って来月の末に再度行くことになっています。しかし僕は良く目薬を入れるのを忘れるのです。一日4回入れなければならないのですが・・一ヶ月検診が終って登山旅に出ていた50日で多分100回ほどしか入れていません それでは治らなくて当たり前ですよね~

僕が病院に行っている間美由紀はホロホロの船内掃除と片付けをしていましたが・・下船するなり「汚すぎる」と怒っていました。

回転寿司の昼飯を食べてタダのお茶をタップリ飲んだらオシッコがしたくなってトイレに行ったんですが完全に途中で詰まってしまいました
まだ残っているにも関わらずいくら頑張っても出ません
しかたなく諦めたのですが・・なんか怖い

そして美由紀が「サルノコシカケ」を見たと言う山に行こうと思っていたのですが店を出てくると山は雨模様諦めました。

昨日採った「コフキサルノコシカケ」ですが皿に載せてレンジに湯気が出るまで掛けると、皿に水が出てきました これは濃縮された「薬」と思い水で薄めて飲みました にが~いけど効きそうな感じです

サルノコシカケは殆ど全てが薬効成分(免疫力増進、抗癌作用など)があるようで
良いサルノコシカケはネズミの実験ではこれを与えていると癌細胞をいくら植え付けても退治してしまうそうですから「凄い」

僕が昨日採ったコフキサルノコシカケは70パーセント防げるそうですから馬鹿に出来ません 粉砕して煎じて毎日少しづつ飲むのが良いそうなので
やってみようと思っています

もしかすると風邪も引かなくなるかも 楽しみです


土曜日にヨットクラブであった「楽しまナイト」で僕が山旅途中で買いそびれていたヨット&ボートの雑誌「舵10月号」をテクの近藤氏から
貰いました 恐る恐るページをめくったのですが・・・「特集ロングクルージング」の中にカラー3ページぷらすに「渡り鳥ヨッティ」として
と「ロングクルージング装備考」に掲載されていました

ホロホロの疲れた姿と僕の寂しくなった頭髪歳とった二人の姿。テク近藤氏が言う「まんま」の写真が載っていました。「気持ちは若い?」
積りでも写真に気持ちは写らないから・・・

燃料代が来月から上がるとニュースが言っていたので全部の車のガソリンと軽油を入れて来ました 1㍑あたり5円くらい上がると言っていたので千円位節約できました

退職者の生活ですね~

心配した「詰まり」ですが家に帰って燃料を入れ終えたあとトイレに行くとちょっと痛かったけど二つの赤い粒がでて残りのオシッコが出ました

なんか心配やな~・・ 水をタップリ飲もうと考えています。

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キノコ中毒

2007年10月29日 15時09分37秒 | 日本三百名山に登る旅
昨夜キャンピングカーに戻って布団に入り目を閉じると「茶色い芝の間に白いキノコ」が沢山見えました 当たり前ですが目を開けるとバスの天井しか見えません。 「幻覚症状」発現

そして朝が来て食事の後ですが・・今日は目の病院で白内障手術後の3ヶ月検診日なのですが・・どうも今日山に行くと「大量のキノコ」があるような気がするのです。「妄想症状」も発現

冷蔵庫にはキノコが一杯あるのに・・キノコは毒キノコでなくても中毒を起こすようです。 一口に「欲深い人と降る雪は積もるに連れて道を失う」と片付けてしまえる問題でも無さそうなキノコの魔力

日本人は「キノコ好き」な民族だそうですが・・昔から庶民の愉しみの一つとして根強い「キノコ狩り」や「山菜採り」は季節が感じられる運動でありますがそれだけでなくどちらにも「毒」のある紛らわしさがあって「知識」も要求される危険と面白さを備えています

そんな食べ物と考えていくと「魚」にも毒があるものがあるにも関わらず日本人は大好きです ところが毒のある「肉」って無いような気がするのですが・・ なんででしょう?? そして日本人は元々肉はそれほど食べなかった民族です。 何かありそうな気がしません


今まで景気が上昇し年金も上昇してきた時代は「お金を掛けて遊ぶ」事が当たり前でしたが今後物価が上昇し、それに伴うほど年金が上昇しなかった場合、今の熟年登山者の殆どは登るだけですが、近い将来「キノコ狩り登山」が多くなり、食べたくても「野生キノコ」が無くなる時代が来る様な気がします

やり始めると「止まらなくなる魔力」をもつキノコ狩りだから本当にそうなるかも??

そんなんでちょっと近くの山「鍛治ヶ峰」に行ってきました 二人で鼻と目を全開にして歩きましたが残念ながら大群には出会わずアミタケ、ニカワハリタケ、オシロイシメジ各少々で一度の味噌汁には充分だけれど飛び上がって喜ぶような場面はありませんでした 変わったものとして漢方薬でも「樹舌」と呼ばれる有名な「コフキサルノコシカケ」を採りました

明日は我慢して目の病院に行ってきます

写真は鍛治ヶ峰から見た阿南市です。市といっても殆どが水田の田舎なんです。写真の右側も後も海(紀伊水道)で津波が来ると市の半分は壊滅すると思うような地形なのです
写真のなかに我が家も写っているのですが小さくて見えません。でも何とか津波の被害は殆ど受けなくて済みそうに思っています

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ホロホロの朝

2007年10月28日 22時01分45秒 | ヨット世界一周クルージング
「酒飲み」は宴会と聞くと「大手を振って呑める」ような気がして朝から嬉しい でも大抵呑みすぎて後悔していますが・・

そんな何時ものパターンだったけれど昨日は夜中までヨットクラブの「楽しまナイト」でワイワイと騒ぎながら愉しい時間を過ごしました 

そして宴会に参加していたテクの近藤さんに乗せてもらって久しぶりのホロホロへ戻ったのですが・・気が付けばエンジンを掛けたまま眠っていました 地球温暖化が叫ばれているにも関わらず

でもヨットで眠るのはやっぱり最高だったな~・・ キャンピングカーで寝るのも家で寝るよりは好きだけれどヨットで寝るほどの歓びと気持ちよさはないと確信しました。

ヨットが世界中の何処にでも行ける「自由な乗り物」だからだけでなくあの「静かな揺れ」がなんとも気持ちよかった 今は寒いからハッチも全て閉めていたけれど空気が違う感じがするし・・とにかく良く眠れました

ケンチョピア(ヨットを停めている場所)のすぐ前に県庁があってその横に大きなホテルがあります。 そのホテルに皇太子さんと雅子さんが泊っていて朝出て行って、昼に戻って食事をし、また出かけるので警備の人から見物人で騒がしい。

天皇陛下や皇太子など皇室の人は常に人に見られて何も自由に出来ないから可哀相と思うけれど・・大勢に混じって僕も並んだ 紙の国旗が渡されて沿道は益々賑やかになっていました。

沢山の車が前と後について物々しいなか二人が乗った車がゆっくりと前を通った 雅子さんは笑顔で車の中から手を振り続けていました

ホテルの前について車を降りた後玄関に入る前にも振り返って暫く手を振ってくれました 体調が悪いと聞いていたけれど・・元気そうに振舞わざるを得ないのだろう

皇太子さんも僕の様に酔ってヨットに転げ込んで寝るような「自由」な暮らしもしたいだろうけど・・・皇太子さんも雅子さんも僕は神様の様に見えました。

久しぶりにヨットでご飯を炊いて食べましたフィリピンの米だったから・・味は でも色々思い出しました

潜って予備の錨を台風などの悪天候に備えて今まで二つだった常錨が三つになるよう入れました。重くて一人で運ぶのが大変だったけど

その後プロペラの後とプロペラシャフトの防触亜鉛を新しいの物を付けましたが船底全体がフジツボで覆われてしまっていました
早く上架して船底塗料を塗らないとなあ~・・

家に戻ったら美由紀は不在。裏口に大きなコンテナがあって布を被せてあるから、何かと見てみると「アカエイ」が一匹入っていました

冷蔵庫には大きなアオリイカが 誉之が言うには大川さんが持ってきてくれたとか。 美由紀が山から戻ってきて又キノコを採って来ていました。今日のキノコは「アミタケ」と「ムラサキシメジ」で我が家は去年までは考えもしなかったキノコが一杯の生活です

大川さんに電話して一緒に晩御飯を食べようと誘っておいて、すぐにアカエイを裁くと大きな「肝」が

アカエイの肝は「珍味」です。軟骨魚だから簡単に裁けます。ぶつ切りにして煮付けとムニエルにして残りは冷凍庫へ

アオリイカも刺身にしてキノコ味噌汁とアカエイの煮付けとムニエル。食べ過ぎてしまったけどアカエイの肝は最高でした

そんなんで今日のブログも今になってしまいましたが「キノコ中毒」も起こさず元気にしております
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有難うございます

2007年10月26日 18時16分40秒 | 日本三百名山に登る旅
夜中にカミナリと共に土砂降りとなり朝には少し小降りになったけど昼過ぎにまたカミナリと集中豪雨があった徳島県阿南市です。今は止んでいますが・・

徳島のヨット界で「ハグレもの4兄弟」(マカナ、テク、サーモン、ホロホロは仲良しで並んで係留しているけど桟橋から外れている)の異名を持っています 僕が居ない間のことですがブログを見て「企業戦士」のように遊んでいるけど「過労死」するのでは・・と話しが進んだと聞いて・・振り返れば確かに忙しい 

少し休もうと思っていたらこの天気で今日も昨日に続いてノッテリと昼寝をしたり溜まっているホームページの写真に文章を書いて過ごしました 蟹の罠も少し修理したけど・・

性格だから仕方ないけど・・心配を掛けたのでは退職者の手本にはならないのでもう少しペースダウンするよう心掛けます。ご心配ありがとうございます

昨日ブログをアップした後ノッテリしていたらクール宅急便が届きました。開けてみたら写真のアマゴと鮎が入っていました 今から36~7年前手に手を取り合って移民船ブラジル丸に乗った岐阜の高橋氏からでした。

毎年山旅の途中で落ち合い渓流釣りや山登りを義弟の青山氏も含み一緒にしていた(その時にアマゴや鮎を持ってきてくれていた)のですが今年は「痔」の手術があって電話で話しただけだったのです

その電話も僕がキノコに興味を持ち始めた頃で「気をつけよ」とそんな会話が殆どでした。僕の分としてとって置いてくれたんでしょう。有難うございます

ゴロゴロしていたらカルロス氏から電話で蟹やウナギの「ナガバナシ」をして夕方。 「おるか~」と入ってきたのは学友の柳田氏 蜜柑とナスの辛子漬け、カツオが届いて頂き物の日

農業の勉強をして柳田氏は「専業農家」僕は全く違った道を進んだけれど何処かに共通点があるのか40年来今も家族でお付き合いが出来るのは何より嬉しいことですそしてやはり「キノコ気をつけよ」と心配してくれました。有難うございます

だけど「採ったキノコ」は食べたい。画像貼り付け掲示板で大澤キノコ博士からの解答では「オシロイシメジ」とほぼ断定。図鑑で調べると「毒きのこ」になっていますでも香りは良いし大澤さんも食べる事を奨めているしインターネットでは美味い不味いと意見が分かれていたけど「食べている」から食べました

家族三人のうち僕の分だけ別の鍋に分けてキノコを3個だけ入れて・・「美味い」
歯ごたえが何とも言えない香りも味もいい優れキノコでした

今日の昼まで待って美由紀も食べて「美味い美味い」なんであれが「毒」になっているのか解らない

でも心配を掛けているキノコについて・・極めて慎重な僕はしっかり調べて間違いないと思うものを初めは一人で少し食べて様子を見ています強い毒を持つキノコは大体頭に入っていますので余り心配なさらないでくださいね

でも今後はなるべく心配掛けないように努めます。ご心配ありがとうございます

明日は午前中ゆっくりして午後は日曜日のダイビングの準備をします。夕方からヨットクラブの「楽しまナイト」の宴会にバスで徳島へ行きます。呑んでバスで泊り日曜の朝に家に戻って八十氏、よしえちゃん、美由紀の四人で高知へ潜りに行く予定です フグを狙ってね




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今日は休養日です

2007年10月25日 10時13分35秒 | 日本三百名山に登る旅
夜中から雨が降り始め先ほど止んでいる徳島県阿南市です。

山旅から戻っても相変わらず家の横に停めたキャンピングバスで寝ているのですがヨットも同様ですね

家で寝ていると雨が降り始めても風が吹き始めても外を見るまで気付かないのですが・・気温の変化も含め自然と一体感があるヨットやキャンピングバスの生活は厳しさもあるけれど・・好きですね~・・ あの眠る前の嬉しさは

さて昨日のことですが・・疲れてブログアップできずすみませんでした

一昨日鮎を届けてくれた「松葉氏」の話の中に「季節が来ると毎年冷蔵庫の中がマッタケで一杯になり毎日マッタケばかり食わされた」となんとも糞贅沢な溜息を聞き「その方面」に行けばもしかしたら・・・と那賀川筋の山登りを決めました

その山「ひらしん山」には登山口が三つあって、どちらから登ったらキノコが多いかを出発前に疑問に思い「キノコ博士 大澤氏」に電話をしました

そして南側の登山道を選択 ところが其処に行く道がガイドブックで「トンネルを抜けてすぐ右に入る」と書いてあったのに、いくら走ってもトンネルがありません

20キロも走って地元の人に聞くと「トンネルは壊した」との返事

引き返してもう一度進入路を間違い再度引き返して登山口に着いたら10時を過ぎていました

それほど時間が掛かる山でないので出発。電力会社が建てた鉄塔を目指して登りますところがこれも間違って最初の鉄塔まで「道なき道」メジャーで無い山は難しい

でも目標物がはっきりしているので無事42番鉄塔へ到着
そして43番鉄塔に向って歩いていると登山道(鉄塔管理道)の脇にキノコの群生地発見 あまりに大量だし他に人が来る気配もないので一つを採ってニオイを嗅ぎ「オオイチョウタケ」と判断。帰りに採ろうとそのままにして・・・

登っていくと道を塞ぐように倒れていた「クヌギ」の木に写真のシイタケがドッサリ生えていました 傘は開いているけれど決して遅すぎるモノではありません まさかツキヨタケでは・・と茎を割ってみると硬さが間違いなくシイタケ。 これは誰でも解るからとすぐに収穫

この時点で今晩は誰にも連絡してないけど家族だけでキノコ沢山の「牡丹鍋」と今夜の献立を決めました

そして上に行く毎に「赤松」の大木が多くなってきました この上マッタケまで採れたら・・・出来すぎ

と思いつつも鼻を膨らませて嗅ぎまわりましたが・・さすがにマッタケは出てきませんでした でもカラカサタケ、ホコリタケ他判別できないキノコをかなり採りました。

ひらしん山はアセビが非常に多い山でこの季節花の準備中。赤い小さな蕾をもったアセビの芯が良く目立っていました頂上で弁当を食べ下山開始。

来た道を戻るだけなのに・・・またまた23号鉄塔から22号に下る途中で道を外してしまいました この辺りは木が大きく繁っているので鉄塔が見えません。 キノコの大群は残しているし何処にでも下れば良いのではありませんから尾根の先に出て鉄塔を確認すると一つ違う尾根に居ました
おまけにすでに鉄塔よりかなり下に来ています

またまた杉林のあいだの「道なき道」を二人で登りやっと出た登山道は奇跡的にキノコの群生地でした 小さなのは残し菌も残るようにナイフで丁寧に100個ほど収穫

五時前に現地集合と八十氏と約束していた「ウナギ釣り」(木曜日が天気が悪いので潜りを日曜に変更していた)の約束の時間にやっと家に帰り着き、慌てて準備して出発

釣りはさすがに夏と違って「動きが悪い」初めはニゴイ次はカメ、そして大きなナマズ、次にやっと大きなウナギまたカメ、小さなウナギ、カメ、など・・

7時前まで頑張りましたが・・2匹だけでした。今年最後のウナギ釣りも「坊主」では無かったし八十氏と「今年はよ~け釣ったな~」と一年を振り返り、一年の締めくくり相応しい愉しい時間をすごしました

戻って、待っていた美由紀と誉之の3人で「牡丹鍋」開始 このシシ肉が良く脂がのって柔らかく、今日採ったシイタケを多量に投入して日本酒を飲むと一日の疲れがドット出て・・・ブログも書けず横になりました。

写真は登山道を塞ぐように倒れていたクヌギの木についていたシイタケです。木の上に乗っているのは外したもので生えているのは木の横又はやや下側です。全部で30個くらい収穫しましたが、みんな大きいのでしばらく食べられそうです
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子持ちの鮎です

2007年10月23日 18時18分53秒 | ウナギ、カニの罠を仕掛ける
徳島県阿南市は今日も晴天でした。 先日竹内さんの別荘完成前宴会で魚の話がでて、その時「美味いよ~・・」と話した「イシガキフグ」又は「ハリセンボン」のキモと皮がどうしても食べたくなってしまいました

食べたいと思い始めると食べるまで思い続ける性格の僕は木曜日に八十氏を誘って美由紀を含む3人で潜りに行く計画を立てました

美由紀は去年フィリピンで潜ってから潜っていないので・・・12月に加古川の松井夫妻(リンクあり)とパラオに潜りに行きたいので練習を兼ねています

ダイビングの機材が徳島のホロホロに載ったままなので久しぶりにエンジンも掛けようと二人で出かけました 登山旅に出ている間も品川氏や近藤氏、三谷氏が面倒を見てくれていたので全て快調

バッテリーもソーラーで充分足りていたのでエンジンを掛けてビルジポンプ(船内にプロペラシャフトから伝って入る水を抜くポンプ)を回して排出し、二人のダイビング機材を持ち出して軽トラに積み込み、途中ホロホロを上架する場所を当たりながら戻ってきました

でも上架する場所は今のところ見つかっていません 橘港に持ってきてクレーンで吊り上げるしか大掛かりな修理をしようと思うと安くあげる方法が思いつきません それも船台が要るのでかなりの費用が掛かってしまいますが・・・なかなか難しい

家に戻って、今回の山旅が終ったらバスの前のタイヤ二本が著しい片減りをするのでトーインを見てもらってから後のタイヤを前に持って来ようと思っていたので裏の修理工場に行って「暇な時に替えて」と言ったら「今すぐ」との事で今までその作業を見ていました

ついでにエアークリーナーを掃除したら「凄い泥埃」が延々と舞い上がりました 舗装されてない林道を走ることが多いからでしょうがそれにしてもビックリでした。 これで少し黒煙が出るのが減るかも

これで今年キャンピングバスでしなければいけないことは車体腰下の板金塗装だけとなりました 

昨日のことですが潜友の松葉氏が写真の鮎(これは半分)を持って来てくれました どんな人も子供の頃から食べているモノは好きですよね。

山奥で自給自足の様に育った僕は鮎もモクズ蟹もウナギもイノシシも大好きを通り越して無くてはならない食材なのです

ヨットで海外をクルージングしていた時は食べたくて食べたくて苦しい思いもしました 日本に戻ってくるようになって自分で獲ったり友達がくれたりでそんな思いはなくなり喜んでいます

今回も山旅から戻ってイノシシ肉、鹿肉、鮎が届きモクズ蟹も獲ったので残りはウナギだけこれもシーズン的には遅いけど近々挑戦するつもりです その前にフグだけど・・

この貰った鮎ですが松葉さんが獲ったのでなく松葉氏の「お父さん」が獲ったのでそうです。そのお父さんは76歳だそうで「木頭」(徳島では有名な山間地で高知県境)に住んでいるそうなのですが歯医者へ来たついでに届けてくれたそうです。

阿南から木頭まで僕が走ると三時間近く掛かる距離を毎週の様に歯医者に来ているとか それで驚いてはいけません。歯医者から帰って夜に一人で川に網を張って潜って鮎をとるのだそうです 元気でしょ。僕は弟子入りしたいと本気で思っているのです。

木頭から下流には大きなダムが三つあります。5月に放流されて大きくなり卵を持っても海に下りることが出来ないから婚姻色になっていても卵は持ったままです 早速昨日塩焼きにして美味しく頂きました

松葉おとうさんありがとうございます

写真をクリックすると大きく見えます
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玉厨子山は・・

2007年10月22日 15時52分44秒 | 日本三百名山に登る旅
今日も秋晴れの徳島県です

今日選んだ山は、昨日カニ罠を引き揚げに行った時に橋の上から見て八十氏にどのくらいで登れる?と聞かれた「玉厨子山」に行くことにしました

その時にあの程度なら多分一時間か一時間半と答えていたのですが・・・

朝8時過ぎに家をでて「出合橋」で山を見直し写真を写して美波町西山の登山口を出発したのは九時になっていました

途中に四国八十八ヶ所札所「薬王寺」の奥の院「泰仙寺」があるので参道を登ります ところが泰仙寺までは案内板も多く簡単に行けたのですが・・
その後間違って洞窟への遍路道に入ってしまった

洞窟に着いてから引き返せば簡単だったのだが・・少し踏み後もあったのでそのまま沢伝いに登ることにした。 しかしここを登る人も居るのか所々に赤テープがあるのでイザとなっても引き返せると急登の道なき道をがむしゃらに登っていると林道に出た

林道の終点から赤テープを頼りにまた道なき道もよじ登り頂上に着いたら11時だった (二時間掛かった)頂上はNHKからNTT、地元テレビ局ほか幾つものアンテナが立っている賑やかな場所で他からは頂上まで林道を車ででも来られる山なのです。 誰も居ませんでしたが・・

見つけた「アケビ」を15個ほど採りゆっくり弁当を食べて下山時は二度道を間違えたけれど登った時よりは遥かに道らしい道を下山しましたただし降りた場所は登ったところと違っていましたが

あまり一般的でない山は高さは無くても案内板も無いから結構難しいです。

キノコはずっと探していましたがナラタケ6個とヌメリイグチ3個だけが食用になるキノコ残りはクチベニタケ一個、他は確定できませんでした

でも努力の甲斐あって山に行く度「食材確保」出来るようになっています
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カニ罠中漁

2007年10月21日 17時14分25秒 | ウナギ、カニの罠を仕掛ける
昨日は予定通り八十氏と川辺で合流 バスは置いて軽トラに荷物を積み込み、僕はウエットスーツに着替えて戦闘開始

潜水士さんの情報で「上流より下流が良い」と聞いていたけど今までの経験から上流は大きいけど下流は小さかったので「数よりサイズ」を狙いつつ保険として下流にも仕掛ける事に決定

下流3個上流12個の罠を丁寧に仕掛け終わったら予定より早い時間の3時半だった。 とは言っても最近「日が短い」から丁度いい時間

道の駅に移って「とりあえずイッパイ」とビールを開けたのが始まりでズルズルそのまま呑み続けることになってしまいました

まだ明るい時間、小便に行って戻ってくる途中で「川で会った若者達」が「足湯」に浸かっているのを発見 この若者達は僕らが罠を仕掛けていた時大きな石を川に投げ込んで堰を作っていてその時少し話をしてたのです

「バスにおいでよ」と声を掛けて「畳の部屋」を宴会場に変更して一時間半ほど僕と八十氏はビール、若者達はお茶でお話をしました

若いって言うのはいいな~・・とつくづく思う19歳と20歳。 これから大変と言えば大変かも知れないけど「なんにでも成れる」という途方も無い財産を持っている

20年後はどうなっているだろうか? 僕がもしもこの歳に戻れたらどんな夢を見るだろうか??同じなのか全く違うのか・・絶対に戻れないから深くも考えられないけど愉しい人生を送って貰いたいと思った

八十氏は「のまな寝れん」と言ってピッチを上げてドンドン呑みビールの次に日本酒に転換してそれもガブガブ。 そして電話をしてルアー船第五八千代丸の松本氏(以前潜水で僕の両腕として手伝ってくれていた)を呼んだ
松本氏は人がいいから忙しくても来てくれたが災難

その時八十氏はすでにかなり酔っていたが・・二時間ほど昔話などをして就寝

さて今日の朝です 昨晩から随分冷え込んだけど秋晴れの晴天でした。 すぐ二台で川辺に行き、着替えて軽トラで罠を見て行きます

初めは下の方の2個を手分けして揚げたら僕のほうの罠には3匹だったけれど八十氏が揚げたほうにはなんと18匹のカニが入っていました

サイズは下流だから小さいけれど二つで20匹を超えたからこの後が楽しみです。
ところが次の二つを揚げると片方はゼロ、もう片方も二匹だけ

次の場所もひとつはゼロ、一つは三匹・・それも小さい
次の場所は4個の仕掛けを上げて三匹  

あかんな~・・と言いながら車に戻ると同じようにカニの罠を見に来た二人連れにバッタリ会ったので「獲れますか?」と軽トラの後に載っていたカゴをみてビックリ

大きなカニがどっさり入っていました  どうして? どこで?と質問すると仕掛けた罠は50個(僕は15個) やはり上流が大きいとの事 僕が仕掛けた一番上流より上ばかりに仕掛けていたのです

その次が僕らが仕掛けた一番上なので「もしかしたら・・」と期待して行って見ると最初がゼロ次もゼロその次は三匹最後は4匹 そしてやはり大きかった。

一番最後に残していた最下流のカゴは三匹入っていたけど小さくて残念

でも合計では40匹ほどの水揚げがありました 帰って大きいのだけ選んで10枚ほど茹でました 他のは半分を「カニミソ」(カニの甲羅を外し胴体の部分だけを小さくなるまで叩いて米糠と混ぜて焼く)残り半分をカニ汁用に丸ごと全部を小さくなるまで叩いて殻を濾して味噌汁にしました

茹でたカニですが雌は真っ赤な卵がギッシリ詰まっています味も旬のしっかりと濃い味です。 今年は夏も長かったからこれからがカニの季節かも知れません  食べ終わったらもう一度行って見たいな~・・と思っています

先ほどまで次回のために罠の修理をしていました。少し疲れが出ていますが明日は山登り兼きのこ採りに行こうかと考えています

写真は川で石を投げ、足湯に浸かっていた若者達です。左から斉藤君、さなえちゃん、
ゆうさく君、たつや君と一人のオッサンはやがて50の八十氏です
  
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久しぶりの我が家は・・

2007年10月20日 10時17分04秒 | ウナギ、カニの罠を仕掛ける
青空の阿南市です。信州に居た時にこんな天気だったら・・と思いますが・・

久しぶりの我が家は消失もなく良くもなっておらず、庭の草が伸び、メダカは半数が生き残っていましたがミミズは全く姿が見えません

早速とうちゃん八十氏が僕の好きな食材を届けてくれました イノシシと鹿の肉で近いうちに「牡丹鍋」と「焼肉」で宴会予定です

そして今日は蟹の罠を仕掛けに行くことになりました昼前に家を出て僕はキャンピングバス、八十氏は軽トラで行き現地で合流。

軽トラに仕掛けを積んで夕方までに全罠仕掛け終了。 道の駅に移動して温泉に入って小宴会をして泊ります

明日の朝罠を揚げて阿南に戻る計画ですので成果は明日に報告します。

昨夜は矢張り家の横の駐車場にバスを停めて中で寝ました

美由紀は家のベッドで寝たのですが朝になって「やっぱり慣れんから寝れなんだ」と言ってました

じゃあ積み込みなどして早めの昼食をとって行ってきま~す
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四国島に入りました

2007年10月19日 10時25分08秒 | 日本三百名山に登る旅
50日ぶりに戻ってきた四国島は雨が降っています。

ブログの更新が二日間出来ずにすみません毒キノコに当たったのでは・・と心配されたら困ると気になっていたのですが 実は昨日二日酔いの頭をひねってちゃんと書いていたのですが出来上がってアップしようと
した時に丁度パソコンの調子がおかしくなって消えてしまったのです 一時間かかって書いたのに・・

そんなんで一昨日の朝からの報告いたします。 蒜山の道の駅「風の家」で七時に目覚めて五分ほどの距離にある竹内さんの別荘に行きました(山友近況)
で以前の様子を載せていますので見てください) 毎年僕らは山旅の最後にどのように変身しているかを見に行くのを楽しみにしているのです

今回は新しく「本館」がほぼ出来上がったので僕らの帰りに合わせて竹内さんが「完成前祝い宴会」のような形で企画してくれました

去年の8月に寄った時に「ここに建てる」と言っていた場所には建物の約3割が「デッキ」の本館が進入路の突き当たり、小高い山の上に
建っていました。 竹内さんが一人で去年から毎週水曜日と木曜日の全てを徳島から通って手作りした(手作りと言っても本職並みの出来
栄え)の本館は高床式で一階がキッチンとダイニングとリビングにひろ~いデッキ、風呂トイレ。二階はオーナーズルームとゲストルームとここにもひろ~いデッキ

何より「旅」が好きで、根無し草のような「放浪者」の僕と違って竹内さんはここ蒜山高原で広大な森を買ってその間を縫うように道をつけ、一番高い丘の上に
先に建てた(自作)倉庫&ゲストハウスに続いて今回は移住した時に自分が住む「本館」を建てたのです(骨組みと屋根、サッシは工務店
にしてもらった)

森の間の道を散歩したあと広いサッシのガラス越しにナラの林や上蒜山、スキー場を見ながら朝食をとっていると「ほしいな~・・」
「いいな~・・」と思ってしまいました。 リビングはダイニングから一段下がって大理石の床。周りは石を積み上げた壁、其処に木を
燃やす暖炉、煙突は二階の床を抜けて屋根の上へ延びています

まだまだ完成までは時間が掛かると言っていましたが超快適に(僕の家やマンションとは比較にならない良さ)住める処まで仕上がって
いました。 

人はそれぞれ求めているものが違うのは当然ですが・・僕の場合、家もマンションもヨットもキャンピングバスも何日でも生活は出来るけ
れど普通の人達の家やこの別荘から比べると「公園の隅にあるホームレスの家」なのです 旅好きの僕もしたいことを順番にして70歳過ぎには
「田舎暮らし」を計画はしているのですが・・一気にこのようにしてみたい気分にさせられました

昼過ぎに岡山市内から松田夫妻が到着、その後ここ蒜山で別荘暮らしをしている西村夫妻、山下夫妻、三原夫妻とメンバーが揃い、手分け
して料理の準備に掛かりました。 僕は石窯に火を入れて本日のメイン、三羽の鶏の丸焼き、ピザ、焼き芋が出来るよう天井が白くなるま
で燃やします(火を燃やすのって愉しいですから)

横で松田主人氏はタイフードの「トムヤムクン」を作っています。女性陣はサラダを作ったり食器を洗って揃えたり・・四時頃には石窯の
焼け具合もオーケーとなり、一番最初は西村氏秘伝の特大焼き芋投入その後竹内さんが次々焼いてくれるピザを全員がほおばりながらお酒とお喋りが始まりました

石窯で焼くピザは格別です。松田さんは次々粉を捏ねてピザの台を作ってくれますそれにチーズやキノコ、野菜、サージョンなどを載せて
竹内さんが焼いてくれるので・・他の人達は食べて喋って・・二人には申し訳ありませんでしたが・・すっかりいい調子でした

日が暮れて今度はリビングに移動して暖炉に火を入れ11人で再宴会の始まりです僕は純米酒6合?位?呑んで(日本酒は西村氏と僕しか
呑まないけど殆ど空になった)すっかり酔ってしまい、酔いどれの常として「同じことを繰り返して」喋っていた事でしょう

12時を過ぎて解散、僕は瞬く間に爆睡してしまいました。 翌朝は松田夫妻と竹内さんの五人でデッキの上にテーブルをセットして
真っ青な秋晴れの空の下、ナラの林に囲まれてドングリが落ちる音を聞きながら松田氏手製の自然酵母パンを齧りながら朝食をとっている
と「金持ち」の気分

僕もキャンピングカーで登山口に行った時、ブナやナラの林を見ながら食事を採ることは多いけれど・・・狭い車内で回りは生活用品が
溢れていてはとてもこんな気分になれません。 「根本的に考えなければ・・・」と思ってしまった蒜山の休日でした

退職者はそれぞれが自分が一番「愉しい」と思う道を選んで進みます。「十人十色」なのは当たり前だけど、どんな道を選んだとしても進める
道は二度と戻ることが出来無い「一本」の筋のような細い道でしかありません。同じ「時」は二度と戻って来ないからUターンしても絶対に元に
戻る事が出来ない道です

あっちに行ったほうが良かったのか、こっちに来た方が良かったのか?? 僕は僕が愉しいと思う「旅の道」を愉しめる限りは精一杯進んで見ます。
予想できる体力を基準に考えて、大体七年を目安に軸足を変えながら愉しいと思える道を90歳までは歩み続けたいと思います

軸足を変えながら進むことは退職後(60歳として)平均的に持っている30年余りの時間(僕の場合は50年余り)を愉しく過ごす上で重要なことだと思っています ただ何となく過ごすことなく計画をたてて生きて欲しいと願っています

何度も言いますが、まあどのように生きても殆どの人は「死の床」にあって振り返ると「まあまあだった」と納得できるそうですが・・僕が目指しているのは「愉しかった」です

招待してくれた竹内さん初め松田さん、西村さん、山下さん、三原さん、愉しい時間を有難うございました

写真は準備も整い宴会突入直前です写真をクリックすると大きく見えます。 近々山友近況に「本館」の内部や宴会の様子をアップします
ので見てください。

 
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大山登りました

2007年10月16日 19時42分27秒 | 日本三百名山に登る旅
目が覚めたら曇っていたのですが・・今日は登ると決めていたし晴れてきそうなので迷わず登山口へ移動しました

登山口の駐車場は平日なのに「さすが百名山」七時の時点で30台ほどの車がいてその後も次々車がやってきました。 僕らはそれから朝食を摂って8時に出発夏山登山道を登りました。

その頃は青空が見え初めていました 今年から始めた「キノコ狩り登山」なのでドンドン人に追い越されながらも目ぼしい倒木があれば横道に入る非常にノロイ登山となりました

ところが大山には毒キノコの「ツキヨタケ」が異常繁殖していて枯れ木は勿論、生きている木にまで下から上までツキヨタケ(美味そうに見える)がびっしりと付いています

もしもこれらを採ったとしたら100㌔二百キロなどは瞬く間で一トンでも採れるでしょう でも今回は図鑑で覚えた「ナラタケ」を「もしかしたら」ナラタケ違うか???と言いつつ沢山ある中から少しづつ採って来ました

でも殆ど下山するまでそれを食べるつもりでは無かったのですが・・おばさん二人がカゴを背負って登ってくるのに出会ったのです

「すみませ~ん! キノコ採ったんですが・・これ食べられますか?」と買い物袋のキノコを登山道に広げたら「私達もこれを探してるンよ」と言いながらこれはダメと二種類のキノコは捨てナラタケを選んでくれました

その後、ホコリタケと先日採ったブナハリタケをゲット今日のキノコ狩りは大収穫でした

山のほうは階段に続く階段でしたが八合目からダイセンキャラボクの間を通っていきます。 モミの木を矮性にしたような木なんですが昨日中村さんが教えてくれたように赤い実をつけてそれも殆どが完熟(熟れ若いのは苦い)

ポロポロ落ちるその実は甘くて上等の味で喜んで一緒に登っていた京都から来た夫婦の登山者と食べまくりました

頂上に着いた頃は雲も湧いて来て視界はイマイチでしたがそれでも隙間から米子市や日本海に突き出た島根半島、美保湾、海岸沿いに建てられた風力発電機、足下にスキー場や牧場が見えて「まあ満足」出来ました

頂上で弁当を食べ下山は違う道「行者コース」を下山。駐車場に着いたら16時になっていました

すぐ蒜山に移動して「国民休暇村」の展望温泉に入って道の駅「風の家」でインターネットを繋ぎました

明日は竹内さんの自作中別荘(HPの山友近況に前回までの様子アップしてますので見てください)で過ごします 現在は本館を自作中なので今回写真を写して近々アップします。

写真は大山のブナの木に異常繁殖している毒キノコの「ツキヨタケ」です 色も形もかなり違うものがあるのでこの写真だけをみて判断しないでくださいね。写真をクリックすると大きく見えます。
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のんびりしてます

2007年10月15日 13時55分17秒 | 日本三百名山に登る旅
朝から雨が降っている鳥取県です。今になって「諦めがついた」ようで山に登れない一日を久しぶりに小説を読んだりして落ち着いて過ごしています

二、三日前のブログ「友達は・・」の中で書いた「移住」に関することですが僕が基本的に思っている「愉しく暮らす」事を基準に書いています。それと夫婦合わせて10万円以下の年金の場合は「働くしかない」と言うのは少し間違いがあったので訂正しました

 二人で5万円以上あれば現在のフィリピンならヨットで行けば結構愉しく暮らすことが出来るからです(ヨットの場合家賃が要らないし費用が殆ど要らなく、5千以上ある島を好きなように移動できるので変化が持ちやすく長い期間愉しく過ごせるし過ごしている人が大勢いる)フィリピンのことはこのブログで去年の10月初めから今年5月までの僕らの生活(今回は特別に殆ど動いていないけど・・)を読んでくれると少しは解ると思います

 ただ家を借りて暮らすとなると10万円近く必要と思いますし、日本円が現在のままの強さを維持出来るとは思えませんので10万円近い年金があったほうが安心とは思います。

そこでではフィリピンにヨットで行くにはどれ程の費用が必要かというと中古のヨットを買う必要があります。二人で行くと考えて25フィート以上の船内機(ディーゼルエンジン)装備の船が必要でしょう。 値段は探せばタダでくれるヨットも結構あるのですが僕は危険な思いをしたくないのでレーダーと天気図を採るために21メガの無線機(中古なら一万円くらい)とノートパソコンと接続機器は絶対装備したいですからヨットを含めて100万円程必要と思います。内訳はヨット50万円、新品レーダー17万円、中古無線機、パソコン及び付帯品15万円、その他改造など18万円です。後は予算に合わせて上にきりはありませんが・・・14年間60カ国千箇所以上の島や入り江を巡った僕ならその程度しかお金を掛けません。それで充分でしょう。余分なお金があるなら現地で愉しむほうに使います。

それからヨットで航海する場合、何より大事な事は天候です。僕がフィリピンから日本に戻ってきた時に役立った海況予報のページを載せておきます。(このページはラー三世の金田氏から教えてもらった)風向風力、海流波高などが簡単に解って便利なページでしょ 

http://www.weather.gov.sg/wip/c/portal/layout?p_l_id=PUB.1023.10

僕の場合日本でもフィリピンでも「通信カード」で海上からでもインターネットが繋がるようにしています。(機械代は別途必要ですが利用料は使い放題でフィリピンは一ヶ月2千5百円ほど日本は七千円ほどです。海上の場合フィリピンのほうが広い範囲で使えます。機械代フィリピン2万5千円、日本六千五百円。フィリピンの通信カードが欲しい人がいましたら今年一月に買った僕が使っていたのを一万円で売りますよ)

ヨットを買う場合絶対に業者から買わないことが基本になります。ヨットの雑誌「舵」などの個人の売りますコーナーで直接オーナーと話して売ってもらうかどこかのヨットクラブなどに入って(年会費一万円ほど必要)乗り方から中古艇の情報を教えてもらうのが良いと思います

例えば僕が所属している「阿波クルージングクラブ」等は入会金なし年会費一万円でクラブ員が持っているヨットがどこかにクルージングに出る場合クラブ員にメールが流れて参加したい人は「お願いします」と申し込めばいいことになっています 自分の飲み物以外に少しオーナー分の飲み物くらいは持って行くのが通常ですがヨットの乗り方はしっかり教えてくれます。

このクラブが特別かと言うと全然普通でおそらく何処の県にもあるはずです。ただビジネスとしてヨットクラブをしているところは例外となります。

どの位練習すればヨットでフィリピンに行く技術が身に付くかといえば僕は5日と思います。ただしこれは自分のヨットを持って自分で動いた日数です。では自分のヨットを持つまでにどれくらいと聞かれたら二日くらいでしょう

これはヨットを全く知らない人が聞くと嘘の様に思うかも知れませんが「事実です」 詳しい事を書くと長くなりますから興味がある人は聞いてください
どのようにすればいいかをお教えします。

さて僕の山旅ですが・・残りの日数はいよいよ少なくなって来ました良い天気に登りたいと思っていた「大山」もどうやら晴天を望むのは難しい気配です。 明日の予報は「曇り時々晴れ」なので頂上に着いたときに晴れている事を願いつつ明日登る事に決めました。

そして蒜山で自作建築中の竹内さんの別荘に向います



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大山の麓です

2007年10月14日 16時12分48秒 | 日本三百名山に登る旅
昨夜は9号線バイパスにある大きな道の駅「はわい」で泊りました。土曜日だったこともあって駐車場は「車泊者」でほぼ満員(100台以上?)でした

僕は普通寝る前に一日の反省と翌日の予定をシュミレーションする習慣を続けていますが昨夜は徳島に帰ったら忙しい日々となって落ち着
いて考える時間が持てないと思い余分に「今年の山旅」全体について振り返ってみました
  

そして残念ながら一口に言って「失敗」でした いつも同じような失敗をしているんですが・・今年は特別に期間が短くたった50日しかないのに「20山」を目標として立てていたのです(去年は二日に一山で忙しすぎたから少し減らした) 

そして信州に入って山に登り始めると予想をはるかに超える「体力減退」に気付きました。 そこで目標を下げれば良かったのですが・・
逆に一日も早く「体力復帰」の方を選んでしまいました。(なかなか性格は治らない) 
「とにかく登ろう」と思う気持ちに体力、天候が思うようにならず登っても視界が無かったり悪かったり、おまけに体力は回復してこない。
 焦って焦ってするけれど・・進まない日々

「愉しんだ」と心から言えない不完全燃焼の旅でした。(結局今日までで登った山は12座でそれも半数は以前登った事がある山。おまけに殆ど視界なし)その焦りが美由紀にも伝わり落ち着けぬ生活となって「不機嫌」にもしてしまいました

 そんな中で唯一の成功は「キノコ」に興味を持ったことでしょう。 花が少ない季節に視界が無くても楽しめる「キノコ狩り」は今後の山登りにも役立ちそうです

新しいものに興味を持つと「より知りたくなります」知りたくなることによって「欲しい物が生まれてきます」キノコ狩りの場合は
「図鑑」と「知識」でした。 高いものではありませんが年金25万円生活の僕は本屋に何度も寄ってどんな本が適当かを散々考えて「簡単そう」なのを選びました

ところがそれに載っているのは200種ほどで4千種とか一万種と言われているキノコですから採って来たキノコの殆どが入っていませんでした


これではダメとまた本屋を回り千種以上載っている本を買いましたこれになるとさすがに採ったキノコがかなりの割合で載っています。毎日暇があれば
二つの図鑑を見ているので少しづつですが「なんとなく」解りはじめて来たようです

 昨日も本屋に寄った時はもっと良い本は無いだろうかとキノコの本の処へ行って探しましたが・・ありませんでした。(今の本を覚えてしまうまで買わないつもりですが・・)

仕事をしていた頃は殆ど考えもせず片っ端から買っていたので「切実」を殆ど感じなかったものですそして買っても殆ど見る時間を作らなかった。手に入っても嬉しくも何とも無かった

小さなものでも切実に欲しい物が「ある」切実に欲しい物を「探す」切実に欲しい物を「手に入れる」高価であるとか安価であるではなく「切実に欲しい物、
したいこと」に向っている時は人が幸せな時なんだそうですから今は余り強く感じていませんが「幸せな時」を過ごしているのでしょう

寂しく不幸なことがその逆は当然ですが時々そんな「過去の自分似」や「無気力的」な人も見かけないこともありません

 仕事をしていてもしていなくてもその大きさや難しさは様々でも「先ず一歩新しい事に向う」と何か次の課題が出てきます。「切実に」欲しい物もしたいことも生まれてくるものと思います。「何にもしたくない。何も欲しくない。どうでも良い」もしそんな気持ちで日々を過ごしている「貴方」がいたとしたらそれは問題ですね

 原因は良く言えば「恵まれすぎ」なのかも知れませんが・・「人生を諦めている」のかも知れません。

切実に欲しい物、したいことを作ってそれが小さなものでも「確実に手に入れる習慣」をつける。「諦める習慣」がついてしまうと生涯諦め続けなければならない事になると悲しいですよね

「時間が作れない」「お金が無い」「機会がない」「体力が無い」等など・・・でも本当にそうでしょうか? 僕はどんな人でも時間を作る
こともお金を作ることも機会を作ることも体力を作ることも出来ると思っています 問題は「気合」だと思うのです

ただ僕の様に「気合」はあっても今回の山旅のように逆に「疲れる」事も発生しますが・・それが又それなりに「生きている証」のような「人生やな~・・」と思える訳の解らない満足感と充実感と失望感と後悔と新たな気合と苦しみと喜びを感じさせてくれるようです

まあ振り返り反省しそしてまた失敗を繰り返す僕ですが少しづつは訂正も出来ていくでしょう。 来年こそはもっと愉しい山旅にしたいと思いつつ眠りにつきました。

現在「羽合温泉」(ハワイ温泉と読む)の湯から出て明日も曇りらしいので道の駅から雲を被った大山を眺めながらブログを書いています

大山は三度目(一度は頂上に行ったが視界が無かった。もう一回は雨が降ってきて途中リタイア)なのでしっかり天気を待って行きたいと落ち着いています

もしも朝になって天気が良ければコンビニで弁当を買い登山口に移動して登ります 
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鳥取市まで来ました

2007年10月13日 12時47分09秒 | 日本三百名山に登る旅
昨日(金曜日)通勤ラッシュが終るのを待って琵琶湖大橋袂の道の駅を出ました

工夫が必要な退職者の常として遠方までの移動は通勤割引を利用して高速を使うか一般道を使うかと燃料代が上がった今はかなり頭と計算機を使わなければなりません

でも大都市を抜ける場合以外、殆どの場合は一般道を通るほうが安くつきますが・・なにしろ「時は金なり」には全く縁がない「時はただなり」の生活を送っていますので

そして矢張り一般道と結論を出して峠を越えて京都に入り、それから国道9号線を北西に向って走りました 道の駅は必ず停まって休憩 出発の琵琶湖から130キロ近くも走り五つ目の道の駅「丹馬楽座」(京都との県境に近い兵庫県)で泊る事に決定。

この道の駅は温泉付きでホテルまであるけれど古い道の駅でした立派な但馬牛のステーキレストランもありますが「牛肉は体に悪い」(これを食べると予算オーバーとなって数日何も食べることが出来なくなる

では惨めな夕飯だったかと言えば大違い 武奈ヶ岳で採ったブナハリタケとヌカゴと鶏肉をタップリ入れた「炊き込みご飯」 これの美味いこと マッタケには及ばないもののキノコのほのかな香りが漂い歯ごたえあるブナハリタケの食感は大満足でした


今日土曜日。9時過ぎに出発、変わらず9号線を道の駅がある毎に停まって、足湯に浸かったりお茶を入れてお菓子を食べて休みながら兵庫県を通過してお昼に鳥取市に入りました 現在新しく出来たらしい大型ショッピングセンター「イオン」の駐車場です。

食事のあと少し見物がてら買い物をして日本海側を少し走ってどこかで温泉に入って道の駅で泊まります 月曜日には「大山」に登りたいと思っているんですが・・・

そう言えば昨日の夜の天気予報ですが・・滋賀県で聞いたのと同じ兄ちゃんが予報していて・・また謝っていました。 そして明日の予報は「晴れたり曇ったり、処によって雨」と言っていました これを言えば先ず外れは無いでしょう  でもこのお天気兄ちゃんは結構人気があるらしく「激励」の葉書が沢山来ているそうです。

そう言えば予報が間違って「謝る」人を見たのは初めてだからきっと気が良い人なんでしょう そして今日今までの天気はです。
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