outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

家とキャンピングカーやヨット比較

2010年08月31日 20時14分59秒 | 退職生活
二日間の畑仕事で疲れが出たのか、夜更かししたからか、今朝の気温が低めだったのか、はたまた家で寝るのに慣れたのか・・・・今日の朝は早起きが出来ませんでした

そんな具合で朝食を先に食べ、家庭菜園を横目で見てバスのエンジンを掛けてエアコンを効かせて、荷物の整理をし始めました

それでも10時ごろになると・・・外に運びだす時に汗がポタポタ落ちだすので中止。

やはり怠け者?

ほんとに、この暑さはどうにかならないのでしょうか。

それでも倉庫の工作場周辺を少し片付け、銀行に行ってお金を引き出し、戻って昼食

そしてパソコンの部屋でエアコン掛けて、最後に登った北アルプスの写真を整理に掛かりましたが・・・薬師岳の写真を選んだだけで・・・猛烈な睡魔に襲われて撃沈。

そのまま4時まで眠ってしまいました

起きてからも、写真を山別に選んで、シャワーを浴びて今まで一杯呑んでいました

シャワーを浴びていて思ったんですが・・・・

ヨットやキャンピングカーでシャワーを浴びるのは、水が限られているので一回に使う水の量は約5リットルほどです

これが家だと多分50リットル位は使っているでしょう

出る水の圧力も、ヘッドの穴の大きさも違うし、丁寧に止めたり出したりしませんから・・・

当然ながら後のサッパリ感も違います。

他に家に戻って「いいな~」と思うのは室内の「明るさ」です

バスやヨットでは本を読むときでさえ30ワットですから

食べる事に関しては、殆ど変わらないか、旅のときが変わった食材が買えるので愉しい位です

寝るのは、こうも暑いと山旅をしていた時の気持ちよい涼しさ、快適さをエアコンでは作れませんから、完全に家は負けています。

ヨットも日本の夏は暑すぎだけど、赤道近くでも夜は27度位だから、自然の風を通していたら気持ちよい気温で、これも家は負けています。

なにより「寝る前の気持ち」で、キャンピングカーやヨットは押さえきれない程の「わくわく感」が自然にあります

家だと・・そのように持って行くのに、根回ししたりする努力が要ります

このように比較すると、限られた「水と電気」以外はキャンピングカーやヨットの方が「勝っている」

だから・・・旅に出るんですが・・・

ずっと出続けていることも不可能だから・・・戻ってくると「仕事が山積み」

なかなか・・・全てがうまくはいきませんね

明日は大阪から松本氏がヨットで徳島へやってきます

帰ってからまだホロホロも見に行って無いのと・・・野暮用もあるので明日は朝から徳島へ出かけます

そして夕方から川面を走る風を受けながら、ヨットで宴会

当然ながら・・・呑んで運転できませんからヨットで泊ります

今日の写真は・・・以前アップしたことがあるんですが・・・余りにも暑いから・・・

涼しい写真と思って選びました

越後駒ケ岳の雪渓を行く美由紀です

涼しそうでしょ






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クツワムシ

2010年08月30日 20時56分31秒 | 退職生活
41歳で仕事を辞めて遊んでいる僕を「怠け者」と思っている人がいたら、今日の僕を見てもらいたいものです

昨日に続いて今日も朝の5時半から、ツルハシを振るって藪と化した畑を耕しました

でも・・・九時が限度ですね

シャツもズボンも汗が雫となって落ちる位だから、まるで大雨にでも降られたような状態

シャワーを浴びて朝食と思っていたら、冷蔵八朔を下げて柳田氏が寄ってくれました

5ヶ月ぶりだけど、全然変わっていませんでした

「全然変わっていない」とわざわざ言うのは・・・

変わっている人が居るからなんですが・・・近藤氏と八十氏は驚くほど太っていました

別居生活に入った人も居たし、心臓の病気で生死の間を彷徨った人

子供の悩みを抱えた人もいるし、入院を繰り返した人もいます。

5ヶ月は畑の草が伸びるのも当然の期間のようです

日中は千円散髪に行ったり、野菜の消毒液や肥料を買ったり、郵便物の整理と国民健康保険や車の税金を払いに行ったり

でもラッキーな事に八月30日までに支払えたので、延滞金が加算されず、少しですが助かりました

旅が長いと・・・年金の回答が期日までに出来なかったり、実は細々と色々な問題があるんです。

大したことではありませんが・・・

夜になって、久しぶりに「ガチャガチャ」とクツワムシの鳴声を聞きました

倉庫ハウスの前は川なので、土手に住んでいるんでしょう。

クツワムシはガチャガチャ鳴けば雌が見つかるようですが・・・僕が幾ら鳴いても雌は来ません

昆虫にはそんなのは多いですが、交尾が終るとクツワムシもメスがオスを食べたりします

人間の場合、食べられはしないけど・・・昆虫以下の扱いを受けているオスもいるようです

生まれ変わったら・・・何でもいいから「メスでありたい」と言うオスも多いですが・・・僕は「ちょっとメスも体験してみたい」程度で・・・オスのほうが面倒が少なくていいように思っています

明日は残り三分の一の畑を耕してみます

今年は帰った日だけ、バスで寝ようと二人共バスに行ったけど・・・暑さで僕がギブアップ

エアコン掛けて寝ました

今年の暑さは異常ですね

皆さんも体に気をつけてください

今日の写真は真っ白い「野口五郎岳」です。

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開墾とウナギ釣り

2010年08月29日 23時36分41秒 | 退職生活
「朝の涼しい時に!」と早朝から気合充分で美由紀は花壇

僕は家庭菜園と二手に分かれて草取り

ところが・・・我が家の家庭菜園の土は「田んぼ」から運んできた土ですから・・・

かなりの粘土質です

梅雨の雨で「締まった」上に、ここ数日の晴天で「カチンカチン状態」

ツルハシを使っても、なかなか草の根まで届かない

原野の開墾でも、もっと楽に出来ます(子供の頃やったことがある)

兎に角、想像を遥かに超える困難な作業となっています

四時間、汗まみれになって三分の一ほどの面積の草は取れましたが、それはあくまでも表面だけで、植え付けや種蒔きをするには、少なくても20センチ位は深く耕す必要があります

シャワーを浴びて朝食

気温も上がってきたので、愛用の軽トラを洗車した後、秘蔵の愛車BMWーZ3も倉庫から出して洗車

半年ぶりなので10キロほど走って、調子を見て・・・OK

プランターと小鉢に白菜二種、キャベツ、レタス、ブロッコリーの種を蒔き

五時に早い晩飯を食べて、八十氏と待ち合わせの川へ行きました

日が沈むのを待って、ウナギ釣り道具を30ほど仕掛けました

田村氏に鳴門方面のウナギの釣れ具合を電話して聞くと

今年の夏は「暑すぎて釣れない」との事。

そんな事もあるのか??と思いながら・・・待ったけど

そんな事はあるようで・・・途中でみかちゃんも応援に来てくれたけど・・・

9時前まで頑張って「三匹だけ」

涼しくなれば釣れる様になるのか

戻って一杯呑んでたら・・・ブログ書くのが遅くなってしまいました

明日も朝から畑と格闘します

写真は[黒部五郎岳山頂]から左に薬師岳、右に赤牛岳、後方に立山から後立山連峰を写したものです。

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コタツ布団

2010年08月28日 23時24分23秒 | 退職生活
五ヶ月ぶりに我が倉庫ハウスに戻ってきました

普通の人には余り経験が無いと思いますが・・・

ここ20年ほどの僕らの生活の平均をすれば、短いとさえ言える5ヶ月です

最長は二年十ヶ月余り戻らなかった事もありますから

それはさておき、出発したのは3月下旬で、スキー場に向かった位だから・・・

まだ寒い時期でした

帰ってきた今は、新記録になりそうなほど暑い日が続いている8月です

部屋に入ると

茶の間の食卓には・・コタツ布団

布団には毛布

加湿器に・・・エアコンをかけたら暖房

食べかけの茹でた栗がみかんの皮も乾燥してそのまま食卓の上にありました

33坪の家庭菜園は

背丈より高く伸びたヨモギの他・・・多種多様な雑草が繁って・・・

「ヤブ」です

畳の上は・・梅雨の頃に発生したのか・・・黒いカビが

冷蔵庫には・・・タマゴが入っていましたが・・・食べれるでしょうか

郵便物がコンテナから溢れて重量で30キロほど

昼過ぎに家に着いて、マカナ品川氏と八十氏とお喋りして・・・

夕方からデッキの前の果樹を植えている斜面の草刈りをしましたが・・・

明日は夜明けと共に本腰を入れて掛かろうと思っていますが

4~5日は戦いになりそうです。

ただバンバン山に登っていたので体調はすこぶる良く、体は軽やかに動きます

そんなんで・・気合を入れて一日でも早く何とか片付けたいと持っています

テク近藤氏、みかちゃんも入れて今日は四人と会いました

電話でも数人と話し、地元に戻った事を実感しています

今日の写真は「烏帽子岳」の岩場を先に登っている若いオンナを写したものです

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古民家再生リフォーム

2010年08月27日 21時53分31秒 | 退職生活
「田舎暮らし」を考えている人達も多いし、すでに田舎で暮らしている人達も大勢います

日本国中の色々な山に登ろうと、ここ八年、毎年数ヶ月間に渡って旅を続けている僕は、海外をヨットで周っていた時と同様、「楽園」を求めて移住した人達の生活に興味があるので、できる限りその様な人達と機会があれば話をしています

そして、非常に愉しく暮らしている人から、「マァマァ」な人から、強く後悔している人まで色々と見てきました

そんな移住者の殆どは退職をした夫婦なんですが・・・

現在「非常に愉しく」暮らしている人の中でも、初めから「心から愉しめる人は意外に少なく、初めは夢中でもスランプ?があり、2~3年は本人達の「心の整理」がつかず、戸惑っていた人達は多いです

そんな様々な移住者が居る中で、今回訪問した「従姉妹」の事について、極めて独断と偏見に満ちた僕が感じた事を書いてみます

昨日のブログは「訪問前の想像」でしたが、今回はしっかり観察したすぐ後なので、かなり真実に近いと思っています。

京都府綾部市の外れに建つ、この地方の極めてトラディショナルな屋根形をした多分100年を超えるような、ボロボロの「古民家」(竹林、畑など付き)を買ったのは9年前でした

一般の「田舎暮らし移住者」と違う事は、中心となったのが女性で「三姉妹」プラスその夫、子供及び友達夫婦で、その古民家の良さを残しつつ、快適な生活が出来るように「自分達で」大改造して、老後にはそこで共同生活しようとの発想です。

僕が以前行った時には、骨の上に屋根が乗っているだけの状態だったんですが、皆が必死で作業していました

でも・・・完成するだろうか???と思ったものです

ところが五年間、毎週末の二日をこの改造の為に通い「非常に愉しく、充実した日々だった」と、今日も三姉妹が何度も言っていましたが完成させてしまったんです

その出来栄えは「素晴らしい」としか言い様がありませんでした

真っ黒な年代物の太い梁が何本も部屋の中を通り、同じような太い柱で支えている家は、現代に造りたくても出来るものではありません。

工夫、応用が随所に見られ、それが「古い骨組みに合っている」にも関わらず、快適に暮らせるように仕上がっているのは「女性中心」故かも知れません

実際に移住するまで、改造に五年間三姉妹と家族、友達などが通い続け、自分達だけで仕上げた事は、地元の人達にも好感を持たらした事でしょう

4年前に移住し、現在も常時住んでいる90歳の母親と僕と同年代の従姉妹は、移住した最初から全く区別無く、地元の人達に受け入れられ、認められてるのは、五年間の作業を認めたからの様に思いました

今回僕達が行くと言うと、三姉妹の他、三姉妹の夫、子供や孫も平日にも関わらず集まってくれました。(毎週、毎日多くの人が集まっているそうで、特に僕等が行ったからではない)

90歳の母親(叔母)も庭の草抜きなど、広い屋敷内を動き回るので、適当に痩せ、また多くの人達が集まってくれるので元気に過ごしていました

現在はまだ共同生活には至っていませんし、女三人は「カシマシ」ですが、大阪の家もすぐ近くに集まって居たし、成功すると思います。

高齢化社会の日本で、これから取り入れざるを得ないと思う「共同生活」

その先駆けでもある、このプロジェクトが大成功に進んでくれると、なにより今後の老人達の励ましとなり、道筋が見えてくるように思いました

ただ・・・あんな三姉妹は滅多に居ないから・・・例外となってしまうかも知れません。

美由紀は、女姉妹が居ない事を嘆いていましたが・・・僕は「オンナは強い」と改めて感心しました

写真は、「リビング」とでも呼べばいいのか・・・皆が集まるテレビがある部屋の天井を写しました。

天井までの高さは4メートル以上あるので、非常にゆったり感じます

黒く変色した太く立派な梁が安心感と貫禄を感じさせるでしょ

写真をクリックすると大きく見えます

こんな家を見てしまうと・・・倉庫ハウスは・・・

話は大きく変わりますが、日本海に潜りに行っていたBagus松井氏夫妻と偶然会いました

世の中・・・狭い。












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田舎暮らしの従姉妹と宴会

2010年08月26日 23時42分57秒 | 退職生活
大阪に育ち暮らしていた従姉妹が数年前、京都府綾部市の田舎で萱葺きの古民家(少しの菜園付き)を買い、それをリフォームして暮らしています

買って間もない頃に一度、山旅の帰りに寄って、リフォーム中の状態は見ていましたが、仕上がってからは行ってませんでした。

去年の暮れに徳島へ来た時、今年の山旅が終って時間があれば行くと言ってあったので・・・

今日、綾部市に向っています

この従姉妹の場合、周辺に住む人達は全て「地元民」なので、都会に生まれ育った従姉妹がうまく暮らして行けるか心配もありました

僕は以前から「田舎暮らし」をする場合、周辺に自分と似たような環境で生まれ育った人達が出来るだけ多く居る場所にするほうが失敗が無いと何度も言っています(自分が生まれ育った場所に戻る場合もそれ程問題は無いと思う)

だからこのような場合「田舎者の過多のお節介」や「文化の違い」「趣味が合う友達を見つける難しさ」等、僕の中では問題が多かったんです

それが去年会った時の話しでは、少々退屈しているようではあったけど、近所の人達とうまく行っていると聞いて安心したのでした

うまく行っている「原因」を考えてみると・・・

従姉妹は10年ほど前に夫を亡くしていて「未亡人」です

一緒に住んでいる母親も「未亡人」です

その上に、この古民家を買った時からの計画は、別の二人の姉妹(結婚している)も退職したらここに住む積りで、リフォームの時から毎週手伝いに来ていました

オンナの姉妹が多いのは・・・いいもののようで・・・

特に大阪のオバサンは元気ですから・・・性格も手伝って「適当に近所の人達と暮らしている」と言った様な状態と想像しています

まあ、多分周りは殆ど「超後期高齢者」でしょうから、60歳前後の三姉妹は「花」なのかも知れません

これから行って、呑みながらしっかりその辺も聞いて見たいと思っています。

昨夜は余りの暑さに、排出ガスは気になったけど・・・バスのエアコンを掛けて寝ました

前夜はダウンの布団を被って気持ちよく寝ていたのに・・・・

その前は・・・山の上だけど・・ダウンジャケットを着て布団に包まって寝ていたのに・・・

徳島の我が倉庫ハウスに帰るのが怖くなってきました

今日の写真は鷲羽岳山頂から、下にある鷲羽池を入れて、槍ヶ岳から穂高連峰を写したものです。

この池は神様の子供が水遊びをするために造ったんでしょう

写真をクリックすると大きく見えます

今かなり呑んだ後で「タバコを吸う」と言う理由でバスに戻ってアップしてるんですが、これより前は来るまでに書いた文章です。

また明日もう少し書きますのでお楽しみに

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神が日本に与えてくれたもの

2010年08月25日 19時55分02秒 | 退職生活
今日、二度目の投稿です

北海道の大雪山を「神々が遊ぶ庭」と呼んでいますが、自然の中には神々が遊ぶ為に造ったのでは・・・

と気付くような場所があります

そんな場所へ身を置くと、人は特別に穏やかで幸せな気分になれます

僕が生きてきた中で、感じた「そんな場所」を日本の中で言えば・・・

先に述べた「北海道の大雪山」も規模は小さいですが、そう思います

それから「沖縄の海底」もそうだと思います

決して広くない海域ながら、多種多様の生物を育み、何度潜っても飽きさせないばかりか、益々人を虜にする魅力があります

ホロホロ二世で一ヶ月、ホロホロ三世で三ヶ月の潜り旅をして、そう思いました。

それと「日本アルプス」でしょう

小さな日本列島にありながら、夏でも溶けない雪渓が各所にあり、三千メートルを超える高峰を幾つも持ち、氷河期を生き延びた動植物に住処を与え、我々の眼も愉しませてくれます

八年に渡り、数々の山に登り、そのように感じた山は幾つもありましたが、やはり日本アルプスは北も南も中央も、神々が遊び場として特別に造ってくれた「贈り物」と今年の山旅で感じる事が出来ました

そして、そんな思いを皆に知って貰いたいから・・・短い時間でも、誰もが沖縄の海底に身を置き、日本アルプスの頂や谷間に身を置ける日が来ることを祈ります

今回の写真は水晶岳(黒岳とも言う)から写したもので、奥の山は「黒部五郎岳」で手前の上部が平になっている所が「雲ノ平」です

雲ノ平の中央部に山荘があり、周辺は高山植物の宝庫です

日本庭園とかスイス庭園など色々な名前が付いた場所もあります。

テント場には美味しい湧き水が出ていて、登山者の喉を潤してくれます

黒部五郎岳のカールから湧き出す水は、水晶岳、祖父岳、ワリモ岳からの湧き水も併せて黒部ダムに注ぐ清流黒部川となります

雲ノ平の横には温泉が湧く「高天原」もあって、登山者に人気です

写真をクリックすると大きく見えます

それにしても・・・下界の暑さは・・・地獄ですね







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どっぷり北アルプスでした

2010年08月25日 10時16分39秒 | 退職生活
快晴のここ数日、どっぷりと北アルプスに浸っていました

そんなんで、ブログのアップが出来ず、ご心配をお掛けしすみませんでした

でも・・・本当に愉しい夢の中のような天上の日々を過ごしておりました

山に興味が無い人には申し訳けないんですが、とりあえずどのように過ごして居たかを報告いたします。

八月十九日、新穂高から有峰林道(有料道路)に入り、折立で泊りました

前日から体調が心配だったんですが、朝には良くなっていたので

二十日、折立登山口を六時出発、薬師岳に登って、太郎平小屋に宿泊。大きな小屋ですが二つの布団に三人が寝ました

二十一日、太郎小屋で朝食後、六時出発、北の俣岳を経由して黒部五郎岳に登り、黒部カールを通って、三俣蓮華岳に登り、三俣山荘に三つの布団に四人で寝ました

二十二日、朝食後六時に出発、鷲羽岳、ワリモ岳、水晶岳(黒岳)に登り、野口五郎岳に到着した時点で時間があったので、烏帽子小屋まで進んで泊りました

二十三日、朝食後六時に出発、烏帽子岳に登り、引き返しとなり、野口五郎岳、真砂岳に登って、水晶小屋を経由して祖父岳に登り、新築完成間もない雲ノ平山荘に泊りました

二十四日、朝食後六時に出発、薬師沢に下って、太郎平小屋で昼食後、折立に下山。有峰湖畔のビジターセンターに移動して、一杯呑んでいたら・・一番初め奈良の道の駅で会った、三百名山に登っている、薮崎氏に四度目の再会

こんな具合の日々でした

天気も含め、天上の夢のような四泊五日の旅が終わり、その酔いから醒めたくなく、今日も下界に降りる事が出来ません。

しかし・・何時までも居る事は出来ないから、明日は富山に下りますが・・・

しばらく今回の山に浸っていたいので、次の山の計画が立ちません

この余韻のまま、土曜日に高速に乗って徳島に帰る事になるかも知れません。

最近、「山ガール」なんて新語も生まれる程、若い女性達も山に登り始めていますが、山は本当に愉しいです

友達の中でも、八十氏から八方尾根に居るとメールが入っていたし、かっちゃんは富士山に登っていたと連絡がありました

山登りは、登っている間は苦しいですが、それを越える沢山のモノを登った人に与えてくれます

機会があれば是非皆さんに山の愉しさを知って欲しいと思います。

このブログは電波は届かないけれど涼しい有峰湖畔で書いています

電波が届く所に下りたら、すぐにアップしようと思って・・・

詳しくは又、書きますが、先ずは報告でした。

今回の写真は、北ノ俣岳に登る稜線上から写したもので、後方は乗鞍岳、御嶽山です。

遠くにに白山も見えていました

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夜にどこかに落ち着いたらまた書きますね

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ちょっと心配あり

2010年08月19日 08時01分54秒 | 退職生活
登山口の「折立」に行くと電波が入らないかも知れないので、今日の分を少し書いておきます

電波が届けば、再度書きますね。

昨日、一昨日と笠ガ岳で良く歩きました

脚は慣れたのか、二人共極めて快調で殆ど疲れもありません

ところが・・・昨日の夜になって・・・美由紀が少し体調がおかしいと・・・

そう言えば・・・僕も少し

水不足かも??とスポーツドリンクを多量に飲んだので朝になったら、随分良くなったみたいですが・・・・

本調子ではありません

これから登山口に移動はするけれど・・・

何しろ虚弱体質の二人ですから

体調次第で回復を待つ事になるかも知れません

そんな具合で、電波が届かなかった場合、数日ブログなどのアップが出来ないかも知れませんが、ご心配ならさないようにお願いいたします

この写真は一昨日の夕方、笠ガ岳山荘の前から写した対岸の槍ヶ岳です。

夕陽に紅く染まって綺麗でした

左に続く稜線は登って来た(昨日はそこを弓折岳まで進みました)抜戸岳方面です。

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では今から行ってきま~す
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名峰笠ガ岳

2010年08月18日 19時50分17秒 | 退職生活
昨日の朝、会う登山者の顔は皆明るく「今日を待ってたんです」と言う人も多かったです

矢張り皆さん「日和」を待ってたんですね。

4時に起きて5時前に出発

笠新道の登山口までは一時間ほど林道を歩き、そこから登山道です。

四時間余り登り続けると「杓子平」すると目前に大きく立派な笠ガ岳が現れます

突然のように現れるのが、なんとも憎い(その写真はHPの掲示板にアップしました)

それから一時間半ほど登って稜線にでて、次に一時間ほどで笠ガ岳山荘に到着します

抜戸岳に寄って行ったけど着いたのは12時半でした

その時間だったら日帰りも可能だったけど、折角ここまできて泊らずに帰るのは山に失礼

ゆっくりビールを呑んで、ブロッケン(霧の中に丸い虹が出来、その中に自分の陰が写る)なども見て過ごしました

夕陽に赤く染まった、槍ヶ岳から穂高連峰も見事でした

笠ガ岳は北アルプスの端っこに位置しているので、視界が広くて素晴らしい山でした。

今日は笠ガ岳の頂上で一時間余りゆっくり過ごし、乗鞍岳、御嶽山、遠く白山、南には富士山、南アルプス、真下に焼岳

充分愉しんで七時過ぎに小屋を出発

左に黒部五郎岳、薬師岳、右に槍ヶ岳、穂高連峰、正面に双六、三俣、鷲羽などを見ながら尾根歩きを愉しんで弓折岳まで

ここから下って鏡平小屋で一休みして三時前に車に戻りました。

途中で餓鬼岳で一緒になった人と奈良の山で一緒になった人に会ってびっくり

世の中狭いですね

二日間、ほんとに待った甲斐があった山行でした

戻って天気予報を見ると、まるで「梅雨明け十日」のように暫らくいい天気が続きそうです。

コインランドリーが無いので慌ててバケツで洗濯

明日、折立に移動して、明後日から今年二つ目のメイン、薬師、北ノ俣岳、黒部五郎、三俣蓮華、鷲羽、水晶、野口五郎と雲ノ平を歩きたいと思っています

どうか天気が続きますように

今日の写真は鏡平の池の後に穂高連峰を入れたものです

綺麗でしょ。

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危険察知能力

2010年08月16日 19時33分36秒 | 退職生活
「待てば海路の日和あり」とは、僕の人生の中でも特に大切にしてきた考えです

殆どの失敗は「待てない」から起きてしまい、時には命を落とす事さえあります

にも関わらず、多くの人達は待とうともせず、ここ数日、台風が来ていても山に登り、雨が降っていても、ガスに覆われていても迷う風も無く山に登っています

そんな中で一台だけ、目立つバスが動きもせず停まっているから、日本人にすれば不思議なんでしょう。

「山に登り来ているのでは無い」と判断している人が居るのが、僕としては不思議です

ヨットで世界を周っていた頃、天気が悪いと殆どの人達は何日でも天気が安定するのを待ってから出港します

向かい風や、高い波、強い風で苦しい思いをするのが解っていて出港するのは、馬鹿げています。

台風や雨の中を3千メートルもの山に登るのは馬鹿げています

もしも脚を挫いたとしても、救助さえ出来ない状態なのにです。

天気予報を見ても「計画を変える事が出来なかった」人達がここへ来たのでしょうが、その柔軟性の無い頭で生きてこられたのは日本が何処か間違っているからでしょう

一つ先の事が考えらない人が殆どで、それが「当たり前」になってしまっています。

「命を守る」のは先ず予防であり、危険を察知する能力を磨かなければなりません

そんな予防をしていても、気の緩みや、ちょっとしたミスから事故は起きますが、自然の力は抗し難いものです。

どんな権力も勲章もお金も、荒れる自然を前には役に立ちません

堅牢な家が出来、エアコンで快適な温度が作れた事で、自然を思い通りにできると勘違いしているように思います。

雨を止める事も、降らせることも出来ない人間が思い上がって判断が狂ってしまったのではないかと心配します

確かに「折角の休み」と言うのは解りますが「計画を変える」勇気と柔軟さを持って欲しいと感じました。

また、自分の命も大事に考えられない人達が、人の命を大事に考えられるのかも疑問です

そんな事を思いながら、今日も四時に起きて雲写真やレーダーを見て、視界が無いと判断、中止しました

視界が無いと言う事は、視界が愉しめないだけでなく、救助も困難にします。救助が必要になる確率は極僅かですが、そんな時に登る必要があるかどうかです。

さすがに今日は「お盆休み」が終ったのか登山者も減って、駐車場の空きも目だっています。

そんな中で不思議そうに見られながら、本(胡蝶の夢)を読んで過ごしました

「神の様になった時」の事を書こうと思ったんですが、長く書くと「宗教」と言われるので短く書きます

この「神の様になった時」はフィリピンのバイス湾で初めに美由紀がなったんですが・・・

自分で「なんかおかしい・・・」と言いはじめて

それから数ヶ月の間、僕が見ても神の状態が続きました

僕も「あれれ・・・」と言う感じで、なったような、ならないような・・・でも今までに味わった事が無い、全ての物が愛しく、自分もこれ以上の幸せは無いと思えるくらい幸せでした

美由紀に聞くと全く同じ感想だったから・・・

真に人が求めなければならないものは、これでは?と思ったものです

解りにくいと思いますが、そんな気持ちが世の中に存在する事だけでも、知っていて欲しいと思って書きました

待ちに待ちましたが、明日はどうやら天気が良さそうなので登ってきます

今日の写真は山伏岳から見た富士山です。

何処から見ても富士山は立派ですね

僕が今までに見た富士山で一番と思うのは愛鷹山からでしたが・・・機会があれば是非登って見てください。

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過去の今日を振り返る

2010年08月15日 18時53分44秒 | 退職生活
小学生の頃に3年ほど日記をつけた事がありました

中学生になって読み返し、恥ずかしくて焼いてしまいましたが・・・今になると「残しておけばよかった」と思ったりします

ブログを書き始めてから「1701日」と表示されているので、はや四年八ヶ月が過ぎた事になります

日記帳に書く日記と、インターネットのブログは「誰もが見える」のと「自分しか見えない」違いがあります。

他にインターネットの場合、何処からでも過去のブログが見えますが、日記帳だと過去の帳を探して引っ張り出さない限り見えません

僕の様に年中旅をしていると、インターネットは非常に便利で、過去のブログもすぐに見えるので役立ちます

退職者には全員ブログを書いて欲しいと願っている位なんですが・・・

現在日本でブログを書いている人を合わせると、500万ブログ位あるようです

赤ちゃんから、植物化している人まで入れて、20人余りに一人が書いていますから、どんな文章でも恥ずかしいと思う必要は無いと思っています

ただ始めてすぐ、多くの人に見てもらおうと思っても難しく、見てもらう事が必要かどうかも疑問ですが、継続していたらいつの間にか多くの方々が見てくれるようになっているので、休まず続けなければと今は思っています

話しが横道に入りましたが、今日は四時に起きて空を見て、予報を見て悩みましたが「視界無し」と判断し、登山は中止しました

去年の今頃はどうだった?とブログを見てみると、今日は八方尾根から唐松岳、五竜岳と晴天の山を歩いていました

そして次に上高地に入って、蝶ヶ岳、常念岳、大天井岳、槍ヶ岳といい天気に恵まれていました

一昨年を見ると、今日は北海道の山を終えて秋田に戻るフェリーに乗ろうとしていました

一昨々年を見ると、山旅出発の準備をしながら、八十氏と娘と三人でウナギ釣りに行っていました

その前の年は、御嶽山の「田の原駐車場」で休養していました

過去の「八月十五日」がこの様に簡単に見ることが出来、その時の事を思い出していると・・・時間はすぐに過ぎてしまうから、今は滅多に見ませんが、やがて体が自由に動かなくなった時には、「思い出を食べる」ために時間をとりたいと思っています

ブログを書いていない人は是非書き始めてみて下さい。

いつか書いていて良かったと思える日が来ると思いますよ

秋雨前線が相変わらず日本海に停滞しています

今日の僕らは小雨から曇り空の下、露天風呂に入って昼寝をしたり、本を読んだり。

明日もこの辺の天気は余り期待できません

朝にならないと決定しませんが、もしも天気が良かったら笠ガ岳に登りたいと思っています。

今日の写真は白馬岳から振り返った小蓮華岳です

蓮華温泉から白馬大池に出て、この小蓮華岳の上を通って白馬岳の頂上に着きます

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明日は、日本人に限った事ではありませんが「求めるもの」が間違っていると思うので、その辺を一時的にせよ「神の心」になったように思う時を振り返って書いてみます

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山が教えてくれる事

2010年08月14日 20時04分59秒 | 退職生活
貧しかった昔の日本に育った多くの人達は強い経済面の「上昇志向」の中で過ごしてきました

山に登ってみると解る事ですが、黙々と脚を進めていたら、多少苦しくても殆どの人は頂上に着く事ができます

貧しい所から経済的に豊かになるように、裾から頂上に着くのは殆どの人が出来る位の簡単な行為です

昔から「アホと煙は高いところへ上がりたがる」なんて言葉がある位ですから。

では何が難しいかとなるんですが・・・

槍ヶ岳の様に明らかに頂上に居られる人数が20人程の場合だと、後に登ってくる何百人もの人が見えるので、余程自分勝手な人間か馬鹿でない限り、その時々で降りる頃合が解るので居たくても降ります

槍ヶ岳に登りたいと思っている人は、100万人以上居ますし、毎日毎日数百人、時に千人以上が槍の穂先に上がろうとするので、次の人に席を譲るのは人として当然です

ところが下界の場合は視界が狭く、心の目を開かなければ後に登ってきている人が見えません

その上、見えても人の事を考えない、自分勝手な人が多く、何時までも上に居るから、山の形が逆ピラミッドになってしまっています

これで安定した未来があるわけがありません

僕は会社を興して、それを他人に譲って引退しましたが、興すのは簡単ですが、譲って辞めるのは10倍以上も難しかったです

人生の経済面でも山登りでも、何が難しいかと言えば「下山」だと思います

山でヒザを傷めてしまう人は意外に多いですが、登っている時のトラブルは殆ど無く、下山時に起きています。

これらの事故は遺産相続などに似ているようです

タイミング、速度など、周りの景色を愉しみながら、残り時間や体力を考えて計画的に下らなければなりません

「ただ上がれば良い」では無い難しさがありますが、誰もがしなければならないことです。

いつまでも上に居てはいけないのです。

理想の人生の経済面での姿は各自が独立した「富士山」のように安定した姿だと思うんですが、どうでしょうか

今日の写真は白馬岳頂上から見下ろした「大雪渓」です

白馬岳は片方(大雪渓側)が絶壁なのでこの様に見えます。

この時は夕方で数人が登り下りしている姿が確認出来ましたが、昼前なら行列になって人が登っています

落石が多く、事故も多いコースですが花も多く、白馬岳に登るコースは幾つもある中で常に一番人が多いです

延々と雪渓の上を行列になって登る姿はここでしか見えない名物でもあります

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露天風呂には夢がある

2010年08月13日 19時12分21秒 | 退職生活
福井、宇都宮、姫路、三河、熊谷、名古屋、奈良、横浜、練馬、札幌、鹿児島、長野、静岡、水戸、群馬、尾張小牧、土浦、福岡

これらはバスを停めている所から見える車のナンバーです

日本中から人が集まっているんです。

ここ新穂高温泉の標高は1050メートル

温泉は殆どが川沿いの露天風呂で、混浴も幾つかあります

若いオンナが居ないかと・・ちょっとしっかり横目で覗いて見たけど男二人でした

温泉が目的で来る家族連れも居ますが、殆どはロープウェイに乗って西穂高岳の裾(2150㍍)まで行きます(往復2800円)

そして今日僕らは視界が無いだろうと「待機」してたんですが・・・ロープウェイを降りた人に聞くと、昼頃から4時前まで結構視界があったそうです

僕も午後はアチコチ散歩したんですが、下界からすっきりと笠ガ岳が見えました

山に登る人は様々でテントを担いだ人も多いです

目的の山は西穂高が一番多いようで、槍ヶ岳も多いです。

笠ガ岳や穂高岳、三俣蓮華や鷲羽岳方面も結構います

いつもの老人達と違って3~50代の若い人が多いのは、お盆休みだからでしょう

昨日(台風)の午後には随分空きがあった駐車場ですが、昨夜から次々と車が来て、早朝には道路脇まで一杯になり、満車状態

そんな中で、僕は午前中は本「優駿」を読み、昼からは周辺を散策

もう一週間近く、休養と待機なので脚を心配してたんですが、快調持続してました

曇り空で、寒くない程度に涼しいのでバスの中の気温も適温で過ごし易いんですが・・・

旅の残りの期間が半月になってしまいました

明日も雨のようだし・・・来週も傘マークが殆ど

こうなると・・・

現在までに登れた山は42座ですから、目標の50座までの8座も難しくなりつつあります

視界の無い山には登りたくないし、雨は勿論行きたくないし・・・

まだ読んでない本が何冊か残っているけど・・・・ウロウロしてしまうんですよね~

ヨット仲間、セブンオーシャン中西氏一家四人は無事「白浜」に到着して、明日はダイビングと温泉だそうです

あそこの露天風呂は・・・海が好きな僕らは何気なく、つい波打ち際まで行ってしまいます

引き返そうとすると・・・オンナ風呂が丸見えで・・・若いオンナが多くてちょっと嬉しいけど、こちらもフリチンだから・・・かなり慌てます

神様は時々ですが、そんな悪戯をしてくれるから、生きてるのは愉しいですね

今日の写真は「白馬大池」周辺です。

池の近くに山小屋とテント場があります

後方に白馬乗鞍岳があって、周辺の平地には雪渓が残っているところもありますが、全面お花畑

白いチングルマとピンクのハクサンイチゲの大群落

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台風4号無事通過

2010年08月12日 18時05分04秒 | 退職生活
新穂高温泉は穂高岳と笠ガ岳との間にあるので、急峻な崖山に挟まれた深い谷間にあります

台風の大雨で、山崩れや落石が起きる可能性もあるので、バスの位置を昨日から何度も確かめて「大丈夫」と判断はしていたけど、途中の道が崩れて、閉じ込められる可能性もあるので、心配もしていました

朝から降っていた雨は、昼前から強くなり、三時過ぎまで土砂降りでした

風はそれほど強くはなりませんでしたが、すぐ前の川音は大きくなってくるし

そんな中、新たに来る登山者は居ませんでしたが、勇気ある(ほんとは無い)登山者が次々下山してきました

台風が接近しているのが解っていながら、山に登る人が結構居るんですね

いくら休みが限られていても、山小屋で待機するにしても、この様な天気には勇気を出して登山を中止しなければならないと思うんですが・・・

僕は台風銀座の四国に生まれ、そこで海に関わる生活も長かったから「台風の怖さ」を知りすぎる程知っています

河川の氾濫、高潮、土砂崩れ、浸水、強風による家屋の損壊、屋根が飛んだり、看板が飛んだり電柱が倒れたりと、台風の強い雨と風には泣かされ続けてきました

ところが、関東や信越、山陰、東北、北海道の人達は馴染みがないので、台風と聞いても全く対策もしないし、恐れていないのに驚きます

台風が来る頻度が非常に少ないだけでなく、都会の人達は勤め人が多く、生活に関わるものが「外に無い」事も理由でしょう

僕が生まれた家は農業と林業で生計をたてていました。

農業では主に「みかん栽培」だったんですが、台風の直撃を受けると、枝が折れたり、実に傷がつきます

キズが付くと高く売れず、枝や木が折れると収穫が後々まで減りました

それが子供心にも解って、台風と聞くと恐れました

海の仕事をするようになって、船を持つと台風が来る度に心配しました。

一度などは、もう今年は台風は来ないだろうと、請け負った潜り仕事の8割が完成した11月の末に上陸はしなかったけれど、沖を通過した事がありました

台風の波は上陸しなくても太平洋岸に打ち寄せる波は巨大です。

波が収まって行って見ると

全くスタートに戻っていたこともありました

2~3千万の仕事でしたが、人件費が大部分の仕事だったので、スタートに戻ったと解った時は工期の問題も重なり、かなりのショックでした

泣きたいのをこらえて仕方なく、人を増やし、僕も潜ったりして工期に間に合わせましたが、当然ながら大赤字となりました

今にして思えば農家に生まれたから諦められたと思ったりしますが・・・

世の中は面白いもので「あいつは台風でゼロになっても泣き言も言わず工期に仕上げる」と人づてに伝わり、その後多くの仕事が回ってきました

しかし、仕事を離れた今でも、台風と聞くと穏やかではありません

美由紀も僕が船の係船ロープを増やしに行っている間に、店の前に展示していたヨットが風で飛ばされ、国道を塞いだことがあり、今でも台風が来ると落ち着かないようです

ところが、ホロホロで世界一周をしていたり、この様に旅に出ていると「諦めている」のか家の事もヨットの事も余り心配しません

これは台風に限らず、火災や地震など全ての事に対してですが・・・

特に意識はしないけど「心配してもどうにもならない」と腹をくくっているんでしょう。

実際心配しようが、してなかろうが結果は同じです

「たとえ何が起きても人は心の持ち方次第でどうにでもなれる」と世界を14年間放浪し、一時的だったけど「神のようになった事がある」僕も美由紀もが思っているようです

自縛の中に生きている人には理解できないでしょうが・・・

今日の写真は白馬岳の山頂(2932㍍)まで飛んできたオニヤンマです

吹き上げられて来たのかも知れませんが・・・一人の若者のズボンにとまったきり、寒さの為か逃げようとせず、周りの人達の写真のモデルになっていました。

写真をクリックすると大きく見えます



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