outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

退職後の・・・

2007年01月31日 15時04分29秒 | 退職生活
ほとんど全ての人が迎える定年退職の日。 定年後の生活が長く感じるか短く感じるかは人によって変わると思うがどちらに感じたほうが良いのだろう?

「老人の一年は子供の一年より短く、その長さは年齢に比例する」とも言われている。確かに子供の時から比べて仕事をしていた時代の一年は短かった。一年が終って振り返ると殆ど何もしていない「短さ」だった。仕事をやめて世界一周に出て一年が過ぎたとき「振り返って」一年が子供の時のように長く思ったものです。 それは「変化」で一年でこんなに色々なことが体験できると思ったものです。太平洋を渡り南太平洋の島々を巡り、無人島に遊びアラフラ海の凪に苦心し、スリランカからアラビア海、紅海に入ってスエズ運河まで一年、365日でこれほど色々なことを体験することが出来る。それは感激でした。 全ては「動く」ことにあるように思うのですが・・・


まだ60前の若造ですが20年近い退職生活を経験し、これから退職を迎える人やすでに迎えた人に「充実した愉しい老後の時間」を過ごして貰いたいと真剣に考えています。時と共に考えも変わるとは思うのですが・・何かの役に立てばと思い書いています。



もしもホロホロ3世で旅立った時の夢が世界を周るだけだったとしたら僕は1年で止めていたと思う。僕の場合ヨットは自由に動けてどう
しても必要なものを身近におけ、僕がしたい事をするのに便利な乗り物なのです。 ヨットで世界を周るとダイビング、釣り、僻地への旅
行など数え上げるときりが無いほど普通の旅では出来ない旅となるからヨットを選んだといえます。 


ヨットに乗るのを難しいと思っている人も居るようですが極めて簡単。車が運転できる人なら無寄港世界一周は一日習えば出来ると思いま
す。ただ成功するかどうかは、挑戦している人も含め天候が多少左右しますがおおよそ死ぬようなことはないでしょう。次に僕がしている
ようなアチコチに停泊しながら世界を周るのは一日半ほど習えばこれも誰でも出来ます。もともとヨットは帆を揚げれば走るように出来て
いるから何も習わなくてもいじくっていたら走り始めます。 必要な機器は必要なデータを出してくれます。ほんとにその程度のものです。
だから唯走るだけで面白いと思えるのは僅かな間だけです。


長距離航海に限らず海外移住でも、国内で過ごす生活でも「退職後を愉しく」
過ごすために欠かせないのが「興味」です。「スケベー根性」と言う人も居ます。僕はヨットで魚釣りを良くします。走っているときはト
ローリング、止まっている時はルアーや餌釣り。道具も竿だけで15本以上もっています。どんな魚を釣っても必ず胃袋の中まで開けて何
を食べているか確認します。どんなものを食べどんな生活をしているのか、またどのようにすれば釣れるかと興味が尽きないのです。ルア
ー(擬似餌)で釣る場合一度釣れたルアーは基本的にその日は使いません。何故なら他のにも釣れるかどうか興味があるからです。竿もそ
れぞれアタリの具合もシナリも違います。竿を使わないこともあったりします。


釣りに限らず何をしても「それだけ」というのはありません。それらからきっかけが始まるだけです。だから退屈ということを知りません。
いつも何かのための準備があり何かに向かって考えたり、準備したり、実行したりしています。この興味とは一種の「欲」で欲深いのかも
知れませんが「退職者」には限りなく持って欲しい種類の「欲」です。


以前書いたかも知れませんが昔の中国人が言っています。一時を愉しみたければセックスをしなさい。一日を愉しみたければ酒を飲みなさ
い。一年を愉しみたければ結婚しなさい。死ぬまで愉しみたければ釣りをしなさい。 なぜ釣りが死ぬまで愉しめるのかと言えばそれには
何の「制約」も無いゲームだからだと解釈しています。どんな竿を使おうと餌を使おうと時間も場所も何もかも自由に選択が出来、どんな
工夫もでもできます。自然を相手の遊びにはそのようなものが多いのですが野球やゴルフ等はそんな自由が無い遊びです。


そのどちらが面白く愉しいかは人によって感じ方が違うでしょう。その感じ方はその人が持っている自由な時間の差と想像力の差だと思い
ます。僕は「興味が尽きない」「何処までも自由」な「どんな工夫もできる」遊びが好きでその殆どが自然が相手であるように思います。 


興味を持つには「少しの知識」も必要です。知識があれば「興味」が持ちやすいです。これが相乗効果となってドンドン広がっていくので
最初は面倒でも何か気になった事を少し勉強することだと思います。例えば魚の名前が判らないとします。図鑑で調べると殆どは解ります。
ついでに何を食べるかを調べるとそれも解ります。そのように調べることによって見方が変わってきて別の魚にも興味が広がります。
ただ一つ悲しいことはこの歳になると覚えた以上に忘れて行くことですが・・・


「人は忘れるから生きていける」と思って忘れることも愉しみましょう・・



次回は昔の人の言葉から「欲」について書いてみます。
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せいこう・・移住者の一例

2007年01月30日 11時56分55秒 | 退職生活
昨日インターネットカフェからカピニャハンに戻るとテンダーが流れて無くなっていました。 北東の風が強くて結んでいたいたロープが擦り切れていたのです。流れて居るのを地元の漁師三人が見つけて引っ張って帰ってきてくれて助かりましたが思わぬお礼出費となりました。とは言っても500ペソですが・・・


とにかく凄い風が吹いています。時に20メートルほどになるようで遂に二つ目のアンカーも入れました。 十年以上やっていますが海の上に住むのはいろんなことが起きますね。

前にも書きましたがヨット、ホロホロ3世は世界を巡りながら「日本人の楽園」を探していました。59カ国1000箇所の島や入り江に
アンカーを打って泊りその度に「ここはどうか??」と色々な角度から暮らすことを考え、また近くに日本人が住んでいると聞けば訪ねて
行って感想を聞きました。 そして得た結論は経済的になんとかなるなら「日本人は日本で最後の日を迎えるのが良いだろう」となりまし
た。ただそれはあくまでも最後を迎える地であってそれまでの数年間は「海外で暮らしたほうが良い」との結論も含まれて居ます。

今回紹介する男性は出身地を教えてくれなかったし、恥ずかしがる部分があったので近くの人が読んでも解らないように書きます。特に興
味深い考えかただったので二回あって話を聞きました。初対面の時に歳を聞くと62歳と言っていましたが正直なところ70歳近くに見えました。


特別にここに選んで書く人ですからかなり「飛んでいて」平均的移住者とは離れていますが参考として読んでください。ただ僕はこの人の場合ここに移ってきたことは「せいこう」だったと思っています。


氏は日本では高校の教師をしていたそうです。以外に教師退職者は海外に多く移っていますがこの人は特別と言っていいでしょう。一億3
千万人の日本人の中に何人がこのような体質なのかは知りませんが・・とにかく聖職と言える教師を職業と選んだものの氏は生徒も含め若い女性を見ると「やりたくてたまらない」「たってしょうがない」そんな精神と体質を持っていたそうです。しかしそれを苦しみながらも事件を起こさず定年まで耐え退職してすぐ奥さんは日本に置いて(まだ勤めている)噂を信じて単身フィリピンに来たのです。  リゾート地の海辺で家具付きの(冷蔵庫から鍋釜食器まで付いている)平屋を一ヶ月5万円で借りました。そして歩いて10分ほどのところにあるディスコに行って女性を見つける生活に突入したのです。



この人はとにかく「色々な女性」「多くの女性」とやりたいそうで「心のつながり」的な考えは全く持ってないそうです。ここで僕が興味を持ったのはどのくらいのサイクルで女性を変えるのか。それと何回ほどするのかです。

 僕が感心したのはそれが良い事だとか悪いことと言う時点でなく、彼の場合僕が知る限りではフィリピンかタイ、中南米かアフリカの一部でしか出来ないことをする為にそれに適した場所に来て、「殆ど毎週女性を変え」「毎日2回以上する」と言う生活を守っていることでした。 これは非常に大切なことなのですがフィリピンが物価が安いからと一時的にせよ移って来たとしても目的が無ければどうもなりません。それは具体的であるに越したことはなく、彼の考えは極めて具体的でた。


その一般的代価は一日が千ペソで一週間が5千ペソですから一ヶ月の生活及び性生活費はおそらく15万円以内でしょう。しかし毎月四人として一年に48人、二年で96人となるとそんなに女性は居るんだろうかと聞くと200人ほど居て結構出稼ぎで人が入れ替わるのだそうです。


考え方によっては非難する人も多いと思いますが僕はこれも経済活動と同じく善か悪かの判定は難しく、自分の夢を自分が補える範囲
で誰にも負担を掛けず愉しくやっている「一つの成功の形」と見ました。ただ氏が年齢より老けて見えるのはもしかして過ぎているのでは
とも思いましたがそれも本人の選択ですから・・それから二年後にお会いした時は80歳かと思えるほどになってましたが毎週女性を変え
一日3回はやっていると答えてくれました。 山田風太郎のくノ一忍法「筒涸らし」の記述によれば出し尽くして死ぬときには凡そ30歳
も老けていた。と言うから出し尽くすまでするのかもしれません・・・ 今年も機会があれば訪ねたいと思っているのですが・・・涸れて
なければいいですが・・  それと同じ事をまだやっているとすれば7年、飽きずに続いているかも興味があります。


当時1ペソは2、5円で途中2円弱がありましたが今は2.5円でその値段にまだ変化はありません。


次回は「興味」について書いてみたいと思います。
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ある出航者の・・

2007年01月29日 15時24分47秒 | 長期のヨット生活
昨日、一昨日の土日は歩いて市場へ買出しに行ったり、ヨットでゆっくり本を読んだりして過ごしていました。体調は良く夕方になると辛
抱出来ずに呑んでいます。夕べは頑張って夕方呑まなかったのですが・・11時になって遂に甘くて強いのをちょっぴりやってしまいまし
た。

インターネットカフェが停電で新兵器のエアーカードは動いたり止まったり


これは僕が実際に出会って話を聞いたことで「実話」です。  夢を実行に移しただけ、何もしなかった人よりは「遥かに充実した価値ある
時間を経験した」と思うのですが・・ いろんな面で甘かったと言えなくもないお話しです。 
まあ人生、完璧は無理ですし・・このような結末も後で人に話すとすれば愉しいものかも知れませんが・・・

その主人公S氏は1980年の68歳まで「海運業」をしていました。海運業と言っても自分の船を持って自分は営業したり時には船長と
して乗り込むと言った会社にはなっているものの個人営業のように日本沿岸で貨物輸送をするのが先代からの家業でした。  海で育ち海
で生きてきたS氏の夢は「ヨットで南太平洋の島々を巡る」ことでした。 時代はバブルに向かっている時期、国内を運航する貨物船には
権利があってその権利が「高く」取り引きされている時でした。年齢的にも「見切り時」と考えたS氏は「権利を売り」それで乗組員の退
職金も払い、残ったお金でヨットを買い、余るお金で死ぬまでゴーギャンの如く南太平洋の島々を放浪しようと考えたのです。


1981年、南太平洋を死ぬまで放浪する予算として持っていたお金は3500万円。当時にするとかなりの大金です。自分の寿命を自分の
父親より5年長く78歳として割り算すれば一年に350万円。国民年金は日本に残る奥さんに。充分過ぎると思える予算で南太平洋で贅
沢に一年を過ごして計算してみると220万円?しか使えてない。 まあ行って見れば解りますがお金を使おうと思ってもタヒチを除けば他は
物価が安く、また使うと言っても日本のように何でも揃っていないのです。そこでS氏はオーストラリアでアパートを借り、車も買ってハリ
ケーンシーズン(南太平洋は11月から4月まで)を普通ヨッティは自分のヨットを整備しつつヨットの中で生活するのだが、上架、改造、
船底塗装、整備も人に頼み、日本のヨットオーナーのように暮らしたそうです。 ロングクルージングヨットを人に任せて整備して思うよう
になっていたと言う話は絶対に無いと断言できるのですがその通り、それが引き金になったように次々と故障(人に任せると何故か確実にそ
うなる)しかし一度人が手を入れるとその人にしか解らなくなる。


そして3年・・「もしかすると・・」と自分が余りに元気なことに疑問を持ち始めたそうです。これは80以上生きるかも知れない・・いや
いや我が家の家系は80は超えんだろう。その自問自答の結果、生存予定年数を3年増やした。当然年間予算も変更しなければならないが一
度広げてしまった生活は荷物も増えていてヨットに乗らずアパートを引き払うことが難しい。色々考え節約しながら2年が過ぎたが「どうし
ても死にそうにない」吸うタバコの量を増やし(体に悪いから)そこでまとまったお金が掛かっていた毎年のヨットの整備をとりあえず一年
だけ中止して航海に出るのも中止した。(6年過ぎて航海そのもにに対する思いが落ちてきたのだろうと僕は判断した)整備をしないで一シ
ーズン過ごすと3倍は仕事量が増える。そうなると益々ヨットから離れ時に日本に戻ってくるようになった。そのような状態が続きヨットは
雨水がエンジンまで浸かるほど入り再起不能に近く、お金も帰りの運賃しか無くなってしまったと話してくれたS氏は姿勢、顔色も良く全く
老化を感じさせないほど元気で身軽にホロホロにも乗り込める81歳でした。 「日本に帰って海運の営業でもしようか・・」と話しつつ
「あのヨットも日本にのって帰りたいんやけど・・」やはり思い出がイッパイ載っているんだろうけど・・「そりゃ無理やでぇ」口には出さ
なかったけど・・・


その後氏がオーストラリアのアパートを引き払い日本に帰ったことは風の便りで聞きましたが・・海運の営業をしたのか・・死んだという話
は聞こえてこないから、今も生きているのだろう。94歳のはずである。


これを検証すると・・一番に南太平洋の島々をヨットで巡って何がしたかったかが明白で無かったと言うか「そこで何をするか」の計画が
はっきりしていないように思う。(ただ漠然と夢を見ていたのではもちません。具体的な計画が必要)
 年金収入で生活できない人(預金を食い潰していく場合)は自分の寿命をかなり長めに見ておかないと金銭的不足が生
じることがある。
   人間の習性、同じようなことを続けられる年限は7年ほどと言うのが解っていなかった。 自分が仕事をしていない「意義」を充分
に把握していなかった。 現状の生活を喜んでくれる人が近くに居なかった。などが挙げれるように思います。 そして大きな失敗にな
らず「笑い話」に出来たのは「日本に住む家と奥さんが残っていた」からと思いました。


前回の文章のなかで・・・不足していた文として最近は結婚する年齢が高くなって「定年」になっても「子育て」が終っていない家庭が多く
なっています。 生んだからには学校を卒業するまで働くなどで責任を持って出来るだけの援助はするべきでしょう。
それより後までするのはただの馬鹿です。僕もしましたが・・・ 人も企業も植物も助けるほどにひ弱になります。本人が望む教育を
受けさせたら後は放って置くのが一番でしょう。 これについては自分の二人の子供を見ると自信が薄れるのですが・・・人生は「全て思い
通り」と言うのは「自分だけ」のことで「子も含め他人はなかなか僕の思い通り」にはなりません。当然ですが・・・


次回は引き続きフィリピンに住む「ある退職者」について書いてみます。この人は成功?  いやいや・・「セイコウ」??
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定年後

2007年01月26日 11時51分08秒 | 退職生活
東南アジアで僕が長く過ごした国はインドネシア、マレーシア、タイ、フィリピンの4カ国です東南アジアに関わらずいわゆる発展途上国を退職後の一定期間を過ごす場所として考えるのは色々な意味で価値があると思います。僕はその期間を延べで7年がベストと考えてい
ます まず何故発展途上国なのかと言えば何と言っても「物価が安い」からでそこで愉しく生活が出来る「予算」と「ノウハウ」を把握することでもしも将来日本の物価が異常に上がり、年金がそれほど上がらなかった場合、「逃げ場所と生活」を知っている「安心感」を持つことが出来るからです だからこれは出きるだけ早い時期にするのが良いように思います

これによって幾らかの蓄えも出来るだろうしその後の計画も立てやすくなります。何故7年かと言えば人は似たようなことは7年すれば興味が薄れはじめるからです面白くて愉しくなければ遊んでいる価値はないと思うので、人間と言う動物の平均的習性を無視はできません
働いている時に週末の一日や二日して面白いと言うのとは「全く違う」のです。 僕の場合全てのことを7年きざみに考えて変化を持たし
ています 片足で立ち止まるのでなく7年毎に軸足を変えながら進んでいると言ったほうが適切かも知れません そしてこれは正解だ
ったと思うので今後ともその考えで行くつもりです

60歳で定年になったとして95歳まで(以前は90歳と考えていたがこのほうが適切と思う)は35年あります。7年で軸足を変えるとすれば5つの計画を立てる必要があります「退職したら何をするの?」と聞くと「日本一周」と答える人は多いのですが・・それに何年かけるのですか? その後は何をするんですか?  仕事をしていた時代、経営者でさえ殆どの人達は「対応」と「対処」などの「受身」で頭は殆ど使わず難しそうな顔だけして会社と顧客に遊んでもらって生きてきたのですが「退職後」は「知恵も知識も体力も」自分が持っている全てを駆使しないと愉しく過ごせません  ここで「愉しい」と言う事を少し考える必要があると思います。


人は基本的に「社会または誰かの為」に生きてないと充実した気持ちには成れないものです充実がない「愉しさ」は虚しいです
働いていた時は「家族の為」「会社の為」「日本経済の為」と家族の為は良いとしても殆どの経済活動は「悪」なのに皆でするから深く考えずそれなりに満足させてきました 定年を迎えた人が出来ること、するべきことは「仕事をしないこと」こそ社会に貢献することだと思いますこれによって次ぎの世代を担う責任が持てる人たちが育ちます年寄りがいつまでも働くと若い人たちが育たずその先にあるの
は自滅だと思います 世界の平和や社会の為に「仕事をしない」訳ですから「自分の事しか考えずに働く人」より大きな顔と自信をもっ
て遊ぶ計画を立てれば良いと思うのです 定年を過ぎて働かないことは「美」であり反面「難」もあります


初めに戻りますが4カ国に長く居て思うのですが当然ながらそれぞれ一長一短がありました先ず外食ですが日本から比べて日本より「美味い」所は日本で生まれ育った僕らには中華料理まで含めても殆ど皆無と言って良いでしょうただ値段から考えれば「美味過ぎ」かも知
れませんが・・・ ただ市場で材料を買ってきて自分で料理すれば「味は同じで値段は3分の一から10分の一」になります外食を言
えば中国人が人口の4割近くを占めているマレーシアはインド人も多く中華料理、インド料理と結構楽しめますマレー料理は余り口に合
わないと思いますが・・タイの料理は世界的にも有名で結構口に合うものも多くあります。特に炊きたての香米は美味くて大好きでした
インドネシアとフィリピンで「美味いもの」を外で食うとするとホンの数種に限られます。 外で食う場合観光客が行くような「高い店」で「中華」を喰うか「洋食」を喰うしか満足できる味に出会うのは難しいです大衆食堂は初めはそれなりに珍しさもあって食べられます
が・・そのうち見たくも無い様になる)ただ材料は安く揃うから自分で調理すれば良い訳ですが・・


治安については首都など都会を除けば日本と余り変わりません4カ国の中で一番悪いのはフィリピンでこれは「拳銃の所持」が認められ
ている国であるため仕方がないことと思いますただ大金を所持しているとか家にあると思われた場合はかなり危険ですが毎月の年金を少
しづつ引き出して生活していると思われていればそれ程の心配はありません金持ちと思われないように「質素」に暮らしていたら良いわ
けです政府の役人達の外国人に対する対応ではマレーシアが群を抜いて正直ですあとは皆「袖の下」を膨らますことに全力をかけてい
ますでも日本人にすれば大した金額ではなく「仕方ないな~・・」と納得するしかありません。それを言い換えれば全てが「お金で片が
つく」わけで便利と言えば便利でもあります

今日はこんなところで・・・次回は一人の失敗?を書いてみます

 
 
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本音とタテマエから始まり・・

2007年01月25日 12時08分28秒 | 退職生活
約10回に渡って18年間で僕が見たり、体験したり、聞き集めた情報など退職後の過ごし方で、特に伝える事が使命と思っている「失敗しない老後」「愉しい老後」について書いて見たいと思います話はアチコチに飛び火すると思いますが「誰にも必ず来る老後」を愉しく過ごす知恵の一部に位はなると思うので読んでみてください


僕がしていることはホロホロを購入したことを除いては「定年退職者が年金を受け取りながら出来る範囲」を超えないが残りもしない予算
で遊ぶ計画を立てています  ただ年金にも幅があるから一応一番多い一般公務員と上場企業を勤め終えた年金額が月にして30万円弱を、
また財産は持ち家一つだけ車は軽四一台を想定しているのですが「実際に受け取っていない」僕とは立場が違うから多少の間違いはあるかもしれない

簡単に言えば二人で一ヶ月「25万」を消費する考えなのです


ではヨットは買えないかと言えば「楽に買える」と答えます何も新艇を買う必要はなく、大きさもホロホロほど無くても充分で設備の不
足分は当然値段も安く、その差は生活をする日々に役立てられます夫婦またはカップルが日本をでて東南アジアを7年間クルージングす
るなら100万円から200万円のヨットで充分で業者を通さずゆっくり探せばいくらでもあります 最後に売ることも出来るので実質
には半分の予算で済むでしょう。 この場合生活費は10万あれば充分ですから毎月余る15万円はヨットの償却や他の計画のために残す
事も出来ます これはヨットでなくても「借家生活」でも多少変化に乏しくはなるにしても10万円余りで充分です。


キャンピングカーで山に登りながら日本を巡る旅ですがキャンピングカーも色々あり自分で手も掛けるつもりで業者を通さずオークション
等で探せば100万円以内でも充分なものがあります日本国内は物価も高く燃料も含め月に20万円位は見ておく必要があります。(去
年の私達は16万円ほどでした)


僕が2010年から計画している「海外で山に登りながらキャンピングカーで生活する」場合、地域によってかなりの生活費に差が出来る
と考えていますまた短期(二年位)で地域を変わるのでキャンピングカーの償却効率が悪くなる可能性もありますただ昔と違い何処で
も「インターネットのオークション」があるから業者を通さなければ年間30万円の償却で充分と考えているのです基本は高いものは買わない。
これは償却が大きくなるし「治安上」も「ボロが安全」と考えるからです。 そんな予定で各地域によって異なるが償却も含めて(ヨーロッパでは25万、他は15万~20万)平均すれば月に20万あまりと考えているのです


一ヶ月の25万円は大きなものを買おうと思わなければかなり面白く暮らせる金額ではないでしょうか  僕はまだ年金も受け取れませんが今後の計算は 獲らぬ狸の皮算用からネズミザン、タシザン、ヒキザン、カケザン、ワリザンにダイセツザンからリキドーザンまで駆使して特別な事をしなければ90歳まで遊び続けられると「答え」を出しました

だから予算内で「愉しく遊ぶ事だけ」を考えていたら良いんですが・・・  これがタテマエになっていて・・・・実際との間には少しの開きがあるのです


と言うのは今回も「日本にヨットで帰る」と決めたものの風が強くて北上が出来ない 日本へのアプローチは風が変わって間もない5月が適期となると・・・ 

現在バイスに居る状態なのですが・・・ここからバスで近くの山や温泉に出かけたこともあるし・・それなりに出歩いて楽しめる所はたくさんあるにも関わらず・・ 毎日のようにインターネットカフェに来て「株」を調べている  そして「ちょっと儲けて・・キャンピングカーを買う足しに・・・」などと考える  そりゃ「儲けたら」いいよでも「損したら」どうするの

幸い今は少し勝っているけど  お金を儲けると言う作業は結構ストレスがかかるし・・  しなければ良いのにタテマエ通りになかなか出来ない僕があるのです


写真は国道脇の停留所です(車は右側通行なので道路の向こう)バイスの中心にあるこの停留所の前は朝夕の「ラッシュ」がはっきりと見えます 写真を写した時は夕方でラッシュが始まりだしたころです

写真をクリックすると大きく見えます

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ジンクス

2007年01月24日 11時49分15秒 | 長期のヨット生活
それがいつ頃から始まったかと聞かれると非常に曖昧な答えしか出来ないが30年以上になるのは確かなようだ。そんな訳で毎年一月の中
ごろは、今年は何が起きるのかと少々心配な日々となる その心配が多少誘発する起爆剤になるのかも知れないが「体調を崩してきた」
または「怪我をしてきた」

今年もかと思っていたがそれ以前に少し具合が悪かったものの無事に誕生日を越えることが出来た 考えてみれば年末から年始に掛けて
は「宴会」の機会が多く、暴飲暴食の日々となる。そこへ以前は毎年正月に家族で海外に出かけていたから、それらの疲れが出てくるとき
だったのだろうと思う

ヨットで旅立ってからは年末年始の宴会も無くなって「マイペース」なのに「それが続いていた」 これはもしかすると「自分で作ってい
る」のかも知れない。「来るぞ、来るぞ」と身構えてしまって・・・そして今は誕生日の頃は最悪の体調と観念してしまっている

ただ毎年誕生日の頃に「体調を崩す」から年末年始を少しは気遣って過ごすようにはなったが追いかけてくる年令がそれを追い越すことも
あり未だにこの「ジンクス」は生きているだから誕生日を越えると「生き延びた」と思ってホッとする
今は正にその時なのです


昨日の続きでフローレス島のことです。海の水は島人のトイレになりながらも結構きれいでここの名産は「天然の塩」でした海の水を桶
に掬ってきて広いマス形の鍋で沸かしますグツグツと煮る事で塩分濃度が高くなり少し粘りが出てくると竹で編んだジョウゴ形の簾にそ
の煮立った海水をゆっくり掛けますそうすると塩が固まって簾にくっつくのです。気長い作業で一日かかって10キロほどの塩を作りま
 「日本へ輸出する」と村人が言っていましたが何でも輸出している場合「日本へ・・・」と聞くから信じていませんでした

ところが徳島のスーパーで本当にフローレス島の天然塩を見つけたんです  なつかしかった~・・・色んな風景が蘇って・・・高かったから買いはしませんでしたが・・・


地元はともかくとして、旅行などで行った事がある土地が舞台の「本」を読んで特別に面白いと感じたことが殆どの人にあるのではないでしょうか
「その地」の説明で情景が頭に浮かんでくるから随分面白さが違います    とんでもなく長く旅を続けているから海外も国内も随分行って、本を読んでいて「時代」の違いがあっても「舞台」となる土地が行ったことがあるのが良く出てきます
本を書く人は実にうまくそれを捕らえていて文章の中に背景を取り入れてくれてあるので色んなことを思い出しながら愉しく読んでしまいます

愉しく読める本が多いから益々本が好きになり読むからまた行きたいところが増えて・・  終わりなく旅をするのかも・・・と思ったりしています

なんで「旅」をしているのかをちょっと考えてみました・・・これは理由の一つでしょう


写真は先日のカピニャハンのお祭りで「船が神輿」となって笛や太鼓を鳴らしながらヨットの周りを回りました  日本とフィリピンは隣同
士。全く似たような風習に愉しくなって写真を写しました
写真をクリックすると大きく見えます。 






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誰か知りません?

2007年01月23日 12時35分01秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
この写真はタタさんの屋敷内にある倉庫として使っている日本家屋なのですが・・・(太平洋戦争で日本の作戦基地?だった)この写真でヒサシの上に木で丸い輪を付けているのが解るでしょうか? ここを何と呼ぶのか解らないのですが、何処か日本の地方にこのような場所にこのような丸を付ける風習があるのでないかと・・思うわけです。そしてそれが解ればこれを建てた日本の将校が誰だったかを探りたいのです。

僕もかなり日本国内を旅しているけど・・・覚えていない 誰か心当たりのある人が居ましたらよろしくお願いします
平田影郎さんは知りませんか?  


写真をクリックすると大きく見えます。


日本に暮らしていると殆どの家のトイレは「ウォッシュレット」になっていてこれは痔に非常に良い  ところがヨットにそんな便利なものはない僕のお尻は手術してはいるものの「痔」だから考えた

金物屋(ホームセンター)に行って草木の消毒用噴霧器を買ってきて先端を改造、圧力を掛けてレバーを押すとうまくきれいに洗える まあ目視できる位置でないからそう思っているだけかも知れないが「ニオイ」がないところを見ると間違いなさそうである


世界を周ると色々なものを目にするアラブ諸国を初め身近な東南アジアのインドネシアやマレーシア、フィリピンの一部などはイスラム教の人たちが住んでいる 僕はどちらかと言えばイスラム教の人たちが好きなのですが・・イスラム教には戒律が結構ある 国によって戒律が厳しかったり緩やかだったりはあるが・・

イスラム教の国のトイレに行くと日本の便器に近いが「紙」がない そのかわり桶に水が溜めてあって小さなカップが付いている 使い慣れるまでかなり苦労するが小さなカップに水を入れ右手で後ろから掛けながら左手で擦ってきれいにするのである 慣れないと何度も水をかけないときれいにならない  しかしこれは慣れると快適で日本のウオッシュレットと同じで多分痔の人はいないのでないかと思う

日本人が木の葉や草、わら縄できれいにしていた事を思うとはるかに良い ところが悲しいことに「トイレ」が殆どの家には無い ホロホロがオーストラリアの後インドネシアに入り「花の島」と名付けられた「フローレス島」の北岸で広い砂浜の前50メートル位に錨を下ろしていた時の事。

早起きしてコクピットに出ると波打ち際に全ての村人と思えるほどの人が向こうを向いて座っていた 何事かと目を凝らし見ていると最後に空き缶で水を垂らしながら洗っていた 当然若い娘も含まれていた しかし50メートル沖と言うのは中途半端な距離で双眼鏡を出してくるとそれが解るし、なければ見えそうで見えないやはり何事にも適当な距離と言うのがある



次々来る人は片手に空き缶を持ち海水を掬ってから屈み込む。海の自浄作用は凄いと感心しつつ上陸すると波で流されていない「ブツ」がテンダーの置き場所に困るほど積み上げられていた 「これが花の島?」と思ったものだが山には確かに緑と花は多かった


ウンコを洗う手は左手と決まっていて食事は右手の指でこねながら食べる 手で食べる習慣はイスラム教に限らず色んなところにあるが使い方を確実に区別しているのはイスラム教徒だけで「左手は汚い手」「右手はきれいな手」になっている  そんなことで人にモノを上げる場合右手に持って上げる事や握手、また人に触るのも右手と限られていて左手を使うと大変なことになる 


今日はこの辺で・・ 家の壁の○  心当たりのある方、教えてくださいね


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昨日は・・

2007年01月21日 13時41分52秒 | 長期のヨット生活
このところまあまあ穏やかな日が続いているネグロス島バイスです 昨日はバイスの市場へ買出しに行きマングローブクラブ他を買ってきました

これが予想に反してタマゴをイッパイ持っていてまた身も締まって美味なので胃薬を飲んでいる身ながらついついイッパイが二杯になり三杯になり4杯で辛抱しましたが・・

昨日書きましたが昔「人相学」を勉強していた頃、自分に3つの重大な欠陥が「人相上」あるのが解りました かなりショックを受けましたがその一つが「口が卑しい」と言うものでこれは治そうと努力もしませんでしたから今回のような状態になると「なるほど」と納得してしまいます

喰うこと、呑むことの辛抱が出来ないおまけに何でも喰う多分死ぬまで続く問題でしょうね。

他の二つは書きませんが「人相学」の心得がある人が僕を見れば「例外」とするだろうくらい完全に乗り越えていると思っています


今インターネットカフェの隣のファーストフード店で豚マンとラーメンを食べてきました35ペソでしたが・・
ラーメンは「チキンマミー」と言って註文するのですが「インスタントラーメン」の袋を開けて炊いてくれるだけです このようにそのままと言った感じで出て来るのがコーヒーで「地元モノ」と「ネスカフェ」がありネスカフェの方が高いけど注文すると湯が入ったカップの横に一人前分の小袋が置かれています  地元ものはカップの底にタップリ滓が残りますが炊き出しで出てきます


余りにも胃の調子が悪かった3日まえよりタバコを休んでいます
そのせいもあってかかなり良くなってきたような気がするのですが・・・


遊ぶ計画が先へ先へと行ってしまうのですが・・人と約束をしている重大な仕事「ボランティアですが」が残っています20年ほど遊んで何とか案は出来たのですが・・自分でしてたら遊べないから・・これを誰かに頼んで変わりに・・と虫の良いことを考えているのですが・・  それも追々お話ししますが・・
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春草などについて

2007年01月20日 15時17分57秒 | 退職生活
「みせてぇな~」と大学在学中から80歳まで言い続けて3000人の女性の陰毛を集めた人が居るそうだそう言って見せてくれる位だ
からかなり「人徳」があったに違いないがその人が言うには「女性の陰毛を見ればその人の運勢」が確実に解るらしい僕がそう言ったら
警察を呼ばれるか「どつかれる」に違いない。それにしても3千人のパンツを下げてまじまじと時には虫眼鏡も駆使して見続けた某氏は
その茂みを「春草」と呼んで匂いをかぐことも忘れなかったと言う 嘘のような話だが氏は著書も数冊あり「陰毛研究」では日本で五本
の指に入るらしい。 五本の指に入ると言うことは他にもそんな人は居るわけでそんな人たちは同じ一生を生きても一般の人とは随分違っ
た考え方になったであろうと推察する結婚もしていた某氏、奥さんはどんな気分で見ていたのかと調べてみると数十冊のアルバムに整理
されていたその陰毛は氏が死亡後まもなく全て奥さんの手で焼却されたらしいからやはりそれほど協力的では無かったようだ


もし生まれ変わったとしたら「男子一生の仕事」としてこれもやってみたいと思わないこともないが・・・


今日は春草から延長してスリランカに別荘を持つ退職歴20年近い大澤氏が掲示板に書いてくれたことにまで及ぶ運勢等について思っていることを書いてみます 僕の事を「運がいい」と言ってくれる人は結構多くいるが僕自身がそう思ったことは
一度も無いし反対に運が悪いと思ったことも一度も無い。ほぼ思った通りになっているだけでしかない         その人が書いた本を僕はまだ読んでいないが「生え方」「生え際」「濃さ」「太さ」「形」等など約50ほどに分類してその女性の運勢を見たそうである それを信じる
かどうかは別にして・・僕が女なら自分のモノを照らし合わせて見てみたいと思うが当然と言うべきか不幸にして男性の陰毛を研究した人
は未だ現れていない しかし「運勢」を見ると言うのはそれが当たろうが当たるまいが「無責任」極まりない行為と思うそういう僕も
昔そんなものに凝ってかなり勉強したことがある。実際それはそれほど間違ってないだけに大問題であり場合によっては人の一生を左右す
ることにまでなってしまうのでやめた。

人は生まれながらに「宿命」を背負っている。かもしれない・・
だがそれは確実に変える事が出来る。どう変えるか、どう変わるかについて「思ったとおり」にと僕は確信を持って答えています


信じる信じないは、人それぞれだが「思った以上も思った以下もなく」人は思ったとおりになれるそれが間違った生き方であっても正しい
生き方であっても「思った通り」しかない。とおもいますまるで新興宗教みたいですが・・・

それは「何処に行きたいのか」と同じで行きたいところにしか人は行かないので目的、あるいは目標を持たずに家を出てもその辺を回って
戻るしかないように、いかなる宿命を背負っていたとしても目標を定めることが出来れば確実に自分の思い通りに変えれると思うのです

人間の生活には人が関わってくるので多少の屈曲は仕方がないとしても「思い通り」に生きるために先ずしなければいけないことは「目標を
持つ」ことだと思います10年か20年先に「自分はどうなって、どのような日々を送りたいか」これを決める事ですそれが決まれば
それを一枚の写真のように細部に至るまで肉付けしていきます。 10年先20年先の自分とそれを囲む人やモノ。
これがはっきりと出来上がれば、その瞬間から後は時がそのように自然としてくれます 今何をすべきかを教えてくれます色々な人達が
助けてくれたり、教えてくれたりします 嘘のような話ですが僕はそれだけをしてほぼ思い通りに生かして貰っています

 人は一日に
平均2千回の選択をするそうです。目標が決まっている人は自然に一番近い道を選び、道端にある役立ちそうな情報を集めながら進みます
目標の無い人は道端にどんな役立つ情報が落ちていても気づかないのでしょう。行き先が決まってないからウロウロするばかりで歳だけ重
ねます一日2千回の選択は人をどのようにも変えることが出来るのだと思います。だから心配はしないことです しっかり「目標を持
って」自分に関わりのある人達の幸せを願い、良い事ばかりを考えて愉しく生きていたら勝手に「思い通り」の生活がやってきます

とまぁ今日は「宗教のような」お話しでした。


2010年からの僕の計画を今回発表します海外をキャンピングカーで山に登りながら巡ります。期間は延べ7年、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、南米で年間約5~6ヶ月 数年の間は残りの期間は日本でヨットや山登りをします その次ぎの計画は後日また発表します





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自家用車のような

2007年01月19日 10時30分33秒 | 長期のヨット生活
今日でホロホロの紹介最後となりますヨットが家とすれば写真の小舟(テンダー)は自家用車のような役目をしていますこのテンダーは
日本を出てから3隻目です。以前の2隻は底だけFRPのゴムボートだったのですが、フィリピンでは手に入らず仕方なく頼んで造ってもら
ったものですベニア板製なので使用不能は時間の問題となっていますエンジン(船外機)も3台目で15馬力から4.5馬力そして3.
5馬力と段々小さくなったのはたまたま手に入るのがそれしかなかったと理由でもし今どんなものでも買えるなら扱いが手頃な5馬力位が一番適当な大きさのように思います このテンダーも以前のテンダーも常に定員は6人で二人が乗って20リットルのポリ缶10個が運べるサイズでもあります

テンダーの主な利用は上陸のためでヨットは喫水が深いのでかなり沖に停めます。日本の漁港のような区切られた直接船が横付けできる設備は有料のマリーナ以外世界中何処にもありませんから99パーセントは自然の入り江や島影にアンカーを入れて振らします そしてテンダーを降ろしてそれに乗って買出しや色んな手続きに行くのです  また場所によってはダイビングに行ったり魚釣りに行ったりマングローブの茂る川を探検したり、他のヨットを訪ねたり水や燃料の入ったポリ缶を運んだりと停泊中はかなり忙しく活躍するのがテンダーでロングクルージングに無くてはならないものです

風が強い時は船尾にこのように繋いでいるテンダーですがこのようにしておくと船底に牡蠣やフジツボが着きますそれで普段はマストの天
辺から下りている「スピンハリヤード」と呼ばれるロープで船体の横に吊り上げています また航海中はデッキの上にそのままの姿で載せ
ています。 舵の後ろに立っているモノは「ウインドベーン」と呼ばれる風の力を利用して舵を切る「自動操舵装置」です。大洋を渡る時に
は大変活躍しますが・・最近使ってないな~・・・・  



こんなことを書くとまた心配をかけそうですが・・

宗教を持っている人を「幸せな人」と思うから家族の者にも「何か見つけるよう」言ってきたしかし最近になって美由紀が友達に誘われ
てそれらしいモノに時々顔を出しているだけで、二人の子供はそれを見つけようと努力もしなかったように見える
何も宗教が持てないままこの年になってしまった僕だが、15歳から20歳までの五年間を振り返ると精神面では「宗教」を求めて彷徨っ
たと言えなくもない。本来「ソウ」だから「このままでは何をしでかすか自分でも解らない」それを止めることが出来るのは「怖れるもの」
「神」「宗教」しかないと思い、色々な宗教の門を叩いたブランド宗教から新興宗教までかなり幅広く首を突っ込んだが残念ながら「信心
」出来る宗教が見つからなかったそしていつの間にか「自分なりの宗教」を自分の中で作ってしまった。僕が見つけた「怖れるもの」「絶対的なもの」は自然だったこのどうにも動かせない自然の力を見て「自分が知れる」そして信心する人が常に目前に「神」を置くように僕は常に自然を前に置いて生きている。 




フィリピンで公共交通機関のバスやトライスクル、船などに乗ると十字を切ってお祈りする人が結構沢山いて驚かされるまたバスやジプニ
ー、トライスクルなどの運転手の近くにはマリア像の写真や聖書の言葉が書かれているのが普通である 日本は世界に類を見ないほどほと
んど無宗教の国だが今までそれほど「脱線」せずに来たのは「昔の名残り」があったからのように思い現在の若者が時代を背負う将来が心配
でもある 幸せについて考える時、多分殆どの人がそうであるだろうと思うが若い頃を思い出す。 小遣いを貯めてそれで欲しいものを
手に入れたあの嬉しさは最高の幸せで痺れるほどだった 現代の若者も子供の時は同じだったかも知れない。 しかし大人になって、見る
と周りの大人もだけど、ずっと色んな事を辛抱してその代わりそれが手に入った時の事を夢見つつお金を貯める必要がなくなり、欲しければ
すぐに手に入る便利だけれど歓びが少ない時代になったと思う カードだのローンであるすぐ手に入るけれどそれは夢や楽しみでなく現実の後始末として支払っていかなければならない。 可愛そうな時代だと思う 


宗教が全ての人に絶対必要とは思わないし、現代の全てが悪いとも思わないけれど、昔の「バチが当たる」時代や夢を手に入れるためにコツ
コツと貯めてほくそえんでいた時代はそれなりに愉しい時代だったように思うのですが・・・今のフィリピンはその境目にある。一部の財産
がある人の間ではローンやカードが利用されているが殆どの人たちは無縁で「貯めてから買う」(ただし現実には殆ど貯まらない)喜びの生活を送っている。そうなると喜びは幸せであるから「金持ち」より「貧しい人」の方が幸せが多いかもしれないと・・・ 質の差はあるかも知れないけど・・・


そして定年退職者と同じ環境の僕も殆ど信用と言うものがないから嬉しいことに「貯めてからしか買えない」と言う幸せな生活が続いてい
る。 (年金を担保に借りる人もいるそうだが・・)  何が書きたかったのか・・・わからんようになってしまった・・宗教はどうなったんじゃい! と思うでしょうが・・これがまた続くのです・・

年寄り臭い文章はダメと・・言われるし思うのだけれど・・

人間この年になると殆どの人がそうである様に・・・頑固
な「石頭」となっている。頭の外が固いのなら怪我が少なくて済みそうだが肝心の「脳みそ」が硬くなっているから人が栄養になる「水や肥料」
をくれても「石」だから吸収できない。せいぜい一時的に塗らすだけのようである。



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両替などに

2007年01月18日 12時36分57秒 | 長期のヨット生活
このところ3日間青空が顔を出しているネグロス島バイス市です昨日はドゥマゲティに行ってました。両替と買出しの為なんですが・・
日本円が弱くて1万円が3940ペソにしかなりませんでした(強い時は5400ペソもあった。一番弱い時は3500ペソだった。) これは1ペソが2.6円になった
ことになります。ナンダカンダと言って遊んでいる僕らは実のところ日本の「良いとこ取り」をしている人種なのです どうしてかと言
えば「企業戦士」達が身を粉にして働き日本経済を発展させ「強い円」にします日本で使ったのでは価値はそれなりしかありませんが海
外で使えばかなりの値打ちで使えます だから日本人の皆が僕らのように暮らされると多分困ることが起きる様に思います 死ぬまで
働いてくれる人達に感謝しつつ死ぬまで遊ぼうと考えているのですから「虫が良い」考えとしか言えません「バチが当たるかも」 でも
もっと頑張って働いて円を強くして欲しいな~・・



有難い数人の友達がブログを見て「最近の文章は悟りの境地」「体重の激減」もう長くは無いのではと心配のメールをくれました早く病
院で調べて貰ったほうが・・と言ってくれるのですが胃は確かに不調ですが全体の体調は軽くなってなかなかいい具合なのです それとフィリピンの病院はこの場面では余り役に立ちません
文章については僕がどこか脳の端っこか襞の間で消えそうなほんの少しのモノを引き出して「さも全体であるが如く」書いているので決し
て悟りの方面には進んでいませんのでご安心ください


写真はホロホロのコクピットをキャビンの階段の途中から写しました大きな丸いのは舵輪(ハンドル)です。その前にテーブルがあって暑い時期はここで朝日や夕陽を見ながら食事をします天井はテントを張っているのですが写真では見えず、テントより後ろにあるソーラーパネルが見えています左側に横向きに二つ、バックスティ(マストを後ろに引っ張るワイヤー)の両側に縦向きに二つ。一番右はただのベニヤ板で日陰にしています。 ここに新しくもう二つのソーラーパネルを置きたいと考えていますが・・  テーブルの両脇と舵輪の両後ろには大きな船倉があるのですが満杯の状態です ガソリン用20リットル缶3個、発電機、ロープ、エンジンオイルなどなど・・・ アホですから・・



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難民船?

2007年01月16日 11時46分47秒 | 長期のヨット生活
ホロホロのデッキ上をマストの前から写しました誰が見ても難民船と思うでしょ

船内や船倉に収まらない荷物がデッキの上に溢れています海外の海がこんなに穏やかで台風などないことを知らなかった僕は出航時にロープを8巻、1600メートル積み込んだのです。 アホでした。実際に使ったのは200メートルほどで後は「重し」と「場所取り」の仕事しかしていません 他にフェンダー(船を岸壁などに着ける時の緩衝材)が15個これも使っても5個くらい 他に広いスペースを取っているのが20リットルのポリ缶です。清水用が10個軽油用が12個

そんな訳で遠くから見ると「ヨット」だけど近くに来ると「難民船」となっています

マストのすぐ前に縄バシゴが付いていますこれはサンゴ礁の多い南の海でアンカーを打つ場所を探す時に非常に役立っていますこれが無ければ「紅海」などではかなり苦労したと思いますから世界一周の必需品と言えます。

今日は久しぶりにインターネットカフェに来ました新兵器エアーカードはスピードが遅くて・・  10Kbのスピードはクリックしてから画面が出るまで祈り続けなければいけません買ってしまったから使わないと損だし・・


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相変わらずの風です

2007年01月15日 12時56分00秒 | フィリピン クルージング 情報 ヨット
ホロホロは船首から一つアンカーを入れて振らしています。「振らす」と言うのは風に拠ってどのようにも動く一番抵抗が少ない停め方なのですが・・普通考えるとロープやチェーンは真っ直ぐ前方に延びるはずなのですが悲しいかなこのように船は右に左に船首と船尾を振り続けます。今は左に振っている状態でこれが限界まで振ると次にまた右に限界まで振っていきます そんな具合で常に同じ方向から風が吹いていても50メートルほどの範囲で動いているのです。

当然ながらロープの一箇所にかなり擦れが起きて来て場合によっては傷つき切れてしまいます 切れると船は流されて座礁しますそこでこのように事前にロープに布切れやホースをかぶせて傷まないように手当てをしています

ホロホロは船首にチェーンやロープを滑らすためのローラーが二つ付いています。アンカーローラーと呼んでいますがかなり硬い材質で出来ているのですが何度もアンカーを揚げたり降ろしたりするから磨耗して無くなり一つは6年前、もう一つは去年交換しました


昨日は曇り空の中運動不足なので朝から二人で歩いてバイスの街まで行きました 今日が「お祭り」なのであちこちの家で豚を殺して毛を剃っていたり、殺されるのを感じた豚がけたたましい悲鳴を上げていました
例の丸焼きが今日はアチコチの家でつくられているはずです 一人の女性が「韓国人?」と声を掛けてきて話してみると7年前まで日本で歌手をしていたとの事で多少の日本語も話しましたこれでバイスの来て二人の日本から帰った女性に会った事になります 総勢何人が日本に行っていたのか知りたい気分です
夜になるといつも上陸している物干し場の広場を竹柵で囲い「屋外ディスコ」が出来入場料をとって夜遅くまで音楽が鳴り響いてました
バイスの街にディスコはないのでこの時とばかりに200人以上の若者が集まって盛況でしたが少し歳をとり過ぎている二人は参加せず



片道は30分でした。市場まで歩く元気はなく自転車トライスクルに乗って行きトビウオのほかマンゴ、パパイヤなどを買ってトライスクルで戻りました 


 フルーツは「安い」と感じます。ポメロは別としてバナナは一本が50センタボから1ペソ25センタボマンゴはキロ当たり25から60ペソでキロと言うと大きなマンゴ3個かかります。パパイヤはキロあたり10ペソで日本のスーパーに並んでいるマンゴなら3個くらいです

一ペソは2.4円。100センタボは一ペソ。
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ご質問ありがとうございます

2007年01月14日 12時52分15秒 | 長期のヨット生活
昨日はまた一日中雨が降ったり止んだりの一日でした質問をしてくれた方があるので、他にも同じ様に思う人も居るかと思い昨日の説明
を少し足します  何時でも疑問があるときにはこのブログやホームページの掲示板に直接書き込んでくれても、また掲示板のmizota を
クリックしてメールでも質問してください。 すぐに返事が出来ない時もありますが出きるだけ早くこの様な形でお答えしますので

まずヨットが「世界で一番自由な乗り物」についてですが、たとえば徳島で韓国釜山に行くと言って出国手続きをしたとしますこの場合
カスタムクリアランスと呼ぶ出航した港と次の寄港予定地を書いた紙を貰いそれを次ぎの港で入港手続きの時に見せるようになっています。
 普通なら瀬戸内海を通り関門海峡を抜け、対馬の横を通り釜山に着くわけですが、これを紀伊水道を抜け鹿児島を回って釜山に行っても
問題はないし、途中で気が変わって台湾に行ってもフィリピンに行っても「風が悪くて」と言えば問題はなにも起きません少し前まで日
本と言う国は船で入国するには事前にビザをとることになっていました。ところが海外から来るヨットは殆どが「緊急入港」で日本に来て
いました「水が不足」「油が不足」「エンジンまたは他の何かの調子が悪い」「体調が悪い」と言えば国連に加盟している国であればどんな国のどんな場所でも合法的に入港できますこれは全ての船に
与えられている権利でもあります。早い話「それは仕方が無いないな~」と思う理由を考え付けば良い訳ですだって命に関わりますから・・出て行けとは言えませんただ「風が悪い」と言う言い訳はヨットならではと思いますが・・・  日本以外の国では何処に行
っても免許も設備も備品も小型の船舶には法的に規制していません。 ただ日本だけは別で未だに寄港地を申告すると言う面倒な規制をし
ているので制裁処置としてアメリカだけは日本のヨットに限り寄港地の規制をしています 

他にたとえば航海中釣りをします。例えトローリングでも漁船がするとなると極めて難しい政府がらみの許可が要ります。しかしヨットで
釣りを業とするとは考えられないので何処の国の沿岸でも好きなように出来ますまあやってみれば解りますが「世界中の何処にでも自分
が好きなように好きなときに」行ける乗り物がヨットで、自転車よりも遥かに自由でなおかつ結構荷物が載りますから長期の世界放浪には
これに勝る乗り物は無いと思います


ただ先日も書きましたが地球上に存在する全ての乗り物の中で「一番乗り心地が悪い」のもヨットだと思います危険ではありませんが・・


日本からフィリピンへヨットで移動する適期は昔の帆船時代も今も全く同じで11月が良いでしょう今は天気図が取れるので台風の発生が
ない事を確認して石垣島を出れば3日か4日でルソン島沿岸に着きます。途中台湾に止まるのも良いでしょう。 僕は今回日本への航海は途
中台湾に立ち寄る予定です



では船内を・・
この写真は前方(船首側)を写しています。白い柱の上にマストが立っています。マストは倒れないように四方からワイヤーで引き付け
ているのでマストが室内に抜け落ちないようにこの柱がある訳です。下は船底の背骨みたいなところに留まっています

柱の左の白く丸いのはコンパスで室内に居ても進行方向が間違ってないか見えます。夜間の大洋横断ではオートパイロットで航海している
ので時々起きたときにこれで確認していました。 コンパスの向こうは二人部屋になっていますが食料庫と釣り道具、薬などの倉庫と化し
ていますベットの下には海図や予備の部品も入ってます。

右側の部屋はトイレとシャワールームでここは生かして使っていますが、良く壊れるトイレはまた最近調子が悪いです

一番奥は二人部屋ですが畳んだ布団を入れたり替えのシーツ、枕などを置いています。ベットの下は広く、予備の潜水機材や海図、カメラ
用品、ロープなどすぐに必要でない色んなものが詰まっています。衣料品は夏物から冬のセーター、ジャンバーまで4つある部屋の押入れ
や引き出しにボロばかり処分に困るほど入っています

もともとホロホロは9人分のベットが4部屋分かれてあるのですが全て倉庫となり寝る所が無くなってメインキャビンのテーブルを外
しそこに布団を敷いて寝ている状態です時々友達が来ると通路の床にマットを敷いて寝たりしてますでも片付ければ二人くらいは何
とかベットで寝れないこともないです

普段アンカーを入れて風に向かって停泊していますから主にこの写真の一番奥の部屋の上にある大きなハッチから風が入りますハルと言
われる船殻に小さな窓が7つ、甲板側に6つのハッチ、それと空気抜きのホールが5つ、これらから空気が出入りしています。熱帯地方の
蚊はマラリアやデング熱を媒介しますので全ての窓やハッチには網戸が入るようになっています


これで船内の説明は終わりで次は外側を案内します。これも驚くような状態ですが・・・
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何故ヨットなのか等について

2007年01月13日 15時03分30秒 | 長期のヨット生活
ホロホロの台所ですここでどれ程調理したか・・僕は殆どしてませんが 左端の上に蓋が付いているところが冷蔵庫です。200リッ
トルほどありますが深いので底のほうに入れてしまうと取り出すのが大変になるのでカゴを入れています。 冷凍できる部分は10リット
ルほどしかありませんが最長航海だった日本からハワイまでの三十七日間、到着した時にはまだ肉が残っていました

大きな釜が見えてますがこれは圧力釜です。前の圧力釜は航海中何度も落ちて取っ手が壊れてしまい二つ目のものですが大きすぎて困って
ます 蛇口が見えてますがこれは清水用で湯と水がレバーの位置をかえると切り替わります。もう一つ釜の後ろに海水が出る蛇口があり
ます。 洗い場は小さいですが二つに分かれていて今マナイタが乗っている側は主に清水を、見えている側では海水をよく使っています

その右に二口コンロがあってヨットが航海中傾いても鍋釜が落ちないような設計になっています その下はオーブンです。以前はよくパ
ンを焼いていましたが最近は物置になっています 両側の袋戸の中には皿や椀、コップなどが入っています。 普通の家庭のキッチンと
違うのは布巾をを掛けているところから垂れているベルトです。 航海中ヨットはかなり揺れますので料理する時にはこのベルトを腰の後
ろを回して左側にフックで止めます。また航海中キャビン内を移動する時はこの手摺に掴まって動きます

荒れている海の上で料理するのも移動するのも「死に物狂い」。食べる時にはアグラかいて足の裏で皿を挟み込んで一番揺れが少ない床に
座り食べることもあります 二人が皿を挟んで必死で食べてる姿想像してみてください。ほんまに荒れていると味など感じる余裕は無く、
生きるために口に入れるだけとなります。 多分日本までの航海で何度かはそんなこともあるだろうな~・・・


走っているヨットを遠くで見ると「気持ち良さそう」ですが内情は良くても快適からは程遠く殆どが地獄です。


それ程乗り心地が悪いヨットに何故乗るのかと言えばヨットが「世の中で一番自由な乗り物」だからです一人や二人で動かせて世界中の
何処にでも好きなように行ける乗り物は他にありません 同じ位の大きさでも漁船やモーターボートには推進力がエンジンしかないから
大洋を渡ろうと思えば殆どが燃料タンクになってしまいます。またエンジンが壊れると「お手上げ」になります。ヨットは大洋を渡る場合
殆ど風で走ります。エンジンが壊れても帆だけで港に入ることも出来ます。二つの推進力があるから「倍以上安全」なのです

殆どの船は「お金儲け」を目的に造られています。タンカーは油が多く載る様に、コンテナ船はコンテナが、漁船は漁業がし易く獲物が乗
るように・・・それらと違いヨットは「形の無いもの」を載せる目的で造られているとおもいます。 他の船が「品物」を載せるスペースを
可能な限り持っているようにヨットのキャビンの中はがらんどうに見えますが「夢と思い出」をイッパイ載せる為のスペースなのです

ホロホロも世界一周に出たころは「溢れるほどの夢」が載っていましたそれが寄港するごとに現実となり、現実となった分の「夢」は下
ろし、変わって「思い出」を積み込みました 今のホロホロは出航以来15年近くなり「夢」の殆どは荷下ろししてしまったけれど「思い出」
を「満載」しています 


今も昔も多分今後もですが「形の無い物」を大事にしたいと思っています僕が持っているヨットもキャンピングカーもオープンカーも実用
性の無い乗り物ばかり。形がありますが「形が無い物を求める」為に必要な道具だと思っています。 形あるものは必ずいつか壊れます。盗ま
れる事もあります。  トヨタ自動車も松下電器も必ずいつか潰れます   余り後ろを見ない僕だけれど「思い出」は生きている限る確
実に持ち続ける事が出来ます。盗まれる心配もありません。戦争が起きても、どんな天災があっても・・・・。  漂流しても飢饉でも飢え
て死ぬ人は殆どおらず、夢を無くした人から死ぬと言われています。人はいつか自分の体が思うように動けない時を迎えます。 元気なとき
は「夢」を食べ、動けなくなると「思い出」を食べて生きたいと思うから次々と計画を立て動き続けているのです まあ人間どう生きたの
が一番良いかは死の直前までわかりませんが・・・  


こんな事ばかりを考えて「夢」を追いかけている僕を陰日向なく支えてくれる大勢の友達のお陰で出来ているんですが・・・


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