「素晴らしかったわぁ!」
子どもや私よりも、妻の感動は並みではなかった。
「画面全部が懐かしいって感じ。」
それはまあ、そうだ。
「決めたわ。今度は、わたし一人でもう一回みる。」
それは……その間子どもの世話は私がしろっていうことなんだろうな。
うちの学校の生徒たちが、日曜日に見てきたと職員室で自慢するので訊いてみた。
「100点満点で、何点だった?」
「100点!!」ほぉ。
「でもねーこわかったんだよー」
「え?」
「恐竜が出てきて」
「は?」
「予告編に。」シネマ旭の関係者は宮崎アニメの前に「ジュラシックパークⅢ」の予告を流すのはやめた方がいいな。
史上空前の、とまで言われた今夏の興行戦争も結果が見え始めた。アメリカでの勝ち組が「猿の惑星」と「ジュラシックパークⅢ」(「A.I.」は惨敗、「パールハーバー」は大赤字)、日本ではその「A.I.」と「千と千尋の神隠し」が突っ走っている。特に「千と~」は「タイタニック」の興行記録を塗り変える勢いとか。「タイタニック」にいまひとつノレなかった(※)私としては、いけいけジブリ!と応援しているのでめでたい数字だ。平日に観たのに映画館が満員だったので、こいつは本当に行くかも。妻のようにリピーターも多そうだし。
※観た状況も良くなかったのかもしれない。例によって審査会帰りに一人で観た「タイタニック」だったが、場内はカップルでいっぱい。ディカプリオが沈んでいくシーンでは、まるで打ち合わせでもしていたかのように女の子が鼻をグスグスいわせながら一斉に男の肩に首を預けたのである。中年男としては「けっ!」となるのも仕方ないよなー。
宮崎駿が新作に入ったとのニュースには、多くの人が期待したはず。しかしタイトルは長いこと「千と千尋の神隠し(仮)」となっており、いくら何でもこの難解そうな題名はないだろうとふんでいた。電通がかんでの「もののけ姫」の大ヒットはあったものの、それまでは宮崎アニメだからといって興行的に絶対視出来るものではなかったので(もののけ以外では「紅の豚」の配収30億がいっぱいいっぱい。「となりのトトロ」は6億にしか過ぎなかった)、大丈夫かなあ、と思っていたし、完成は封切ギリギリ、スタジオジブリの前作「ホーホケキョとなりの山田くん」は大コケ、競争相手が特に多い今年、と不安要素だらけだったのに……恐るべし、宮崎駿。
前から不思議に思っていたが、宮崎はいわゆる“声優”をあまり起用せず、映画・演劇界から多く登用している。アニメ声優たちの一種の臭味を嫌ったのかもしれず、『好戦的旧左翼』としての本領で新劇に一種のコンプレックスがあるのかもしれない。前作の森繁久彌は見事だったが、どう転んでも自身にしか聴こえない森光子のような失敗もある。これまでの最高は「天空の城ラピュタ」の初井言榮だろう。亡くなった彼女を振り返るとき、まずはあのビッグママ、ドーラが思い浮かぶ人は多いはず。
今回はみな見事だった。千尋の声がNHKのすずらん役(柊瑠美)だったのは後で妻から聞いて気づいたが、釜爺役の菅原文太の「ぐっどらっく。」には笑った。心配していた沢口靖子も“家族に少しキツくあたるママ”役を上手にこなしていたし。
セルアニメの限界に挑む宮崎が、巨匠と呼ばれるようになったのは、もちろん「風の谷のナウシカ」からだが(「ぼくたちのために逃げてくれ!」あのセリフには泣いたなあ)、活劇好きの私にとっての最高作は「ルパン三世・カリオストロの城」と「天空の城ラピュタ」の城二部作。同世代のアニメオタクたちにはそんな奴が多い。他人事で言うが、こいつらはロリコン傾向が強く、アイドルとしてクラリスやシータをとらえている。ナウシカも含めて少女なのに巨乳、というあたりがオタクの心をくすぐるのかも(笑)。
千尋は、彼女たちとは一線を画す。「となりのトトロ」のメイがそのまま大きくなったような、美人でもなく、胸もペッタンコな普通の娘が、異界での経験を経て、歴然と成長していく、このストーリーがまず素晴らしい。
そして何よりも異界の描写だ。江戸と上海、過去と現在、幻想と現実が混在する“この世界”は、露骨に宮崎の“夢の具現”だろう。ある意味こんなわがままな映画作りが許されるのは巨匠だからだ。そしてそのわがままを、同時に高度なエンタテインメントとして提供できるところが宮崎の凄味だといえる。
ただ、年齢のせいとは思いたくないが、どんな素材であっても目をみはるアクション活劇に仕立て上げてくれた今までと違い、千尋が銭婆(夏木マリおみごと)を訪ねて異界の列車に乗るあたり、はっきりと死出の旅を意識した作りになっていて、宮崎の枯淡を見てしまった思いはある。長篇はもう作らない、と相変わらずゴネているようだが、もう一作、ラピュタ~カリオストロ系の大活劇を作ってくれないだろうか。中年のオタクのわがままも、すこしはきいてくれよ。
※この時点から遠くはなれてよくわかった。08年に「崖の上のポニョ」(だったか?)という勝負作で打って出る宮崎の本音を考えてみよう。どれだけ疲弊しようと、表現者が表現をやめられるはずはないんだろう。