《「巨人が優勝を宿命づけられている」などという世迷い言を間違っても信じてはならない》
《巨人は、白無地すがたへの悪しき保守思想を捨てよ》
《野球が集団球技ではないことを自覚せよ》
《修学旅行の生徒を球場に近づけるな》
《満員の東京ドームには五千人の野球ファンしか入っていないと思え》
《ファウル・ボールを観客に与えよ》
《優勝祝賀パーティにはフランス産のシャンペン以外の飲みものを禁ぜよ》
これを書いている平成13年6月4日現在、巨人は5連敗中。そのことに憤ってこの絶版の書をとりあげた訳ではありません。この本は、王が監督として解任され、藤田元司の第二期監督時代が始まらんとした平成元年のシーズンイン直前に出版されたものですが、現在のプロ野球が、そして読売巨人軍が、この建白書をうけて(そんなわけはないが)果たしてあれからどう変貌したかを検証してみたいと思ったからです。
渡部直己は毀誉褒貶の激しい文芸評論家。草野進(しん)は一応華道家ということになっている女性野球マニア……実は東大総長になってしまった蓮實重彦ですが、この二人の仕事の中ではおそらく野球評論が一番有益。特に蓮實の場合、ファッションで映画を語る口説の徒を量産した罪は、草野進としての仕事でやっと相殺できるくらいです。冒頭の、きわめてまっとうなフレーズを見れば、さすが学内で権謀術数を尽くして頂点に登りつめただけあって、アジテーターとしての力量はたいしたものだと思います(半分は皮肉ね)。
で、プロ野球です。
現在の日本のプロ野球の将来が明るい、と無邪気に考える人はまずいないでしょう。視聴率と観客動員は低迷し、ファンの目は海の向こうのメジャーに移ってしまっています。ある意味、これは今までで最大の危機だといえます。黒い霧や長島解任、江川騒動の時だって観客はすぐにおとなしく球場にもどり、ビールと枝豆を用意してチャンネルを野球中継に合わせてくれたのに、今回の当面の敵は、ベースボールそれ自体なのです。
メジャーのスカウトが虎視眈々と狙う西武と巨人の両松井、近鉄の中村、ヤクルトの石井一久が太平洋を越えてしまうことを想像してみれば、その脅威に慄然とするのは球団関係者だけではないはず。現に私たちは今年、“イチローと佐々木がいないプロ野球”を見せられているのです。野球少年たちにとってあこがれの舞台だったプロ野球が、メジャーへのステップにすぎなくなりつつある!
しかしこの衰退は、日本のプロ野球界が自ら招いたものと言わざるをえません。
平成になってからの球界の流れを考えてみましょう。臆病なその心根が采配(ヒットエンドランの多用、鹿取の酷使)から透けて見える王貞治が解任されたのは嬉しいにしろ、引き続き基調音としてあったのは野村ヤクルトに代表される“相手の裏をかく”野球。
無死二、三塁で左バッターが打席に入った場合、どのような局面が予想できるか等、ベンチの隣に強引に坐らせた古田に延々とつぶやき続けた確率⇒ID野球が主流となっていました。
これはドジャースの野球理論を川上や牧野といった連中が輸入して移植したことに端を発するわけなので、巨人のやり方が敷衍された、とも考えられますが、これを“コクのある”野球と考える人は、スポーツについ自分の人生を重ね合わせる傾向のある、つまりはオヤジたちでしょう。会社の経営方針を野球の采配に例えてしまい、管理が先走るタイプ。広岡=森ラインの考え方こそ日本型経営のあり方だと調子にのるオヤジ。たくさんいましたね?学校を『経営する』という考えに疑問も持たない連中とか。
87年の日本シリーズ第6戦で、西武の辻が二死一塁からセンター前ヒットで(クロマティの緩慢な返球の間に)本塁まで生還してしまったあの時は、やはり統制のとれたチームは強いなあ、と巨人ファンにまで思わせたものです。実は私もショックでした。
でも、野球の本当の面白さはそんなチームプレーにだけ存するものではないことを、草野の著作は教えてくれています。IDを突き抜けた、プレーヤー(直訳すれば『遊ぶ人』です)の一瞬の超人的な動きにこそゲーム(くどいようですが直訳すれば『遊戯』です)の醍醐味があるはずです。その意味で野球において最も輝かしい瞬間は三塁打にこそある、とする草野の主張は100%正しい。走者の全力疾走、外野手の判断、内野手のカバーリング。これこそが野球であり、采配や管理などというものが存在する隙もない幸福な時間がそこにあるわけでしょう。
その意味で、土井正三の巨人型指導を嫌い、フォームの矯正を拒否してファームに自ら残ったイチローと、打者との真っ向勝負を求めて渡米した佐々木のメジャー移籍は、日本型管理野球の限界を露呈しており、今さら新しいルール作り云々と巨人の老害オーナーが横やりを入れても無駄というものです。
もっと端的な例が野茂でしょう。鈴木啓示(※)という、もうハシにも棒にもかからない監督の下で働くことを拒否した彼に残された野球の道は、任意引退後のメジャー移籍しかなかったこの一種の悲劇は、家族的経営を標榜する近鉄球団の無能さと同時に、家族的であるがゆえに排他的なこの国の姿をも露見させてしまいました。
このまま、日本プロ野球がメジャーの選手供給機関として定着してしまうのか。あるいは、本当のワールドシリーズを戦う存在になりうるのか。いずれにしろ正念場なのですが、珍しく尊敬すべき権藤をクビにして森を監督にすえた横浜や、「あいつ(新庄)はメジャーの方が活躍できると最初から思っていた」と気の遠くなるような発言をかます某阪神監督(彼の長男が代理人として活躍している現状が皮肉でなくてなんだ)が居直っている発言を聞くと、嗚呼、道は遥かに遠いなあ、と思うのです。日本プロ野球はあれから、何も、変わってはいないと。
ただ、希望として残るのは「長嶋茂雄」と「江川卓」というキーワードなのですが、それはまた後日。勝てよな、巨人。そろそろさぁ。
※鈴木に関してはその無能さをいくらでも挙げられる。日韓野球の解説の際に、日本プロ野球に欠けている美点を彼らが数多く持っているにもかかわらず、試合中発した解説はただひとつ「韓国はまだまだですね」だけだった。まだまだなのは解説者としてのお前だって。