(2001年9月)30日の試合には、やはり泣かされた。長嶋の挨拶にではなく、実は槇原のシーンで。あの、緊張でこわばりながらのメッセージを聞きながら、私は十数年前の広島市民球場を思い出していた。
その試合は、広島VS巨人のカードには珍しく延長12回まで無得点で進んだ投手戦。巨人の先発槇原、広島大野豊の壮絶なピッチングが続いていた。私はその試合をバーのカウンターで見ていたのだが(なんか私は野球を飲み屋でばかり見ているようだ)、客は私一人。バーテンダーと二人で、流れるジャズを背景に、無音のテレビ画面を見つめていた。当時斎藤、桑田、槇原の三本柱が巨投では確立されており、槙原の翌日はたいがい桑田に回るローテーションだったのだが、次の試
合でKOされた桑田のことを解説者は「昨日の槇原のピッチングのせいで力みましたね」と語るほど、槇原の球威、コントロールはともに抜群の出来。対する大野も、例の内角に切れ込むストレートがテレビ画面を通しても怖いほどだった。結局この試合は、12回表に巨人が上げた1点を槇原が完封で守り切って勝ったのだが、この時の震えが来るほどの感動は忘れられない。プロのピッチャーって凄い。プロ野球って、こんなに面白いのかと……。
王が、またやってくれたらしい。同じ9月30日の近鉄戦。ダイエーのピッチャー陣が、ホームランシーズン記録に挑むローズに投げたストライクは4打席18球中、わずか2球(朝日新聞より)。85年のバースに対した巨人(監督はもちろん王)と同じことをやっている。ため息がでる。日本のプロ野球はまだこんな馬鹿げたことを続けているのか。
チームとして勝負を避けたのではなく、「監督に対する我々の配慮だ」(若菜コーチ)という発言が本当だとしても、ただ一人、王貞治だけは「勝負しろ」と言えたはずだし、王に本当に球界のことを、そしてファンのことを考える頭とハートがあったなら、王にはそうする義務さえあったはずなのに……。
野球人としての長嶋が【ミスター】を名乗ることが許されているのは、この王と対比すればよくわかると思う。自チームの中継の視聴率に一喜一憂し、テレビ局のスタッフとともに視聴率を上げるためにどんな方策があるかをこれほど真剣に考えた監督が他にいるだろうか。Jリーグの発足に誰よりも危機感をもち、人気のためなら“長嶋茂雄というブランド”を自ら徹底して利用し、マスコミに利用されることを許した人なのである。復活した背番号3のユニフォームを見せるために、カメラの位置まで意識して、嬉しそうにスタジアムジャンパーを脱いでみせたあの顔!
ファン、という存在の有り難さと、そして怖さを知っている人だったのだと思う。プロ野球が、観客・視聴者の存在なしにはあり得ないのだ、という至極当たり前のことをいつも考えていたのだろう。
だからむしろ、巨人のユニフォームを脱いだこれからこそ、日本プロ野球の沈滞を打破するために、長嶋ブランドは有効なはず。親会社の宣伝材料ぐらいの認識で、いっかなチームの強化に身を入れないオーナーたちや、若い層のファン獲得など思いもよらず、ナベツネをはじめとした老害連中の言うことばかり聞いているコミッショナーや機構にとっては特に。あ、長嶋は巨人の終身名誉監督になっちゃったんだっけか。あーナベツネめまた余計なことを。
新監督原には、実は少し期待している。長嶋直系をこれだけ印象付けられれば(ホントは川上=藤田人脈だったはずなのに)、いやでも観客を意識した野球をしなければならないだろうし、選手会等を通じて、むしろ相手チームに敬愛されている人柄はひょっとしたら監督向きなのかも。でもちょっと心配なのは、デーブ大久保が日テレの番組でばらしたネタ……
いやー原さんってすんごい大雑把なんですよ。あの人がNHKでキャスターやってた頃、俺に聞いてきたんですよね。
「デーブさー。川上さんの名前(哲治)ってさー。なんて読むんだ?テツジか?テツハルか?」
「原さーん。」
「ま・どっちでもいいけどさー」どっちでも良くはないでしょ(笑)。そいでそばで聞いてた吉村が「あ、俺も知らねー」だって(笑)。で一週間ぐらいたってみんなでゴルフしてる時に遠くから岡崎が大声で
「原さーん!わかりましたー!テツハルでしたー!!」
……大丈夫か巨人(笑)。若返りを宣言した以上コーチ陣は軒並み若手に移るのだろうが、権藤ぐらいは入れといた方がよかないか?
でも、前監督の数ある挿話のなかで私が一番好きなのは、長嶋が立教の学生時代の電車の中での会話。
「みんな、今度の黒澤明の『やりょうけん』て映画は面白いらしいぞ。」
「……長嶋、それ野良犬(のらいぬ)だよ」
大丈夫だよな、原でも(笑)。
槙原の挨拶で泣けたのは、おそらく『自分の時代の野球が終わってゆく』ことへの感慨だと思う。同世代の選手が次々に現役を引退していくことは、仕方のないことだと理屈ではわかっていても、今度の【人事】はそれにほぼトドメをさした。それ以上の意味で、天覧試合の頃から長嶋を愛し続けた世代にとっては、彼の勇退はやはり痛いのだと思う。徳光は嘆きすぎだが。
しかし、日本プロ野球は、それこそ天覧試合や槇原大野を知らない世代を取り込めなければ明日はない。このままでは、プロレスや大相撲の灯が消えていったように、私たちは“日本プロ野球が隆盛だった時代”=“長嶋のいた時代”にたまたま遭遇した消えゆく世代ということになってしまう。
その覚悟を裏切ったのが、同じ日の王貞治だったというのはつくづく泣けてくるわけだが……。くそ。がんばれローズ。あと100本打て!
【2001年10月2日】
……あれから6年。長嶋はご存じのように病に倒れ、王はソフトバンクで「元気でいるかぎり監督を」と孫正義に要請されるぐらいの名監督に。原はナベツネによって理不尽に解雇され、最低監督だった堀内を経由して復活。で、先日のクライマックスシリーズではまたしても甘いところを見せたと(^o^)。ローズは隠居したと思ったら復活してバカスカ打ちまくり、大久保はなんと西武のコーチに就任。
6年前との最大の違いは、しかしこんな野球ネタにみんな興味がなくなりつつあることだ。日本プロ野球よ、どこへ行く……