賛否両論、ともにヒートアップしている。というか、近頃は非難ばかりが聞こえてくる。否定派の論理はこう。“ストーリーに核がない”し、“時代考証もめちゃめちゃ”。口の悪い2ちゃんねるの連中に至っては、“ピースをうたい上げる監督中野裕之は、宗教入ってるんじゃねぇか”とか。まさかいないだろうと思っていた、むかぁ~しのTVドラマ「仮面の忍者赤影」と違いすぎる、というアナクロで情けない評まで公になっている。中野がプロモーションビデオ(GLAYとかミスチルとか)出身だから「まるでMTV」といういちゃもんまで。
別にその悪評の全てを否定しようというのではない。言えている部分も確かにある。私だってあのTVは熱心に見ていたし、牧冬吉(合掌)の白影は懐かしい。最終回で赤影はお偉いさんから拝領した黄金の仮面をつけたのだが、子供心に「変。」とまで感じたことを未だに覚えているぐらいだ。あのドラマに、もう少しリスペクトしてくれてもバチは当たんないけどな、と思ったのも確かである。でも、この映画を語る時に必要なのは、忍者にヤンキーなセリフを言わせていること云々を問題視するのではなく、そのことがオシャレになっているか否か、これだろう。
これが……実はちょっと苦しい。テンポが今ひとつ悪いために(竹中直人=白影のダンスシーンなど)、あー辛いなここは、と何度も思わせられる。逆に、演技のリズムもへったくれもないミュージシャンの連中(布袋寅泰、藤井フミヤ、陣内孝則……陣内がロック野郎だったことは今の若い観客は知らないか)が狂気の芝居を繰り広げていて、オシャレとは対極なのに画面が弾んでいたのは皮肉。
しかし敢えて私はこの映画を肯定する。めちゃめちゃなストーリー、ほとんど人の死なない展開、格好だけはやたらにつける……おわかりだろうか。中野は東映50周年記念大作に、単なる忍者ごっこムービーをこしらえたのだ。お偉方の苦い顔が目に浮かぶ。しかし前作「SFサムライ・フィクション」を観て夏の番線に起用した製作者はやはり慧眼だと思う。「ホタル」の保守性に比べれば100倍はましな“大作”ではないか。
えーと、なんでこんなに力が入っているかというと、すべては麻生久美子のおかげである。おそらく、スタッフも、他のキャストも、彼女自身も想像しなかったのではないかと思えるぐらいキュートな女忍者が生まれたのだ。いやもうとにかく可愛い。彼女を撮るときは必ず太股を中心に据えるカメラの計算どおり、全男性が魅了されたのではないか。彼女に対してだけは、ほぼ全員が絶賛しているからなぁ。いまいち地味だった麻生だが、これでブレイク必至。ひとつ問題があるとすれば、なんであんなに早く飛鳥(麻生)を死なせてしまったのか、ということ。後半、安藤政信扮する赤影が必死で救おうとするお姫様役の奥菜恵が、ニャンニャン写真事件やらでプライベートはヤリ○ンな女であることが暴露されているせいもあって、飛鳥というかわいい女との思い出がありながら、なんであんなズベ公(死語)に、と釈然としない思いが残ってしまうのである。大きなお世話だけど。
客の入りは予想以下だったらしいが、どうせ他にロクな企画のない東映なんだから、絶対に続編は作るべきだ。麻生久美子は外さずに。え?死んじゃったじゃないかって?だいじょーぶ(青影お得意のポーズ)、双子の妹がいたとか、クローン(笑)とか、やり方はいっくらでもあるでしょうが。
R-15で「RED SHADOW赤影 特別篇」てのはどうだ☆☆☆★★★