本日のお題シリーズ⑧
事務職員以外の読者の方々には説明が必要だろう。山形県の(県費)学校職員は採用時に独特の様式の履歴書を作成し、住所氏名学歴免許等を記入する。しかも学校・市町村教育委員会・教育事務所・県教育委員会用の計4部。昇給昇格関係を記入していく関係から、管理は事務職員が行っていることが多い。確か10年ほど前、あまりといえばあまりに添付する写真が古い職員が多いことから(ほとんどセピア色の思い出と化している人もいた。私も新採当時の写真を貼り付けていたら、のぞき見した教員から「これ、誰?!」と驚き、呆れ、そして大笑いされた)、3年ごとに写真は更新することとし、貼付は履歴書に厚紙を貼り、それをベースにして写真を重ねる、そして撮影年月は鉛筆書きにするという履歴書取扱要項が所属にやってきた。今もこの文書は年に1回やってくる。
この件に関する、読者にして数少ない(というか県下でただ一人)同期の事務職員とのメールのやりとり。
M:毎年この時期になると思うんだけど、履歴書の写真の更新ってどの程度の義務なんだろう。3年たっても別人と思えるほど面変わりする人っていないでしょ。連絡しても持ってこない人は持ってこないし、こっちもどこまで強く言っていいのか、イヤそれじゃ真面目に撮ってきた人に申し訳ないだろうとか、いろいろ考えちゃって。このクソ忙しい時にどうでもいいことに気を使いたくないんだけど。どうしてる?
H:……このテの話はよく聞くんだよな。確かに3年ごとに写真を更新しろという指導はあったし、そのために「撮ってもらわなければ困ります!」と事務職員に言われて渋々忙しい時期に撮ってきた教員はウチの学校にも確かにいる。おれはどうしているかというと……そーんなもん全然無視している。たいした必然性もなく、おそらくは県教委か教育事務所の人事担当あたりが「こんな古い写真載せやがってー」とでも思って文書に挿入しただけの指導だろ?こういう指導の尻馬にのってきつく職員にあたる事務職員っているらしいけど(ものすごく怒られたとのこと)、意味のないことで高圧的になるのって果てしなく不毛。
M:きつくはあたっていないつもりだけど、毎年声はかけているので耳が痛い。大変だろうなあ(こっちだって大変だ)と思うから移ってきたばかりの人には町内の主な写真館とおよその料金と場所のメモをつけてみたり、日にちを決めて希望者を募って集金係をしてまで写真屋さんに撮影してもらったりするんだけど。不毛なのよ、ホント。挙げ句の果てに「前の学校では(事務職員には)言われなかった」と言われると。白黒はっきりさせたいんだけどなあ。なんとかならないの?これ。
H:「でも指導は指導だし、その職員のためにもならない」か?残念ながらそこまで考えてやるほど優しい事務職員では私はないのでした。(何しろ県内サイテーだし)
M:う~ん。あれって指導なの?毎年通知で来るヤツ。条例でもなんでもないわけ?拘束力ないんだったら無視するか(撮影年月は)鉛筆書きだから書きかえたりしちゃうけど。
H:だいたいさあ、ボツになったのかもしれないけれど、履歴書も電算化します、って大見得を切ったのは県教委の方じゃないか。管理大好きのウチの教頭(前任者に聞くと写真の更新にはことのほか熱心な人だったらしい)だって「もうすぐ電算化されるんだから(更新は)意味のない作業なんですよ」と言ったらあっさり引き下がったぐらい。やめようぜ。こんな無駄なこと。それでもやりたい人がいるとしたら、そいつは職員をルックスで判断するタイプなんだよ。
M:やりたくないよ。疑問視してるけど。ただ、流せないタイプの人もいることだし、合法的にやめるテはないのかなあ。一応お知らせして本人の意思でいいか、とも思うんだけど、真面目に忙しい思いをしてまで撮ってくる人がバカを見るようでイヤなんだよね。真面目な人、というのには(職員に撮らせている)事務職員も含むの。是非はともかく、真面目にやっている人に、「前の事務職員は言わなかった」なんて言われさせたくないから。だからみんなでやめようよ。しないんだったらさ。
……いかがお考えだろう。履歴書に限らず、何でこんな書類があるんだ、あるいは、何でこんな仕事をしなければならないんだ、と考えながらやっていることって、事務職員に限らず、実はたくさんあるはず。そんな時にどんな対応をとるかはMと私とではおおいに違っている。同じ事務職員としての年月を過ごしながら、こうまで開くかねしかし。
『履歴書の写真の更新は無駄であり、以後、このような指導は行わないこと』なんていう要求を、例えば教育事務所交渉のあたりで突きつけることは可能だろうが、どうもそんなタイプのネタではなさそうな気がする。大騒ぎすると、むしろ徹底した論議になり、『もっと強い指導』に変わってしまいそうな恐れすらある。考えすぎだろうけれど。
就職活動するときには、新鮮(笑)な写真を付けることは常識でしょう?という理屈は確かにある。私らは生ものだから劣化はするもんな。私は日々膨張を続けているし。おそらくこの指導に誤りはないのである。3年、というサイクルが長いか短いかの問題は抜きにして。が、履歴書に写真を貼付することの意義が、単に本人照合だけであれば話は簡単だけれど、どうもそれだけでもないような気がする。つまり、人事だの処分だのの時に引っ張り出して読むときに便利なように、はっきり言えば職員を将棋やチェスの駒のように扱うときに、やはり顔があると気合いが違うという“上の論理”がそこに見え隠れするのだ。だって履歴書って、常に強者に向かって提出するものじゃないか。一般の職員は新採の時に書いたっきりほとんど自分の履歴書とは縁がないのに、管理職や教育事務所といった強者だけが必要としているものだしね。こう考えると、真面目に写真更新をお願いしたりする行為は、『間違いなく正しいのだけれどどうも気持ちが悪い』ものに私には思える。指導があった当初から「けっ!」と思った意味が、やっとわかったぞ。ところでこの指導、他の県や教育事務所でも、ホントにやってんのか?
このシリーズ、次は転出書類篇。
……他の地区や県が、全然違う形態だったことは後に判明(特集します)。今に至るまで、教育長部局の履歴書の電算化は完遂していない。
画像は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」Dancer in the Dark
またも組合帰り。暗い映画は大嫌いなのに、時間が合うのがこれしかなかったし。にしてもびっくり。んもう驚くくらいストーリーは典型的な母子もの。ハンカチ三枚ご用意を。三益愛子(知らんだろうなぁ)が主演してもおかしくないような古さなのである。まあ、それをビョークに演じさせるところに妙味はあったわけだが。彼女の音楽は苦手だったけれど、この演技はさすがに圧倒してくれる。デジタルビデオカメラを使った演出は斬新。古い皮袋に新しい酒。それは結構だがラストの絞首刑のシーン、あまりにリアルすぎて若い女の子の中には気持ちが悪くなった人もいたらしい。子どもの父親の存在とセックスを徹底的に排除したことも成功の理由だとは思う。しかし、あまりに息苦しくはないだろうか。日本だけで150万人もこれを観たそうだが(奇跡だ)、これをミュージカルとして記憶する人は少ないだろうな。
今思えばお気楽な「グリーンマイル」の電気椅子が懐かしい☆☆☆★★