“正論が持て囃されている。
多様化された世の中では自分の中の正解に自信が持てなくなる。なんとなく正しいことを言ってそうな、有名人のコメント、Twitterのアカウント、誰かの正論に飛びついて楽をする。自分の中の正解と誰かの正論は根本的に質が違う。”
“なぜ相談もされていないのに、「野心や欲望が無いとダメ」と他人に言いたくなってしまう人がいるのだろうか。
自分の生き方に自信が有り過ぎるのだろうか?
それとも、無さ過ぎるのであろうか?”
うおおおお、なんという冷静さ。確かにオードリーの絡みを見ていて、尋常な才能ではないんじゃないかと(ちょっと)思わせてくれる若林だが、内面にこんな屈託や邪悪さや知性を抱えていたとは。しかも、だ。
“前作のエッセイで、スターバックスで注文の時に「グランデ」と言えないと書いた。
何か自分が気取っているような気がして、恥ずかしかったのである。
「L」は言えるのだが「グランデ」は言えない。
自意識過剰である。
自意識過剰なことに対して、「誰も見てないよ」と言う人がいるがそんなことは百も承知だ。
誰も見ていないのは知っているけど、自分が見ているのだ、と書いた。”
ここから若林はもうひとつ別の展開まで持っていく。並みの力量ではない。すごい。
ベストセラーになったことが素直に納得できる。多くの人が、自分に若林的なものが内在しているに違いないし、もちろんわたしもその一人です。また言わせてもらおう。すごいです若林。にしてもダ・ヴィンチの連載だったのに文藝春秋から単行本が出たとは。ぬかったなー角川。