事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

追悼岡田裕介。

2020-11-21 | 芸能ネタ

ごめんなさい今日は野球の話だけはやめて(T_T)

岡田裕介の死去にはやりきれない気持ちでいっぱいだ。

だってさんざん悪口を言ってきたものねえ。企画に冴えは見られず、吉永小百合との関係でだけで“製作者”だったわけで、あとは不動産屋になりたかったんでしょう?

いかん、また悪口になってしまう。

東映という悪所を彼が担うことになったのは、もちろん岡田茂というお父さんの威光があったからだろう。

それが悪いことだとは思わないの。そういう会社だったからこそ若殿への継承は成立したし、東宝の青春映画への主演はむしろ好感されたのだと思う。経営者としてだけは彼は無能には思えなかったもの。映画にかかわらなければよかったのかなあ。

にしても、二代目三代目への継承はこれで完全に途切れた。東宝のテニスボーイ(松岡修造)は幸せそうだし。あ、松竹だけはわかんないなあ。あそこは松と竹の兄弟会社ですから。

妻が部屋に来たので

「岡田裕介死んだんだねえ」

と言ったら、例によって高齢者のほらほらパターン。

「ほら、あれでしょ?あの人が出たのは」

「……えーと赤い鳥逃げた?だったかな」

「そうよそうよ。庄司薫の原作よ」

「待って、検索する!」

「赤頭巾ちゃん気をつけて」でした。ふううう。

そっから先は妻の独壇場。

「ヒロインは森本レオの奥さんだったでしょう?」

「そうなんだ。ってことはあの騒ぎはしんどかったろうねえ」

「……その騒ぎってなあに?」

うちの奥さんの芸能ネタは偏りすぎている。

 

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「昭和芸能界史 戦後の芸能界は如何にして成立したか 昭和20年夏~昭和31年篇」塩澤幸登著 河出書房新社

2020-11-21 | 芸能ネタ

著者は雑誌「平凡」の記者だった人。といっても、「平凡」自体を知らない人がもう多数派なのかな。芸能という存在をアイドル的な興味に押し上げた、というか押し込めた存在かも。十代や二十代の女性にとって、必須の存在だったはず。

どのような存在だったかはこの書でも紹介されている。

オーミケンシ(近江絹糸)という会社があって、わたしが学校事務職員になったばかりのころは、ここからいつもうちの社員はこんなに幸福に勤務していますという社内報みたいなのが学校に届けられていて、なんでだろうと思ってました。あったんだ凄い過去が。

この会社は自社で高校を営んでおり、その生徒を工員として働かせ、しかもどうやら宗教的行事に強引に参加させ、結婚も同居も御法度という驚愕の経営方針。女工哀史はまだ生きていたわけ。1954年の話です。

こんなひどい経営だから、労働組合としてストをやろうとなっても、なかなかそうはいかなかった。でも会社の方針として

「平凡を読んではいけない」

が示された途端に労働争議スタート。会社側の完全な敗北に終わる。芸能人の記事を読みたい、アイドルの写真を見たいという欲求の勝利。

その平凡は芸能界(そんな言葉は当時も今も辞書的には存在しない)と並走することで部数を伸ばし、集英社が同じような体裁の「明星」を創刊してからも百万部を超える発行部数を誇った。しかも毎号ほぼ完売。これはいまの出版関係の人たちにとって夢のような事態だろう。

小学館の子会社だった集英社は、ご存じのようにそのような経営方針だった。売れている雑誌をまねろと。だから平凡には明星、平凡パンチには週刊プレイボーイ、an-anにはnon-no、近代映画社のスクリーンにはロードショーといった具合に。あ、雑誌関係だけでこんなに行数をくってしまった。以下次号

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