年に一冊出る週刊文春連載コラムの単行本第16弾。時代を証言する、という意味でこれ以上のコラムはちょっと思いつかない。
小林にとっての2013年は、原発問題は解決するどころかどんどん安倍政権によってがむしゃらに推進され、地元民にとって迷惑でしかないオリンピックは東京に招致されるなど、ひどい状況。
それはわたしにとっても同義だけれど、あまちゃんが救いだったことまでいっしょだ。純文学作家たろうとしながら、エンタテインメントの現場にいることの幸福と不幸を“面白く”語れてしまう芸は健在。
「紳士同盟」が薬師丸ひろ子主演で映画化され、併映が小泉今日子の「ボクの女に手を出すな」(こちらの方がはるかに出来は良かった)。キョンキョンのラジオ番組のファンだった小林は
「どうして終わっちゃうの?」
とすなおに質問。
「なんか、次はバンドの人がやるらしくて」
そのバンドとは……
初日舞台あいさつの日、新宿東映の地下の喫茶店には松田優作がいて、仲村トオルに「なかなかよかったぞ」と声をかけたなどという目撃証言は小林ならでは。
その8はこちら。
「HEROの一作目にしても、龍馬伝にしても、絶対に無理だとまずは思いました。でも、なんとかかんとかやってきた。今度のHEROにしたってそうです。続篇だから楽勝だろうと思われるかもしれない。松たか子さんが出られないのはありえないんだけど、フジテレビの開局55周年なので今やるしかない。」
「いちばん大きかったのは、13年のあいだに検察に対する世間のイメージが悪くなっているということなんです。でもわたしはむしろそこで勝負しようと思いました。あさってが最終回のオンエア(講演会は9月20日)ですけれども、冤罪というものをテーマにしたんです。こうやって、なんとか立ち向かっている。無理だと思っても、頭の上の方で『なんとかやれるんじゃないか?』という声が聞こえる(笑)。エンタテインメントの作者として、この自信のおかげで脚本家としてやっていけている気がします」
……まさかこんなに面白い講演だとは思いもしなかった。場内がシーンとしてしまったら、そんな義理もないのに変な質問でもして場をなごませようかとまで思っていたけれど(なに様だおれは)、そんな必要は全然なかった。たとえば
「キャストの変更は脚本家にとってかなりしんどいことなんじゃないかと思います。ガリレオの第二シーズンで、女性刑事が柴咲コウから吉高由里子に変更になったのはつらくなかったんでしょうか」
「福田脚本って、サブの方々と比較するとよくわかるんですけれど、“きっちりしている”じゃないですか。伏線ばりばりだし。それは性格的なものですか?」
とか(笑)。やな客だよなホントに言ったら。
でも場内から出た質問はとても意義深いものだった。
「劇団を主宰なさっていたということで、もう芝居の脚本は書かれないのでしょうか」
答えを聞いてわたしは福田さんがもっと好きになった。
「演劇はねー、ものになりませんでしたからねぇ。いまのところは書く気持ちにはなれないです。HEROの打ち上げのときもですね、緊張したのはキムタクさんよりも、文学座の重鎮である角野卓造さんの方でしたから(笑)」
【福田靖講演会 おしまい】
こんなにネタバレして怒られないのかって?いやいや、福田さんは大人物で、みんなに話して二度三度おいしいって具合にしてほしいんだと。
なぜなら、「今度の福田のドラマつまんなーい」となったら「なに言ってんだ!福田さんはがんばってるんだ!と言ってくださいね(笑)」というさすがの伏線があったからなのでした。
最初に映像化されたのは三浦しをんの原作と同名の映画「まほろ駅前多田便利軒」(2011 アスミックエース)だった。町田がモデルになっている“なんでもそろっているために住民が自足してしまう町”まほろにおいて、どこかしらはみだしている便利屋コンビ。人生はほんとうにやりなおせるかをあざといくらいに描いていた。
監督は大森南朋のお兄さん、大森立嗣。瑛太と松田龍平のコンビは、どちらもぬぐえない暗い過去をかかえていた。
「勇者ヨシヒコ」「湯けむりスナイパー」(今ごろ、はまってます)「モテキ」など、おどろくほどハイレベルな作品を連発するテレビ東京のドラマ24枠でドラマ化された「まほろ駅前番外地」は、前作の世界観を一新し(でもキャストはいっしょ)、たゆたう若僧ふたりの日常を淡々と描いている。脚本と演出は「モテキ」「湯けむり~」の大根仁。
いやああああ大根は天才だとつくづく。画面の隅々まで気を配ってあるのが歴然だし、キャストもみんな生き生きしてます。
意識したのが日テレのバディもの「傷だらけの天使」(萩原健一&水谷豊)、「俺たちの勲章」(松田優作&中村雅俊)なのは歴然。もっとも、萩原健一がビギで決めたファッションでトマトにかじりついていたのに比べ、こちらはツナギをダボッと着て納豆をかきまわしているのだが。
地方プロレスの引退興行につきあったり、レーザーカラオケに出てくるモデルを探したり(現在のその女性を風祭ゆきが演じます!日活ロマンポルノのファンは驚喜したはず)、赤ん坊の取り違えにかかわったり(「そして父になる」への返歌か。こっちには宮下順子が登場!日活ロマン~以下同文)、便利屋の日常は渋いし情けない。
しかし、まほろの町のなかで彼らは浮遊しつつ、決してプライドを失っていない(町のなかを逆向きで歩き、逆回転で再生されるタイトルバックがそれを象徴している)。
特に第1話から第5話あたりまでは史上最高のテレビドラマではないかと思うほどだった。未見の方はぜひお試しを。まもなく映画「まほろ駅前狂騒曲」公開。ああ、早く見たいなあ。
第三十九話「跡を継ぐ者」はこちら。
前回の視聴率は14.6%と微減。裏のDASH島に食われたか。
さて今回から、いよいよむき出しの本妻VS愛人の争い。そんな下世話な……と思われるかも知れませんが、司馬遼太郎は北政所VS淀君の争いが関ヶ原だと断定しちゃってますし。
にしても鶴松役の赤ちゃんは狂気の秀吉でなくても可愛い。さぞやこれからパンパースとかミトンのCMで稼ぐんだろうなあ。
秀吉の女狂いは相当のものだったようで、側室だけでも十数人。一夜限りなら数え切れないほどの……でも子どもができたのは茶々だけだった。しかも二人も。そのころにワイドショーがあれば、疑惑の懐妊とかいう話で持ちきりだったかも。
だから下々の間では誰が父親なんだという話になっている。でも世継ぎができたことで舞い上がっている秀吉はひたすらうれしくて……そんなはずないですよね。秀吉だって色々と考えたはず。しかし天下人であり、そして天下人でありつづけようと思えば芝居がかった子煩悩を演ずるしかなかったのかも。
そうでなかったとしても、晩年にできた子はやはりかわいい。龍馬伝において突出して素晴らしかった「遙かなるヌーヨーカ」において、児玉清が見せた芝居でもそれはわかる。自分の子が、どのような人物になるかを知らずに人生から退場しなければならない無念。秀吉の場合はそれがけた違いだったので日本国民(そんなものはまだ存在していなかったのでしょうが)は大いなる迷惑を被ったわけですけれど。
第1回のあのシーンにつながる北条攻め。領土をある程度安堵することで降伏を求める官兵衛。難攻不落の小田原城とはいえ、他からの援助が見込めない以上、籠もっても仕方がないのは道理。これまでの戦国ではありえない事情で北条は城を明け渡す。
でも、秀吉を中心にしか世の中を考えられない三成の進言で、北条の領地は家康に譲られる。そしてできあがったのが二百数十万石の大領地。結果として大失敗。
まあ、結果論です。三成には三成の成算があったでしょうし。三成が城攻めに失敗したってのはあの件ですか?
官兵衛の策があくまで平和を求めてというのはちょっと出来すぎ。おそらくは、軍師として足し算引き算をすればそれしかないだろうと見えていただけ。問題は、もう秀吉は足し算引き算ではなくて、かけ算の世界に行っちゃってたことで……
裏番組はどうなっているのかなあ。視聴率はでも去年のようにじり貧になることはないだろうと読んでいます。今度こそ15%台後半?
その8はこちら。
「大河ドラマの主演をやる、ということは、一年以上も拘束されるわけです。だからよほど前からおさえておく必要がある。龍馬のキャスティングは難航しまして、脚本家のぼくにも『誰がいい?』と。別にガリレオをやっていたからじゃなくて『福山雅治さんはどうでしょう』って提案してみたんです。まわりは考えこみましてね。ミュージシャンだし、NHKと縁がないし。」
「ということでなんとぼくに話してくれないかと(笑)。で、ガリレオの打ち上げのときにですね、本人じゃなくて(アミューズの)マネージャーさんにそぉーっときいてみたんです。そしたら『検討します』ということでした」
「ところが返事が来ないんですよ。問い合わせると『福山、いま考えています』。考えてもらうのはいいんですが、タイムリミットはどんどん近づいている。スポーツ紙なんかには2010年大河の主役は○○に決定!なんて記事もでる。全然違う人なんです。こっちは最初から福山さんにしか頼んでないのに。ようやく彼からOKが出たときは、もしも断られたら完全にアウトな時期でした。」
「それにしても龍馬とは不思議な存在で、『坂本龍馬はなにをした人?』と質問すると、たいがいの人が『えーと、薩摩と長州をどうにかした』なんて答が返ってくる。確かに、薩長の同盟書には、龍馬の裏書きがあるんです。でもよく考えてください。犬猿の仲だった薩摩と長州が手を結ぶ、その証拠の同盟書なら、単なる脱藩浪人ではなくて、それなりの人に証明してもらうはずでしょう。それが、どうして龍馬だったのか。これはもう研究家が百人いれば百通りの説があるんです。」
「そのなかで、わたしはこれが近いんじゃないかと思った説があります。わたしは山口県の出身なので、長州のことばは理解できる。でも当時の長州人は、おそらく薩摩弁はまったく理解できなかったのではないかと。というのも、薩摩弁というのは、密使によって機密がもれることをおそれるためという説もあるくらい難解です。龍馬伝では西郷隆盛を高橋克実さんが演じましたが、あれ、薩摩弁度15%ぐらいです。あれが40%ぐらいになると誰も理解できない。龍馬という人は奥さんと薩摩にハネムーンに行ったくらいの人ですから、まあまあ聞き取ることはできたんでしょう。つまり、薩長同盟のために、坂本龍馬は通訳としてその場にいたのではないかと(笑)。でも、それ大河では使えないわけです。字幕入れなきゃいけない。」
あははは、卓見。真木よう子はすっかり大女優でうれしいです。先日見た「まほろ駅前番外地」では、すっかり主演のふたりを食ってました!以下次号。
その6はこちら。
「勝海舟と坂本龍馬の出会いは、千葉道場の千葉重太郎といっしょに龍馬が勝のところへ斬りに行くわけですよね?勝は彼らに地球儀を見せて、日本はこんなに小さいのに、攘夷だなんだと仲間割れをしている場合かとさとし、龍馬が弟子入りしたことになっている。」
「ところが、調べていくとなかなか微妙なんですよこれ。まず、龍馬のお姉さんの旦那さんというのがお医者さんで、海外の事物についてもけっこう詳しくて、その家に龍馬もよく出入りしていたんです。だから龍馬が地球儀を初めて見てびっくりしたなんて考えられない。」
「それに、勝の自伝というのは歴史的資料としては最低の部類で、坂本という人物が訪ねてきたことにはなっているけれども、それが本当かどうかは疑わしいんです。だからね、おそらく司馬先生は、おびただしい資料のなかから『これは使える』という部分をピックアップしてアレンジしていたんだと思うんです。ところが、みんな史実だと思っている。なぜかというと、坂本龍馬のファン(47都道府県に龍馬会があり、海外にも!)というのは、結局のところ『竜馬がゆく』のファンなんです」
なるほどなあ。ま、勝海舟の自伝はボロクソに言われているけれど、その部分も含めてわたしは勝がけっこう好きです。“いどっ子”(江戸っ子)であることに実は衒いもなんもなくて、御家人だけどなにか?という感じが最後までする。だから龍馬伝では武田鉄矢がやったけど、ここはネイティブの江戸っ子でやってほしかった。
でも武田鉄矢は龍馬が大好きな人だから、勝がわけのわからない浪人に会ったのは、一種のオーディションだったのだろうという説を唱え、福田靖はすぐに受けいれて、あの○×で評価する脚本にしたんですって。なるほど。
大河ドラマそのものについても、興味深い裏話がバンバン。
「大河で誰をとりあげるかは、NHKのニュースで放送されるまで、絶対に秘密なんです。なぜかというと、経済効果がものすごいから。龍馬伝に決まって、高知県は400億もうかったといわれてますから。脚本家であるわたしの方にも売り込みが来るんですよ。大分県庁の方からは『福田さん、実は伊藤博文は下戸だったらしいんですが、うちの湯布院に来て初めて酒が飲めるようになったということで、想定シナリオもつくってきました。どうか龍馬伝にそれを』いやしかしそれは無理でしょう?(笑)」
「取材に行ったときも、大河ということばを使っちゃいけないということで、別の言葉に置き換えました。虎、と……タイガー……すみません」
次回はいよいよキャスティング!その8につづく。
2013年版はこちら。
今年もやってまいりました。財形貯蓄募集の季節。募集期間は
10月10日(金)~10月23日(木)
となっていて、事務室の受付は10月24日(金)までときっちり決まっています。
今回は財形年金についてちょっと解説しましょう。財形年金貯蓄は、
・ひとり1契約しか結ぶことはできず
・申込みの時点で55才以下であること
・最終積立日における年齢は55才以上であること
・積み立ては5年間以上行うこと
・据え置き期間(最終積立日から受け取り開始日までの期間。厳密には受け取り開始の前月までの期間)が6ヶ月以上5年以内であること
・受け取り期間が5年以上20年以内であること
・受け取り開始日における年齢が60才以上であること
・積み立て期間中の払い出しはできない(お金がどうしても必要な場合は解約するしかない)
……などが求められていて、財形住宅貯蓄と合計して550万円までは利息が非課税という恩典があります。よく読んでみると、60才になったらもらえるのだから、現職中から受給することもできます。びっくりです。
おぼえておいてほしいのは、財形年金としてお金を受け取ると、それは収入とみなされるということなのです。なんで自分で積み立てた貯金を自分で使うのが収入なんだよ、という気持ちもわかりますが、疑問に思ったのでこの春に直接共済組合に質問してみました。
「はい、福利課です」
「退職者が財形年金を受け取るのって、被扶養者の要件に影響しますかね」
「………………あ、たとえば遺族年金という存在がありますね。あれも非課税なんで、所得証明とかにはあらわれないじゃないですか」
「確かに」
「でも、要件には確実に影響するんです」
「なるほどー」
つまり恒常的に受け取るものであるかぎり、財形年金であろうとも被扶養者の要件に関係してくるということなのです。退職する先輩にも失礼ながら質問してみました。
「○○さんは(医療系は)どうするの?」
「娘の被扶養者になるわよっ」
「へー、じゃあやっぱり年金額は(扶養の限度額である)180万円に達しないんだ」
「当たり前じゃないの」もう、そんな時代なのです。
「でも財形年金とかはだいじょうぶなの?」
「即刻解約よ!」さすが、学校事務職員を何十年もやってきた人はしっかりしてる。
画像は「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」Guardians of the Galaxy
まさかマーベルのSF超大作のオープニングに10ccの「アイム・ノット・イン・ラブ」が流れ、あろうことかランナウェイズの「チェリーボム」がかぶさり、ラブシーンではエルビン・ビショップの「愛に狂って」が……趣味の映画だったのか!しかも再生するのが初代ウォークマン。泣いた。傑作。
2014年8月号「ツイッター議員、LINE議員」はこちら。
「ノーコン!」
正しくは8月の名言。毎日新聞の憂楽帳というコラムから。すばらしい内容だったので全文掲載。
通りがかりのグラウンドで、少年野球の試合をやっていた。一方のチームから相手へのやじが絶え間なく飛ぶ。投手を「ノーコン」とくさし、ミスした野手を「下手なら帰れ」とけなす。そのうちコーチらしき大人が「声が小さい!」と怒鳴り、一層ひどくなった。
仕事柄さまざまなスポーツを見るが、一生懸命に取り組む子供は自分のプレーに必死で、周囲をさげすむ余裕などないものだ。なのになぜ、やじを飛ばすことを覚えるのだろうか。
中学教員の知人に「生徒に見せたくないものの筆頭は議会」と聞いたことがある。議会では発言者の話をやじで邪魔したり、居眠りしたりする議員がいる。しかも誰もそれを止めない。
グラウンドも同じかもしれない。子供たちの横で、見ている大人が平気で拙いプレーをけなしたり、相手のミスを喜んだりしていないか?
大声でやじを飛ばす体力や、相手の欠点を探す観察力は、自分のプレーや仲間の激励に使おう。そう伝えられる見方をしなければと、やまないやじを聞きながら考えた。【石井朗生】
……都議会の問題を見るまでもなく、ヤジを発する行為そのものが品性を語る。一定の役割はあるとする理屈にわたしはくみしない。どんなひどい内容の発言だったとしても、ヤジで攻撃するのは、選挙民に対する愚弄に近い。それ以上に、野球という競技にはヤジがつきもので、ユーモアのあるヤジならともかく、(向こうも子どもなのに)相手を貶めるヤジを平気で発する親が多いのは悲しい。
「彼は一言でいえば、テレビをメディアの王様にした人です」
井原高忠を大橋巨泉が評して。日テレの人だった井原なのだから、読売はもっとディープな特集を組んでくれると思っていた。堀威夫、萩本欽一などのコメントは掲載されたが、どうにも薄味。朝日新聞を攻撃するので忙しかったとか?あ、それからもうひとつ。社の意向に沿わない記事を載せなかった朝日はもちろんひどいが、読売はそれを批判できるの?そちらのトップのわがままで、数多くの記事がおしゃかになってるんじゃなかったっけ?