お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

真宗講座

2007年08月27日 | 仏教
 昨年から受講している勧学寮の真宗講座も今回で第6回。

 せっかく近くの本願寺佐賀会館で開催されるのだから・・・と、軽い気持ちで聴講し始めたものの、
 あまりのレベルの高さに「うう、私なんぞが、来るところではなかった・・・」と、睡魔と闘いつつ・・・
 参加することに意義があると開き直って、わかり顔で出席。

 本日のN先生の仏教概論。復習を兼ねてご紹介。

 お釈迦様の悟り(仏法)を2面に分けて

真諦=最高の真実で悟りそのもの→言葉にできない、沈黙以外何ものでもない
俗諦=お釈迦様が言語化された法、言葉という姿をとって仏陀(ブッダ)が衆生を導くための言葉。

 悟りそのものは、言語化されない世界だが、言葉にしないと伝わらない。しかし、言葉は世俗そのものである・・・というジレンマがある。

 ここからは、私の感想。
 そもそも、人間は同じ話を聞いたとしても、各々イメージするものが違う。
 自分中心の計らいで仏説○○経(言語化した仏陀の教説)を聞いたのでは、「そんなのは、大昔のお伽噺で、この現代社会にミスマッチじゃないの」と、聞いてしまうかもしれない。

 とにかく、お釈迦様は、私たちが悩み、苦しむのを、全て人のせい、周囲のせいにするが、悩み、苦しみを作り出すもとは「我執」にあること、縁起の法に暗いからであること。悟りは、執着のない「空(くう)」であること、悟りに至るには、どうすればいいかを多くの仏説(言葉)で説いてくださった。

 現実に悟りをひらかれたのは、お釈迦様だけで、その他弟子の誰一人、完全な悟りをひらいた者はいないけれど、

 N先生の講義では、

 「お釈迦様は、この世で悟りを得られない者をダメだと言われない。悟りを目指して仏道を歩む、その人生そのものが尊いと言われている」そうです。

 
 
 
コメント
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