お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

葬儀

2007年08月28日 | 雑感
 例えば、お寺の住職、坊守が亡くなった時、「門徒葬」(会社で言えば社葬のようなもの)として、葬儀が営まれることが多いです。

 喪主は、遺族が務めますが、葬儀委員長は、門徒総代さん。

 社葬などの場合もそうでしょうが、門徒葬の場合も準備都合上、少し日を置いてから葬儀が行われることになります。

 その「本葬」に先立って、遺体を火葬する前に、近親者のみで行う葬儀を「密葬」と言います。

 しかし最近、世間に知らせず、身内だけで密かに行う葬式を「密葬」と呼ぶように誤解されている方が多いようです。

 公にして、世間の皆さんにわざわざ葬式にお出でいただくのは申し訳ないから・・・とか、
 義理でお参りに来られるより、近親者だけで故人を偲びたいから・・・とか、
 派手な葬儀はキライなので、ジミ葬がいい・・・とか、

 ご遺族のお気持ちが、いろいろあってのことだろうと思います。

 お寺のオバサンの立場を離れて、私個人はこう思います。

 故人は、家族、親族のつながりだけでなく、社会に広くつながって人生を歩んで来られたはずです。 あるいは、直接故人を知らなくても、遺族の悲しみに添いたい(弔問したい)という方もおられます。

 つまり、故人の葬儀に列席したいと思われる方のお気持ちを遺族の考えだけでお断りするのは、どうだろうか・・・

 それに実際、内密に親族だけで葬儀を済まされた方にお聞きした話ですが、
 
 後日「知らなかった! お仏壇にお参りさせてください」と、次々、弔問客が自宅におみえになって、応対に疲れた・・・ということも。

 派手な葬儀をしなくても、やはり世間に知らせる「本葬」?がよいのでは・・・
 葬儀とは、故人、遺族が、交誼いただいき、会葬くださった参列者に感謝をあらわす儀式でもあるのではないでしょうか。

コメント
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