お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

慈悲

2009年05月18日 | 仏教
 昨日は、法専寺「若婦人の集い」でした。雨の中、おいでくださった女性の皆さま、本当にありがとうございました 

 「若婦人の集い」では今、ご一緒に「歎異抄」を味わっているところです。
「若婦人」に、いきなり「歎異抄」か・・・と思われるかもしれませんが、

 結局「若婦人の集い」という名の勉強会でして・・・ご参加くださるのは、聴聞を重ねてこられたベテランさんばかり、
本当においでいただきたい「若い女性」の参加がほとんどありません・・・むむむ、残念・・・

 さて、昨日は、第4章
 聖道門と浄土門 の慈悲 について

一番要で、一番難しいところです。

 「仏教学」が必修だった学生時代。ちょうど試験に、この第4章が出て、チンプンカンプンだった私は、全く誤解した「迷答案」を提出。
 採点されたY先生、まさに「歎異」(異端:間違った解釈を歎かれた)でありましょうが、お慈悲の心で60点いただき、何とか単位を落とさずにすんだ という経験があります。
 
 さて、その4章原文です。

 慈悲に聖道・浄土のかはりめあり、聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり、しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし、浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもって、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にて候ふべきと云々。 

  
コメント
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