仏教で言う「救われる」とは、自分が抱えている問題が消滅することではなく
自分の心(思いこみの考え方)が転じられること。心が軽くなることを申します。
先日、聴聞を重ねてこられた あるご門徒女性が仰いました。
仏教にご縁をいただく前は、(何らかの)問題を ずっと思い詰めて、ますます自分で自分の視野を狭くし、行き詰まっていたのが、
今は、そんな時、ふっと、自分以外の視点(仏さまの視点)
から、苦しんでいる自分を(客観的に)見つめることができて、「ま、いいか」
と思えるようになり、楽になりました。
自分が不幸と思うことを、全て、社会のせい、人のせいにして
「私って、かわいそう
」と、愚痴ばかりの 暗い人生より
同じままならぬ人生でも、
ままならぬのは、人のせいではなく、自分の「煩悩(自分中心に思い詰める思考回路)」によって、より苦しむのだ
と
自分が世界の中心にいる思考の同道巡り
から、ちょっとワープした思考
を得ることで、
ままならぬ人生も
味わい深い、豊かな人生 に 転じられるのだと思います。
そう言う意味で
仏教は「脱世間」の教えです。
その教えによって、心やすらぐこと・・・それが「救い」なんです。
自分の心(思いこみの考え方)が転じられること。心が軽くなることを申します。
先日、聴聞を重ねてこられた あるご門徒女性が仰いました。


今は、そんな時、ふっと、自分以外の視点(仏さまの視点)



自分が不幸と思うことを、全て、社会のせい、人のせいにして
「私って、かわいそう


同じままならぬ人生でも、
ままならぬのは、人のせいではなく、自分の「煩悩(自分中心に思い詰める思考回路)」によって、より苦しむのだ

自分が世界の中心にいる思考の同道巡り


ままならぬ人生も


そう言う意味で

その教えによって、心やすらぐこと・・・それが「救い」なんです。
