昨日ご紹介した「歎異抄」第4条の現代語訳(浄土真宗聖典 歎異抄 現代語版)です。

慈悲について、聖道門と浄土門とでは違いがあります。
聖道門の慈悲とは、すべてのものをあわれみ、いとおしみ、はぐくむことですが、しかし思いのままに救いとげることは、きわめて難しいことです。
一方、浄土門の慈悲とは、念仏して速やかに仏となり、その大いなる慈悲の心で、思いのままにすべてのものを救うことをいうのです。
この世に生きている間は、どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできないのだから、このような慈悲は完全なものではありません。ですから、ただ念仏することだけが本当に徹底した大いなる慈悲の心なのです。
このように聖人は仰せになりました。
当時、「仏教学」を卒業単位取得のため(まさか将来お寺に嫁ぐなんて夢にも思わなかったので)仕方なく受講していた20才の私は、

「念仏して速やかに仏となり・・・」と、いうことを
現世において、この身のままで
念仏の不思議なパワーを得ることで、
スーパーマンのように
困っている人を助けることができるのか
それとも、生きている間は、全く何~も役に立てないんだから、
速やかに死んで、仏に成れ! ってことか
と、ヒドイ勘違いをしたのであります・・・
つづく・・・