
慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。
まず、

聖道門(しょうどうもん) と

浄土門(じょうどもん)

聖道門とは、厳しい修行で「煩悩」(自分にとらわれることから生じる穏やかでない心)を滅し、仏(覚り)を目指すグループ

浄土門とは、阿弥陀如来の救いによって、仏に成らせていただくグループ
慈悲について、それぞれのグループで違いがある と 親鸞聖人は仰っています。

聖道門の慈悲は、「自分の力で何とか皆を幸せにしてあげたい

」 という わかりやすく、すばらしいことに思えますが・・・
私が凡夫である限り、慈悲の完遂は不可能です。

浄土門の慈悲は、まず、自分が仏と成らせていただいてから、皆が幸せになるように、はたらく。慈悲を完遂する。
何と回りくどい

じゃあ、生きている間は、困った人がいても知らん顔なのか
と思われるかも知れませんが、
そうではありません

困った人がおられたら、お役に立とうとする

のは当然の行為です。
仏の慈悲 とは、私たちが「慈悲」と混同する「同情」や「愛情」や「親切」とは次元が異なります。
つづく・・・