お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

あるがまま その2 (臓器移植について考える)

2009年07月15日 | 雑感
 臓器移植について 

 私自身のことで言えば、もう18年?くらい前から、臓器提供のドナーカードを運転免許証入れに入れて、持ち歩いています。

 幸か不幸か、生き存え、年を重ね、臓器も たいぶ くたばっているでしょうから、この先、活きのいい臓器を提供できないかもしれませんが・・・

 こういうふうに自分自身のことであれば、

「人工呼吸器をつけてまで長生きしたくない
「人さまの臓器をいただいてまで、長生きしたくない
「脳死になって、間もなく死に逝く・・・そんな私の臓器がお役に立つのならば、どうぞ、どうぞ、少しでも新鮮な内に、ご利用ください
と、素直に思う。

 しかし・・・

 これが、最愛の我が子だったら、どうだろう

 「脳死」と告げられて、まだ、体温を感じる愛しい姿を目の前にして
 「はい、どうぞ、切り取っちゃってください」と、躊躇なく、素直に返答できるだろうか。

 逆に、

 最愛の我が子が臓器移植でしか生きられない と 宣言されたら

 私だったら、臓器移植を受けても、我が子に生きて欲しいと熱望するだろう。そして、秘かに「早く誰か脳死になってくれないかなあ」と、恐ろしいことを願うかもしれない。

 では、最愛の二人の子がいて・・・
 一人が臓器移植でしか生きられない命であり、臓器提供を待っている時、
 もし、もう一人の我が子が脳死状態になったとしたら・・・

 一度にいっぺんに、両方の立場に立たされたとしたら、親として、どう判断するだろうか

 つづく・・・
コメント (5)
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