臓器移植について
私自身のことで言えば、もう18年?くらい前から、臓器提供のドナーカードを運転免許証入れに入れて、持ち歩いています。
幸か不幸か、生き存え、年を重ね、臓器も たいぶ くたばっているでしょうから、この先、活きのいい臓器を提供できないかもしれませんが・・・
こういうふうに自分自身のことであれば、
「人工呼吸器をつけてまで長生きしたくない」
「人さまの臓器をいただいてまで、長生きしたくない」
「脳死になって、間もなく死に逝く・・・そんな私の臓器がお役に立つのならば、どうぞ、どうぞ、少しでも新鮮な内に、ご利用ください」
と、素直に思う。
しかし・・・
これが、最愛の我が子だったら、どうだろう
「脳死」と告げられて、まだ、体温を感じる愛しい姿を目の前にして
「はい、どうぞ、切り取っちゃってください」と、躊躇なく、素直に返答できるだろうか。
逆に、
最愛の我が子が臓器移植でしか生きられない と 宣言されたら
私だったら、臓器移植を受けても、我が子に生きて欲しいと熱望するだろう。そして、秘かに「早く誰か脳死になってくれないかなあ」と、恐ろしいことを願うかもしれない。
では、最愛の二人の子がいて・・・
一人が臓器移植でしか生きられない命であり、臓器提供を待っている時、
もし、もう一人の我が子が脳死状態になったとしたら・・・
一度にいっぺんに、両方の立場に立たされたとしたら、親として、どう判断するだろうか
つづく・・・
私自身のことで言えば、もう18年?くらい前から、臓器提供のドナーカードを運転免許証入れに入れて、持ち歩いています。
幸か不幸か、生き存え、年を重ね、臓器も たいぶ くたばっているでしょうから、この先、活きのいい臓器を提供できないかもしれませんが・・・
こういうふうに自分自身のことであれば、
「人工呼吸器をつけてまで長生きしたくない」
「人さまの臓器をいただいてまで、長生きしたくない」
「脳死になって、間もなく死に逝く・・・そんな私の臓器がお役に立つのならば、どうぞ、どうぞ、少しでも新鮮な内に、ご利用ください」
と、素直に思う。
しかし・・・
これが、最愛の我が子だったら、どうだろう
「脳死」と告げられて、まだ、体温を感じる愛しい姿を目の前にして
「はい、どうぞ、切り取っちゃってください」と、躊躇なく、素直に返答できるだろうか。
逆に、
最愛の我が子が臓器移植でしか生きられない と 宣言されたら
私だったら、臓器移植を受けても、我が子に生きて欲しいと熱望するだろう。そして、秘かに「早く誰か脳死になってくれないかなあ」と、恐ろしいことを願うかもしれない。
では、最愛の二人の子がいて・・・
一人が臓器移植でしか生きられない命であり、臓器提供を待っている時、
もし、もう一人の我が子が脳死状態になったとしたら・・・
一度にいっぺんに、両方の立場に立たされたとしたら、親として、どう判断するだろうか
つづく・・・