お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

年をとるということ

2009年07月28日 | 仏教
 20代の頃の私は生意気に

 シワくちゃ、よぼよぼのお年寄りを見て、
 「ああ、あんなになるまで生きていたくない」
と思っていました。

 また、中高年の方がウオーキングやジョギングに汗を流しておられる姿を見て、
 「ふ~ん、あんなに努力してまで長生きしたいのね」
と思っていました。

 若いときは、その若さゆえ、実に傲慢で、
 自分も年寄りになっていくことなど、考えもしなかった。

 そして、年月は流れ・・・
 私自身、どこから見ても立派な中高年になり・・・今は健康に恵まれているが、やがて、病気も出るだろう、あちこち痛みもでるだろう。

 シワくちゃ、ヨボヨボ、「ああは、なりなくない」と思っていた存在に、一日一日近づいていっている。

 「役に立つ」「役に立たない」で分別する娑婆の価値観だけでは、生きづらい。

 若さを失っても、健康を失っても、プライドを失っても

「年老いたあなたも、病気のあなたも、若くて元気だった時と同じように、そのままで尊い

と、励ましてくださる仏さまの力(仏さまの智慧に照らされ、慈悲にいだかれる)

を、この身にいただくってことは、実に実に、明るく、心配のない老後ではありませんか

 と、いうことで、

 私は、今だって(自分が気づいてないだけで)十分あちこち迷惑かけ、許されて生きているのですから、シワくちゃ、ヨボヨボになって、周囲の手をとっても同じこと。

 いつ、どんな死に方をするかわかりませんが、命終わるまで、明るい婆さんを目指して生きるぞ~  皆さん、よろしくね。

 


 
コメント (4)
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