お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

堪え忍ぶ

2012年05月09日 | 雑感
 「我慢」は、もともと仏教用語で、「我」をたよりに、「慢心」(おごりたかぶる)と言う意味
 つまり我が強く、他をあなどる という意味ですので、あえて、ここでは「堪忍」(かんにん:たえしのぶ)を使います。

 「堪え忍ぶ」という意味のサンスクリット語が「サーハー」
「サーハー」を漢字にあてたのが「娑婆」(しゃば)

 「堪え性」は、人によって違うので、時代や世代で、ひとくくりにはできませんが、
それでも、私は、ありえないほど有難い時代に生まれ、育ち、生活しているのだと、しみじみ思います。
 そして、子ども、孫は、(今のところ)ますます便利で快適な時代に生きています。

 暑さ、寒さに耐えることもなく
 ひもじい思いをすることもなく
 病気の苦しみも軽減され
 欲しいものは、簡単に手に入る

 そして、それが「当たり前」の基準となり、
 自分の思い通りになる(自分が不快と思うことが一切ない状態である)ことが、幸せ などと、思い違いをするのなら、
「不幸」な(堪え性のない、仕合わせを感じ取れない)人が増えてしまうのでありましょう。

 私もいい年をして、堪え性のレベルが低い・・・
 そんな時はいつも「(たとえば)平安時代などに生まれていたならば、何も(断熱材の入った家も、エアコンも電気も、医薬品も、車や携帯も・・・何~も)なかったであろう」と、わが身を反省するのあります。
 
 
 
  
 
コメント (2)
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