お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

イスラム国に思う

2015年01月24日 | 仏教
 最初、「イスラム国」と耳にした時は、イスラム教の国々のことかと誤解したほど、ニュースにも疎く、どの分野にも無知無学の私ですが、
人質のお二人が無事に解放されることを願い、仏教徒としての私見を書かせていただきます。

 本来、「宗教」とは、生きるための支柱・心豊かに生きるための指針となる教えのはずです。
 
 一人ひとり、顔が違うように、各人の感受性も異なります。
 一人ひとり、育った環境や経験によって、「常識」と思うことも、「主義主張」も、異なります。

 そういう、各人の「常識」と思うことや、「自分こそが正しい」「自分は立派に生きている」という思いが、「差別」や、「争い」を生みます。

 宗教とは、争いを生む・各人の「思い」「こだわり」「欲望」の危うさを本人に自覚させる教えでありましょう。

 「人間の恐ろしさ・危うさ・愚かさ」に気づかせ、お互い尊重し合い、いたわりあって、ともに心豊かに生きることを、生きる指針として教えてくださるのが、神や仏でありましょう。

 「こうでなければならない」という こだわり や、「自分たちこそ正しい」「自分たちのためには、考えの違う人や、異教徒や他民族を殺してもかまわない」という主義主張に凝り固まることは、神や仏への冒涜であり、
神や仏が、一番悲しまれることではないでしょうか

 

 
コメント
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