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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

骨をくだきても謝すべし

2017年05月04日 | 雑感
親鸞聖人の和讃であり、お寺の法座の最後に歌う「恩徳讃」(おんどくさん)

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨をくだきても謝すべし


 先日29日、法専寺の「降誕会」(ごうたんえ)では、住職が「恩徳讃」について、お話させていただきました。

 さて、話は変わり、4月中旬のこと。
 老人施設でお世話になっている母が、転倒。左大腿部骨折で、入院、手術しました。
 4年前は右大腿部骨折でしたから、両足に金属が入ったことになります。
 前回、入院の折は、認知症状が悪化、混乱し、リハビリをイヤがるので、病院からの要望で、私が毎日、リハビリの時刻に病院に行き、横について、理学療法士さんと一緒に、励ましたり、笑わせたり・・・頑張らせて、最後は、歩行器にもたれて歩くこともあったのですが・・・
 結局、「歩くと痛い」と、車椅子生活に。

 今回も、退院後、提携しているリハビリ病院への転院を勧められましたが、本人の気持ちを汲んで、私が辞退。
 幸い、今回、前回ほど、認知症状がひどく悪化することもなく、精神的には落ちついていましたので、
手術数日後の つかまり立ちのリハビリに併せて、トイレに車椅子で連れていただいて用を足せるほど回復できました。
 今回は、2週間の入院後、まっすぐ施設に戻りました。
 本人は、入院、手術したことも忘れて、何事もなかったかのように、穏やかに生活させていただいています。
 
 退院の日が91才の誕生日でした。

 記憶がどんどん無くなり、5分前のことも覚えられず、「今」を生きている母ですが、相変わらず、私の顔を見ると
「みんな元気にしてるね」と、尋ね、帰りには
「運転、気をつけて帰りなさいよ
と、案じてくれています。

 記憶できず、しかも耳の遠い母のために4年前からノートを使っています。

「長生きし過ぎた、早く死にたい」と、本音の愚痴をもらす母には、ノートに

 生まれるのも死ぬのも思い通りになりません。
後生は、覚りの仏さまに成らせていただく身ですから、修行と思って、いのちある限りは笑顔で生きてください

と、書いています。
 書きながら、母のために書いているよりも、自分を励ます言葉のような気がしています。

 「身を粉にしても」「骨をくだきても」には、ほど遠く・・・仏さまに、報恩感謝し足りぬ私ですが、
私なりに「おかげさまで」と、明るく、精一杯生きぬきたい・・・
 
 私にとって、母のやさしさも、また、老苦の愚痴にも、教えられる日々です。



 
 
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