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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

麦秋

2017年05月16日 | 佐賀ネタ


今年も麦秋の季節になりました。(写真は法専寺すぐ近くの田んぼです)
つい、このあいだ、新年を迎えたと思ったら、もう5月後半です。

きょうは午前中、生け花のお稽古へ。
午後は仏教婦人会の方々と本願寺佐賀教堂の常例法座にお参り。

M組仏教婦人会の方々が、午前中の境内清掃奉仕に引き続き、お参りなさっていたので、一般の参詣者も加わり、佐賀教堂は満堂でした。

ご講師は、昨秋、法専寺総追悼法要でもお世話になったM師。
ユーモアたっぷり、大笑いの中にも、大切なことをビシッと、お聞かせいただきました。

一般的に使われる「ご利益」は、「りえき」であって、「私の思いのままにしたいという欲望」を神仏に求めること。
 真宗の「ご利益」は、思いのままにならぬ悲しみをも機縁として、「おかげさま」と、よろこびの人生を送らせていただくこと。

 味わい深くお聴聞させていただきました。

 きょうも多くのおかげにより、尊い1日に恵まれました。南無阿弥陀仏
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町内老人クラブ追悼会

2017年05月15日 | 行事・案内
 14日(日)は、年に1度の町内老人クラブ追悼会が、当寺を会所に開かれました。

 ウチの町内には、3ヶ寺(浄土真宗本願寺派2ヶ寺と浄土宗のお寺)があり、この追悼会の会所寺院は巡番に巡ります。
従って、法専寺が会所になるのは、3年に1度です。

 老人クラブでは、前年ご往生なさった会員のご遺族を招待し、会員の皆様共々、故人を偲び、故人をご縁として仏前に手を合わせる追悼会をお勤めなさっています。

 たまたま、町内、浄土宗と浄土真宗の3ヶ寺なので、共通のお経の一つ「仏説阿弥陀経」をお勤めし、
会所の住職がご法話することになっています。

 町内なので、お参りの方々の中には、当然、法専寺のご門徒さんもおられますし、ご門徒さんでない方も、日頃お世話になっている親しい方がほとんどです。
 夫・住職もお誘いを受け、昨年から老人クラブに入会していますから、1会員でもあります。
 私も数年後、元気でいましたら、お仲間に入れていただく予定です。

 爽やかな晴天のもと、穏やかな追悼会のひとときのご縁でした。

 
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5月14日

2017年05月14日 | 行事・案内


母の日のプレゼントをもらいました。有難いことです。

5月第2日曜は母の日ですが
5月14日は本願寺第8代門主 蓮如上人の祥月命日です。あなかしこ、あなかしこ。
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仏教壮年会総会

2017年05月13日 | 行事・案内


昨日は、豪雨の中、総代会計さんには、今年度 初めての会計整理をしていただきました。
 ありがとうございました

 きょうは、爽やかな青空。
 
 午前10時から、本堂で、壮年会の総会。
 総会後、門徒会館にて、懇親会でした。

 壮年会の会員が減少気味です。
 今年度は、お一人が高齢を理由に退会され、若手お一人が入会してくださいました。

 新しい教材で基本から学ぶ予定ですので、若手男性のご参加をお待ちしております。

 
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組仏教婦人会K園訪問

2017年05月11日 | 行事・案内
 

 毎年1回、佐賀市内のK園を組の仏教婦人会で訪問しています。

 組内住職方は、毎月、K園を訪問して、法話されていますが、
5月だけは、各寺の仏教婦人会役員2名と坊守、担当のご住職方とで、訪問しています。

 ここのところ、毎年、レクレーション担当は、J寺様にお任せで、私たちも楽しんで参加させていただいています。

 きょうは、ご法話もJ寺ご住職が担当。

我他彼此」(ガタピシ)・・・「ガタピシ」は、建具のすべりが悪いことや、ギクシャクした人間関係を表しますが、
元々、仏教語で、
 自分、他人、あれ、これと比べたり、対立関係でとらえる、煩悩です。(仏さまの感受性に自他の区別はないので)
の法話をいただきました。

 その後、レクレーションでは、「なぞなぞ」( 写真 ↑ )や
新作?「かえるのうた」に合わせた体操を楽しんだりしました。

 K園訪問の後は、場所を移して、組の仏教婦人会総会を開きました。

 きょうも、元気にご縁に遇えて、ありがたいことでした。

 担当各位、お世話様になりました。ありがとうございました

 

 

 

 
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5月の言葉 その1

2017年05月08日 | 仏教
 法語カレンダー5月の言葉は

 大信心は 仏性なり
 仏性すなわち 如来なり


 英訳は

 The great entrusting heart is itself Buddha-nature.
Buddha-nature is none other than Tathagata.

親鸞聖人の「浄土和讃」の一首

 信心よろこぶそのひとを 
 如来とひとしとときたまふ
 大信心は仏性なり
 仏性すなはち如来なり


 の後半の句です。

 本願寺出版社の「三帖和讃」現代語版 によりますと

 信心を得て喜ぶ人のことを、如来と等しいと説かれている。
大いなる信心は仏性である。仏性はすなわち如来である。


と、書かれています。

 信心いただいたからと言って、私自身が偉くなるわけでも、人格者になるわけでもありません。
 「信心」とは、「私の信心」ではなく、「如来に賜る信心」(如来に帰依・おまかせ:仏さまの願いを心に受ける)なので、「信心」に「私の」は混じりません。
 「信心」は、全部いただきもの・仏心そのものです。

 「法語カレンダー」の解説書「心に響くことば」(本願寺出版社)によりますと

 私たちが賜った信心には、仏さまのお徳が全て備わっているので、

 その信心を得て「よろこぶひと」のことを「涅槃経」によって「如来とひとし」とまで讃えられているのです。
と、書かれています。

 私自身は凡夫のままですが、阿弥陀仏は、こんな私(覚りに、ほど遠~~い)をも覚らせたいと願われ、全ての功徳をこめ、「南無阿弥陀仏」と、私に届いてくださっています。
 私が、ではなく、本願(南無阿弥陀仏)を心に頂いて、如来さまとご一緒に人生を歩ませていただくことが尊いのだ と、お示しくださっていると味わせていただいております。
 
 
 
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布教大会

2017年05月06日 | 行事・案内




 白石組が会所担当で、佐賀教区の「布教大会」が行われます。
 
 3日間、日替わりで、1日6名の布教団僧侶方が、ご法話くださいます。

 広~い佐賀平野で、のんびりと心のマッサージを 

 
 
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骨をくだきても謝すべし

2017年05月04日 | 雑感
親鸞聖人の和讃であり、お寺の法座の最後に歌う「恩徳讃」(おんどくさん)

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨をくだきても謝すべし


 先日29日、法専寺の「降誕会」(ごうたんえ)では、住職が「恩徳讃」について、お話させていただきました。

 さて、話は変わり、4月中旬のこと。
 老人施設でお世話になっている母が、転倒。左大腿部骨折で、入院、手術しました。
 4年前は右大腿部骨折でしたから、両足に金属が入ったことになります。
 前回、入院の折は、認知症状が悪化、混乱し、リハビリをイヤがるので、病院からの要望で、私が毎日、リハビリの時刻に病院に行き、横について、理学療法士さんと一緒に、励ましたり、笑わせたり・・・頑張らせて、最後は、歩行器にもたれて歩くこともあったのですが・・・
 結局、「歩くと痛い」と、車椅子生活に。

 今回も、退院後、提携しているリハビリ病院への転院を勧められましたが、本人の気持ちを汲んで、私が辞退。
 幸い、今回、前回ほど、認知症状がひどく悪化することもなく、精神的には落ちついていましたので、
手術数日後の つかまり立ちのリハビリに併せて、トイレに車椅子で連れていただいて用を足せるほど回復できました。
 今回は、2週間の入院後、まっすぐ施設に戻りました。
 本人は、入院、手術したことも忘れて、何事もなかったかのように、穏やかに生活させていただいています。
 
 退院の日が91才の誕生日でした。

 記憶がどんどん無くなり、5分前のことも覚えられず、「今」を生きている母ですが、相変わらず、私の顔を見ると
「みんな元気にしてるね」と、尋ね、帰りには
「運転、気をつけて帰りなさいよ
と、案じてくれています。

 記憶できず、しかも耳の遠い母のために4年前からノートを使っています。

「長生きし過ぎた、早く死にたい」と、本音の愚痴をもらす母には、ノートに

 生まれるのも死ぬのも思い通りになりません。
後生は、覚りの仏さまに成らせていただく身ですから、修行と思って、いのちある限りは笑顔で生きてください

と、書いています。
 書きながら、母のために書いているよりも、自分を励ます言葉のような気がしています。

 「身を粉にしても」「骨をくだきても」には、ほど遠く・・・仏さまに、報恩感謝し足りぬ私ですが、
私なりに「おかげさまで」と、明るく、精一杯生きぬきたい・・・
 
 私にとって、母のやさしさも、また、老苦の愚痴にも、教えられる日々です。



 
 
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思い込み

2017年05月03日 | 仏教
 先日、ご紹介した
 森田真円 師 著「白き蓮華のひらく刻」のp17
「思い込みの怖さ」を拝読して、うなずかされます。

  勝手ながら一部、先生の言葉をご紹介させていただきます。

 人間は自らの思い込みに振り回されてばかりといえるでしょう。

 人間関係のもつれは、大抵の場合、お互いに「あの人は、ああいう人だ」と思い込んでいることによって起こるものです。
 その底には、何よりも自分の眼は確かで、自分の判断は間違っていないという思い込みがあるからです。

 思い込みが人間の争いを深刻にしていきます。
 
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ミステリー

2017年05月01日 | 雑感
 先日のこと、夫(住職)が言いました。
「本堂のチャッカマンがないけど、どこかにやった(動かした)
だいたい、夫は物が見当たらない時、私のせいだと思っています。
 
 本堂のロウソクをつけるのに、チャッカマン(柄の長いガスライター)を使っていて、内陣の隅に置いていますが、それが見当たらないと。
 
 新しいのを買ってきましたが、翌朝、お勤めしようとしたら、また、ない

 そして、きょうは、ライターどころか、マッチまで無くなっている・・・

 気の優しい夫は、「墓参りに来て、マッチを忘れた人が取ったんだろうか
 「いやいや、ご門徒さんでマッチを忘れた方は、庫裏に借りに寄られるから、だまって取るような、そんな人はいない
と、私。
 「わざわざ、内陣まで上がって、取っているってことだよね・・・」
と、娘。

 何か、不気味。

 納骨堂のお賽銭は、いつも、どなたかが回収に来て持って行っているし・・・

 お賽銭は理解できますが、ライター、マッチは・・・・恐怖です。 
 
 本堂、納骨堂に監視カメラを設置したくなりました。 
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