恐らくちゃんとギャラリー巡りをするのは、今年最後だと思う。昨日も回ったので、芸森→KAMOKAMO→マルヤマクラス→ポルト→ミヤシタの5か所のみ。
■札幌芸術の森美術館「Living Art -日常-」。
今村育子「ふれる」:暗闇の中、ライトを使った展示。説明は避けておくので、現物を見て欲しい。
高田稔「bus stop」:バス停は錆びて倒れ、待合所も朽ち果てている。恐らくバスは二度と来ないのだ。
同「holiday」:遠浅の海に向かって立つ少年と犬。貝でも探しているのか、それとも、街が全て流されてしまったのか。
同「散歩」:フェンスの向こうには雑木林が見える。珍しく海のない作品。
高田稔の個展で、確かあまりにも東日本大震災を思わせるので出品作を変えた、といったことが書いてあった記憶があるのだが、確かに見ようによってはそう思える作品も多い。
河野健「sidewall」:巨大なトラックのタイヤを壁に見立て、その横に子供がいる。しかし子供の手には、おもちゃのトラックが。見ようによってはシュールな作品。
山岸せいじ「気がつくと一歩すすんでいる」:記憶の不確かさを再現するかのような、ブレた風景と人物。
吉川聡子「今日という日」:街角ですれ違う男女。前を向いて生きていくしかないのだ。
齋藤周「今日のながれ」:風景の中に描かれている人は非常に小さい。たとえるならば、鳥取砂丘の遠景写真に登場する人位のサイズである。しかし近寄ってみると、とても丁寧に描き分けされているのが分かる。
jobin「そっとみなもに」:立体睡蓮。観察者も体を動かすと、空気が動いてしまい、この作品に参加せざるを得ないのだ。
會田千夏「Katari-jima 2011.7.24」:この島には永遠の平和しかないのか…
會田千夏「portrait 2011.11.26シリーズ」:ポートレートシリーズが4点。自身のうちに潜んでいるように思われる「誰か」を描いているのだそうだ。それぞれの印象を書いてみよう。
「a」:猫。
「b」:スマイル! しかしそこには欠けた何かがある。
「c」:暖かい色、しかし取っつきにくい。
「d」:これこそまさに隠された自分。もしかしたら一生目を覚まさないのかも。
杉山留美子「HERE・NOWあるいは難思光シリーズ」:基本的な技法としては同じなのだろうが、受けた印象は一変していた。なんといっても「白!」が強く感じられる。明確に白と紫などの色が両立している作品もあるのだが、7点中4点はほぼ白色で、ほのかに紫や赤、緑といった色が認識できる程度に使われている。当然、単純なものではなく、一度塗り込めた色の上に白色を載せているのだそうだ。心境の変化があったことが伺える。
そら「MOON TRAVEL」:この作品だけ撮影可能。月の下の方に座って撮影しても良いのだ。
中庭には澁谷俊彦の「スノーパレット2」。かすかな色彩が見えるだろう。しかし大雪になったら、埋もれてしまうかもしれない。
■ギャラリーkamokamo「木村環鉛筆画小品展」。細部に魂が宿る作品群。久しぶりに作品にお目にかかったのだが、残念なことに老眼が進行。ルーペを使いながらも、見るのに苦労した。木村さん、年変わらないんだけどなあ。
■ギャラリーミヤシタ「梅沢みほ展」。作品は大きく2傾向に分かれ、ひとつは暖色中心の風景画。温かい感じ。もう一つは色彩の上に白い色を塗り重ね、さらにスクラッチすることで下地の色を見せているもの。こちらは何だかひりひりした感じがする。
天気予報は大外れで、雪は全く降らないのだが、気温が急激に下がってきたように感じる。