本日のギャラリー巡りは近美→資料館→コンチネンタル→茶廊法邑→品品法邑→エッセ→大丸→大同→たぴお→時計台→道新→ARTスペース201の12か所。明日もあると思って、妥協してしまった。
■北海道立近代美術館「森と湖の国フィンランド・デザイン」。
ヘンリー・エリクソン「H.E.セット」:非常にシャープな形でいい。
カイ・フランク「デカンタ3852」:形は日本の徳利にそっくりのガラス製デカンタ。
タピオ・ヴィルッカラ「地衣3515」:器のふちが苔のような形をしている。
アイモ・オッコリン「睡蓮」:これは灰皿なのか? 非常に美しい紫色のクリスタルガラス製品。
オイヴァ・トイッカ「オアシス」:ガラスキューブに植物をモチーフにした形を埋め込み、吹き抜けのタワー型に積んだ作品。熱帯植物園を思わせる。
ケルットゥ・ヌルミネン「バシリカ・シリーズ[春]」:金地の皿型プレートにさまざまなマークが描かれたもの。これは琳派だな。
自然をモチーフにした作品も多いが、どちらかというと全体にシャープで変な飾り付けがないので、誰しもが使ってみたくなる感じの器が多かった。展覧会に持ってこられたものばかりだから、当然センスがいいものが多いわけだが、チープな器(例えば仮面ライダー茶碗のようなもの)はフィンランドにはあるのだろうか?
■北海道立近代美術館「バラード-深井克美と人間像の画家たち」。必見。
「茶碗の中」:茶碗の中に立つ顔のない女が描かれている。
「開放」:小さなコップを伏せたコップが覆っている。「茶碗の中」と合わせて、閉そく感を感じる。
「作品1」:ムンクの「叫び」は自然の叫びにおののく人を描いたものだが、こちらは人間の内側からあふれ出る「叫び」だ。
「サイキ」:木に変身した人体のようなものが、高みにある眼(月?)に手を伸ばしている。彼の作品にはSFモチーフが多いようでもある。
「旅への誘い」:岩山の先端が二つの顔に変化している。異星風景という雰囲気あり。
「友達(1)」:人間が3つに分かれて見えるような描き方。アルミホイルに映った自画像を手本にしていたという話もあるようだが、もし人間のふるまいによって、都度違う人間の姿が感じられるのであれば、苦しかっただろうなという気もする。
しかし、近美はこんなに深井作品を所蔵していたのか。今回は実にうれしい展覧会であった。
■茶廊法邑「佐々木秀明展「雫を聴く」」。ガラスの上に水滴を落とす作品では、水が足跡状になっており偶然とはいえ面白い。天井から床を照らす2連作では、ギャラリー床の軟石模様が効果的。
■品品法邑「ダム・ダン・ライ個展」。展覧会は終了しているようだったが「どうも~」と入っていくと、1階の作品は見ることができた。さらに建物の壁がダム・ダン・ライカラーになっている。
■ギャラリーエッセ「佐々木あすか個展 -日本画と切り絵ー」。切った部分から下地をのぞかせるタイプの切り絵作品があったが、下地には複数の色がついた和紙を使っているので、色彩がとても細やか。
■ギャラリーたぴお「TEN展」。
田中季里「無題」:白い建物のような、器のような船に雨が降りそそぐ作品。いいね。
■時計台ギャラリー「森弘志の風景 2009-2013展」。
「いえ」:以前にも書いたが、2連の作品に「いえがあります」「いえがありました」という言葉を書くことで、時の流れを表現しているのだと思う。そこにいた家族は、いったいどこへ行ってしまったのだろうか。
「うみ」:しかし「うみがあります」「うみがありました」となるとどうだろうか。海があったことが遠い過去になってしまう、数百万年(億年?)の時をイメージせよということか。と、SF者は当然思うのである。