7時前に起床。少々調子が悪いかも。朝食はスープパスタ(きのこクリーム)とおにぎり1つ。今日の東京も暑いだろうなあ。ということで、新聞を読んだりダラダラしながら、9時半にホテルをチェックアウト。おいおい、仕事は? ってかい? 実は午後からイベントがあるので、午前中はずる休み(いや、普通に前半休)なのだ。
ならば、三菱一号館美術館へ行き「ヴァロットン展」を見よう。何故この展覧会を見に行くことにしたかというと、ホテルから近く、会社へも移動しやすく、なおかつ入館券を持っていると思い込んでいたからである。
入館券は「東京駅周辺美術館共通券」というやつで、東京駅近くにある5つの美術館に1回ずつ行けるという優れもの(3000円で)を使おうと思っていたのだが、実は大きな勘違いで三菱の分は既に使っていたのである。このことに気がついたのは既に入口に並んだ時だった(券を出さなくて良かった。恥をかくところだった)。
残っているのは東京ステーションギャラリーと出光美術館なのだが、まさかここから移動するのも面倒くさい。現金で1600円(高い・・・)を支払って入場。さすがに火曜日の午前中とあって、観覧者は少ないのでゆっくり見ていこう。
「帽子を持つフェリックス・ヤシンスキ」:ヴァロットンのサインがレタリングのようなデザインなのだ。
「エミール・ゾラの装飾的肖像」:ビュッフェほどではないが、輪郭線を黒く、太く描いている。
「5人の画家」:ボナール、ヴュイヤール、コッテ、ルーセル、そしてヴァロットン本人。この辺の画家と交流があったようだ。
「トルコ風呂」:アングル風でもあるが、どこか人がバラバラな雰囲気はシャヴァンヌ的でもある。
「ワルツ」:人々の浮遊感と紫の色彩、女性の満ち足りた顔はムンクを思わせる。
「肘掛椅子に座る裸婦」:緑の壁、赤い椅子と床。壁と床の間には黒のラインが入っているが、壁と椅子は緑と赤がそのまま連続している。色彩画家という印象は強い。
「ボール」:赤いボールとそれを追いかけるように駆けだす少女。夏の印象的なワンカットだ。
「マッターホルン」:三菱一号館美術館では版画を多く所有しているようだったが、マンガ調のユーモラスな感じだ。
「ユングフラウ」:これも版画。雲のなびき方に浮世絵の感じがする。
「ロワール川岸の砂原」:形が写実そのものではなく、キュビスムの香りがする。
「夕食、ランプの光」:妻と義理の子供2人とテーブルを共にする自身の姿は、手前で真っ黒なシルエットとなっている。女性関係で複雑な心境にあったらしく、実に面白いのだ。
「ポーカー」:妻の家族がポーカーをしている図なのだが、手前に大きなテーブルがあり、かなりの距離感が感じられる。しかもそのテーブルは真上から見下ろしたような角度に描いてあり、こちらに向かう楯のようにも見えるのだ。
「フェリックス・ヴァロットンのアトリエにいるマックス・ロドリーグ=アンリーク」:これも義理の息子を描いたものなのだが、温かい視線を向けているように見える。
「チェッカーをする女性たち」:娼婦だろうか。裸で暇つぶしをする図である。画の形がかなりの横長で、縦方向への圧迫感が感じられる。
「オウムと女性」:マネのオランピアを思わせる構図だ。黒猫ではなく、緑のオウムがポイントか。
「眠り」:赤の寝椅子とクッション、青の毛布、緑色の壁の中に裸体の女性がいる。無理やりの色彩は彼の特徴の一つだろう。
「秋」:正面を向いて睨みつけるかのような女性、口には緑のスカーフをくわえ、背景は赤のグラデーションになっている。どちらかと言うと「紅蓮の炎」とか「不動明王」という感じ。
「正面から見た浴女、灰色の背景」:灰色のせいか、冷たくエロさのない絵画。普通の風呂ではなく、水風呂に見えてくる。
「引き裂かれるオルフェウス」:女性6人に八つ裂きにされるオルフェウス。憎しみをあらわにしていない女性たちの顔は、進撃の巨人的怖さがある。
「グリュエリの森とムリソン峡谷」:第一次世界大戦の戦場となり、木が焼き払われた所。戦争に対する批判的な作品が何点かあった。
彼の作品以外にはモーリス・ドニ「純潔な春」という巨大作品や、三菱コレクションの景徳鎮窯の良い色彩の陶器が10点ほど展示されていた。また、彼は浮世絵に興味があったようで、かつて所蔵していた歌麿2点、国貞2点が途中に展示されていた。
ヴァロットンはテクニシャンという訳でも、独自の画風を切り開いた訳でもなさそうだが、大胆な色彩感と精神的なものがダイレクトに出てしまう作品が妙に気になる人なのであった。
中庭のアギュスタン・カルデナス「拡散する水」。
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