■ 「近代の超克」というみはてぬ夢の終焉;
・文芸・美術評論家の針生一郎さん死去=前衛芸術評論で活躍 *1
▼2009年11月12日の拙記事
今年の夏、わかった。それは1985年に出た、永井陽之助編、『二十世紀の遺産』(この800円と12,000円の差は何だ?)(文藝春秋)の、針生一郎(google)というひとの"「近代の超克」論の運命"という文章だということがわかった。
永井陽之助とわたしは、戦争中の旧制二高文化乙類の同級生で、しかも二人だけ結核のため留年し、学徒出陣も工場動員もまぬがれた。サイパン島玉砕のとき、全校決起集会があると聞いて、療養中のわたしが出かけると永井もきており、二人あいついで発言する破目になった。もっとも、当時永井はハウスホーファーなどの地政学に共鳴し、わたしは日本浪漫派に傾倒していたから、どちらも右翼的にしろ発言内容は対照的だった。あれから四十年余すぎて、二人の立場は大きくかけ離れたともみえるが、どちらも本質は変わらず、あの夜の発言の差異を拡大してきただけかもしれない。わたし自身をふりかえると、「近代の超克」という課題が、みはてぬ夢のように一貫しているのに気づく。
それにしても、丸木絵画マニアは、やっぱ、マルキストっていうんだろうか?
スチャダラパー「後者-The Latter-」rimix by DJばりK~ん
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戦後の前衛芸術批評をリードし、原爆の図丸木美術館(埼玉県)館長としても知られる文芸・美術評論家の針生一郎(はりう・いちろう)さんが26日午後0時2分、急性心不全のため川崎市の病院で死去した。84歳だった。仙台市出身。葬儀は6月1日午前10時30分から川崎市多摩区南生田8の1の1の春秋苑白蓮華堂で。喪主は長男徹(とおる)さん。 東北大文学部卒業後、東大大学院で美学を学んだ。ダダイズムやシュールレアリスムなど前衛芸術への関心を高め、文芸評論家の花田清輝や美術家の岡本太郎らと交流。美術のほか文芸、社会評論で活躍し、美術評論家連盟会長も務めた。金津創作の森(福井県)館長、和光大名誉教授。著書に「修羅の画家」「戦後美術盛衰史」「三里塚の思想」など。 (2010/05/26-22:13)