▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第332週
■ 今週の武相境斜面
■ 今週の草木花実
■ 今週の後ろ姿
京急東神奈川駅。 だるまの後ろ姿と思われる。 安全祈願で、無事故を1年間達成すると、目を入れるのだろうか?
■ 今週の「戦略的」
趙氏は特に日本を名指しし、「喜んで米国の戦略的属国となり、信義に背いて中日関係を破壊した。オオカミを部屋に引き入れ、この地域全体の利益を売り渡した。見下げたやり方だ」と非難した。近年では異例の激しい対日批判は、日米が安全保障面での結束を強めることへのいらだちの表れとみられる。 (google)
日本が米国の従属国であることは4年前に米国副大統領(当時)、現大統領が言明している;
↑ これ嘘訳だと、今、知る。 ↓ 核武装阻止のための憲法と言明している;
西村幸裕さん提供動画原本(訳は西村だが原音は聞こえる)[https://www.youtube.com/watch?v=J3ezjsG_GCM の40分あたり]。バイデンは、日本が原子力保有国にならないように、我々が憲法を書いたことを彼(トランプ)は理解しないのか? = Does he not understand we wrote Japan's Constitution to say that they could not be a nuclear power? と云っている。 nuclear powerの意味は直訳では原子力だが、現在日本が発電用のnuclear powerを現に保有しているのだから、バイデンの云っているのは核兵器のことだろう。a nuclear power = powerが可算名詞扱い(a が"ついている")。a power = 権力者; a nuclear power = 核(兵器)保有者 の意味。
日本が米国の「従属国」であることは真実である。ただし、「従属国」という言葉は必ずしも正確な学術的用語ではないので、あいあまいだ。端的に「保護国」(protectorate)[wiki]といえばいい。日本が米国の保護国である法的根拠は現行(マ元)憲法だ。日本は交戦権を否定され軍隊も禁じられている。したがって、安全保障を他国に頼るしかなく、その「他国」が憲法制定時に日本を占領していた(名目上戦勝国・GHQだが、事実上一強国の)米国だ。それ以来日本にはずーっと「オオカミ」がいるのだ。そして、「オオカミ」は日本の再軍備を阻止し続けているのだ。米中露鮮の核兵器に囲まれての再軍備は核武装が当然。
むしろ、「オオカミ」と野合したのは中共だ。戦略的 (!) 野合だ。「オオカミ」さん、ずっと日本にいて、我らが中共に攻め込んでくるのを抑えてくださいと懇願したのだ。
これだ;
さらには、そもそも「オオカミを部屋に引き入れ、大日本帝国を打倒したのは中共である」;
毛沢東とパトリック・ジェイ・ハーリー [wiki]
上のwikiより。 1972年と1944年で中共の面子(毛沢東、周恩来)が変わってないというのがすごい。
我々東夷の倭国は毛沢東さまを先達として見習っているのだ;平成の毛沢東主義者!
▼ それにしても、「戦略的従属国」という言葉は味わい深い。たとえば、「戦略的忍耐」という言葉があった。すなわち、オバマ大統領時代の米国の対中政策だ。その意味は、本当は中国には忍耐ではなく積極的制裁外交をすべきであるが、あえて耐えて相手の態度が米国の意に添うように待つということだ。つまり、戦略的と付けるのは理想ではないがあえてやるということの隠語である。この「"戦略的"忍耐」という言葉で、米国内の対中強硬派に対し、オバマは自分は自覚的にわざと対中宥和を不本意ながらやっているのだよと表明していたのだ。
そこで、「戦略的従属国」という言葉を見直すと、日本は本来米国に従属してはいけない独立国であるはずではあるが、自覚的にわざとあえて米国の従属国という役目を演じているとも解釈できる。 これはどういう意図か? こう考えればよいのではないか。
日本国内親中派へのメッセージである。現行の米国の対中強硬策に賛同する勢力は日本本来の勢力ではない。あくまで、自覚的にわざとあえて米国の従属国という役目を演じているはずだ。将来、中共の日本支配の時に、「戦略的従属国」派狩りが行われ、日本国内親中派は本来的日本=本質的対中従属国として生きる道の提示だ。そのためには、2021年の時点で、「戦略的従属国」派ではないということの表明を日本国内親中派は求められているのだ。その昔、中共が日本軍国主義者と日本人民を分けたように。
戦狼外交の趙立堅から オオカミを部屋に引き入れ、この地域全体の利益を売り渡した。 といわれた今週の日本であった。
■ 今週のレコンキスタ史跡探訪; 古都で出くわした「オオカミ」の住処跡地
愚ブログには「レコンキスタ史跡探訪」というシリーズ(?)がある。 今週、京都に観光に行った。別に事前に知っていたわけでもなく、意識していたわでもないのに、行った場所がレコンキスタ史跡だった。
京都府立植物園 楠の並樹。
園内の植物園会館という建物があり、中に入りると、植物園の沿革、歴史が示されていた。いきなり、米軍住宅。
1946年(昭和21年)から12年間は連合国軍に接収され閉園を余儀なくされた (wiki)
練兵場だった例(関連愚記事群)、畑をつぶした例、牧場だった例(愚記事)は知っていたが、植物園の樹木を切り倒して米軍住宅の例は初めて。
占領下の航空写真を見てみた。
現在の航空写真と比較して園内のどこが切り開かれたのがわかる。
ネットでこの京都の米軍住宅についてググったが、ワシントンハイツと比べてはもちろん、札幌のCamp Crawford Dependent-housing area よりすぐには見つけられなかった(理由は進駐師団の情報など検索ワードが貧弱なせいではあるが)。一方、こういうのを見つけた。おそらく、戦勝国の京都派遣・駐在は、軍人へのご褒美的要素もあったのだろう。
連合国軍による日本占領が1945年8月終わりに開始されてから、早くも9月21日には、京都に占領軍の調査班が入り、同25日には連合国軍第6軍が進駐を開始しています。占領軍は次々と市内の建築物の接収を開始し、大建ビル(現KOKON KARASUMA)に司令部が設置されます。また、植物園は、占領軍の家族用住宅地となったほか、第一赤十字病院も占領軍用病院として接収されるなど、官民問わず多くの施設が占領軍施設、あるいは関連する娯楽施設として用いられました。本資料で描かれる京都は、伝統的な名所、観光地と同時に、こうした占領軍にとって関係の深い建物が多く含まれており、「占領者の目から見た京都」がいかなるものであったかを垣間見ることができます。(青羽古書店 目録 アメリカ陸軍第1軍団 公人訪問連絡部 (便利堂)(GHQ) 『京都とその近郊の旅』)
実は、以前からこの本の存在は知っていた。老後にでも見ようと思っていた。おそらくこの本には府立植物園の占領軍住宅についても書いてあるのだろう。まさか、今度の京都旅行で、心の準備もなしに出くわすとは思わなかった。もっとも、遺構的なものは確認できなかった。なお、京都と札幌はB29が"来なかった"街である。
■ 今週の有電鉄線
有刺鉄線はオフリミットの象徴だ。この画像の鉄線には棘がない。なので、正確には有刺鉄線ではないのだが、電気が流れるらしい。
こんな排他的場所に入った。 絶景だった。
修学院離宮、上離宮
■ 今週の昭和の成仏のために
万博公園。モノレールから。 モノレールで太陽の塔をみて、ガキのように騒いでいるのは、おいらひとりだ。50過ぎて大丈夫か!?と思う。でも、当地のがきんちょは生まれながらに太陽の塔が目に入って育つのだ。当然の前提なのだ。
ロバのパン。 人々の記憶に残っているロバのパン屋は、株式会社ビタミンパン連鎖店本部という、京都市に本社を置く蒸しパンの行商を行なっていたチェーン店 (wiki)
札幌発祥と初めて知った (最初にロバを用いてパンを販売したのは、石上寿夫が札幌市で起業したロバパン石上商店である。1931年(昭和6年))(wiki)。
■ 今週の落とし物
京都市南禅寺付近
■ 今週の「何事にも、先達あらまほしき事なり」;有朋の芝好き
無鄰菴は3度目。1度目は2006年、2度目は2016年。そして、今年3度目。京都市の所有だが、管理を委託しているらしい。そして、管理会社が変わったらしい。まずは、ネットで事前予約、前払いだった。行くと、一度靴を脱いで家屋に上がり、(希望があれば1時間に1度の)説明を受けて、再び靴を履いて庭に出られる。これは以前と違う。以前は家屋への上がりは茶を飲むなど希望者だけで、入園後靴を脱ぐ必要はなかった。
さて、今回説明を受けて無鄰菴のこの庭の地面が芝として造園されたと知った。山縣有朋の好みであったとのこと。さらには、有朋は「苔は嫌いだ」と云っていたと説明の人は教えてくれた。そこで、「現在、この無鄰菴の庭では苔が繁茂しているのでは?」とおいらがお尋ねすると、有朋は「それもまた自然」と容認したとのお答え。知らなかった。「何事にも先達あらまほしき事なり」(どんな些細なことにも指導してくれる人は欲しいものだ)。
日本での反政府集団どころか、毛利家においてさえ反体制少数派であった青年暴力集団(指導者;高杉晋作)において、文字通り槍働きからはじめて、藩内闘争、対政府(徳川幕府)戦争、戊辰戦争、西南戦争と「日本人」を殺しまく った山縣有朋は、高杉晋作や伊藤博文と違って、苔のむすまで生き延びたこととなる。
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