■ 今週の看猫
■ 今週の武相境斜面
まだ、桜は残っています。
■ 今週のメタセコイア
■ 今週の草木花
■ 今週のレコンキスタ(失地回復)の確認、あるいは、ずっと「こどもの国」で...。
画像はAFPニュースより。天皇・皇后両陛下 ゆかりの地「こどもの国」へ (google)。
天皇・皇后両陛下が訪れた「こどもの国」は1965年(昭和40年)に開園。ただし、造成は1962年に始まり、もっと云えば、その準備はそれ以前からなされていた。そもそも敗戦前、現「こどもの国」は日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設(陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所)であった(wiki)。そして、戦後は米軍に接収され、朝鮮戦争(1950-1953)中は活発に稼働した。
講和条約後の1957年の神奈川県の米軍基地面積は38,251千平米(38,251,000平米)[1]。安保条約改定の1960年は27,978千平米となった[1]。現在(2009年)の神奈川県の米軍基地面積は20,839平米[1]なので、1/3しか減ってない [X]。
[X] でも、沖縄の約1/10か。沖縄県の米軍基地面積は229,921千平米(2015年)[2]。
この現「こどもの国」と比較できるのが(同じく多摩丘陵にある)稲城の旧日本陸軍多摩 火薬製造所であり、戦後米軍に接収され、現在でもレクレーション施設として米軍に管理されている[3]。つまりは、未だに失地回復できていない。
すなわち、「こどもの国」は米軍から返してもらえた土地ということになる。この返還交渉での米軍への説得は、"皇室が「こどもの国」にするから"との論理でなされた(らしい)[4]。「こどもの国」設立の計画が1959年で、米軍からの返還が1966年。翌年に起工。明仁皇太子は造成地訪問。
出典:天皇陛下とこどもの国
つまり、立川基地⇒昭和記念公園(関連愚記事:国営昭和記念公園 参り 2018)など米軍からの返還地は(皇室関連)「公園」にするという戦後の皇室流儀 [α] の嚆矢となるのではないかとおいらは睨んでいる。すなわち、米軍はそもそも基地を返したくないし、たとえ返すとしても、「日本軍」の基地としての利用を忌避したのではないか。
「こどもの国」の設計は、浅田孝(wiki)。建設コンセプトについては、「浅田孝の子供に対する環境開発の手法に関する研究 」という論文がある。
報道によれば明仁天皇の「こどもの国」来訪は今回で11回目とのこと(皇后陛下は14回目)。これは明仁天皇の「こどもの国」への"思い入れ"を示す。計画当初から自らが携わった事業だからだ。
マッカーサーの呪い
明仁天皇は靖国神社に御親拝せず譲位しそうである。「こどもの国」へは11回行ったのに[A]。われらネトウヨ絶望!である。そしてわれらウヨ脳は気づくのだ。マッカーサーは云った;「日本人はまだ生徒の段階で、まだ12歳の少年である」と。そして、明仁天皇は1933年生まれだから(wiki)、敗戦時12歳なのだ。
平成の御代も終わるのに、日本は未だマッカーサー憲法を戴き、米軍に安全を依存している。もちろん、これこそが「こどもの国」にほかならない。日本は「こどもの国」であれ!という呪いが解けないのだ。子供が減っているのに。
ところで、35年前、"日本は「こどもの国」であれ!" という呪いに自縛している人もいると西部邁は云っている;
西部 浅田君なんか、スキゾキッズというでしょう。自分のことを坊やだというわけです。僕はね、おそらくキッドであることをやめようと思ったのは、小学校六年の卒業式だから、十三ですか。かなり深い記憶がある。[5]
ここでの「浅田君」とは浅田彰(wiki)であり、彼自身云っている;
奇妙な老成と温室育ちの幼さを兼ね備えたかに見える彼らの間でこんなことを考えていると、自分だけが成熟しそこなった小うるさいガキのように思えてくる。ますますつのる違和感。[6]
でも、こども、ガキは御本人さまだけとのこと。やはり、「こどもの国」は理想的な場所で特権的な少数者の国ということか。浅田彰さまにとって日本は「土人の国」なのだから。
とまれ、米朝中露と核武装国家に囲まれて、どうするのでしょうか? 令和の日本。
[1] 『米軍基地と神奈川県』、栗田尚弥、有隣新書、2012
[2] https://www.pref.okinawa.jp/site/kankyo/seisaku/kichikankyo/documents/guideline_02_chapter02.pdf
[3] http://www5b.biglobe.ne.jp/~a-uchi/haibutu/index4m.html
[4] 後日、根拠を示したい。
[5] 『対談 大衆論』、西部邁、富岡多恵子、草思社、1984
[6] 『構造と力』、浅田彰、1983
[A] 敗戦時、陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所の長である軍人は、妻と、所内で自害したとのこと(『田奈の森―学徒勤労動員の記』 (Amazon))。まさか、天皇陛下がしばしば来るので、あの世で驚いているだろう。
[α] 「武器を楽器へ」と唱えた喜納昌吉の影響を受けた(???!!!)「基地を公園へ」の思想。
■ 今週の100年
ニュースで、韓国臨時政府 100年 (google)、って云っていた。 すなわち、1919年4月11日、「大韓民国臨時憲章(朝鮮語版)」を採択し「大韓民国は民主共和制とすること」と規定した(wiki)、に由来するとのこと。場所は上海。 そういえば、おいらは、この「臨時政府」を、通りがかりで、見たことがあるなと思い出し、デジカメ画像を探した。2012年の上海参りでのこと。その画像を貼る;
停車しているバンの鼻先の白い玄関。
でも、今、ネットで見ると、臨時政府は赤レンガの建物。⇒ google画像 。
違いの原因は不明。推測するに、白い玄関の向かって左の小路を入っていくとあるのだろう。
<まとめ> コリアンにとっての<神武天皇陵>は上海にあるのだ。
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