いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第397週

2022年06月25日 18時17分07秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第397週

■ 今週気付いたこと;砂漠の植物と砂漠の動物

猫は砂漠の動物だと知っていた。でも、知ったのは2008年だ。今週知った、ぶどうも砂漠の産物だと。耶蘇の書にかいてあるらしい;「わたしはぶどう園を与え 苦悩の谷を希望の門として与える」と。そして、その場所とは、パレスチナの岩石砂漠の荒野なのだ。猫とぶどうはうれしいが、苦悩は遠慮したい。たとえ希望への入り口だとしても。

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の頂き物

枇杷: 常陸野 産。

■ 今週の季節外れ、で半額

餅部が薄い。本当に、餡がずっしり。

「ヤマザキ」がひらがなになっている。Google [ずっしり道明寺]

■ 今週の記念日

朝鮮戦争勃発72年。1950年6月25日早朝、北鮮軍はソ連製T34戦車を繰り出し南鮮に侵攻。(朝鮮戦争70年関連記事

毎年、この日は来るが、今年は特別だ。なぜなら、ロシアは隣国・ウクライナに侵攻し、国連では中露が北朝鮮のために拒否権を発動し擁護した。核武装三国に日本は直面している。朝鮮戦争の時は、中共は核武装もしていなければ、台湾進攻の実力もなかった。一方、北朝鮮領内から米軍虎の子の2大軍団、第一騎兵師団と第一海兵師団を追い払った。ただし、中共は数万単位の戦死者。

朝鮮戦争の時と大違いで、中朝露共に核ミサイルを持っている。日本を瞬時に壊滅できる。朝鮮戦争の時は、日本の基地からの米空軍の爆撃機に北朝鮮はやられ放題だった。今では、軍事情勢が全く違う。

■ 今週借りて読んでる本

 『驚いた花』、人文書院、1980年、 『境に居て』、講談社、1994年

この2冊は小説ではなくエッセイ。高橋たか子の1980年代の10年間の滞仏修道生活前後のエッセイ。従って、修道生活に入る前の事情と心境と出た後、修道を全うできなかった自分についての事情・心境が読める。

▼ 『驚いた花』、人文書院、1980年

事実上作家活動を辞めてフランスに行く直前に書かれた文章を集めた本。高橋たか子は1975年にカトリックになった。京大の仏文出身で、のちの書くに、自分はフランス人として生まれて来るべきであったのに、現実としては日本に生まれてしまったとの認識。若い頃からフランス志向。離日志向、特に出身地の京都への忌避感をもつ。この本は1)そんな高橋たか子のヨーロッパの芸術、絵画、文学への感想・評論、2)当時は珍しかったヨーロッパ旅行の思い出、3)なぜキリスト教徒になったか、あるいは、日本社会分析、批判についての文章から成。

高橋たか子にとってのキリスト教は、カトリックとなってヨーロッパに入り込んでいくという認識。なお、高橋たか子は生涯にわたるエッセイで、普通の人なら連想する;フランス=革命;近代;王殺し;民主;平等;科学;産業;物質文明による暖衣飽食、あるいは植民地主義...には一切言及したことがないし、これらの事項を価値として賞賛したことはない。

しかし、高橋たか子はヨーロッパ、日本と比較して、人間がいて(!)、「偉大」であると繰り返し賞賛する。その理由は前述の近代的価値ではない。つまり、耶蘇(キリスト教)なのだ。

『驚いた花』より

高橋たか子にとってカトリックとは何か?

 私が、カトリックになったについて、カトリックのことに無縁な多くの人々は、私が清廉潔白な人に変わってしまったように思うかも知れない。すくなくとも、清廉潔白な人になるべく努力をしていると思うかもしれない。現に私自身も、二十代の頃からカトリックになろうかどうかと思い続けていて、どうしてもなれないでいたのは、清廉潔白で悩みのない立派な人になるのが厭だったからである。だが、カトリックになるということは、そういうイメージのものでは全然ないのである。そのことがわかったから、私をカトリックになる決心をがついたのであった 。
 私はこれまでと同じようにあいかわらずデカダンだし、デカダンスということが何よりも好きである。プラス無限大の存在があるならば(それを信じるならば)、自分の内部のマイナス無限大でさえ凝視することができるだろう。そんな自由がむしろ与えられた 。(1977年の文章、「なぜカトリックになったか」、高橋たか子、『驚いた花』)

デカダン、つまり頽廃についてはこの本の別の文章で言及されている。「頽廃的会話」という文章で澁澤龍彦とフランスのマゾヒズムの本を見てのこと;

「私はこれがいいわ、これになりたいわ」
と言って、私は別なページの図を示す。
 そこには、全裸の女が、階段の二階から1階へと降りている手摺の上に、両脚をひらいてまたがっている。手摺は鋸で出来ていて鋸の歯が上向きになっている。だから、女が上から滑ってくると、下に着く頃にはまっぷたつになっているだろうという予想が、図には含まれている。 (1980年の文章、高橋たか子、『驚いた花』)

神聖か頽廃か知らないが、高橋たか子のこの趣味は耶蘇では王道かもしれない、なぜなら、これが耶蘇絵画であるので;


ドゥーロの礼拝堂の祭壇板絵- 聖キルクと聖ジュリッタの殉教 (愚記事より)

▼『境に居て』、講談社、1994年

『境に居て』は中の「修道院を後にして」という題の文章があるように、1990年5月に修道女を辞めた後の著作。1994年、講談社から『高橋たか子自選小説集 全四巻』が刊行された。その小説集の各巻には回顧エッセイが掲載。その回顧エッセイを書いた時に別途思い出されたことの文章から成るのがこの本。書下ろしらしい。各作品についての執筆動機、プロットの由来、あるいは、当時の交遊関係と旧い友人の思い出などがが書かれている。

なぜカトリックになったのかについての説明のひとつとして、元来虚無であったことが根本原因らしい。一方、その虚無を充填するためにカトリックになったとも明言していない;

この世で何も信じていなかった私、物心ついて以来、まったく何も、自分も他人も、すべてのこの世的価値も、一切(一対一の男女の愛以外の一切、と言いなおそう)を信じていなかった私の虚無そのものを、私は鳥居哲代に託した」

もしそうであるなら、カトリックとならず、一生愛欲に耽る人生を全うする人生も有りえたことを示す。でも実際はそうではなったのだから、論理的説明が必要となる。

高橋たか子は男女間の愛欲と神への愛との間の関係に独自の見解があるらしく、この件で井上洋治神父と意見の相違があったとどこかに書いてあった。そして、男女間の愛は日本とは違うと主張する;

 昔、ヨーロッパ体験のる人々と、こんな話をしたことがある ーヨーロッパでは男と女がくっきりと向き合うのにたいして、日本では勤務先とか遊びの集いとかで、誰か男性が女性たちにチャラチャラしたことを言うと、女性たちがいっしょにヒャアとかキャアとか嬌声をたてる。このことはとてもシンボリックである云々。 
 一対一の男女が存在全体で向き合うところに男女の愛が成長するというのに。そして、存在全体で向き合うためには、その人のペルソナが成熟していなければならない。或るいは、向き合って存在全体の中身お互いに影響され会うことで、ペルソナがいっそう成熟する、と答えるだろう。
 
この、存在全体で向き合うことが分かっていなければ、神との関係も曖昧になってしまう。まさに、存在全体で神と向き合うところに、キリスト者の「愛」があるのだから。

(中略)

 たとえば世間の生において、男女の愛をとことんまで体験しなかった男の人たちや女の人たちが、老年になってもあいまいな性の波動に動かされているように、キリスト者においても、さっきの例のごとくチャラチャラとかヒャアとかキャアといったー ヨーロッパにはこんなことはまったくないー 根本において解脱しきれていないものが、いついつまでも残っていて、本人は気づかずにいる、ということもありうるのである 。

なぜカトリックになったのかについての説明のもうひとつとして、ヨーロッパを理解したい願望があると再三書いている;

 私がフランスへ行ってしまった、はっきり言える理由の一つとして、ヨーロッパで人々が生きているとおりのキリスト教を知りたいという思いがあったことも、他のところで書いたとおりである。

なぜカトリックになったのかについての説明のさらなるものとして、現実への違和感、つまりは日本への不満がある;

 日本じゅうが「虚」になってきた、思う。とてもそのことが息ぐるしかったので、一九八〇年九月に日本を離れる気になったのだろう。

1980年にフランスで修道生活をするために離日したことは、高橋たか子の脱出願望であり、端的に書いてある;

 それは、脱出の姿勢である。
 この世にあるものへの否定と、何処かへ向けての脱出。
 私が文学部の卒論にボードレールを選んだのも、彼の中にモノマニアックに歌われているそのことが、私の魂に共振したからであろう。その頃、現在ほどはっきり意識化しなかったけれど、意識化か否かを超えたところで、若い時の若い魂が生涯のテーマを見つけてしまうらしい、と振り返って思うのである。暗雲たれこめる、果てしなく退屈な、この世の地平の光景。この世的でない男女の愛の、燃えさかる炎と、同時に懊悩。神と悪魔と、人間。彼方、何処か、有りえない東方の国への、旅の夢、繰り返し繰り返し歌われる旅の夢。この人たちのうち、ランボーは実際に脱出して行ってしまった。ジッドだって、同性の愛人とともに、南へ南へと出ていった(自分の国を出るということは、その頃、誰でも気軽に外国旅行に出かける今日とは、まったく次元の異なることである)。ヴェルレーヌは神へと傾いていった。プルーストは記憶の奥へ奥へと脱出して行った。マラルメとかヴァレリーは、もしかしたらもう内的に脱出して閉まっているところで書いていたのかもしれない 。



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