大分県の大分市と別府市に行った。まず、大分市に行く。大分県立美術館(OPAM:Oita Prefectural Art Museum)のダリ展を見にいくためだ。JR日豊本線で南下し、大分に向かった。
1.JR大分駅、2.大分銀行 赤レンガ館、3.若草公園、4.大道入口、5.OPAM 大分県立美術館、6.中央町2(寿司ろばた、八條)
■ 日豊線で北九州市から大分市へ
■ 1.JR大分駅
ぶんぶん童子:ミツバチの子 ぶんぶん童子は、大分県の分(ぶん)と豊後の豊(ぶん)にちなんだ「ぶんぶん号」の安全と子どもたちの笑顔と幸せを見守っています。(google)
大分駅前のクスノキ(google)。
■ 2.大分銀行「赤レンガ館」
1913年(大正2年)、旧二十三銀行本店として建てられた大分銀行「赤レンガ館」。 東京駅なども手掛けた辰野金吾氏による設計で国の登録有形文化財にも指定されています。 2018年には、外観や内装の一部を改装し、美しいルネサンス様式の歴史ある建物が一層魅力的に生まれ変わりました。(web site)
辰野金吾だ。なお、大分市は磯崎新の出身地で、「作品」がたくさんある➡大分市内の磯崎建築を紹介します
大分銀行「赤レンガ館」は、敗戦前は大分貯蓄銀行であり、大分空襲で市街は焼け野原となるも、同銀行の赤レンガ外壁は残る。
大分貯蓄銀行:大分市貯蓄銀行は大工町の西北角にあり正面玄関は竹町の面していた。向いは一丸百貨店で、一丸も焼け落ちた。建物は2階建て、483㎡の総床面積をもっていた。10mの軒高があり、43㎝の暑さの耐火レンガの外壁で覆われていた。内部には金庫があり、その扉は火災でひどく歪んだが、その内部と内容物は被害を受けなかった。主要な建物の大部分は外壁を残して完全に燃え尽きた。外壁は構造的な損害を受けなかった。この建物に火災を起こしたのは直撃弾であった。入り口から内部の様子が少し見えるが、完全に破壊されているのが伺われる。(米軍資料の写真で見る大分市の空襲)
■ 3.若草公園
公園内には、国鉄C55形蒸気機関車が静態保存されている。この蒸気機関車は1937年(昭和12年)に製造されたもので、1971年(昭和46年)まで主に日豊本線で旅客列車に使用されていた。1972年(昭和47年)に大分鉄道管理局から大分市に無償で貸与され、大分駅からの約700mを仮設線路を敷いて一晩かけて公園まで移動[7]。4月11日から展示された[8]。大分市内の小中学生から募集して、戦国時代の豊後国の大名大友義鎮(宗麟)に因む「そうりん号」という名称が付けられている(wiki)
■ ➡ 4.大道入口
■ 4.大道入口
■ 5.OPAM 大分県立美術館
生誕120周年 サルバドール・ダリ ―天才の秘密― (google)
ダリの生誕120周年、シュルレアリスム宣言100年の記念すべき節目に開催する本展は、世界屈指のダリ・コレクションを誇る諸橋近代美術館の所蔵品を中心にダリの生涯を概観し、ダリの渡米以降の活動にも注目します。ダリが私たち観衆に魅せた「シュルレアリスト・ダリ」とその背景にある「人間・ダリ」の複雑で繊細な内面を探り、世界中で愛されている サルバドール・ダリがいかなる芸術家であったのか、ダリの油彩、素描、 版画、彫刻のほか、シュルレアリスムの作家の作品群から明らかにします。作品約70件と関連資料を展示いたします。(Opam web site)
ダリとはいかなる芸術家であったのか。
「シュルレアリスト・ダリ」とその背景にある
「人間・ダリ」の複雑で繊細な内面から天才の秘密を探ります。
サルバドール・ダリ(1904-1989)生誕120周年、シュルレアリスム宣言100年の記念すべき節目に開催する本展は、世界屈指のダリ・コレクションを誇る諸橋近代美術館の所蔵品を中心にダリの生涯を概観し、ダリの渡米以降の活動に注目します。ダリが私たち観衆に魅せた「シュルレアリスト・ダリ」とその背景にある「人間・ダリ」の複雑で繊細な内面を探り、世界中で愛されているダリがいかなる芸術家であったのか、ダリの油彩、素描、版画、彫刻のほか、ミロやマグリットなどシュルレアリスムの作家の作品などから、ダリの多様な側面を明らかにいたします。作品約70件と関連資料を展示いたします。 (Opam web site)
▼ ダリ展
下段はダリの作品ではない。下段左:ジョルジオ・デ・キリコ《イタリア広場》1914年
▼ 2階へ
美術家たちは自らの心の中で作り出したイメージを様々な手法で表現しています。江戸時代の南画家たちは、見ることのできない中国の仙境を心の中でイメージを膨らませながら描き出しました。近代に入ると眼に見える世界を超越した心の内面を表現しようとする美術家たちがあらわれます。日本画家・髙山辰雄は、自然と人間とのつながりや、生命の不思議に思いをめぐらせ、その思念の先に紡ぎ出した象徴的なイメージを通じて独自の画境を切り拓きました。洋画家・糸園和三郎は、シュルレアリスムを創作の起点として、静謐な心象風景の中に、現代に生きる人々の不安や孤独を詩情豊かに描き出しました。
本展は「生誕120 周年 サルバドール・ダリ」展の開催にあわせて、大分県立美術館のコレクションより人間の心の内面を写し出した作品を紹介します。(Opam web site)
糸園和三郎《鳥と青年》1959年 田口壮《季節の停止》1938年
■ 県立美術館から駅へ戻る。途中、中央町でお昼ごはん。
■ 6.中央町2(寿司ろばた、八條)
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■ 大分駅に戻る
大友宗麟像。大友宗麟の名前は知っていたが、大分とは知らなかった。そして、家に帰り調べると、やはり、やばい人だった;
大友宗麟の野望は、日向国の全領民をキリスト教徒に改宗させ、ポルトガルの法律と制度を導入してキリスト教の理想郷を建設することで、宣教師たちの言いなりになって現地の神社仏閣を焼き尽くしました。
島原半島南部を支配していた小領主の有馬晴信(大村純忠の甥)は、龍造寺隆信に圧迫されると、イエズス会からの支援を得るために洗礼を受け、キリスト教徒となりました。
軍事力を強化して和睦に成功すると、宣教師の求めるままに、家臣・領民の入信に加えて、40か所以上の神社仏閣を破壊したばかりか、領内の未婚の少年少女を捉えて奴隷として献上し、さらに浦上の地まで差し出してしまいました。 (1571年「日本人奴隷の買い付け禁止令」が出されたほどの悲惨な歴史)
大友宗麟自身が日本人を奴隷として売ったかは書いていない。ただし、耶蘇となってのちの奴隷貿易をする耶蘇・毛唐の活躍の端緒をつくったらしい。
皮むき冷凍みかん(google)。 JX金属は佐賀関に精錬所があると知る(web site)
■ まとめ
通過街
大分市 要町、末広町、中央町、寿町