いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第398週

2022年07月02日 18時01分19秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第398週

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エンガティナー(google) 胡桃とキャラメルを生地で挟んで焼いたものらしい

■ 今週借りて読んだ本


表紙、フィリッピーノ・リッピ、「聖ベルナルドの幻視

高橋たか子、『過ぎ行く人たち』。2009年刊行。刊行元は、女子パウロ会。これは高橋たか子の最後のフィクションの作品。本人流に云えば「フィクションの形の霊的著作」であろうか。

あらすじ。 

1968年、1940年生まれの女性「私」が28歳でノルウエーに旅をする。そこで8歳の音楽少年「ブノワ」と出会う。少年は将来は哲学者になりたいという。1978年、「私」はパリに行く。「私」はカトリックである。聖ジェルマン・デ・プレ教会で聖職者となった青年ブノアと再会する。声をかけられず、いあわせた老婆から話しかけられカードを渡される。そこにはソレムと書かれていた。1979年、パリ再訪。さらにソレムに向かう。宿の引き出しにおき忘れられた写真を見つける。ブノアとその家族と「私」が思う写真だった。大修道院の神父と面会し霊的指導を受ける。「私」はブノワを探している。1982年、再訪仏。まずパリ。そして、今度はサン・ネクテールからコンクへ。「私」は<無意識層>の中で4歳のブノワと出会う。ローマ帝国時代以来の民族衝突、戦争、混血がヨーロッパの本質(しかもその優位性、偉大性)という考えを4歳ブノワに語らせる。南下してルルドへ行くこととする。まず、コンクで出会った中年男性の出身地のロデスへ行く。ロデスで中年男性の母親(老婆)と会う。この母息子(おやこ)に「私」はフランス賛美の辞を盛んに述べる。その息子は司祭であったとわかる。司祭の母親の家で会った初老の男の娘がパリの精神病院で交通事故死したと知る。1983年パリ再訪。パリの精神病院サン・タンヌへ行き、医師ミロブスキーと対話する。無意識について話すため。「私」の持論は、自分の中の無意識層には他の人々がいて自分の経験を越えて他人の人生の痕跡を共有している。だから、既視感がある。「私」の心の中に「すべて/世界」がある。医師は、精神病院の患者たちを「過ぎ行く人たち」といい、「私」は「なつかしい人々」という。その医師から小説『アムール』をもらう。その小説の女主人公は少年を連れた男性と出会い、過去に会しあった仲だと考える。1985-1986年、再訪仏。サントに行く。夜中のバスでトゥールーズへと行き、聖母出現地ルルドへ。そこでソレムで見た家族写真のブノワの父親に似た男と会う。お互いかつて("前世"で)愛し合っていたと確認、深く理解しあう。ふたりでブノワを探すドライブをする。どこか見知らぬ場所に行くような気がする。(1940年生まれなのに、60歳となっている)

『過ぎ行く人たち』の舞台の位置

■ 離「自国」願望とフランス(ヨーロッパ)賛美

「私」の国籍は書かれていない。この作品の文章は日本語で書かれ、文章中に「日本語ではこういう」とあるところもある。しかし、「私」が日本人とは書かれていない。ただ、「西洋人ではない顔をもつ」人と書かれている。出身国は「自分の国」である。

自分の国を忘れたいから、(中略)自分の国とは、どういうわけか、精神的において合わないのです。
「フランスは、お好きですか。そのように見てとれますので」
「そうです、そうです、最愛の国です」
「どこが、いい、と思いますか」
「強烈で、しかも、醒めている」
「たしかに、でも・・・・」
強烈というのも、いろいろありますね。暴力などが、そう。あの、繰り返されてきた、さまざまな戦争のことは、よくよく知っています。でも、どう言えばいいのか、強烈なエネルギーが内在し、かつ、それを制御することを可能とする、本能的な頭のよさが、フランス人にはありますね。明晰な、頭のはたらきが。そのすべてが、私には快い
フランス絶賛ですね」 (P85-86)

■ ヨーロッパ理解;戦争と混血による民族性の卓越化

ここに住んでいたガロ・ローマ人と、東からライン河を越えて、どっと侵略してきたゲルマン人との、戦争。でも問題は、戦争の被害があったという相のことだけではない。ゲルマン人の一族であるフランク人が、住みつくようになり、そうして、そのフランク人と元のガロ・ローマ人とが、男女の交わりをとおして混交して子孫を残していき、それが(それの一部が)フランス人というものを形成していった、という事実。

 ふと、私がたびたび呟いてきた「過ぎ行く人たち」という言葉が、口から出る。
 古代ローマ人が、この地を行き過ぎ、あと、ガロ・ローマ人とゲルマン民族の一族としてのフランク族との結合を通して成ったフランス人が、やはり何世代にもわたって、この地を過ぎ行き、そうして、或る時期(十一、十二世紀)以降、今日のフランス人が、代々、変わりつつ、住んできた、この土地。
 ユーラシア大陸という巨大な地帯なので、戦乱や侵略をとおしてだが、いろんな人種が、土地を、時代を、過ぎ行く、ということをしつつ、何かの種まきが行われていって、現代を豊かなものとしている、そんな場所のうちの一つ、としての、このサント。(p152-153)

高橋たか子は『過ぎ行く人たち』においても、そして生涯の著作でも、繰り返しこのヨーロッパでの戦乱と混血について書いている。戦乱と混血とは、つまり、殺人と姦淫であり、キリスト教で、あるいは世界中のあらゆる宗教、習俗で、禁じられている大原則である。その最大罪悪こそがヨーロッパを特徴づけるものであり、ヨーロッパを「偉大」なものにしていると高橋たか子は云っているのだ。この罪悪が人間にまとわりついていることを、高橋たか子は悪魔の所業と若いころから認識している。そして、この悪魔の所業こそが神を信じる契機なのだという。

高橋たか子の人間の殺人と姦淫についての見解は;

 とにかく問題は、この内部の衝動なのです。いろんな形をとって実現されますが、根源においては同じ衝動です。人間存在の根源から湧きでてきて、人間が外面的に形づくっている秩序を、あっけなく内側からこわしてしまいます。
 それは「性」と「殺」においていちばん顕著にあらわれます。十戒のうち、人間にとってもっとも切実なのは、「汝、殺すなかれ」と「汝、姦淫するなかれ」だと私は考えています。(中略)
 それを凝視する時に、私は神の存在がわかってくるのです。(高橋たか子、『驚いた花』、1980年)

人間というものは悪魔に「だまされる」存在であり、その結果、罪悪が生じる。一方、神は悪魔に影響されない。だから、神を。という話らしい。

キリスト教徒の世界観というのは人間、悪魔、神が織りなす様相であるということらしい。キリスト教徒は不殺や愛を唄いながら十字軍から党派間戦争まで戦争をするのはなぜかという素朴な疑問がある。これに対しては、原因としては悪魔、対処法としては神の赦しを出せば、凌げるということか?つまりは、<何でもあり>ということだ。白人キリスト教徒の所業とその合理化はこういうことに違いない。

それにしても、戦争と混血によりヨーロッパ人が「偉大」となったのあるなら、カトリックのスペイン・ポルトガルが征服し、混血人種をつくりだした中南米はどうなのであろうか?「偉大」ではないのか? 一切、出てこない。

さらに、日本はどうか?20世紀中半、キリスト教徒が大多数の国に破れ、征服軍の将軍もキリスト教の布教を公式に推進した。進駐軍兵士による強姦もあったし、進駐軍相手の売春婦(パンパン)も万の単位で生まれた。ところで、高橋たか子(敗戦時14歳)の世代でパンパンになった女性も少なくないだろう。高橋たか子は占領軍兵士と日本女性が「男女の交わりをとおして混交して子孫を残」せば、「強烈なエネルギーが内在し、かつ、それを制御することを可能とする、本能的な頭のよさ」をもつ人たちが生まれたと考えていたのであろうか?

■  なぜかしら、日本は無視して、西洋の戦没者を悼む高橋たか子

 私は深く、胸をえぐられる気分になった。十一世紀ロマネスク様式の残っている教会の、その様式特有の美しさを見たあと、ふいに、私自身が生きた二十世紀の、現実の一つであった世界対戦という、西洋全体を巻き込んだ悲劇的事象、それに参与して命を落とした男性たち、このサントの住人であった男性たちの、なまなましい現実に、面と、向き合わされたのであった。
 そうして、このたぐいのものを、フランス各地で見たことを、思い出した。
 決して、従軍による死者を忘れるな、という呼びかけが、かならず、その地その地の、どこか人目にとまるところに、石の碑として書き表されていることを。(p164)

● その他、気づいたことメモ

◆ 「こんなコンクという観光名所ではないところ」(p84)

今では観光名所らしい。


“フランスで最も美しい村”コンク、村本来の魅力を味わうには

コンクはフランスからスペインへと続く世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の中継地点として、古来から多くの巡礼者たちを迎えてきた。今でも巡礼途中に立ち寄る村として重要な位置を占めている。村の中へと入って行く前に、まずは少し離れた高台から村の全景を眺めてみて欲しい。その姿は巡礼の村としてその名に恥じない神聖さと静謐さ、美しさに溢れていて、誰もがその秘められた宝石のような佇まいに思わず溜息を漏らすだろう。(上リンクより)

◆ 「すべてがラテン語だし、また、いわゆる甘美さのない、グレゴリアンのメロディーを呟くふうに歌っているのでーここは正統的なグレゴリアンを保持している稀なる修道院だ、と、後に知ったがー私は、あまり魅惑を覚えず、それに小時課なので、すぐに終わってしまった。」(P43)ソレムの大修道院にてのこと。

高橋たか子は晩年に至るまでシモーヌ・ヴェイユを読み続けた(『最後の日記』)。そのシモーヌ・ヴェイユは「第3のキリスト教の邂逅」と呼ばれる経験をこのソレムの大修道院で得たとされる。モーヌ・ヴェイユは、修道士のグレゴリオ聖歌とラテン語の典礼に直に触れたいとやってきたのだ、偏頭痛のための療養の最中。偏頭痛の痛みを受苦する中、グレゴリオ聖歌とラテン語を聞きながら「聖歌と言葉のたとえようもない美しさのうちに、純粋で完全な歓びを見いだすことに成功しました。この経験のおかげで、不幸を通じて神 の愛する可能性を、類比的に、よりよく理解することができるようになりました。いうまでもないことですが、これらの典礼にあずかるうちに、キリストの受難という考えが決定的にわたしの中に入りこんだのです。」 『神を待ち望む 』

高橋たか子が実際にソレムを訪れたのは1978年5月。作家の中村真一郎の娘・香織と二人で。ソレム特有のグレゴリアンは音楽である以前に祈りであることに注目している。さらに、「若い香織さんは神にむかってどんどん一直線にすすんでいかれるが、存在がたっぷり泥をすいこんでしまった私はそういうわけにはいかない」と書いている。(「グレゴリアンの祈り」、『驚いた花』)

YouTubeにあった;

■ 今週、返す本

『意識と存在の謎』、講談社新書、1996年は、高橋たか子の「認識論」。アラヤ意識など「深層心理」についての高橋たか子の心的構造モデルの披露。カトリックの司祭、田中輝義(google)との対話となっている。おいらには、理解困難であった。



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