林芙美子記念館に行った。3回目。1回目は(2015年4月)、2回目は(2015年10月)。「私の唯一の理想は、女成金になりたいと云う事だった。(林芙美子、『放浪記』(新版))」とデビュー作=大出世作で云った林芙美子が現実に「成金」となって建てた豪邸だ。もっとも、10年後、47歳で死ぬ処となる。
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林芙美子記念館とは
この建物は『放浪記』『浮雲』などの代表作で知られる作家・林芙美子が、昭和16年(1941)8月から昭和26年(1951)6月28日にその生涯を閉じるまで住んでいた家です。
大正11年(1922)に上京して以来、多くの苦労をしてきた芙美子は、昭和5年(1930)に落合の地に移り住み、昭和14年(1939)12月にはこの土地を購入し、新居を建設しはじめました。
芙美子は新居の建設のため、建築について勉強をし、設計者や大工を連れて京都の民家を見学に行ったり、材木を見に行くなど、思い入れは格別でした。山口文象設計によるこの家は、数寄屋造りのこまやかさが感じられる京風の特色と、芙美子らしい民家風のおおらかさをあわせもち、落ち着きのある住まいになっています。(新宿区 web site)
▼ アトリエ
障子の窓が嵌っているが、ここは採光用のガラス窓。天井から続く大きな採光窓と連合してアトリエが明るくなる仕組み。
外からアトリエの採光の窓を見る
▼ 石蔵
■ 林芙美子記念館(図中2) ⇒ 中井駅(図中1) ⇒ JR東中野駅(図中3)
林芙美子記念館は段丘崖にあることはわかる。
■ 林芙美子記念館(図中2) ⇒ 中井駅(図中1)
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■ 中井駅(図中1) ⇒ JR東中野駅(図中3)
上り坂になっている。
JR東中野駅